002
誠はセスの言った言葉の意味が理解できなかった。
(異世界ってどこのファンタジーだよ。そんな非現実的な事が起こってたまるものか)
「その反応は儂の言うことを間に受けていないようだな」
「当たり前です。異世界なんて非現実なこと、あるはずがない」
セスは誠のその反応を至極当然なものとした上で更に質問をする。
「では、マコト。お主、気がついたら目の前の景色が変わっていたとかそういうことはなかったか?」
「……ありました」
「あとは体の重さが変わったとか、そういう感覚は?」
「……ありました」
「過呼吸になって倒れたりは?」
「……しました」
まるで見てきたかのようなその言葉に、誠は頷くしかない。
なぜこの老人はこんなズバズバと言い当ててくるのだろうと誠は疑問に思っていた。
その答えは本人の口からすぐに出てきた。
「これらのことは全て異世界からやってきた者が最初に襲われる現象なのだよ。違う世界に飛ばされたのだから急に景色が変わるのは当然だし、体の重さが変わるのも世界移動の反動だろう。過呼吸もそんなところだろう」
誠は重力の変化や気圧の変化、酸素濃度の変化があったんだと認識した。
(そうなると、いよいよここは本当に異世界なのか)
「おそらく体重の変化は重力の変化、過呼吸は酸素濃度の変化といったところですか」
誠の言葉にセスは怪訝な顔を見せる。
「重力……酸素とはなんだ?」
(重力や酸素を知らない?日本であれば小学生でも知っていることだぞ)
そのことに、誠は自分が本当に異世界に来てしまったのではないかという疑念をさらに強めていた。
「重力というのはある天体とその天体の上に存在する物体の間に発生する引力のことですね」
セスは全く理解できていないようだが、誠は次の酸素についての説明に移る。
「酸素というのは、空気中に存在する元素の一つです」
「ほう……では人間はその酸素という元素?を取り込んでいるのか」
酸素については少し理解を示したようで、さらに尋ねてくる。
「はい。人間は呼吸によって酸素を吸収し、吸収した酸素が栄養素などを分解してそこからエネルギーを得るんです。そのエネルギーが僕たちの運動などに使われるというわけです」
「なるほど。興味深い」
セスは感心したように言う。そして続けて質問する。
「では過呼吸の原因はなんなのだ。酸素濃度がどうとか言っておったが」
「空気中にある酸素の濃さ、つまり酸素濃度が僕の住んでいた場所より濃かったために過呼吸が起きたんですよ」
「酸素が濃いと過呼吸になるのか?」
「ええ。人間の体内では酸素と、二酸化炭素という化合物のバランスを取っています。取り込んだ酸素の濃度が濃いということは、血液中の酸素と二酸化炭素のバランスが崩れて、息苦しさを覚えます。そこで、無意識に呼吸を止め血液中の二酸化炭素を増加させようとしますが、呼吸が止まっている状態を脳は異常だと認識し、さらに呼吸をするように命令を出すため、過呼吸となるのです」
「なるほど……それが過呼吸の原因というわけか」
セスはその理論に感心した様子を示している。
その様子を見た誠はつぶやいた。
「……僕、異世界に来てしまったんじゃないかと本気で思い始めました」
ここまで科学知識のレベルがずれているというのは、どう考えてもありえない。
しかもこの人は研究者をしていたという。
ということは、非常に科学技術や知識の水準の低い世界に来てしまったと考えるのが妥当であるということだ。
「認めたくはありませんが、ここはおそらく僕の住んでいた場所とはかけ離れた場所のようです」
「うむ。それだけの知識があれば世界の移動も理解できるか」
「いえ、全く理解はできませんよ。ただ、あなたが嘘を言っているようにも思えませんしね」
誠はセスを見ていて気づいたことは、自分の目をしっかりと見つめて話しているということ。
嘘を言っている人間は必ず目線をずらしてしまったりするものだ。
セスにはそれがなかった。
それだけである程度は信用できるだろうと思ったのだ。
「ところで迷い人というのはなんなのです?」
「ああ、それは違う世界からきた人間のことだよ。この世界には今までに何人かそういう者が現れたと伝えられておる」
「なぜ僕がその迷い人だと?」
