015 弱音
たゆたう意識が浮上する感覚。目が覚める前の感覚だ。
それでもまだ眠っていたい日陰はたゆたう感覚に身をゆだねる。
体を包み込む温かな心地よい感覚。天日干しした布団の匂いが鼻孔をくすぐる。
その二つの要素だけで安心して寝ていられる。
ただ、寝ていられるからと言って寝ていて良いわけでも、それを他人が許してくれる訳でもなかった。今回は後者であった。
騒がしい声が耳に届く。でも、その声は決して不愉快なものではない。寧ろ聞くと安心できるような、そんな声であった。
そんな声が複数、日陰の耳に届く。
ここも心地いいがそっちも悪くなさそうだ。
そう思うと同時に、日陰の意識は浮上していく。
たゆたう意識は標を見つけ、そちらに向かっていく。
段々と近づいてくる声に、日陰は手を伸ばした。
目を開けると真っ白な天井が目に付いた。
見た事のある白い天井、そして漂う薬品の匂い。その二つだけで、日陰は自分が保健室にいることに気づいた。
「日陰!?」
「…日陰ちゃん…!?」
瞼を開けた日陰に声をかける二人の女性。言うまでもなく満月と真月だ。
彼女達は不安げな顔で日陰の顔を覗き込んでいた。
その目にはうっすらと涙がたまっており、目元も赤くなっているので泣いていたのだろうと気付く。
悪いことをしてしまったなと思い体を起こす。
「あ、無理しちゃダメだよ!」
「…そう、無理すんな…!」
お起しかけた体を二人に優しく押し戻される。
「大丈夫ですよ。痛みも残っていませんし」
日陰がそう言うも、二人とも心配そうな顔は変わらない。
実際、日陰は大丈夫だ。起き上がる時に気付いたが、骨折も切り傷も全て無くなっていたのだ。ただ、傷を負った場所がじくじくと疼くがそれ以外何ら違和感はなかった。
恐らく、保険医が治してくれたのだろう。例によって、服も修復されているので瑞穂も一役買ってくれたらしい。
と、そこまで考えると、自分がなぜ倒れたのかを思い出した。
全てを思い出すと途端に寒気に襲われ、思わず自分の体を抱き締める。
恐怖の瞬間を思い出し歯の根が噛み合わなくなる。
「日陰…」
「…日陰ちゃん…」
怯える日陰を二人は悲しそうに見つめると、そっと手を伸ばし日陰を抱き締める。
「大丈夫。ここはもう安全だから。だから安心して」
「…そうだぞ…ここは安全…私も、満月も、たい兄もいる……怖がることなんて、無いぞ……」
いつもより優しい声音で声をかける二人。その二人の声を聞き、少しだけ体の震えは止まったが、まだ震えは完全には収まらない。死に直面した体は、日陰が安全だと認識していても勝手に震えてしまう。
日陰は二人に体を預ける。ただ、目を瞑ったりはしない。瞑れば一度、あの恐怖がフラッシュバックしてきてしまいそうだったからだ。
満月の胸に頭を押しつけ、心臓の音を聞く。それだけで幾分か安心できた。でも、やはり震えは止まらない。
「おー、何だか羨ましい事になってるね~」
突如発せられる第三者の声に思わず身を固めてしまう日陰。だが、その声が聞き覚えのあるものだと気付くと、固めた身を弛める。
「校長先生…」
瑞穂の登場により、二人は抱き締める腕を放してしまう。
恥ずかしいからではなく、単に失礼だと思ったからだ。自分達と同い年とは言え瑞穂は仮にも校長だ。そのためあまり失礼な態度はするべきではないと考えたのだ。
瑞穂にしてみれば、そんな事は気にせず日陰を抱き締めていて上げてほしかったが、話しやすくなったのでそれはそれで良しとした。
「やあ陽向君。元気そうで何よりだ…と、言いたいところではあるがね」
瑞穂はそう言うと靴を鳴らして日陰のもとまで歩み寄り、ベッドに腰をかける。
震える日陰の手を握ると悲しそうな顔で言った。
「どうやら、体は大丈夫でも心の方は深手を負ってしまったみたいだね…」
震える手を握りながら、瑞穂は日陰の目を見た。
「何があったのか…話してはくれまいか?」
「校長先生、今は、まだ…」
「ああ、分かっているよ陽向満月君。ただ、これは案外急を要する事かもしれないのでね………話してはくれまいかね陽向君?」
「………はい…」
「…日陰ちゃん…無理なら、まだ…」
