6.あれ? 遭難? クレアさんと仁。
森を抜け、地肌むき出しの山腹を歩く。上ったり下ったり、岩がごろごろしてたり、倒木を乗り越えたり。もちろん道など無い。足場は、前後左右どちらかに必ず傾いている。
先を進むクレアは、叱咤しながらもペースを調節して歩く。
ニンニク注射で疲労感は消し飛んだのの、本調子でもない仁。何度も足を滑らせたり、ふらついたりさせていた。だが、その都度クレアから手が伸び、大事に至っていない。
そんなこんなで、仁は何とかクレアの後ろに続いていた。
登りと下りがワンセットあった後。今は鬱蒼と茂る木立の中を歩いている。
仁の目の前で左右に揺れているのはクレア少尉のタイトミニ。……を通して見える魅惑的な双丘。
実にボンキュッバーンな女性的フォルム。軍服にしては短すぎるスカート丈が気になって仕方ない。
登りともなるとなおさらである。スリットが後ろに有れば、もうアレなのだが、いかんせん、前方左に有るのがなんとも惜しいところだ。
――それは置いといて。
……最初から気になっていたが、右太ももに包帯が巻かれている。
少量の血が滲んでいた。右足の歩みは力強いものだが、ややもすると左足に重心が移る。
右腕が変だ。左腕に比べ振り幅が少ない。かなり前から、枯れ枝を何本も拾って小脇に抱えているが、拾う動作は、主として左手が行っている。
右腕が変と言うよりも、右肩をかばっているように見受けられる。
クレアさんも怪我をしているんだ。
「……どこまで歩くんですか?」
「移動の目的は救助隊との合流だ。黙って歩け」
後ろの仁を見もしない。また枝をひろった。
「救助隊が出てるんですか?」
「貴様を捜すために、軍は大規模編成の救助隊を組織している。黙って歩け」
たいした自信だ。……仁を探すためにというくだりが怪しい。仁個人のためだけに捜索隊が組まれるとは思えない。だいいち、この訳のわからない土地で、仁の存在を知るのは目の前を行くクレアさんだけだ。
仁は歩くのをやめた。
「クレアさんだって遭難している口でしょう? なんで救助隊が出てるって断言できるんですか? 気休めはやめてください!」
クレアの歩みが止まった。振り向いて仁を金色の目で睨みつける。
「我がアルフレイ軍の最優先行動事項だ。ビフレストの橋……簡単に言えば、特殊な天変地異だ。その事象が観測されれば、全てに優先して救助活動が開始される。ただし……」
クレアが言葉を句切り、手にした枝を空に向け、くるりと輪を描いた。
「この磁気嵐が収まらぬ限り、対磁装備の小部隊しかこのエリアに突入できないだろうな」
仁もつられて空を見上げるが、木の枝の隙間から、空のかけらが見えるだけ。ひょっとしたら見えるかもしれないと思ったのだが、やはり磁気は目に見えない存在だった。
クレアにも見えるはずないのだが……まだ通信機が使えないからなのか?
「それもこれも貴様一人のためだ。貴様は救助隊と出会う。ブランディーセットの付いた最高級の救急車で搬送される。目的地はリゾートホテルのような病院。この国トップクラスの腕を持つ医師と、優しいナース達が操る最新鋭の医療設備……」
そこで何かを考え込むクレア。
「賭けようか? 本官が外したら、なんでも言うことを聞いてやろう。望みを言え!」
意地悪く笑うクレア。それはそれでまた悪魔的な魅力をもった笑顔。真意がわからない。
仁は、息のつまった現状を打破しようというクレアのジョークだと思うことにした。だったら、返答のしようもある。
「じゃ、クレアさんと一日デートするってのはどうです?」
その時のクレアの顔を一言で言い表すとすれば、ずばり「へのへのもへじ」だろう。
変な顔をした後のクレアは、体を二つ折りにして笑った。
なんだかバカにされているような……。
「私でよければ、いつでもいいぞ!」
目尻に浮かんだ涙を綺麗な指で拭い、くるりと踵を返してクレアは歩き出した。
「てっきりスケベな事を言い出すと思って、心の準備をしてしまったぞ!」
クレアの肩が笑っている。
――そういうのアリだったのか――。
奥歯を食いしばり、額に皺を寄せ悔しがる仁。悔しがりながらクレアの後をついて行く。
しかし、この一件で二人の気持ちがほぐれた。会話が続く。
「遭難したときは、じっとしてる方がいいって聞いてますよ」
「ハティ山が崩壊した。何時大地震が起こっても不思議でない。そんな場所でじっとしていたいならじっとしていろ」
それも一理ある。
「山からは十分離れたようですよ。ここら辺で火を起こして煙りでも上げてれば、上空からヘリや飛行機が見つけてくれますって!」
クレアは後ろを見ずに、左手に持った枝をひらひらと振った。
「ヘリとは何だ? ヒコウキとは?」
「……動力付き飛翔体ですよ! 空飛ぶ乗り物!」
クレアのニュアンスにかちんと来るものがあった。
「ほー。貴様のセカイにはそんな怖い乗り物があるのか? 言っておくが、アルフレイには空を飛ぶなどという馬鹿げた乗り物はないぞ」
あっさりと飛行機を流された。……アルフレイって国は、飛行機も無い貧乏国なのか?
「このあたりでよかろ」
クレアが立ち止まった。仁が追いつき、並んで立ってみる。
そこだけ、木々が無かった。ぽっかりと空に向け、穴が空いた空間。
短い丈の下草が一面に生えていて、空が見えていた。見上げれば解る。今は夕刻。
「さて」
広場の縁に、大きな幹を持つ木が一本、空に向かってそびえていた。
根本に、抱え込んでいた枝をバラバラと落とすクレア。
「今日はここで野営する。設営開始!」
設営開始といわれても、野営経験どころか、テント設営も未経験の仁に何ができようか。ただ、おろおろと腰を引けているだけ。
突っ立っている仁を尻目に、どこからか手頃な石を集め、竈を作り出すクレア。着々とたき火の準備が整っていく。
「あ、あの、僕は何を……」
「うろちょろせず、そこで座ってろ」
ホントのところ、軍人とはいえ女の人に座ってろと言われて、黙って座っているわけにはいかない。森の下草へと足を踏み入れた。
「じゃ、薪でも取りに――」
「じっとしてろ! この辺りは金獣のテリトリーなんだぞ!」
息を詰めてしまった仁。金獣ってなんだ? いかにもヤバそうな名称。
「森や山に棲む、体毛の濃い未開人だ。我らエルフィとは不文律で不可侵の関係にあったのだが、少し前から関係がおかしくなっている」
そーっと、草から足を抜く仁。
「ひょっとして、……肉食ですか?」
「田畑を持ってるとは思えんが……この発火剤、性能が悪いな」
クレアさんは、しゃがんだまま、小さな火を大事そうに育てている。
「凶暴な動物ですか?」
「直接戦ったことはないが、小口径の銃では死なないらしい。ああ、そうそう、この天変地異だ。連中の気が立っているのは、……火を見るより明らかだな」
炎が立ち上がった。クレアは、うまいこと言えた顔で満足げだ。
クレアが拾った枝は、どれもこれもよく乾燥していた。パチパチと音を立て、勢いよく燃え上がっていったのだった。
ほどよく疲れて、ニンニク充填。
次回「仁君ウイリー!」の巻。