回想:出会い
『お父さんっ!!見て!!これなに?』
きれい、きれいと言ってはしゃぐ娘に「桜だよ」と返す。辺り一面は満開の桜。時折吹く風に美しく花弁を散らしている。
『わあっ とれたよ。見て!!』
小さな手のひらには一枚の花弁。「やわらかい」と物珍しそうにそれを見ている。
━━━━━今日娘は初めて桜を見たのだ。
花に囲まれはしゃぐ娘は天使のように愛らしい
『ねえ、また来年見に来ようよ!!』
━━━━━桜は一年に一度しか花をつけない。
━━━━━彼女はもう、桜を見ることはない。
『ああ、そうだね。』
私は心のなかで懺悔する。
いきなり舞い込んできた突風が桜吹雪となって空へ消えた。
◇◇◇
母は大病を患っていた。それも原因不明のものだ。医療分野が発達した今でも治療法は確立されていない。
母の病気は病名が無いため、ここでは便宜的に『病』とさせてもらう。『病』は初期症状が薄く、自覚症状をほとんど覚えないのだそうだ。始めは少しよろける位なのだが、病状が悪化していくと全身に痛みが生じ始め、暫く経ったら高温に苦しみながら死ぬらしい。
母は私を生んだ頃に原因不明の『病』に冒され、そして私が小学校に入学する直前で死んだ。日常生活の中でいきなり倒れることが多くなった母。三ヶ月ほどその症状が続いたのち、「手足が痛い、痛い。」と喚き散らし、苦しみ、喘ぎながら死んでいった。
あの光景は今でも私の心のなかに深く深く居座っていた。
◇◇◇
妻と出会ったのは大学の医学部だ。
無意識のうちに、幼い頃のトラウマを払拭したかったからなのかは分からないが、高校の進路希望調査には決まって「薬学部」と書いていた。特に必死になって勉強した記憶はない。特に何になりたいというものもない。活力もなくつまらない大学生活は私の全てを表しているようだった。
そんな折、彼女と出会った。大学の研究室の後輩であった彼女は何かと私に尋ねてきた。
「ここはどうするんですか?」
「次は何をすればいいですか?」
一度なぜ私にばかり質問してきたのか妻に聞いたことがある。すると彼女は
「好きだったからですよ。」
妻は微笑んだ。
私に気があるのか、それとも私の自意識過剰なのか……
あの頃は随分うじうじと悩んだのに、美しく笑う妻を見て些細なことはどうでもよくなった。
妻と初めてデートをしたのは水族館だった。
県内に新しく建ったそこは国内で初めて***の飼育に力をいれることで建設前から知られていた。私たちの研究は薬物投与の副作用についてのもので、***の毒は私たちにとっても中々興味深いものだった。私と妻は二人で情報を収集しに来たのだ。
「デートみたいですね。○○先輩。」
「何を言うんだ。大学の研究の一環で来ているんだよ。」
「じゃあ、私だけ楽しみますね。」
空気の読めない先輩は知りません、と素っ気なく彼女が言うものだから、私は慌てて口走ってしまったのだ。
「これはデートだよ、△△さん!!」
ニイィと彼女が笑みをつくる。やってしまったと思った時にはもう遅い。自ら墓穴を掘ってしまった。これからずっとからかわれるようなネタを彼女に提供してしまった。
「その言葉、絶対ですからね。」
「ああ、うん。」
空返事で聞いていた私だったが、翌日彼女の言葉の意味を知ることになったのだ。
「おい○○、てめぇいつから△△ちゃんと付き合ってんだよ!!」
「無口なお前もやることはやってんだな。」
「○○先輩がそんなに大胆な方とは思いませんでした。」
大学に着くと、先輩後輩問わず口々に彼女との関係について問われる。なにがどうなっているのか把握できていない私は諸悪の根元であるだろう、彼女に直接聞きに行った。
「△△さん、みんなに何て言ったんですか?朝から質問攻めに遭いましたよ。」
「え?私はただ、先輩が私のことが好きだから水族館デートに誘ってくれた、としか言ってませんよ?」
「何でそんな嘘つくんですか……明日からもからかわれると思うと気が重いですよ。」
「でも、事実でしょう?」
「なにがですか?」
「私のことが好きってこと。」
彼女は何気ない様子で言う。
私は見透かされたような気になった。口下手で容姿に自信のない私は、大学で二つ年下の彼女を一目見たときから好きになってしまった。所謂一目惚れだ。そんなことが自分の身に起きるわけがないと最初は否定していたのだが、陽光を受けて美しく反射する彼女の艶やかな黒髪や、耳心地の良いメゾ・ソプラノに日を増すごとに惹かれていった。隠し通すつもりだった想いを看破されて私は慌てた。
「な、なんで、そんなことがわかるんですか?」
「いつも見てるからですかね。」
彼女はそう言って笑った。切れ長の目は私を見据えている。平然を装いながらも耳を赤くしている彼女は嘘をついているように思えない。私は決意した。
「△△さん、好きです。付き合ってください。」
急な展開に戸惑いながらも今を逃すと一生言えないのではないか、と直感したのだ。
「普通ですね」
そう言いながらも少し涙目になりながら頷いてくれる彼女。
私は人生で初めて自分を誉めた。
窓の外の桜は私を祝福するでもなく力強い幹を強風で揺らしていた。花は咲いていなかった。
◇◇◇
「お邪魔します、○○さん。」
彼女がそう言って私が借りているアパートに入ってきた。
「今度から『お邪魔します』から、『ただいま』になるんですね。」
「ああ、そうだね。」
大学卒業後、博士過程を経て准教授として働きながら研究を重ねる私は、今から三年前。彼女の大学卒業後、同棲することになった。私はシングルマザーだった母が『病』に倒れたあとは親戚に引き取られるでもなく児童養護施設で育ったので親への報告などは生じない。また彼女の両親も幼い頃に他界したそうなので私は彼女の親への挨拶という山場を経験することはなかった。
一人暮らしが長く続いたぶん、私は挨拶を日常的にする習慣がなかった。
朝起きて彼女に「おはよう」と言う。朝ごはんを食べるときには「いただきます」、家を出るときには「いってきます」、家に帰ると「ただいま」と言う。最近当たり前のことになっているそれらは私にとっては酷く温かく、家族という言葉を連想させた。
「○○さん、どうしたの?」
彼女の私への呼称も変わっていた。積極的で明るいと思っていた彼女の性格は作ったものだったそうで、素の彼女は淑やかで大人しかった。アピールするのは恥ずかしいから演技して誤魔化したんだと教えてくれた。取り繕うことをやめた彼女の笑顔は私に勿体ないほど美しい。
「無機質だった家がこんなに温かくなるなんて、人はやっぱり支えあうものなんだと思ってね。」
「金八先生?理系の教授が国語の先生の真似するのってどうなの?」
彼女は可笑しそうに笑った。
言われてから気づいた私は恥ずかしさをどこかにやろうと窓を開いた。
眼下に広がるのは桜並木。私たちの住むアパートは大きな川のすぐ近くに建っている。まだ蕾もつけていない桜は丸腰の兵士のようで不格好に思えた。
(なんだ、私みたいなやつもいるじゃないか)
桜の木に自分を重ねてみた。私も捨てたもんじゃないのかもな。春には目を見張る程見事な花を咲かせてくれる桜にどこか期待を覚えた。
桜が不名誉だと言った気がした。
評価、感想戴ければ嬉しいです
完結までお付き合いください