03
とある町の路地裏にある空間で一人の占い師が座っている。
そこは人の往来が激しい通りから路地裏に入った先の随分奥まった場所だった。
普通の人間はまず気にしないだろう道の先にあるという点で、この占い師は商売をしようとはしていないと思われても仕方ないだろう。
広げられているテーブルの向こうにある客用の椅子に乱暴に腰かける人物が現れた。
「ようこそ、占い屋『おもてなし』へ。ご相談でしょうか?」
「いや違う」
そう言って名刺を差し出してきた男は、随分着古したような皺のあるスーツ姿に無精髭と言う姿で、あまり身なりに頓着する質ではないように思える。
「斉藤さん…ですか。警察の方の相談に乗るのは初めてです」
警察手帳ではなく名刺を出したのは、今の斉藤は非番の身であり、刑事としての身分を名乗るのが不適切だと判断したからだ。
「だから相談じゃない。俺はあんたに絵のことについて話を聞きに来たんだ。これはあんたのだな?」
内ポケットから取り出した写真をテーブルの上に置き、占い師の顔をじっと見つめる斉藤だったが、目深にかぶったフードのせいで表情が分かるのは口元に限られ、これでは反応を窺って話の流れを読むことも出来ないと内心では舌打ちをしていた。
「ええ、確かに私の所有していた絵ですね。少し前にとある店に飾ってもらうために貸し出していましたが、どうも盗まれてしまったらしくて…それで、この絵が何か?」
「単刀直入に聞くが、この絵は一体何なんだ?この絵に関わった奴がおかしな目に遭ってるんだ。何もないわけがない」
険しい顔でそう尋ねる斉藤にどうこたえようか迷っている様子の占い師に、ますます苛立ちは募っていく。
とある捜査対象者の死亡によって幕引きとなった事件だが、斉藤が調べてみるとおかしな点が浮かび上がる。
捜査対象の男は最後に絵を見ながら酒を飲んで急性アルコール中毒で死んでいる。
だがこの男は普段、自分で酒を飲む量を厳しく制限しており、無茶な飲み方はしないという証言が取れていた。
だというのに死亡時は部屋にあったありったけの酒をまるで浴びるように飲み干しており、中にはアルコール度数の異常に高い酒も混じっていたため急性アルコール中毒になるのも当然だと呆れたものだ。
調べていくとこの異常な行動には例の絵が関連していることが分かって来た。
実際に捜査員の一人に絵を見ながらの飲酒をさせてみた所、飲み始めから暫くすると酒を飲むペースが異常に早くなり、しかも本人は酩酊加減を全く意識せずに次々と酒を口に運んでいる様子から強制的に実験を中止し、酒を離そうとしない捜査員から数人掛りで酒を引き離すという事態に、立ち会った人間は背筋に寒いものを感じた。
科学捜査でも絵におかしなところは見当たらず、原因がわからないまま絵の調査は禁じられたのだが、斉藤はこの絵の本来の持ち主に当たってみることにした。
盗難被害にあった喫茶店の店主からこの占い師へと繋がる線はすぐに見つかったのだが、肝心の占い師本人の居場所が全くつかめず、非番の日を使ってまで探しに探して今日、ようやく見つけてこうして話をしているところだった。
「うーん…まあいいでしょう。刑事さんはなんとなく本当のことを言わないと引き下がらなそうですからね」
若干の呆れを含んだ声でそういう占い師の言葉にニヤリと笑みを浮かべて斉藤が満足そうに頷く。
「いい読みしてるな。その通りだ。納得いく答えが聞けるまでは食い下がらせてもらう」
「えー…と、あった。まずはこれをご覧ください」
テーブルの下をごそごそと漁っていた占い師が取り出したのは、500mlペットボトルぐらいの大きさの1体の木彫りの彫刻だった。
「なんだこりゃ?釣りをする老人って感じだが」
ごつごつした岩を模した土台に昔の中国の服を着た老人が腰かけ、手に持った釣り竿を低く構えている姿のそれは、どこか彼の太公望を表しているように斉藤は感じた。
「刑事さんがおっしゃったように、これは釣りをする老人という単純な構図なんですが、これをこうして…」
立ち上がって少し離れた所に放置してあったブルーシートの切れ端を手にしてテーブルの上へと置き、その上に木像を乗せると、途端に斉藤の目は木像に捕らわれてしまい離れなくなってしまった。
木像を見つめ続けていると、寝不足気味だった頭の重さが取れていき、体のだるさが取れていくのが分かる。
「はい、ここまでです。どうです、頭がスッキリしたでしょう?」
どこからか取り出した布で木像を覆い、斉藤の視線を遮ると先ほどまでの目線を奪われる感覚が消え去り、かぶりを振って占い師を見た。
「確かに怠さが消えたが、今のは一体…」
「サブリミナル効果と言う言葉をご存知ですか?」
斉藤の問いかけに木像を再びテーブルの下へと戻しながら占い師が答える。
サブリミナル効果とは極短時間の刺激によって無意識化に干渉して、任意の効果を人の意識に発現させるものだ。
この木像も実際は視覚を介して脳内物質の発生を誘発するという、広義でのサブリミナル効果を持っている。
木像は元々アンティークショップで買ったもので、それに多少の加工をすることで脳の鎮静効果とリラックス効果が発生するはずだった。
「本来はこれを見た人間が安眠できるようにと作ったつもりだったんですが、どこをどう間違ったのか見続けると眠気が解消される効果に変わってまして。まあこれはこれで面白いのでそのままにしてますけど」
ポンポンと布を被せられた木像を叩きながら乾いた笑いを漏らす。
