4.ブラストエンド・サバイバル (仁、再登場)
遠くで、誰かに呼ばれた気がした。
仁のぼんやりした脳の言語野が、自動的に人の声を認識した。
とても小さい声だ。女の人の声。だれが何に向かって……。
どうやら自分に向けたメッセージを送り出しているようだ。いったい誰が?
正体を知りたいという要求が、むくむくと湧き上がってくる。とたんに声が大きく聞こえだした。自然とまぶたが開いていく。
人形のように美しいお姉さんだった。瞳が金色。額に張られた逆三角形のクリスタルが澄みきっていて綺麗。
声の正体、確認完了。まぶたを閉じる。
殴打音と共に、鋭い痛みが頬へリズミカルに伝わってきた。
許容量をオーバーする刺激を受け、仁は激しく目を開けた。
「気づいたようだな」
ややハスキーな声。細い眉をキリリと吊り上げたお姉さんが、心配そうに仁の顔をのぞき込んでいた。初めて美女という存在に出会った。
またもや強烈な睡眠欲が湧き起こる。そして倦怠感も消えることがなかった。
なんかどうでもいいやって感じ。
仁はこのままの状態で、もう一度目を閉じることにした。
「寝るナ。体を――。ここはキケンな――。移動――死ヌぞ!」
お姉さんが、なにか叫びながら仁の体を揺する。揺れた箇所が針で刺された様に痛い。
「ここ――土砂崩れ――沢になって――。あの木が――場所ま――移動するぞ!」
仁の体が引き上げられた。脇の下に、お姉さんの体が滑り込む。
いい匂いがする。これが大人のお姉さんの香りか……。
わずかな脳内作業領域が、体の変動を感じ取った。仁の体が大きく震えだしたのだ。
いや、揺れているのは地面の方だ。どこからか、うなり声のような音が聞こえてくる。
「土砂崩――。走れ!」
どうにか「走れ」という単語だけ聞き取れた。走る行為も知識として知っている。どうやら命令文らしい。だからといってランニングのできる体調ではない。
それ以前に、仁は迫りつつある危機を認識できていない。意識はまだ混沌としたままだ。
仁は、突然の浮遊感を感じた。
この浮遊感は、お姉さんが仁を担いで走り出したものだった。
女の人の力で、軽いとはいえ中学生の体重を担いで走れるだろうか?
案の定よろめいていた。それも歩くようなスピードで。
何となく、仁も走らなきゃならない、とだけ認識。モサモサと足を動かすが、何の役にも立たない。むしろバランスが崩れて邪魔になる始末。
地響きが耳元で聞こえるようになった。お姉さんの荒い息づかいが耳元で聞こえる。足元に、砂と小石が流れてきた。城壁のような土砂が目の前に迫っている。
これは間に合わない! 仁の濁った頭でさえ、そう判断できた。
仁の体が地面におろされた。お姉さんの体が覆い被さる。そんな事をしたって、万に一つも助かりっこないのに。
仁のぼやけた目が、安全地帯までの距離を測った。濁った意識がそこへ到達するまでの時間を算出した。
――要は、あそこまで移動すれば、お姉さんが助かるんだ。
仁は、お姉さんのからだに手を触れた。そして――。
気がつけば、草むらの中で寝転がっていた。なんだかずいぶん長い時間歩いていたような気がするんだが……あ?
仁の意識は突然の回復を見せた。
ここは森の入り口。数万トン単位の土石が、一メートルと離れず横たわっていた。
額に違和感。右手を持って行くと、頭に包帯が巻かれていた。
それを確認した右手にも包帯が巻かれていた。だれが手当をしてくれたのだろう?
すぐに解った。
なぜなら、隣で片膝をついたお姉さんが、残った包帯をケースにしまい込んでいたからだ。
尖りまくった人だが、綺麗な女の人だった。
年の頃は二十歳過ぎ……の軍人さん? 頭のてっぺんには……軍帽っていうんでしょうか? 沖田艦長が頭に乗っけてるあの帽子。仁は順を追って視線を下げていく。
帽子の、庇の下から銀の髪の毛が垂れていた。
細くて濃い、つり上がった眉。人形のように綺麗な顔。整いすぎた顔だ。
深紅のルージュをひいた艶やかな唇。下唇が肉感的でとてもセクシー。
きっちりと止められた詰め襟は、びしびしの堅物イメージ。
グレーを基調にした軍服……らしきものを着ている。大きな肩パットが入っているのだろう。やけに肩が張っている。それと窮屈そうに、ぱつぱつに張った胸。細いウエスト。
唯一の不明部分であるタイトミニ。ごついジャングルブーツで足元を固めている。
スカートの奥から、チラリと白い逆三角形が見えているのだが、あれは何だろう?
おパンツ?
認識した瞬間、仁は完全に意識を取り戻した。偉大なり、煩悩!
いやいやいや! そんなことより気になるのが、お姉さんの目。正確には虹彩。金色の目って、初めて見た。
あ、目が合った。
「気がついたか? 怪我は擦過傷だけだ。化膿の可能性は低い」
お姉さんはぶっきらぼうにルージュの唇を開いた。うまいこと言えた顔で満足げに見えるのは気のせいか?
体を起こそうとして力んだ途端、全身の筋肉に激しい痛みが走った。
仁の体は、今のところ自由がきかないようだ。でも、口は動いた。
「あなたはどちら様で? ここはどこ? 僕はいったい……」
「状況を説明する。ここはアルフレイという土地。現状、我ら二名は、危険値レッドの地域に滞在中。無線は通じない」
仁は、何のことか全く理解できないでいる。というか、理性が理解を拒否をしている。
「私の名はクレア。クレア・コウジュ。アルフレイ陸上軍少尉を努めている。体年齢二十の内年齢二十四だ!」
やっぱり軍人さん! アルフレイってどこの国だ? 今気づいたけど、この人、日本語を話している。
「……き、貴様の名は?」
少し口の端を引き攣らせながら、続けて名を問うクレア。視線は微妙にそれている。
「僕の名は……あれ? 僕の名は……」
名前が出てこない。仁の顔がこわばっていく。
「落ち着け、少年! どんな所に住んでいた? 家の間取りは? ご両親は? 学校は?」
クレアが矢継ぎ早に質問をしていく。
仁は、家の玄関を思い出した。お母さんは下手くそなケーキ作りが趣味だ。お父さんはは小さな商社に勤めている会社員。自分は学生。そう中学生だ。
修学旅行。飛行機事故。
音を立てて、記憶の鍵が鍵穴をこじ開けた。
「思い出した! 僕は仁。小片仁。……そうだ琴葉ちゃんは? 琴葉ちゃんはどこに!」
勢いよく立ち上がる仁。周囲を見渡そうとして首を振って……貧血と吐き気。
仁は、弱々しくしゃがみ込んだ。
「今の今まで寝ころんでいたヤツが急に立ち上がるからだ! しばらく座っていろ。すぐに元通りになる」
腰に手を当てた立ち姿で、厳しく注意するクレア。
血の気の引けた仁。青い顔をして汗を流している。
「で、でも、ついさっきまで手を繋いでたんだ。たぶん、この辺りに……」
見えるのは土砂崩れの現場。仁の青い顔が、さらに青くなる。
「まさか!」
「落ち着け! か、彼女は土砂の下敷きになどなっていない!」
半開きになった口。なぜクレアが知ってる?
仁は一筋の望みに託し、クレアの顔を仰ぎ見たのだった。
この勢いで連投UPの予定! このままクレアさんを主人公にすげ替えようか? という誘惑に負けず仁、再登場! 仁君強い子負けない子。
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