012
水素の実験を行った日の翌日。
まだ学園内にいる学生もほとんどいないような早朝の事。
廊下には窓から優しい木漏れ日が差し込む中、誠の足音のみが響いている。
誠の行き先は、もう恒例となっている学園長室である。
他の学生と比べてあまりにも学園長室を訪れる回数の多いのは、誠がやはり特別だからである。
学園長室の前までたどり着いた誠は、いつものように軽く扉をノックする。
…………
返事がない。
そこで誠はもう一度、今度は少し強めに扉を叩く。
すると、部屋の中からものすごく不機嫌そうな女性の声がした。
「あー、もう誰よ。どうぞ」
「失礼します」
部屋に入った誠の視界に映ったのは、重要そうな用紙や使用用途のよくわからない物が散らばった部屋の様子と、見るからにクッション性の高そうなソファで寝ている学園長、つまりはサラの姿であった。
「あら、マコト君じゃない」
「……学園長がこんな朝からソファで寝ていていいんですか」
「朝からっていうか、夜からずっとだけどね」
どうやら一晩中この部屋で過ごしていたらしい。
サラがソファから身体を起こすと、服の上からでも分かる、というより服がはち切れてしまいそうな気さえするその胸が大きく揺れる。
その豊満な胸が揺れる様子に、誠の視線は少しの間釘づけになってしまう。
「それより、何か用?」
サラの声によって誠は我に返り、学園長室を訪れた目的を思い出す。
「あの、無理は承知でお願いするのですが、僕に研究活動をさせていただけないですか」
誠は、研究活動を行うための交渉をするために学園長室を訪れていたのである。
この学園では、3年生以上の学生しか研究活動を行っていないのである。
それ以下の低学年期には、基礎的な知識を定着させるために、しっかりと授業を受けることになっている。
だが、その授業は誠にとっては退屈極まりないものであり、それよりも自分で研究を進めた方がいいと判断したのである。
そんな誠からの懇願を受けたサラは、少し渋い顔をした。
これまで、誠の大抵の願いは聞き入れられていたのだが、これは学園長という立場であっても難しい問題らしい。
「それは、正直に言って難しい問題ね」
そう言ってサラは説明し始める。
「まず、低学年の時期は基礎的な教育を受けることが、国で決められた指導要綱に定められているの。まあそれ自体はなんとかできるような気もするんだけどね。問題は他にもあるわ。高学年の学生たちは、急に編入してきた1年生のあなたが研究活動を始めてしまえば、いい顔はしないでしょうね。特に今の5年生はプライドの高い子たちが集まっているから、問題が起こりそうな気がするわね」
サラはそう言いつつも、内心では誠には研究活動をしてもらった方がいいと思っている。
彼は、すでにこの世界の魔法の認識を覆すような理論を独自に構築し、それを立証するかのような実験をいくつも成功させているからである。
この世界始まって以来の天才。
まだ少しの時間しか関わっていないが、サラの中ではすでに誠の評価はそういったレベルになっている。
それゆえに彼女は迷う。
これまでの常識や格式に囚われ、誠に2年間という時間を棒に振らせるのはあまりにも勿体ない。
その時、サラの中で1つのアイデアが思い浮かんだ。
そのアイデアを彼女は口に出す。
「いいことを思いついたわ!マコト君、魔法競技大会に出場しなさい」
「魔法競技大会、ですか?」
「そう。そこでいい結果を残せば恐らく誰も文句は言わないわ」
「その競技大会とはどんなものなんでしょう?」
誠の中で、こういった大会は戦闘によって順位を決めるものと勝手な想像が膨らんでいた。
そして今の誠は、そのような戦闘にまだそれほどの自信がなかったのである。
だが、サラから返ってきた競技大会の説明は、誠の想像していたものとはかなり異なったものであった。
「魔法競技大会というのは、年に1度この学園で開かれる魔法の技能を競う大会よ。その競技内容は毎年変わるんだけど、今年は魔法披露というものなの。つまり魅せる競技よ」
「ということは魔法の披露をして、その魔法に使われている技術や、魔法の精度などを評価するということでしょうか?」
「そうよ。マコト君があげてくれた評価基準の他にも、美術的観点や、魔法の組み合わせによる加点などもあるわ」
「なるほど。大体理解しました。その競技大会でよい成績を出せば研究活動を許可してくださるんですね」
「ええ。その場には国のお偉いさん方も来るし、全学生が集まっているわけだから、そこで能力の差を見せつけてしまえば問題ないわ」
誠は内心、そこまで目立ちたくはないのだが、と思いつつも研究活動をするためには仕方ないと諦めた。
「分かりました。それで、その競技大会はいつごろあるのですか?」
「2週間後ね。それまでに競技大会で披露する魔法を用意しておいてね。エントリーは私の方で済ませておくから。というか私がその辺全部管理してるから、ちょちょいと入れとけばいいわね」
サラは笑顔でそう言う。
誠は、こんな適当な学園長で大丈夫なのかと思いつつ、サラが自分のために色々としてくれることに感謝していた。
「サラさん、本当にありがとうございます」
「何言ってんの。マコト君のためならこのくらい当然よ!」
そう言って片目を瞑り、ウインクをするサラ。
その姿から彼女の実年齢を読み取ることはできないだろう。
魔法競技大会の参加を決めた誠は、学園長室を後にした。
教室に誠がたどり着くころには、少しずつ学生が登校し始めていた。
そしてすでにナタリアが席についていることに気が付く。
誠は一直線に自分の席、つまりナタリアの隣の席に行き、彼女に声をかけた。
「おはよう、ナタリア」
「あ、マコト君。おはよう」
彼女は今日も朝から綺麗な笑顔を見せる。
「そういえば、ナタリアって魔法競技大会出る?」
誠は先程出場が決まった魔法競技大会の話を振る。
「うん。出るよ。あ、もしかしてマコト君も出ることになったの?」
「実はそうなんだよね。ナタリアも出るなら心強いな」
「何言ってるの。一緒に出場するならライバルじゃない」
ナタリアは呆れた顔で笑っているが、誠らしいなとも思っているようだ。
「あ、そっか。じゃあ競技大会までは勉強会やめておいた方がいいね」
誠は悪戯っぽい顔でそう言う。
そうすると、ナタリアは困ったような顔になってしまう。
「冗談よ!一緒にがんばりましょ!だから勉強会は続けてくださいー」
ナタリアのそんな様子に、誠はもう少しいじめたい気持ちになる。
「でもなー。ナタリアはライバルだからなー」
「うー……マコト先生お願いします」
ナタリアはそういいつつ、上目遣いで頼む。
その姿のあまりのかわいらしさに誠は頬を赤く染めた。
「し、仕方ないな。今日も放課後勉強会ね」
「やった!ありがとー」
ナタリアの笑顔に誠はまた照れてしまう。
そんな2人を徐々に集まり始めた学生たちは、ありえない光景でも見ているような顔をしている。
これまで誰も寄せ付けなかったナタリアが、この短時間に様々な表情を見せているのだから、当然の反応である。
誠がこのクラスにやってきてほんの数日だというのに、なぜこんなことに。
そう思っている学生は、少なくないだろう。
男子は妬み、女子はスキャンダルを狙うような感じで2人を見ている。
当の本人たちはというと、クラスの学生からそんな風に注目されているとは露知らず、楽しそうに会話を続けているのであった。
ご意見、ご感想などお待ちしております!