「ううん、大丈夫です。ありがとうございます、まつ姉」
日陰は心配そうにしている満月と真月に気丈に笑顔を見せる。だが、その笑顔は弱々しく、とても大丈夫そうには見えなかった。
それでも二人は日陰の意をくみ話を聞く姿勢をとる。
それを確認すると日陰は話し出した。
ダンジョンに入ってから。一本道の場所。閉じ込められた部屋。開いたと思ったら入ってきたハイオーク。閉じられた扉の前に栓をするように突き刺さった剣。恐怖にかられてハイオークを倒した事。そうして戻ってからのこと。
拙い説明だったと思う。要点も、順番も上手く言えてなかった。だが、それでも三人は真剣に聞いてくれた。
話が聞き終わると満月が声を荒げる。
「ふざけんなッ!!日陰がいったい何をしたって言うんだッ!!」
「…満月、落ち着く」
「真月はこんな話を聞いてなんで平然としていられる訳!?MPKされる所だったんだよ!?日陰が殺されそうになったんだよ!?」
「…満月、勘違いしないで」
いつものように落ち着いた声。いや、いつものようではなかった。その声はいつもより冷たく、押し殺しきれない怒気と殺意がこめられていた。
「…殺してやりたいほど怒ってるに決まってる………!!」
真月の凍てつく氷のような目は、その言葉が冗談ではないことを雄弁に物語っていた。
「はいはい落ち着いてくださいな」
瑞穂がパンパンと手を叩く。
「二人が怒るのも無理はないけど殺人はよろしくない」
「大丈夫です。実際には半殺しです」
「…手足の、二、三本は、無くなるけれど…」
「そうしてやりたいと思うのは私も同感です。私の昼食仲間がこんな目にあったのですからね」
いつの間にやら瑞穂に昼食仲間だと思われていたみたいだ。確かに、結局屋上で食べるようになってから瑞穂は毎日のように来るがそう思われているとは思わなかった。まあ、今はそんな事はどうでも言い。
「取りあえずは、犯人探しが先決だ。その間、レベリングの時間は自習に当てよう。陽向君には現場でどんな事があったのか説明して貰わなければいけないが…できそうかい?」
瑞穂の質問に日陰は戸惑う。
正直に言うと、日陰はもうダンジョンに入りたくはなかった。怖い思いをしたのだから当たり前だ。
だが、それでも行かなくては何も分からない。何も分からないまま有耶無耶になって終わる。それだけはどうしても許せない。
「わかり、ました…行きます」
「日陰、無理しなくても良いのよ?」
「無理なんかじゃありません。僕も、この件を有耶無耶にして終わらせたくはないんです。それに」
日陰はそこで言葉を区切ると弱々しくではあったが笑顔を向けた。
「僕には心強いお姉ちゃん達がいますので、大丈夫です」
「日陰…」
日陰の言葉に思わず呟く満月。姉として頼られていることを喜び頑張れと応援したいが、日陰に無理に行ってほしくない自分がいる。
そんな葛藤が満月の中にあった。
満月がそんな葛藤をしている中真月は日陰の肩に手を置くと言った。
「……無理だけは、すんな…?」
「うん、分かってますよ」
「…うん、ならよろし…」
真月は彼の好きなようにさせることに決めた。
元々、彼が行かなくては状況を詳細に説明することが出来ない。それに、日陰が恐怖に立ち向かおうというのだ。それを止めるという選択肢は真月に無かった。
「いいの、真月?」
「…立ち向かうの、止めるの野暮…」
「…そう、ね…分かった。日陰、無理するんじゃないよ?」
「うん、ありがとうございます、みつ姉」
話が纏まったところで不意に保健室の扉が開かれる。
「失礼します。俺の愛しの弟は…って皆勢揃いだね~」
入ってきたのはどこかのほほんとした空気を纏った太陽であった。
「その様子だと話は終わっちゃったかな?」
「たい兄遅いよ!」
「…ノロマ…」
二人の非難の声に太陽は苦笑いで答える。
「いや~父さんに連絡を取ってたんだけど、なかなか繋がらなくてね~」
「お父さんに、ですか…」
「ああ、さっきやっと繋がって話をしたら血相変えて言ってたよ。『すぐ戻るから日陰に無理だけはさせるな』ってね~」
