1.地下国
ある街に仲の良い3人の男兄弟がいた。
長男は勇敢で逞しく正義感があり、次男は古くを重んじ賢く機知に富んでいた。そして三男は穏やかで誰にでも優しい青年に育った。
そんな個性の強い息子達を両親は誇らしく思っていたが、いつしか物足りなく感じ始める。そしてその個性を共有するよう伝えた。
長男には勉学を、次男には優しさを、三男には体を鍛えることを強要させたが、これが過ちであったのだ。それぞれに持っていた個性が更に強まり、そして彼らは憎み始める。
兄弟に劣等感を抱き始めた息子達はいつしか心に闇を抱いたのだ。
仲睦まじかった家庭が崩壊し灰と化した御伽噺は最も有名なものとなった。
ー1.地下国ー
2100年を迎えてから人類は光を恐れるようになった。 先祖たちは何年も地面を掘り続け、遂には地下に大きな国を創り上げた。
そう、僕たちは地中の奥底にある巨大な地下国で生まれ育ったのだ。
今から100年前、地上で勃発した戦争が原因とも言われている。そこである政府が「無実の人々を守る為に」とこの国を創ったそうだ。
激しい爆撃にも耐えた此処を人々は生活の基点とし、壮大な国が生まれたのだ。
人々は安心して暮らしていけるようにとこの国の建国者であるアリシア・クロキは自身の財産を使って人々を養っていったそうだ。その時の彼女は破産してしまう覚悟があったと知った人々は此処をより良い国にさせようと奮起する。
国と人がひとつとなった素晴らしい時代があったと老人達は口を揃えて言っていたが、僕には怪しげな匂いがプンプンとしてくるようだった。政府に洗脳でもされているんじゃないかと疑うほど国民達は忠実的であるのだ。
此処の床と壁、そして天井はステンレス製で出来ている。こんな同じ風景を20年間も見続けていれば飽きてしまうのが普通だろう。
平和ボケしたこの国に嫌気が差し、ほんの少しの刺激を求める。
「なぁ、今日も行ってみないか?」だからこそ僕は幼馴染にそう尋ねた。仕事を抜け出し騒つくカフェテリアで一杯お茶を楽しむついでだ。
「レンはホントに怖いもの知らずだよな…」早死にするぞと返す弱虫のユーリは苦笑いを浮かべながらタブレットに目を向けた。こいつもまた地上には興味を示さない国民となってしまったようだ。幼い頃、一緒に上を目指そうと約束をしたとは考えられないほどの裏切り者である。現実主義的な黒髪が鼻に付く。
「それよりもまた殺人事件があったらしいぞ!」
だが政府の情報網にハッキングする勇気はあるようだった。タブレットを見せてくるユーリの顔付きが少しばかり明るげに見えた。それは闇めいており思わずゾッとしてしまう。
タブレットに映し出されていたのは僕たちと同年代の青年の亡骸だったからだ。
僕が地上に興味を持つのと同様に彼もまた死体に興味を抱いていた。変な意味がある訳じゃない。殺害方法と犯人を推理することを楽しんでいるのだ。
やはり気味の悪い趣味だ…。こんな地下に押し込まれていれば気が触れてしまうのだろう。
この国のように僕の人生には色味が全くない。仕事に戻る途中は憂鬱感でいっぱいとなる。だけど引かれたレールの上を歩くように職場に戻り、いつものように部品の組み立ての業務に就く。機械がズラリと並ぶ倉庫に10時間ぶっ通しで働かなければならない。また今日も変わりない1日を送る、そう思ったの矢先だった。
重たい扉が強引に開かれたと思いきやゾロゾロと武装した男達が入ってくる。黒ずくめの集団が入ってくるだけで恐ろしく思えるが何よりも彼奴らはタチの悪い悪魔だ。この国家の警察を担っている役職である。
「今すぐ作業を止め地面に膝を付けろ!」1人の男がボスに銃を突き付け威嚇をする。
あまりの迫力に僕たちは誰ひとり反抗しようとする者がいなかった。面倒ごとは嫌いな人間ばかりが集った職場なのだ。
それにしても今日はいつになくツイていない日だ。作業が溜まれば無償の残業時間が増えるだけだと言うのに。
皮肉れた考えが過ぎる中、ウィンディゴでも格の違う男が現れた。右目は黒い眼帯をしており人相が悪過ぎる。黒光るガッチリとした体型に剃り上げられた頭。そして顔中に大きな爪痕が残っている。
何故かこの男に目を付けられたら面倒ごとは避けられない、そんな気がした。思わず目を背けるとその男は直ぐ様に反応する。
「疚しいことがある者はすぐに目を逸らす。本心を見抜かれると思ってる」