「それは違う世界からくる者は、見たこともない身なりをしているというからな」
誠は自分の格好とセスの格好を見比べて納得した。
生地の質や、衣服の形状等、セスの着ていたものは無駄が多く荒い印象を受けたからだ。
しかも森の奥で半袖に短パンはないだろう。
「違う世界から来たという人は、僕と同じように知識を持った人でしたか?」
「いや、そういった話は聞いたことがないな。なんでも変な形の剣をもっていたとのことだ」
(侍だろうか。しかし、そうなってくると重要なのは)
「その人たちは元の世界に帰れたのでしょうか」
「いや、その者たちはこの世界で暮らし、この世界で死んだと聞く」
「そう、ですか……」
誠は自分が元の世界に帰る手段がないという事実に、ただ落胆し悲しむことしかできなかった。
だが、次に言ったセスの言葉によって、誠の心に一筋の光が差し込んだ。
「だが、あるいはマコトなら戻れることができるのではないかと儂は思う」
「どういうことです?」
「マコトは儂らこの世界の者の持つ知識よりもはるかに進んだ知識を持っておる。だからこそこの世界の魔法をより進化させればあるいは……」
「ま、魔法!?」
誠は素直に驚いた。
魔法なんてものはファンタジーの世界にしか存在しないものであるというのが誠の認識であった。
だが、それが現実に存在するということは、もしかすると本当に元の世界に戻れるのではないかという可能性が考えられた。
「その、魔法というものを見せてもらえるでしょうか」
「ああ。構わないぞ。これだ」
そう言ったセスの指先にはロウソクくらいの小さな火が点っていた。
これが、誠と魔法の出会いである。
「おおおおおおおおおおお!」
誠はその現象に食いついた。
どのような原理で火が指先に点っているのか、調べたくて仕方なかった。
「このくらいのことでここまで食いつくとはな」
「このくらいのことって……これはものすごいことですよ!?」
(この現象のことを「このくらい」などというのだから、おそらくはもっと高度な魔法などもあるのだろう。その理論を学んでいけばもしかしたら……)
「確かに魔法という概念が存在するなら、僕が元の世界に帰る方法が見つかるかもしれませんね。そのためにはまずこの世界のことを知る必要がありそうです。セスさん、この世界のこと教えてもらってもいいですか?」
「もちろんだ。それに儂もマコトの知識を色々聞き出したいしな」
そう言って笑いかけるセスに対して、誠は安心感のようなものを感じていた。
その後、誠はセスからこの世界のことを聞き始めた。
この世界は『ラートリオス』と呼ばれている。
そして今誠がいるのは『ケレス王国』という国である。この国は、この世界の中でも大国に位置づけられる国で、大陸の5分の1ほどの領土をもっている。また、魔法に関しては最も進んだ技術を保有していると言われている。
また、この世界には多数の種族が存在する。大きく分ければ、人間族、獣人族、魔族がいるようだ。特に獣人族と魔族にはその中でも種族が分かれている。獣人族で言えば、猫人族、犬人族、魚人族などである。魔族で言えば、エルフ族やダークエルフ族などだ。
「そういえば、なぜ僕は言葉が通じるのでしょう。僕は母国語で話している感覚ですし、セスさんの話す言葉もそのように聞こえます」
「なぜだろうな。儂も普通に喋っておるだけだからな。この文章、読めるか?」
そう言ってセスは誠に一冊の本を渡した。
「はい。読めますね。というより、これは僕の国の母国語と同じ言語ですね」
その本に書かれていたのは日本語であった。
ところどころ人物の名前など英語が混ざっていたが。
なぜなのかはわからなかったが、誠にとっては好都合であった。
「ならば、この世界に慣れるのにはさほど時間はかからないかもしれないな。この世界の常識や魔法については明日から少しずつ学んでいくことにして、今日は夕飯にでもしよう」
そうしてセスは夕飯の準備を始めた。
出された夕飯は、これも元の世界にいた時のものと大差なく、誠はなんとかこの世界で生きていけるだろうと思えた。
どれもこれも、セスに出会えたおかげだと感謝するばかりだ。
今後、セスには恩返しをしていかなければならないなと思う誠であった。