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巻藁舟にいざなわれ  作者: hatch
第2章 開拓の開始
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第13話 上総堀りの開始

大変に遅れました。申し訳ありません。前話の前書き通り、私的な事情で多少は忙しかったのですが、

それよりも書くよりも読むのが好きな私の性分がでてしまったのが主因です。

特に「○ロの使い魔最終巻発売決定記念にせっかくだからゼ○の使い魔のループものをAAでやってみる」と

「○ロの使い魔最終巻の感動に才○と○イズたち逆行物本編パートをAAでやってみる」がやばかったです。

上総堀りの開始


side:発知


 孟宗竹の地下茎の処理が終わったのは7日後だった。途中で余りに時間がかかったのでつい土魔法を使って溝掘りの補助をしてしまった。自分で掘るときに土を軟らかくして掘る速さを増したり、他人が掘った溝を点検しながら溝を深くしたり、溝の側面を強化したりだった。


 さて、沖村から古渡へ向かうのに、弥治郎殿がついてきた。どうやら俺への世辞ではなく、本当に上総堀で井戸を掘るのを弥治郎殿は自分でやる気のようだった。俺は六郎に乗り、弥治郎殿は自分の馬に乗り、更には護衛として、五人の騎乗の武士がついた。


 徒武者ならともかく、騎乗の武士が五人とは贅沢なと思って弥治郎殿に目をやると弥治郎殿がにやっと笑って答えた。

「これらの者は家中の中で馬が得意な者たちでしてな。噂で富士子殿の馬の妙技を聞いておりまして、是非に同行したいと申し出た次第。できれば、富士子殿から手取り足取り教えを受けたいようです。なに、そんな下心を持った者どもです。いいように使ってくだされば結構です。」


美作守(みまさかのかみ)様、我々は邪な下心などありませんぞ。手取り足取りなどと・・・・」

 騎乗の武士の中で一番の年かさの者が慌てて口を挟んだ。


「そうかな、新八。林家の大人の頭であるそなたが、兄上ならともかく儂の供につくことなど普通ならあり得まい。だとしたら、それなりの理由があると考えるのは儂の邪推かの?」

 新八と呼ばれた人は、弥治郎殿の言葉を受けて目をそらした。他の四人もきまり悪そうに視線をあらぬ方にやっている。


「大体、今回儂が古渡に行くのは、発知殿や安兵衞殿が考えた『鉄管堀』で井戸を掘る技を教えてもらうためじゃ。当然、そなたたちにもそれを学んでもらう。分かっているじゃろうな、そなたたち。」


「はい、もちろんでございます。美作守様。」


「ふーん、それにしてはそなたたちの身なりが良すぎないかな、新八。そなたの携えている太刀は家伝のものではないかな? 市介の手槍も又見事な拵えじゃし、甚兵衛が背負っておる半弓も極上の塗りじゃのう。」


 弥治郎殿の追い打ちの言葉に皆の視線が更にあちこちにさまよった。


「まあ、良いが、見事ななりを惜しんで身が汚れることを厭うなど、本末転倒。穴掘りを学びに行くのだ。身体が汗や泥にまみれるなど当たり前のことだと思え。」


「そういうわけです、発知殿。この者たちの身体が汗まみれになるのも、泥まみれになるのも覚悟の上とのことです。よろしく、こき使ってくだされ。勿論、某も含めてです。」


 弥治郎殿の容赦ない言葉に五人ががっくりとうなだれている。主に準ずる人が率先して穴掘りで汗まみれ、泥まみれになると宣言しているのである。家臣としてそれを嫌と言えるはずがない。


「分かりました、弥治郎殿。私や安兵衞も元より汗や泥にまみれましょう、よろしくお願いいたします。まあ、富士子が昼の休みにはうまい物を用意するのでそれを励みにお互いに働きましょう。」


「ほう、それは確かに楽しみですな。では参りましょう。まずは那古野ですかな。」



 沖村から那古野城まで、一時間ほどでついた。さすがに全員が騎乗なので早かった。城で信秀殿に戻った報告をと思っていたが、殿も吉法師殿も古渡に行っていて留守、隠居殿も五三郎殿と一緒に薬草園の予定地で上総堀をしているらしい。「それでいいのか弾正忠家!」と脳内で叫んだが、後の信長の新しもの好きなのはどうやら祖父、父の血を受け継いだ物かと納得したりした。


