第4話 信秀殿に会いに行こう
信秀殿に会いに行こう
side・五三郎(史実の織田信広)
今まで見たことがない高さから、見慣れたはずの土地をおれは今見ている。
実を言うと少し、いやずいぶんと怖い。この「ふりぃじあん」という大きな馬ではおれの足では鐙に足は届かぬし、この馬の胴を締めることもできぬ。大きな樽の上に乗っかったようだ。おれの背にはおじいがいて、おれの肩を抱くように手綱を握っているから、こうして乗っていられる。
しかしおじいはさすがだ、こんな大きな馬をも平然として御している。古強者とはこういう者なのかと、改めて感心した。
それでも、初めて見た「ぺるしゅろん」と「ふりぃじあん」の姿にはずいぶんと驚いて発知殿をいろいろと問い詰めていた。そしておじいが馬に乗ろうとすると、安兵衛殿が鐙や鞍に何やらして、更には厩の隅にあった二尺ほどの高さの踏み台を持ってきて、踏み台の中程の板を手前に倒すと三段の踏み台になった。どうやらこれを踏んで上にあがり、馬に乗る仕掛けらしい。いつのまにこんな物を用意したのか、不思議でならなかった。この三人にはいちいち驚かされるものだ。
しかし、今朝の騒ぎは何だったのだろうか。いつものように夜明けとともに起き、朝餉を食べ、用を済ませて身支度をしていると、誰かが荒々しい足音を立てておれの部屋の前を通り過ぎていった。
気になって、部屋から首を出してのぞいてみれば、おじいの後ろ姿が見え、どうやら奥の客間らしい部屋の戸を引いて、中へ入っていった。大きなおじいの声は聞こえるが何を話しているかはよく分からなかった。しばらくはおじいの声が続いたが、途中から様子が変わった。どうやら富士子殿がおじいの相手をしているらしい。しばらくしておじいの大きな笑い声が聞こえた。その後も今度は普通の声で話が続いた。
「五三郎、ワシも那古野へ行くぞ。富士子のおかげで、若い頃に戻ったようだ。せがれ殿の顔もしばらく見ておらぬし、あやつもワシの顔を見ておらぬ。楽しみな事よ。午の刻には城に着くぞ。ああ、せがれ殿との対面には発知たちも連れて行く、そなたも同席せよ。発知たちの話はそなたにも聞かせたい。尾張がいかに小さいか、日の本がいかに小さいかそなたも知っておくがよい。うむ、吉法師も同席させるか、まだ幼ないが物の道理が分かりかけたところじゃ、織田の嫡男として発知殿たちの話を聞くのはためになろう。」
おじいの上機嫌な様子とその言葉におれは驚いた。普段なら、数日ここに滞在しておじいのご機嫌伺いをするところだ。それにおれにとってはつまらぬ那古野城下の屋敷にいるより、この賑やかな津島にいる方が楽しみが多いのだがな。
おじいは背を向けて、玄関の方へ向かった。どうやら城への先触れを出そうとしているらしい。そして、供の者の数を二十人ほど用意せよ、とも家の者に命じていた。
「それにしても尾張が小さい、日の本が小さいとはどういうことだ、訳が分からぬ。」
おれは、その時そう思った。
津島を出て、一刻が過ぎたろうか。空は十分に晴れていた。風は少し冷たいかもしれない。野の草が軽く揺れている。背中からおじいの上機嫌な様子が伝わってきてくるし、普段より高い視線で見る風景もおれの心を浮き立たせてきたようだ。馬の首越しに新緑の「ばんだな」が、すっ、すっと滑るように動く。
馬の口取りはその新緑の「ばんだな」を頭に巻いた発知殿だった。本来なら客人でもある発知殿がする役ではないが、助次郎や藤九郎もこれほど大きい馬の前に立つことを怖がったため、発知殿が役を買って出たのだ。それにしても、変わった身なりをしている。上着には馬の革らしい羽織に似たものを着ていが、ひもはなく、「ぼたん」という薄くて丸いの形のものをつかって前身頃を合わせることができるらしい。発知殿は「じゃけっと」と呼んでいた。また、足下も変わっていた。最初は裸足かと思ったが、どうやら足袋の指が5本あり、底には波目を刻んだ堅い革のようなものが張ってあった。発知殿が言うには「びぶらむ」という名の履き物らしい。そう言えば、富士子殿は「ぶーつ」とやらを履いているし、安兵衛殿は「じかたび」を履いている。三者三様の服を着け、唯一、首に巻いた「ばんだな」だけが同じだ。医者だという富士子殿に言わせると「旅の間は、のどを痛めやすいのよ」とのことだ。
