疑問ならそこにある、騒動ならここにある
「もう帰っていいぞ」
頭を抱えて項垂れて、疲れた様に土方さんが仰るのですが。
「帰り方が分かりません」
「気がついたらここに居たんでしたっけ?」
苦い顔で黙り込む土方さんの代わりに、沖田さんが確認して来ました。
「そうなんです」
眉根を寄せて黙り込む三人。
考えれば考えるだけ分からない。
私が居たのは北海道。
今居るのは幕末の京。
一体、どんな脈絡があるのでしょうか?
「とりあえず、着物を何とかするか」
土方さんが、こめかみを押さえながら呟く。
「ここに女性の着物なんてありませんよ?」
「総司、てめえが拾って来たんだから何とかしろよ」
「ええぇ! また無茶な事をっ」
勝手に進む会話に、私はちょっと口を挟んでみます。
「あの、このままでは駄目ですか?」
「駄目!」
異口同音に否定されました。
「壬生寺なんてどうです?」
「駄目だ、俺等と関わりがあると噂にでもなれば寺が危ねぇ」
「じゃあ島原にでも売ります?」
「阿呆! 治安維持が仕事の浪士組がんな事できるか、これ以上見廻組にツッコミ様のネタやってどうする!」
「ですよね、ならここにおくしか無いのでは?」
「八木家…… も、無理か」
「ですね」
障子に映る二つの影の会話。
どうやら、私の身の振りに関しての様です。
「できました」
私が声をかけると、障子が開き沖田さんと土方さんが部屋に入って来まして……
「あらら、本当に着方を知らないんですね」
「おまっ、その合わせじゃ死体だろうが」
背格好が近いからと、今は留守らしい藤堂さんとやらの着物を一式お借りした訳ですが。
着付けなど知らない私の有様に、お二人は呆れ返ったご様子。
「今いらっしゃらない方の着物、本当にお借りして良いのでしょうか?」
沖田さんに着付けを直して貰いながら聞いてみましたが。
「構いませんよ平助ですし、細かい事は気にしません」
「サヨウデスカ……」
沖田さんは笑顔であっさり仰るのですが、土方さんの様子を見る限りちょっと不安な気もします。
初めて袴など着てみた訳ですが、なかなか動きやすいです。
「ありがとうございます、沖田さん」
何とか私の姿がまともになったところで、土方さんから座れの合図。
「お前をどうするかだが。
帰れるならそれでも良いし、どこか当てがあるならそこへ行っても良い」
「当ては全くありません、帰れるかは…… 不明です」
次の瞬間いきなり家に戻る可能性も、夢落ちの可能性も無くはないですが。
ちょっと確率は低そうだなぁと、私は小さく溜め息をつきました。
「だろうな」
土方さんも似た様な溜め息をもらし、改めて私を睨むと続きを話し始める。
「とりあえずはここに居て構わねぇ
今、上の者が留守だがあと三日程で戻る筈だ、どうするかはそれから決める」
つまり、扱いは保留?
「お前の身柄は総司の預かりとする。
万が一でも間者だった場合はお前だけじゃなく総司も裁く事になる、よく覚えとけ」
「患者? 私、病気では無いと思いますけど」
「ぶはっ! そっちじゃなくてこっちの間者、意味はそうですねぇ…… 敵でしょうか」
私の台詞に土方さんは言葉を無くし。
沖田さんは吹き出しながらも、わざわざ紙に書いて説明してくれました。
なるほど、納得です。
「てめえ総司!! そりゃ奉行所に出す書状だろうが!!」
「あれ? そうでしたか」
澄んだ満面の笑顔。
沖田さんの笑顔は微塵も悪気を感じさせないのですが、わざとやった気がするのはなぜでしょう……
当然の如く、土方さんの眉間の皺は深さを増し。
更に幾つかの青筋を加えまして、二割増し低くなった声が地を這ってまいりました。
「もうてめえは幹部が帰るまで総司の部屋に籠ってろ、一歩も外に出るんじゃねぇぞ!!」
反論する間もなく、ポイッとばかりに私と沖田さんは部屋から閉め出され。
仕方ないので沖田さんの部屋へ向かいつつ、私は思い出した事を聞いてみる。
「そう言えば…… あの、沖田さん」
「ん?」
「私って、ずっと手ぶらでしたか?」
「んー…… 僕が見た限りでは手ぶらだったと思いますよ?」
「……ですよね」
あの時、動いた気がした懐中時計はちゃんとあります。
あと学校の門をくぐるまで、私は小さな鞄を持っていました。
バスの定期券、小銭入れ、生徒手帳、メモ帳と筆記用具。
入ってるのはそれぐらい、どこで落としたかは問題ですがそれほど困らない…… かな?
「……ん」
落としたのが学校なら良し、こっちに来て落としたのならちょっと不味いでしょうか……
「セイちゃん!!」
「っ!?」
急に腕をおもいっきり引っ張られたと思ったら、沖田さんのお顔が至近距離にありました。
「前見てないとぶつかりますよ?」
考え込んで周りを見ていなかった私。
突き当りの壁に激突寸前だったようで、沖田さんが引っ張らなければ鼻が潰れていたかも知れません。
「あ、りがとう、ございますっ」
「どういたしまして、ところでセイちゃん」
「はい?」
角を曲がって中庭に面した廊下に出た辺り。
そこで沖田さんが立ち止まり、釣られて私も止まると頭上から質問が降って来ました。
「君、剣術か何かやってます?」
………………。
………………。
………………。
………………。
………………。
「………………は?」
「随分と固まりましたね、そんなに意外な質問でした?」
「意外も何も、さっぱり、全く、確実に、絶対やった事ないです!」
「……そこまで完全否定ですか」
「運動神経が切れてると、よく言われてますからっ」
じっと私を見下ろしたまま、沖田さんは考え込んでいる様子。
なんでまた、私が剣術とかやってるなんて疑惑が?