「まさかそれがあの絵にも?」
斉藤が思い至ったのは、例の絵にもこの木像と同様の効果が師駒まれていたのではないかと言うことだった。
たった今体験した身でなければにわかには信じられないことだが、これが本当であるなら今回の事件に付随したおかしな点にも納得がいく。
「あっちはもっと複雑ですね。模様の組み合わせで催眠効果を出すのと、微かな色の変化を色彩心理学に基づいた味覚が鋭敏化する効果があります。ただまあ、特定の条件下以外ではその効果も効きすぎることもあるので、環境を整えた場所以外では見ないほうがいいんです。ましてや絵を見ながらの飲酒なんて危険すぎますね」
「飲みすぎるからか。急性アルコール中毒に陥るほどに」
斉藤の呟きに口元に浮かぶ笑みだけで返事を返し、それが答えだと悟った。
あの男が絵を盗んだのは喫茶店であの絵を見て飲むコーヒーの味を知り、それなら酒もうまいのではと思ってのことだろう。
買い取ることが出来ないと知って盗み出したが、戦利品を見ながらの祝杯で絵の効果に殺されたといったところか。
「話を聞けて良かった。おかげでスッキリしたよ。…2つの意味でな」
そう言って立ち上がった斉藤に占い師から声がかかる。
「おや、私を捕まえないのですか?」
「何の嫌疑でだ?あんたは絵の持ち主ってだけで、あの絵が人を殺す道具だったとは実証は出来ない。大体、あの絵を使って特定の人物を殺すのは難しい。事故だよ、あれは」
それだけ言ってヒラヒラと手を振って立ち去っていく斉藤の背中を静かに見続けてる占い師は、暫くするとポケットから携帯電話を取り出した。
呼び出し音が2度ほどなると通話相手が出た。
『はい、こちらは宇井里時計店です。』
電話の向こうからは若い女性の声が聞こえて来た。
「どうも、私です」
『なんだ、あんたか。どした?また新しいのが欲しいの?なら丁度前の持ち主が自殺した部屋から見つかった―』
「あ、いえ、そうではなくてですね。ほら、少し前に受け取った絵があったでしょう?あれが返却されるんですけど、その時の連絡先にそちらを指定しましたので、できれば回収をしておいてほしいんですけど…」
電話口からの言葉を遮ると同時に早口で要件を伝える占い師だが、その様子はどこか申し訳なさと恐怖心が混じった複雑そうなものだった。
『はぁ?なんでウチがそんなのやんなきゃいけないのよ。大体あの絵って問題なかったんでしょう?』
案の定、とげとげしい口調で返され、強く出れないのは完全に上下関係が出来上がっているがゆえか。
「ええまあ、効果自体は問題なかったんですが、ちょっと不測の事態が起きまして。あの絵に関連して死人が出ましたし、相手から返却を申し出されたものですから」
呆れるような声に応えるように、事の次第を説明し始める。
『ふーん…じゃあ絵に埋め込んだ紋章はちゃんと効いてたのね』
「そのようです。今回使ったのは『暴食』の変形タイプでしたか。設置場所の環境を使って効果の調整をするのはいい考えだと思ったんですが、まさか盗まれるとは盲点でした」
電話をしながらポケットから手帳を取り出し、パラパラとめくると目当てのページで指を挟んで止め、そこに書かれた文字をなぞる。
びっしりと書き込まれたページには英語や日本語といったあらゆる言語が所狭しと書かれており、その内の単語の一つを丸で囲み、矢印で引いた先に再考と書き付けた。
『あんたはいつも1個抜けてるのよ。まあでもそういうことなら回収はこっちでしとくわ。そのまま工房に運ぶのも手間が省けるしね』
「お願いします。そう言えば先程言った丁度いいのと言うのは、もしかして新しい遺物でも見つかりましたか?」
『そうなのよ!聞いて驚きなさい、今度はあのマキャベリの使ったペン先が出てきたの!』
興奮気味の声は一段大きくなり、電話を少し耳元から離してから会話に答える。
「それはすごい!では次の道具はペンにしますか?」
『嫌よそんなありきたりなの。もっと意外性の突き破りを込めたものにするつもりよ』
「ペンが実用的でいいと思うんですがねぇ」
テーブルに置かれた手帳が風によってめくられると、あるページが晒された。
『古代の印と発掘物の組み合わせによる超常現象誘発実験』と書かれたページには、様々な物が書き込まれており、そこには先ほどの木像の四面図も載っていて、細かい寸法や注釈で像が起こす現象の説明がされていた。
彼らの目的は純然たる人助けではなく、ましてや人を破滅させることでもない。
ただ単に失われた秘蹟を再現し、それがどのような結果になるかを見届けることにあるのだった。
文献や伝承によってのみ伝えられる魔法や呪いといった超常現象を現代科学との融合で蘇らせ、最大限に効果を発揮させるシチュエーションを探すのも彼らの目的である。
「それじゃあ新しいのが出来たら教えて下さい。使うかどうかは別にして見てみたいですから」
『それはいいけど、あんた相変わらず相談屋をやってんの?』
「相談屋ではなく、占いですよ」
『どっちでもいいわよ。実験対象ならもっと適当なのを選んだほうが気が楽にならない?』
その言葉からは過去に何かあったのか、苦々しさが感じられた。
「私は今のやり方気に入ってますよ。だって…困ってる人がいたら助けたほうがいいでしょう?」
相変わらずフードに覆われた顔からは表情は読み取れないが、口元に浮かぶ笑みは先ほどの言葉をそのままに受け取れないほどに冷たいものだった。