 とりあえず上総堀の様子を林家の人たちに見せようと思い、皆で薬草園の予定地に向かった。

 上総堀の現場で一番目立っていたのは、高さ五メートルほどの二本の主柱に取り付けられた孟宗竹で出来た長いハネギだった。穴を掘るためのテッカンは重いだけに打ち付ける時は重力が使える。だが、それを持ち上げるのは大変である。これを容易にするのがハネギだ。重力に従って地面に打ち付けられたテッカンにより、たわんだ孟宗竹のハネギが、元に戻る力で重いテッカンは容易に元の位置に戻る。現場に近づいて初めに見えてきたハネギは、リズムよく開いたり縮んだりしていた。


「なんじゃあれは?」

「あんな物は見たことがない。」


 林家の人たちが口々に感嘆の声をあげている。現場について手綱を津島衆の藤九郎殿に渡した。織田のご隠居殿が満面の笑みを浮かべて近づいてきた。


「発知よ、よくぞこれを教えてくれた。鉄管堀を始めて五日、既に穴の深さは十間を越えておる。そなたの見立てた九十間に達するのに二月はかかるまい。」


「それは良かったです。上手に使っていただいて何よりです。」


「そこに控えているのは、沖村の美作守か。よく来てくれた。かしこまらなくとも良い。ここは城内ではない、戦場と同じで働くところよ、陣中の作法で良い。頭を上げて身を起こせ。沖村の大人たちも同様で良い。ああ、武具はそちらにある棚に立てかけておけ。ここは城に近い。見張りは必要だが、働くのに武具は邪魔よ。」


「は、仰せごもっとも。では身支度を整えて、某も汗をかかせていただきたく存じます。」

 弥治郎殿がそう言って、武具を置きに行った。林家の人たちもそれに習う。


 林家の人たちが身支度を調えて戻ったところで、ご隠居殿が鉄管を操っていた若くて恰幅の良い武士に声をかけた。


御器所(ごきそ)の大学よ、そろそろ先をスイコに変えようぞ。五三郎はヒゴグルマにかかれ。助次郎はネバミズを用意せよ。」


 御器所の大学と聞いて、俺は思い出した。現代の名古屋市昭和区の御器所にあった尾陽(びよう)神社が佐久間氏が築いた御器所西城の跡地だったこと。尾陽神社が学問の神を祭っていて、高校受験の時に母親が俺を連れてお参りに行きたがったこと。俺がそれを嫌がって母とけんかになったこと等々。なんでお参りが嫌だったかというと、自分の力で高校に合格するのに、それが神様のおかげと言われるのが嫌だったのだ。志望校はそれなりの進学校であり、何十年かに先には卒業生の一人がノーベル物理学賞を受賞していたのに凄い自信である。合格する根拠はないし、実は高校の受験勉強だって中学三年生の冬休みからしかやらなかった。母がお参りに行きたがったのは三年の時の夏休みだった。全く受験勉強をしない息子の尻を叩くためのお参りだったのだろう。


 それはさておき、織田家に仕えた佐久間一族は沢山いる。その中で俺が知っているのは三人。一人目は、佐久間右衛門尉(うえもんのじょう)信盛、「退き佐久間」と武名が高かったが、晩年は不遇で信長により追放されている。次が佐久間玄蕃允(げんばのじょう)盛政、「鬼玄蕃」と呼ばれた巨漢の武将だが、この人も終わりは良くない。柴田勝家と羽柴秀吉(後の天下人、豊臣秀吉)が争った「賤ヶ岳の戦い」で勝家の敗因を作った脳筋武将の印象が強い人だ。