まともに出来るスポーツは、一つも無い私がっ
「んー、でも君……」
「おい総司!」
何か言おうとした沖田さんの声を遮るように、どこからか野太い叫び声が。
思わずキョロキョロしていると、前方から無駄に体格の良い男性が一人現れました。
「総司お前、平助の部屋ひっくり返して何を……」
その方は、きっかり私達の三歩手前で言葉と足を止める。
「あぁ着物を借りたんですよ…… て、永倉さん?」
永倉さんとやらは口を開けたまま微動だにせず、不思議そうな沖田さんに突っつかれております。
突っつきがど突きに変わり見事な右ストレートがお腹に埋まったところで、漸く永倉さんが動き出す。
「な、んで、こんなところに平助の着物を着た女がいんだよ!?」
割と平気そうに捲し立てる永倉さん。
あれだけ殴られたのに頑丈ですね……
「それは面倒なので、局長達が戻ってからで」
「なんだそりゃ?」
「今説明すると二度手間になって面倒じゃないですか、どうしても知りたければ土方さんに聞いて下さい、それと……」
沖田さんの台詞は途中から耳打ちする形になって、私には聞こえなかったのですが。
言われた永倉さんは、何やら青くなってます。
「わ、分かった」
「じゃ、そういう事で」
沖田さんはにっこり笑って話を締めると、私の腕を引いて足早に永倉さんとすれ違いました。
何を言ったんでしょうね?
「ここが僕の部屋です、土方さんに言われた通り籠っててくださいね」
八畳ほどに見える部屋は物が少なく、綺麗ですが生活感に欠ける感じ。
「あ、沖田さんはどうするんですか?」
「僕は隣の部屋に居ますよ」
空き部屋があるなら、私がそっちに行くべきでは?
と、首を傾げていたら台詞の続きがありました。
「お隣さんも出掛けてるので、丁度よかったです」
爽やかな笑顔で仰いましたが……
ここのプライバシーはどうなっているのでしょう?
ちょっと頭を抱えていたら、部屋に押し込められ障子が閉められてしまいました。
「二~三日ですから、大人しくしてて下さいね?」
「……はいっ」
優しい声音の筈なのに、有無を言わさぬ威圧感を感じ押し黙る私。
他に選択筋も無いですし、仕方ないですね。
私は一つ溜め息をつくと、部屋の真ん中に座り込みました。
十五年と十一カ月。
この、私が生きて来た時間の中で。
意識せずとも身近に見てきました。
様々な形の月を。
私から見た月の印象は満月でも三日月でも、さり気なくて控え目。
背景の脇役であって、とてもそれだけを愛でる物ではありませんでした。
だから、不思議だったのです。
古来から月を愛でる習慣がある事が、月を表す言葉の多さが。
煌びやかな原色の仏像を愛でる感覚と、ひっそりとした月を愛でる感覚が重ならなくて不思議だったのです。
そう、月明かりは控え目でひっそりとしたもの。
こんなに明るいものでは無い筈。
………………。
ん? 明るい?
そこで、ぱちりと目を開けた私。
昼過ぎぐらいに沖田さんの部屋の真ん中に座った筈が、なぜか夜になっていて布団に寝ておりました。
寝惚けた頭で、いつ寝ちゃっただろう? なんて考えても分かる筈もなく。
くるりと見回すと沖田さんの部屋。
電気も無ければ火の気も無く。
灯りとなる物は何も無いのに、部屋の中はほんのりと藍色に明るい。
中庭に面した廊下と遮る障子を透かし、明るく柔らかい光が射し込んでいる。
明るいと思ったのはこれ?
何の光か気になって、のそのそと障子に近づきそっと開けてみる。
元を辿って見上げれば、そこには満月がありました。
「……っ!!」
見た事の無い満月。
私は見上げたままポカンと口を開け、傍から見たらさぞ間抜けな顔だろうな……
等と頭の隅で思いながらも目が離せず、無意識に喉からもれ出た言葉は。
「……でかっ」
私が見慣れた月よりゆうに二~三倍はありそうな、大きな満月がそこにありました。
『月はずっとそこにある物では無く、少しずつ地球から離れて行っているのです。
だから昔はもっと月は近くて、大きく見えたでしょうね……』
いつだったか、どこかで聞いた話。
日の光を反射しはっきりと闇に輪郭を描く真円は、私を押し潰しそうな程の存在感。
あぁ…… これなら分かる、月を愛でる気持ちが。
でこぼことした月の表面の影さえ見えそうな迫力に、私は瞬きも忘れた様に見入っていました。
ここは月の居なくなった未来でも、控え目な輝きの私が居た時でも無く。
まだ月がこんなに近くに居た過去なのだと、初めて実感したのは……
この瞬間だったかも知れません。
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