男の低い声が真上に聞こえ目を向けると、たった1つの目ん玉と目が合い背筋がゾッとする。まるで何人も人を殺して来たような目だ。
「この中に反政府軍と内通している者がいる」
眼帯の男はタブレットを手に取り、ある映像を見せ付ける。その映像を見て頭中に冷たい電撃が走った。
映像には先ほどのカフェテリアが映っており、2人の男に向かってどんどんとズームする。脂汗が額に浮き上がり、重力に逆らえず地面に向かって滴り落ちていった。男達の顔が映し出されると職場の同僚達が一斉に僕の顔を見つめる。
その場は騒つき始め、僕の鼓動は速さを増した。この勘は間違い。人生の分かれ道に立たされていることは明らかだ。
そう思った瞬間に僕はウィンディゴ達を払い退け、全速力で走っていた。このまま捕まれば一生檻の中に閉じ込められる。運が悪ければ死刑かもしれない。それほど政府は反政府軍を恐れているのである。
放たれる銃の弾を必死で避けながら鉄の道を駆け抜けて行く。行き先など考えていない。何処を走っても監視カメラに映されているだろうし、逃げ切れるなど思っていなかった。それでも僕は足を止めるつもりはない。生まれつき諦めが悪いんだ。
だが僕の短命な運はそこで尽き果てる。
先回りしたのだろうか眼帯の男がタバコを咥えて立ちはだかっていた。そして銃を向けるとすぐに引き金を引く。
暴発する音と共に僕の頭から何かが砕ける音が聞こえて来た。銃弾が額から大脳を通過しそのまま体の外へと貫通して行く感覚を感じたのも束の間、体は言うことを聞かなくなり地面に倒れ伏した。
3秒間だけ確かに意識があった。ただ目の前に立つ眼帯の男が恐ろしい、最期に思ったのはそれだけだった。こうしてタキグチ・レンの人生は幕を閉じたのだ。
ーー20年僕は何を学び、何を活かして来たのだろうか…。そう考えても何も得ていなかったことに気がついた。これからの人生だったかも知れない。
だけどあの眼帯の男に全てを奪われたのだ。
人は死ぬことを恐れるが、死の何を恐れているのか明確には分からないことが多い。
家族との永遠の別れが恐ろしいと考える者もいれば、これ以上に愛する人を幸せにすることができないことを恐れる者もいる。
だけど死んだその先に待ち受けているものが何なのか、それが分からないということが1番に怖いはずだ。
死後は天国か地獄に逝くと考える人もいるだろう。誰も牢獄だとは考えない。天使も居なければ悪魔も居ない。
あの後、僕は目を開けてみると目の前に居たのはあの眼帯の男だった。最悪だ、妙な連鎖に巻き込まれてしまった。
酷い頭痛を抑えながら何とか体を起こしてみるとヒンヤリとする銀色の台に寝かされて居たことがわかる。
そして辺りを見渡すと2体の死体袋が台の上に寝かされていた。
何かおかしい、そう思うも上手く物事が考えられない。きっと頭を撃たれたせいだ…。
「何をさっきからブツブツと話していやがる…」
すると機嫌の悪そうに眼帯の男が話し掛けて来た。まだ状況が飲み込めない…。何故この男は僕に語りかけてくるのだろうか。
思わず頭を掻いてみると真っさらな肌に驚きを隠せず、台に反射する自分の顔を見つめた。
額には真っ青な傷痕があったがそれ以上に酷い傷は見当たらない。どんなに見直しても血が流れた後もないし、何より脳ミソが吹っ飛んでいない。
「其処のナルシスト、長官がずっとお待ちしてんだよ」
眼帯の男に安置所から連れ出されエレベーターに乗り込んだ。どんどん地下に降りて行く中、緊張感が走る。
今何が起きているのかも分からないし、これから起きることも分からない。ただ明確なのはこの隣に立っている男が全てを掴んでいるのだ。
「さっきまで貴方に頭を撃ち抜かれて殺されたと思っていたけど、どうやら僕の思い違いだったみたいだ」
笑えないジョークを言ってしまったもんだからエレベーターの中は更に気まずくなる。だけど気まずくなると更に口が止まらなくなるのも僕の悪い癖である。
「貴方は何度も経験してそうだ」
ちょっとひと言多かったようだ。男のギロリとした目と合い、僕の口はピクピクと痙攣し始める。
緊張感が溜る頃合いを見計らっていたかのようにエレベーターの扉が開く。
この先僕を待ち構えているものは一体何か、想像すらできない。ただ奴の後ろを付いて歩くことしか今は出来ない。
長い廊下を歩く中、壁一面に彫られた名前に目を奪われる。きっと政府のお偉い人物の名前だろう。ズラリと並ぶ名前を眺めていると、ふとある人物の名前に目が留まる。