 そして三人目が、佐久間大学助(だいがくのすけ)盛重。先に挙げた玄蕃允盛政の祖父に当たり、「御器所の大学」と呼ばれたのは、多分、この人だ。信長が名をあげた桶狭間の戦いの前哨戦で丸根砦を守り、徳川幕府を開いた徳川家康、その時点では松平元康と戦った人だ。元康の猛攻を受けて丸根砦は陥落、大学助も討ち死にした。佐久間一族では早くに討ち死にしたが、戦国好きの人々の間では結構評判は良い。評判が良い理由は、援軍のないのを承知で丸根砦を守り、信長が桶狭間の奇襲を成功させるための捨て石になったからだ。本当に捨て石になるのを承知で丸根砦で戦ったかどうかは分からない。だが、そんな風に伝わったように気持ちの良い忠義に厚い武将だったのだろう。


「親父殿、先を変えるなら俺にやらせてくれ。御器所の大学もそろそろ疲れた頃だろう?」


「うん、孫三郎か、そうだな一度代わっても良かろう。どうだ大学?」


「はっ、それではスイコに換えるまで拙者がいたします。後をお願いいたします、孫三郎様。」


 孫三郎って、誰だっけ?と俺が思っていると、隠居殿が俺に孫三郎様と大学殿を紹介してくれた。


「発知よ、これが儂の息子の一人、弾正忠の弟で守山城を任せている孫三郎信光。こちらの武勇優れたおのこが御器所西城主、佐久間大学助盛重よ。忠義に厚く、裏表のない真に頼りになるおのこよ。」


「おい、親父殿。大学を持ち上げるのはかまわんが、俺にも武勇優れたとか、頼りになるとかの褒め言葉をつけてくれ。」


「ほーお、松平清康めが攻め寄せたときに守山城でおびえて、小便漏らしたそなたに『武勇優れた』をつけろと言うか。臆病者とか肝が小さいとかつけないだけ有り難いと思え。」

「親父殿・・・・・・」

 がっくりとうなだれた、たくましい体の二十歳前後の孫三郎様がそう呟くと、大学助殿が声を張り上げた。

「恐れながらご隠居様、拙者もあの時は後ろの御器所西城で清康の凄まじき勢いに震えておりました。清康めが迫っていた守山城の孫三郎様が多少恐れても、仕方がないものと、拙者、考えます。」


「やさしいの、大学は。まあ、そういうことにしておこう。」


「ご隠居様、それでは某に五三郎様の代わりをさせてもらえませんか。」

 弥治郎殿がそう申し出た。

「よかろう、そこの大きな輪に、大学に背を向けて乗り、ヒゴグルマを回せ。大学が声をかけたら止まれ。それから、沖村の新八郎は津島の助次郎を助けよ。」


 皆がご隠居殿の命を受けて動き出した。さすが織田のご隠居様、命令に隙がなかった。


 しばらくして、引き上げられた鉄管から泥水を排出させて、スイコに付け替えた大学殿が孫三郎様に代わりを頼んで、アシバイタから降りてきた。ご隠居殿がヒゴグルマに乗った弥治郎殿に向きを変えさせて、それを先ほどとは反対側に回し、スイコを下に下ろさせていった。


 さすがにちょっとは疲れたのか大学殿は袂から布を出し、顔の汗をぬぐい、津島の籐九郎殿が渡した椀に入った麦湯をうまそうに飲み干している。麦湯を飲み干した大学殿はにこやかに笑いながらこちらに近づいてきた。


「やあ、そなたが富士子殿と夫婦になった五島の発知殿か。真に肝の据わったおのこよな。色々と大変であろう?どうかな。」


 大学殿の言葉に俺が戸惑っていると、林家の人々以外のその場にいた人たちが顔を伏せて笑いをこらえていた。ご隠居様は遠慮がないのか腹を抱えて笑っていた。


「富士子が何か失礼なことをしましたか?」


「あの鉄管堀を始めて三日目よ。昼前に先触れがあって富士子殿が陣中見舞いに来るとのことだった。あの二頭の大きな白い馬に引かせた馬車にも驚いたが、その前を一頭の黒い大きな山犬が先導していた。それだけではなく、両脇にも一頭ずつの黒い山犬。馬車の後ろにも二頭の黒い山犬がついていた。まるで五人の護衛がついたような按配でな。」


 草原の友の称号、乙、と俺は心の中で呟いた。


「それで、富士子殿が馬車から降りて、長い荒縄をあそこの太い枝にかけて引っ張り始めたら山犬どもも器用に口を使ってそれを手伝っておる。驚いておると大きな生きた鹿が馬車から落ちて、後ろ足を上につり下げられた。すると、一緒に馬車に乗っておられた吉法師様と五郎左衛門殿と供の者が大きな平桶といくつかの陶器の大椀を馬車から降ろしておる。」