まあ、電話だから血相なんて分かんないけど。とふざけたように明るく言いながらも、やはり日陰が心配なのかその顔を少しだけ曇らせる。
「何にせよ、無事で良かったよ」
「ご心配、おかけしました」
「いや、普段から何の心配もない日陰はたまにはこれくらい心配かけてくれないと、逆に心配になるよ」
「結局心配してるじゃない」
「そうだね」
朗らかに笑う太陽。それにつられ満月と真月も少しだけ表情に険が取れる。
「それで、陽向太陽君。いつまで入り口で突っ立っているつもりだい?こっちに来たらいいだろうに。それに、お客様方をあまり待たせるのも感心しないな」
「おっと、そうだった。すっかり忘れていたよ」
瑞穂に言われ太陽は今思い出した、と言う顔をする。
お客様方とは一体誰なのだろうか。
まあ、気になることはすぐに知れるだろう。
待っていると言うことはすぐそこにいるという事なのだから。
「君達、入っても言いそうだよ」
それにしても瑞穂はよく気付いたものだ。日陰は、なぜ入り口で突っ立ってるのかは疑問に思っていたが、待っている人達を呼びやすいようにだったのか。
太陽は誰かを呼ぶと、漸く部屋に入ってきて日陰の元へと歩いてくる。
そうして、待っている人達も部屋の中に入ってきた。
その人物達を見て日陰は絶句する。
「ひ、陽向。元気そうで、何よりだよ」
不器用に笑う彼女。
それは日陰もよく知る人物。金元恭子であった。その後ろに続く者達にも勿論見覚えがあった。恭子のパーティーメンバー達だ。
「な、んで…」
彼女達の姿を見るだけで動悸が激しくなる。
「さっきそこで会ってね。日陰の事が心配みたいだったから連れてきたんだよ」
なぜ?その質問に答えたのは太陽だ。
太陽は知らない。日陰に何があったのかを。日陰に誰を近づけてはいけないのかを。日陰が誰に敵対心を向けているのかを。
だから日陰は太陽を責めない。責めても意味がない。
それ以前に責めることすら満足に出来ない。
彼女達の姿を見た途端に、心臓が早鐘をうち、手が震える。歯の根が噛み合わなくなり、あの時の光景がフラッシュバックする。
「陽太、その」
恭子が一歩近づこうとする。それを見た途端日陰は太陽をこっちへ引き寄せその背中に隠れる。
「え?日陰?」
何がなんだか分からない太陽は目を白黒させている。
「どうした日陰?」
理由を聞いてくる太陽にけれど日陰は何も説明が出来ない。怖くてそれどころではない。
日陰の様子を見た瑞穂は小さく溜め息を吐くと恭子達に向き合った。
「貴方達今日はもう帰りなさい」
「え、いや、でも…」
瑞穂の言葉と日陰の行動にしどろもどろになりながらもそう言う恭子。そんな恭子に変わり、リリスが食い下がる。
「それはできませんわ!こちらも剣を向けられたんですもの!その理由も聞かずにむざむざ帰るなんて」
「確かに貴方達も被害を受けました。でも、一番の被害者は彼です。そんな事も分からないのですか?」
「そんな事分かってますわ!それでも、剣を向けた理由くらいは説明してくださらなくては」
「…いい加減にして…」
食い下がり続けるリリスの言葉を真月が静かな声で遮る。
全員が真月を見る。
「…そんなくだらない事を訊きに来たのなら直ぐに帰って…」
真月の声は静かであったが確かな怒気を含んでいた。
「くだらなーー!」
まだ食い下がろうとするリリスの肩に美波が手を置いて黙らせる。
「リリス、勘違いしないの。今日は彼の無事な姿を見に来ただけなんだから」
「でも!」
「え、えっと、お騒がせして済みませんでした…」
恭子が頭を下げてからリリスを部屋の外へと押していく。
なにやらギャーギャーわめいているが気にせず押していく。
恭子は部屋を出るときに少し悲しげに、太陽の後ろに隠れる日陰を見たが直ぐに出ていった。
それをかわ切れに他の面々も一言言ってから立ち去った。
「陽太君。大事無いようで何よりだったわ。落ち着いたらで良いから、あったこと話してくれると嬉しいわ。それじゃあ、お大事に」
最後に美波がそう言って立ち去った。
彼女達が立ち去った後も日陰は、暫く太陽の後ろに張り付いていた。
事態は誰もが思っているよりも深刻なようであった。




