005 帰路
6時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り日陰は目を覚ました。どうやら図書室で眠ってしまっていたらしい。
寝ても覚めても日陰の中の鬱々とした気分は無くなることはなかった。
一つ大きな溜め息を吐いて日陰は立ち上がり本を本棚に戻してから教室に戻った。
途中、渡り廊下から外を見やるとクラスメートはレベリングから帰ってきたところであった。
これなら教室に入ったときに針のむしろになることは無いだろう。それでも見られることには変わりないのだが、入って一斉に視線を浴びせられるよりかは幾分かましだ。
そんな事を考えながら教室まで着き一人席に座り顔を机に突っ伏して寝たふりをする。
数分すると教室の戸が開きガヤガヤと騒がしい喧騒が教室に充満する。
「レベリングでレベルが上がった」だとか「今回の敵は難なく倒せたな」とか「ここら辺で敵なんかいないんじゃね?」とか、他愛もない会話が聞こえてくる。
心底どうでもいい会話が勝手に鼓膜を通して聞こえてくる。腕できつく耳を覆うもその声は絶えず日陰の耳に届いてくる。
お昼まではどうでも良く感じた皆が楽しそうに話す声すら日陰を苛立たせる。
自分は彼らと何が違う?たかがレベルだけだろう?それだけなのになぜこんなに嫌な思いをしなくてはいけない。
家族とも距離を置かなくてはいけない。パーティーも組めない。友人すらもできない。
レベルゼロ。全てはこれのせいだ。
自分が一体何をした?自分の何が気に食わない?何が目的なんだ?何故自分なんだ?
そんな考えが日陰の頭をこだまするように巡っていく。
そんなとき前の扉が開く音がして担任が教室に入ってきてホームルームが始まった。
日陰はホームルーム中も寝たふりを決め込んだ。担任も腫れ物を扱うかのように日陰に接しているのでそれを注意することは無かった。
日陰一人寝ていると言う状態でもホームルームは恙なく終わり、皆が教室から出ていく。教室に残っているのは掃除当番の者と寝たふりから戻った日陰と他数人だった。
ホームルームが終わったので教室にいる理由も無い。日陰はリュックを掴み背負いながら教室を後にする。
下駄箱に着き靴を履き替える。玄関から出てボーッと考え事をしながら歩き出す。考え事と言っても今日の夕飯のメニューは何が良いかとか、どの調味料が切れていたかとか他愛もないことを考えていた。
出来るだけレベリングの時のことを思い出したく無かったのでそんなことを考えていた。レベリング以外のことと言って自然と食卓のことを考えてしまうのは長年で染み付いた癖みたいなものだろう。今は自然と食卓の事を考えることが出来るのは素直にありがたかった。
ふと、視界に今日は良く見るくすんだ金色を捉えて意識をそっちに向けてしまう。くすんだ金髪の持ち主、金本恭子が校門の脇に立っていた。その隣には美波が立っておりレベリングの時と同じ不機嫌そうな顔をしていた。向こうはこちらに気づいていないのか日陰には横顔だけを見せていた。
長く伸びた前髪で視界を隠しなるべく早足で歩いた。
関わりたくないというのが本音であった。
校門に近付いていくと向こうもこちらに気づいたのか顔をこちらに向けていた。それを前髪で隠した視界の端で捉える。
目が合わないように俯きながら歩き二人の前を通り過ぎる。
通り過ぎた後で声をかけられなかった事に安堵したのも束の間。不意に肩をグッと掴まれる。
「う、うわっ!?」
急な事と言うこともあったが、それ以前に力強い腕に掴まれ仰け反ってしまう。
尻餅をつきそうな程仰け反ると背中を片手で支えられる。そのおかげで尻餅を着くことはなかった。
日陰は不満げな顔をして振り返る。流石にここまでされて無視を決め込むというのも失礼だろうと思ったのだ。関わりたくはないが最低限の礼節は尽くすのが日陰なのだ。
「…何ですか?」
「いやいや、流石に素通りは無いのではないか?」
しれっとした顔でそう答える美波。
あれだけボロクソに言われたのだ。素通りしたくなるこっちの気持ちくらい汲んでくれてもいいだろうに。
恭子を見ると彼女は申し訳なさそうな顔をしている。どうやら日陰を止めたのは彼女の本意では無いらしい。
それを確認すると視線を美波に戻す。戻すといってもやや下を向いていて目を合わせることはない。自身を睨む目と目を合わせる勇気は日陰にはない。美波の目は怖いのだ。
「それで、何ですか?」
「なに、恭子に頼まれてね。実力を見てからでも良いのではないか、とのことなのよ。だから、私が実力を見て判断することに決めたのよ」
美波の言葉を聞いて弾かれたように顔を上げる日陰。だが、ムスッとした顔をする美波と目が合うとすぐさま顔を下げてしまう。それを面白く無さそうにフンと鼻を鳴らして腕を組む美波。
俯いたまま黙ってしまった日陰に心配になったのか恭子が口を開く。
「だ、だから、美波と戦ってみてくれないか?それで実力を示せれば明日から一緒にレベリング、出来るし…」
話している間も反応を示さない日陰に段々と尻すぼみになっていく恭子。美波もイライラしたような声音で続く。
「分かったら早く行くよ。私も暇じゃーー」
「お断りします」
「は?」
「え?」
美波の言葉を遮るように言われた日陰の答えを聞いて恭子も美波も驚きに目を見開く。
驚愕の表情をする二人に日陰は苛立つ。何をそんなに驚く必要があるのだ。断るのなんて当たり前ではないか。