その内に、前をゆく緑のばんだなの動きがゆるくなり、立ち止まった発知殿がこちらを振り向いた。
「ご隠居殿、少し休みましょう。どうやら馬のおかげでだいぶんと道を進めたようです。徒の者が疲れているようです。」
おじいが周りを見渡して、その言葉に同意した。
「そうじゃの、この『ふりぃじあん』とやらは大きいだけにゆっくりなようでも道がはかどっているようじゃ。助次郎。」
安兵衛殿が作ったらしい、踏み台を背負った助次郎が駆け寄ってきた。確かにいつもは息を切らせたためしがない助次郎の息が荒く、額には汗が浮かんでいた。
おじいの先に馬を下り、富士子殿を見ると、漆黒の「ふりぃじあん」にのり、相変わらず見事な銀髪が日に照らされて輝いていた。あれ、昨日していた頭の「ばんだな」がない。いや、「ばんだな」で髪の元を縛り、馬の尾のようにしている。
おれらの後ろや、周りに民達が集まって、遠巻きに囲んで騒ぎというほどではないが、中には富士子殿を指さしている者までいるのにようやく気がついた。
助次郎の後に続いてきた藤九郎が、おじいに進言した。
「これでは我らが見世物のようです。弾正忠家のご威光にも関わります。民を散らしましょうか?」
「かまわぬ。これで後々のことがやりやすくなるわ。」
「はぁ。」
おじいがまた意味が分からないこと言う。藤九郎がまぬけた声をあげたが無理もないとおれは思った。
「ご隠居さん、これを飲んでみない。」
馬から下りた富士子殿がそう言って、おじいに湯のみを差し出した。竹でできた湯のみに水が入っていた。
「おお、かたじけない、富士子よ。うん、甘いずっぱいな、うまいではないか。五三郎もどうだ、飲んでみよ。」
おじいから受け取って飲んでみると、確かにうまい。飲んだことがない味だった。
「徒の者たちにも、分けてやってもらえまいかな、富士子?」
「もう安兵衛が竹水筒ごと配っているわ。さすがに時間がなかったから、安兵衛でも6本しか用意できなかったけど。」
「竹水筒?」
おれがそう聞くと、富士子殿がおじいが返した竹の湯のみを、左手に持った竹筒に重ねてくるくると回した。すると、継ぎ目が見えないほどの一本の竹筒になった。
おじい、おれ、そして近くに控えていた助次郎も目を見張った。
周りを見渡すと、あちらこちらで供の者たちが興奮して、竹水筒を開けたり、閉めたり、水を飲んではうまいと言ったりしていた。
しばらく休んでいると、東の方から重い馬音がした。音の方を見ると、いつの間にかいなくなっていた発知殿が、「ふりぃじあん」の高い背から、軽やかな身のこなしで飛び降りてきた。そうして、安兵衛殿と二言三言話すと、こちらに馬を引いてやって来た。
「ご隠居殿、この地はなんと呼ばれているかな。」
「中村じゃな。後、半刻もゆけば那古野城よ。それで、どうじゃな?」
「田んぼが多いな、こんな豊かなところではもったいない。」
「そうか、やはり古渡の辺りか」
「そうだな、もっと水が近くにない荒れ地の方が俺たちには有り難い。その方が弾正忠殿もやるにしろ、貸すにしてもやりやすかろう。荒れ地なら多少広くても、他の者からねたまれることも少なかろうしな。」
妙な話をしているなとおれは思った。そのおれの顔を見ておじいが説明してくれた。
「発知たちは『ぺるしゅろん』や『ふりぃじあん』を増やす『ぼくじょう』を欲しがっている。それが、そなたを助けたことへのワシからの礼になる。だが、田んぼがあるような土地では民がいやがろうし、せがれ殿もそんな土地を発知たちに与えるのは他の家臣に示しがつかぬ。」
「しかし、全く水場がなければ、馬を養うこともできないのでは?」
「心配はいらぬ。発知は『やまし』だそうじゃ。」
「やまし、とは?」
「やましは山の師と書き、地の深きところを探して、金があれば金を、水があれば水のあるところを探し出し、掘り当てることができる者の事よ。」
そう言うと、おじいは腰に下げた布袋を、広げて見せた。
「これは発知の父が天竺で探し出し、掘り当てた金山の鉱石から取り出したものよ。」
春の光を受けて金の大粒が数十粒も輝いていた。