「富士子殿は五郎左衛門殿に椀を鹿の首の下に大椀をあてがわせて、腰から小刀を引き抜き、それで鹿の首を掻いて生血を大椀に注がせたのよ。全部で四椀ほどだったかな。その後に吉法師様が小さな壺と木さじを持ってくると富士子殿は木さじで壺の中身を大椀に入れて、箸でシャカシャカとかき混ぜた。吉法師様がその一つをご隠居様に持ってこられて言ったのが『おじい、精がつくぞ食べてみよ』よ。拙者は織田家に仕えて、ご隠居様があんな顔をされたのを初めて見たわ。」


 今度はご隠居殿だけが苦笑いし、その他の人たちがクスクスと笑った。孫三郎殿は先ほどの意趣返しかアシバイタの上で手を止めて大笑いをしている。大学殿が愉快そうに話を続けた。


「ご隠居様が手を出さぬと吉法師様が『おじいがいらぬのなら、俺が食うぞ』と食べ始めた。しばらく吉法師様がうまそうに食べるのを見ていたご隠居様が手を出すと吉法師様が大椀をご隠居様に手渡された。残りの大椀も皆に渡されて、拙者も食べたが、鹿の生き血があんなに甘くてうまいとは知らなかったの。その間、富士子殿は鹿の腹を割いて鹿のはらわたを平桶に出して肝を五郎左衛門殿に渡すと、五郎左衛門殿から受け取った供の者が七輪だかの上で焼いて、これも皆で食べた。それから皮をはいで、後は腹の肉の片身だけを取ると、残りを平桶に置いた。そうして富士子殿がいくらかのはらわたを除いてから、それまでおとなしく待っていた山犬どもに声をかけて食べさせておったわ。」


 狩猟が趣味で、猟友会にも所属していた安兵衞から手ほどきを受けていたので、富士子はジビエ料理も得意だった。しかし、鹿の新鮮な生き血を泡立てて作るゼリーは戦国時代の日本では、刺激が強すぎだろう。吉法師君、よく食べたな。


「富士子の国では、鹿はご馳走なんです。豚、牛、羊は飼って増やすことが出来ますが、鹿は飼えません。野生のものを狩りで捕まえるしかありません。狩りが出来るのは、王や貴族、日の本で言う将軍か守護、領地のある武士だけです。日の本に来て、貴族のまねが出来るので富士子も張り切ったのでしょう。」


「なるほどの。そうすると蕎麦のガレットというのも、富士子の国の料理なのかな?」


「そうです。」


 そう、俺は答えたが、あれってフランスの料理じゃなかったかと、冷や汗をかいていた。


「そうか、ところ変われば品変わるというが、面白いの。鹿の肉を焼いてあれで巻いたものを富士子殿が渡してくれたが、手を汚さずにむすびのように鹿肉が食べることが出来るのは良いの。うまいし、むすびより精がつくわ。」


 どうやら富士子は米以外の食べ物を広めようとして、色々作っているらしい。ガレット以外に小麦粉で作ったクレープ、ナンなども用意したらしい。血の料理で猪の血と塩水で作った豆腐まがい、同じく猪の血に雑穀の粉を混ぜたプリン、猪肉のソーセイジ等々、やりたい放題だ。

 これが江戸時代なら四つ足の獣の肉や血など、拒否されたのだろが、戦国時代の武士たちはさほどでもなかったらしい。もっとも初っぱなに鹿の生き血のゼリーの衝撃とそれがうまかったのが良かったのだろう。


 そうして俺以外の人たちが、役割を代わりながら上総堀が続けられた。俺は今日も昼には富士子が何か持ってくるらしいので、富士子が来たら一緒に古渡に行こうと思った。


参考文献


NAVERまとめ より 「大事な食材☆豊富な栄養源である血液を使った血料理の数々」


鹿の生き血のゼリーは「塩野七生」か「米原万里」のエッセイからヒントをもらいました。いい加減な引用元で申し訳ありません。


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