「使えないとか色々言っておきながら無理矢理引き留めたあげく加入するチャンスをやるから一戦交えろ?…何を偉そうに…っ!」
「ひ、陽向…?」
「それに、レベリングの時は僕から入れてくれるように頼んだとか言いましたけど、あれ嘘ですよ。僕は彼女に誘われただけです。あれ以上討論されても面倒だったんで嘘つきましたけどね」
日陰の言った真実に驚いたような顔をする美波。大方、恭子から新メンバーが入ることは聞いていたがどちらが入れてくれ、もしくは入ってくれと頼んだのかは聞かされていなかったのだろう。
美波は日陰の言葉を信じたから先ほどのように言ったのだろう。恭子顔を見て日陰の言うことが真実だと悟るとバツの悪そうな顔をした。
「ですので、僕から頼み込むとかしてないので、これで帰らせていただきます。わざわざお手間をとらせてしまったみたいで申し訳ありません」
日陰は皮肉げにそう言うと踵を返して歩く。だが、恭子は我に返ると日陰を引き止める。
「ちょ、ちょっと待てよ陽向!お前は良いのかよ?レベリングの時にパーティーメンバーがいないんだぞ?それでもーー」
「生憎ですが」
恭子の言葉を遮りながら振り返る日陰。
「僕は出なくても単位は貰えますので」
日陰がそう言うと恭子も外部指導員の先生が言った事を思い出したのか表情を曇らせる。それでも諦めきれないと言った表情をしている。
彼女が何故そんなにも自分を引き止めたいのかが日陰には分からなかった。だが、別段興味も無いので日陰は前に向き直ると歩き始めた。
日陰を引き留める言葉が見つからなかったか、恭子は声をかけてくることはなかった。
二人の視線を背中に受けながらも、日陰は振り返ることなく歩く。
そう言えばボロクソ言われたことを謝られてない事を思い出したが、それももうどうでも良かった。これ以上関わり合いにならないのなら、もうどうでも良かった。
それに、明日からいつも通り一人になれると思うと気が楽だった。やっぱり一人の方がいい。他人とのいざこざなんて面倒だ。自分には自分をレベルだけで見ない人だけで十分だ。
それに、レベリングに行かなくてもいいと許可が降りたのは良かった。わざわざ自分から危険に足を運び入れなくてすむ。
日陰はそんな事を考えながら帰路を一人歩いた。
○ ○ ○
日陰の後ろ姿を見つめながら恭子はその場に立ちすくむ。今の恭子には追いかけることなど出来ず、ただ日陰の後ろ姿を見ることだけしかできなかった。
恭子は、日陰が一人にならなくていいようにパーティーに誘った。断られるかなと思っていたが実際にはそんなことは無く、滅多に見せない笑顔で快諾してくれたのが嬉しかった。
快諾してくれたのが嬉しくて意気揚々と仲間に紹介した。途中までは順調だったと自分でも思う。美波は日陰を快く思っていないみたいだったけどそれでも順調だった。これならうまくやっていけそう、そう思った。
でも、実際は違った。最後の最後で日陰を紹介したら皆の空気が変わった。そこで初めて気がついた。自分がレベルゼロを気にしなくても皆がそうとは限らないのだ。
皆友人だから分かってくれると思った。でも、そんなのはあり得ない。いくら仲のいい友人だろうが物事を感じる感覚まで一緒ではない。それは皆を見れば分かることだ。これだけ個性が分かれていて、良くも悪くも自己主張の激しいメンツなのだ。感覚が違って当たり前だ。
結果、皆の心ない言葉で日陰を傷つけることになってしまった。いや、心ない言葉ではないのだ。皆仲間のことを思っての発言だ。心はある。ただその心が内に向いていて外に向いていなかっただけなのだ。
恭子は日陰の見せた悲しげな笑顔を思い出しぽつりと呟く。
「…こんな事になるなら、誘わなければ良かったのかな…?」
肩を落として俯いてしまう恭子。
「そうね…誘わない方が良かったんじゃないの?お互い傷つくだけで終わってしまったんだから」
機嫌が悪そうな声音で恭子の呟きに答える美波。一見機嫌が悪そうに聞こえるこの声もどこか元気が無い。いつもと差ほど変わらないが長く友人をやっている恭子なら分かる。
彼女も言い過ぎたことを後悔しているのだろう。仲間を思うあまり突っぱねるような言葉しか出せなかった事を悔やんでいるのだ。
『美波ちゃんはもっと相手を思いやって上げなきゃダメよ?内だけではなくて外にも目を向けて?』
いつも豊かに口を酸っぱくして言われている言葉だ。美波自身もこの言葉を理解している。それでも男性相手だと無理なのだ。
実は美波は軽度の男性恐怖症なのだ。
幼少の頃目つきの悪さをからかわれてからどうにも男性が苦手なのだ。
そのためあんな風に突っぱねる感じになってしまったのだ。
そんな事情を恭子は知っている。知っているために強くは言えない恭子は自分より背の高い美波を見上げていった。
「それでもアタシは、その…」
自信なさげに俯く恭子。美波はそんな彼女を気遣うようにいつもより優しい声音でいった。
「言いたいことがあるなら最後まで言いなさい。今回もアナタが言うことを言わなかったからこんな結末になったんでしょう?」
美波の言葉に逡巡したあと顔を上げる。
「分かった。それなりに長くなると思うから家まで来てくれ」
美波は恭子のその言葉に面食らう。この場で話せるくらいの長さだと思っていたのだ。
それでも、平静を取り戻し答える。
「良いわよ。別に今日は暇だしね」
日陰に言ったことと真逆の答えだがそれを指摘する者はこの場所にはいない。
「それじゃあ行こう」
そうして、日陰から遅れること数分。やっと二人も帰路についたのだった。