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回想:決意

 彼女との生活は順調だった。今までは余白の多かった部屋も彼女の持ち込んだ家具や衣類、食器などで彩られていった。

 彼女と出会うまでは私は誰とも結婚することなく、無機質だったこの部屋で一生を終えるのだと思っていた。



「ただいま。」



「おかえりなさい。」



 当たり前のように待ってくれる人がいて、当たり前のように迎えてくれる。私はそんな贅沢を彼女に貰っているのだ。



「○○さん、はいっ上着出して。」



 そう言って彼女は私に手を差し出した。



「ああ、ありがとう。」



(・・・・・・!?)



 すると彼女は何を思ったのか私の上着に顔を埋めた。どうやら匂いを嗅いでいるらしい。彼女がいきなりそんなことをするので私は驚いてしまった。



「……何をしてるんだ?」



「浮気チェックですが?」



「浮気!?そんなことするわけないだろ!?」



「何を言ってるの、○○さん。わたしはあなたのいない家で一人寂しく過ごしてたんですよ?大卒なのに就職もせずにあなたの家に()()でもないのに居座ってるんですよ?ちょっとは不安になるじゃないですか。」



 だからこれは必要なことなんです。と言いながら未だにコートを離さない彼女。ただの匂いフェチなのではないかと思う一方で、私を咎める彼女の言い分は最もだった。

 准教授にはなったものの、私は要領が悪く、毎日の仕事に追われてしまって帰りが遅くなっていた。彼女を不安にさせてしまったのは完全に私の失態だ。



「すまない、△△。不安にさせてしまって……お詫びといってはなんだけど週末どこかに行かないか?」



 今度の土曜日で私と彼女が同棲してから三年経つ。この三年間何度も彼女は夫婦という言葉を口にしてきた。それが遠回しの催促だということは鈍感な私にもわかっていた。しかし口下手で臆病な私は明確な言葉を伝えることができなかった。



「仕事は良いの?」



 彼女は嬉しそうに笑いながらも照れ隠しに聞いてくる。



「全部済ませた。それに君と行きたい場所があるんだ。」



「行きたい場所?」



「それは当日でもいいかな?」



 彼女は少し不満そうな顔をして唸っている。



「まあ、いいです。あなたがデートに誘ってくれたので今日の帰りが遅くなったことは不問にします。ご飯を温め直すので、もろもろ済ませてくださいね。」



 そう言うと彼女は私のコートを持ったまま部屋に帰っていった。










 ◇◇◇



「おはようございます!!」



「お?どうしたんだ○○君、今日はえらく気合いが入っているじゃないか。」



「ええ。少しありまして。」



「それがなにかは言えないのかい?」



「いえ、あの……私の彼女にプロポーズをしたいと思っていまして……」



 先輩は意外そうにしながらも続きを催促してくる。



「私は知っての通り口下手なものですから、いざ彼女の前に立つと尻込みしてしまいそうなので、朝から気合いを入れているんです。」



「ん?誰が口下手なんだ?」



「え?わ、私ですが。」



「君が?冗談だろ?あれだけ学生から人気のある講義をして、その年でもう既に准教授として力を発揮している。謙遜は過ぎれば嫌みだぞ?」



「ですが……」



「まあ、君が、口下手かどうかってのは重要じゃない。大切なのは本心を相手の女性に伝えることだよ。僕はそれで失敗したからね。」



 小指を立てて片目を瞑る先輩。

 彼は頑張れよと言って去っていった。











「あら、○○さん、今日は随分お洒落ですね。」



「そうでしょうか?」



「はい。いつものザ真面目っていうスタイルも似合っていて良いのですが、今日は色使いや小物使いがすごい良いですっ!!何かあるんですか?」



 そう言ってくるのは同僚の大学職員の女性だ。右も左もわからなかったときには大変お世話になったので今日のことも報告しておくことにする。



「誉めていただいて安心しました。今日私は恋人にプロポーズをするので、変な格好だとまずかったんですよ。自信がつきました。ありがとうございます。」



「えっ?ぷ、ぷ、ぷろぽーず?」



「はい、あのどうしたんですか?」



「何でもないよ。うん何でもない。」



 何でもない。そう言いながら彼女はふらふらと去っていった。どうしたんだろうか……












「よお、○○。」



「ああ、君か。」



 前方から大学の同期が歩み寄ってくる。現在は薬学だけでなく医学も学びたいと受験をし直し、医学部の大学院生だ。一応私の方が目上の立場なのだが、彼から敬語を使われると何とも言えないむず痒さがあって今まで通りの対応にしてもらっている。



「さっき女の人がぶつぶつ言いながら歩いてきたけど、お前なんか関係あんの?」



「ああ、大学生時代にお世話になったから今日△△にプロポーズしようと思っている旨を伝えたんだよ。」



(こいつ自分がモテるって知らないからな。さっきの女性もその類いだろう。気の毒に、想いを告げる前に本人に面と向かってぶったぎられたわけだ。)



「お前やっと△△ちゃんとくっつくんだな。付き合うまでがもどかしかったから、結婚までも長いとなるとぶん殴ってやろうと思ってたが、案外決心するのが早かったんだな。といっても卒業してしてからもう五年か。」



「そうか、五年も経つんだな。私は要領が悪いから家にもあんまり帰れてないんだよ。△△にこの間言われたんだ。不安だってね。だからもう待たせられないんだよ。」



「へえー、男らしくなったんだな○○。てか、お前が要領悪いわけないだろ?最短ルートで准教授になった、我が薬学部きっての天才だからな。」



「お世辞はよしてくれ。なにもでないぞ?」



(冗談なんかじゃないんだけど、信じてもらえないだろうな。)



「まあ、あれだ、頑張れよ。」


 

そう言って「あ、ヤバい時間だ」と同期は走り去って行った。廊下を走っているのは見てみぬふりだ。



 今日の講義は午前中の一コマだ。それが終われば、今日の仕事は終わる。研究テーマについてももうまとめてあるので、早く上がらせて貰えることになったのだ。


 彼女との待ち合わせは大学生時代と同じで、駅前の東口の噴水前だ。左ポケットにある重みを確認する。軽いが確かにある重量は私を緊張へと誘う。


(私は今日彼女に伝えなくてはならない。)



 今まで待たせたのだ。今日は精一杯頑張って彼女に楽しんでもらわなくてはいけない。




 駅までの道の途中、桜が咲いていた。まだまだ四分咲きにも届かないほどだが、私には強く心に残る。そんな桜だった。



肌を撫でる風はどこか温かく春を感じさせた







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