「その名前が気に入りましたか?」
満面の笑みを浮かべ僕の目の前にスーツ姿の小太りな男が現れ、眼帯の男はすかさず誠意を示すよう頭を下げた。
この穏やかで優しそうな雰囲気を醸し出す小太りの男が長官なのだろう。
「ニック、ご苦労だった」長官のひと声で眼帯男は下がって行き2人きりとなった。
何故か胸騒ぎがする。ザワザワと胸の中で虫が蠢いているかのような嫌な予感だ。ニコニコと微笑んでいる裏で一体何を考えているのだろうか。
「さて、君に此処まで来てもらった理由を話した方が良さそうだ」
そして先ほどまで温和な空気を放っていた長官の顔付きが一瞬にして変わる。鋭い眼光で睨まれているかのような感覚になるほどだ。
「…何かわからないんですが、先に謝っておきます…」
長官の恐ろしさに慄いた僕はいつもの手を使う。きっと何かを仕出かしてしまったのだから謝っておけば何とかなる、そう思った。
しかし長官はうんともすんとも言うことなく更に奥の部屋へ通したのだ。そこの部屋は薄暗くひとつの豆電球で明かりを灯しているだけである。
「さぁ、其処に腰を下ろして」
錆び付いた鉄のパイプ椅子を指さされると此れから起きる出来事を悟った。
取り調べが始まるのだと。
テーブルと椅子しか無いこの部屋は殺風景という言葉がよく当てはまる。豆電球に照らされたパイプ椅子に腰を下ろすのは勇気がいるものだった。座ってみればさっそく取り調べが始まる。
長官は1冊の極秘と記されたファイルが差し出さし、見てみろと言わんばかりに僕を見つめている。
ずっしりと重い分厚いファイルを受け取りゆっくりと時間を掛けて1枚目を捲った。
あぁ、やっぱりこう来るか。
今この国を脅かすテロリスト集団スルガトの書類である。そしてその書類の中には僕の幼馴染であるユーリ・マッキノンの顔写真が掲載されていた。
「彼は君の親しい友人だそうだね」
「深い間柄って訳じゃありませんけどね」そう言ってファイルを突き返すが長官は受け取ろうとはしなかった。仕方がなくテーブルの上に置いてみるが、ユーリのことが気になってしまう。
あいつに限ってテロリストな訳がない。きっと接点もないはずだ。だって物心が付く頃から遊んでいた仲だ。昔から怖がりで変化を嫌う奴だった。そんな奴が…。
「君の反応から見ると、どうやら友人がどれほど過激な行動をするのか知らなかったようだ」
僕の心情を悟ったように語り掛ける長官はファイルに挟まっていた数枚の写真をテーブルに広げた。監視カメラに写っているユーリの姿だ。3人の男たちと話しているようだったが、これだけではテロリストとは判断するのは難しいだろう。
「此処は軍の格納庫で、厳重にあるモノが保管されていた。頑丈な扉が施されゴキブリ1匹の侵入も許さないはずだったが、この写真が撮られた30秒後に爆破されあるモノが盗まれた」
そう言ってもう1枚の写真を見せつけて来る。それは以前ユーリが僕に見せて来た紫色の隕石のカケラである。そう言えばあいつは興奮気味に説明してくれていたがちゃんと聞いていなかった。こんな石っころを集めて何かをすると言っていた気がする。
「これはただの石ではない。欠片が発する有毒なガスを一瞬でも吸い込めば死に至るものだ。悪魔涙と呼ばれている」
「そんな重要なモノが盗まれたのは僕の責任じゃないし、これ以上に関わりたくない話だ」
そのモレクをどうしろと言うんだ。僕には関係のない話であるし、まだ此処に連れて来られたハッキリとした理由も聞いていない。
「これだから最近の若者は…。人生の傍観者でいることが日常的で、いつも誰かが何とかしてくれると思っている」
「実際僕には関係のない話じゃないですか!」
「君の友人が関わっているというのにか!?」
恐ろしくも図星であった。僕は傍観者でいることに慣れてしまい、それが居心地よく感じてしまっていた。良く言えばリスクの回避、悪く言えば責任転嫁である。
そんな身分でありながら政府のあり方に文句を吐いて人生を嘆いていたのだ。
自分が急に小っぽけな存在に気づかされてしまった。
「それで僕が此処に連れて来られた理由は何ですか…?」
分かれ道に立たされることが偶にある。しかしどちらを選ぼうにも誰かに急かされる。だから選択肢を間違えてしまう事が多い。
それでも生き抜く為には前へと進むしか道はないのだ。その先にはきっと希望があると信じて。
人生は船と似ている。人生の舵を切るのは紛れも無い自分なのだから。