3.仁、発見
クレアの意識は唐突に戻った。
気がつけば、仰向けに倒れていた。どれだけの時間、気絶していたのだろうか?
頭の横にはバスケットボール大の石が転がっている。
遙か頭上。崖から突き出した木の幹に、グランツアのタイヤだけが引っかかっていた。
――あそこから落ちてよく助かった。
右手、握れる。左手も握れる。右の太ももに強い刺激が存在する。それにもまして足が重い。頭を持ち上げて見れば、下半身が微細な砂に埋まっていた。浅く埋まっているだけ。砂は埃のように軽かった。
足を上げるだけで簡単に抜け出せた。下になっていた土が柔らかかったのが幸運だったのだろう。
体を起こそうと、いつものように右腕を支えにした。
「くっ!」
右肩に走る痛覚。
「これは脱臼?」
大事なときに!
左手と足腰を使い、何とか膝立ちの体勢に持ってきた。
俯いて右拳を地面の固い部分に当てる。肩の角度を調整。体重を入れる。
乾いた音を立て、肩関節が入った。
「はうっ!」
激痛という感覚は、ほんの僅か。続いて押し寄せる別の感覚。背筋を駆け抜け、脳のとある部分に到達する。
表現しがたい体の反応。それは体の裏切り。長い間、クレアは息を止めていた。止めざるを得なかった。裏切り者の体が、呼吸を拒んでいた。
やがて訪れた神経の安寧。息をすることを体が許す。激しく荒く呼吸。どっと噴き出す汗が下着を濡らす。
深呼吸を三回繰り返し、強制的に息を整えた。
気になっていた右の太ももを見る。ぱっくりと口を開けた裂傷。横方向に七センチ。浅くはない。結構な量の血が流れ出ている。
背中の救命パックは無事だった。飲用の水で泥を押し流し、消毒剤で傷口を洗い、細胞賦活軟膏を塗り込み、止血テープを貼る。
傷口が作り出す、あの刺激信号。クレアは身震いしながら、それをやり過ごした。
もうすぐ必要になるであろう医療キットを節約しようかと思ったが、そのために自分が動けなくなっては元も子もない。おそらく、自分が現場に一番近いはず。
クレアは圧迫用包帯を取り出し、太もも患部を三重巻きにした。格段に動きやすくなる。
続いて、救難用の無線機を取り出し、スイッチを入れる。雑音しかしなかった。
「だめか……」
おそらく気を失ったあの時、バースト状の電磁波が……。
何時までもこんなところでぐずぐずしていられない。最近身についたクレアの長所は、気持ちの切り替えが早い事。
クレアはバックパックを背負い直し、砂場を後にする。
三歩歩いて違和感を覚えた。頭が寂しい。軍帽が無い?
近くに落ちていないか?
先ほどまで転がっていた場所に視線を向ける。あった!
砂に埋もれることなく、行儀良く鎮座していたそれを勢いよくつかみ取り、流れるような動作で回れ右。再びクレアは歩き出した。
その時だった。巨大な岩石が背後に落下したのは!
衝撃と風圧が、クレアの体を押し倒す。
風に舞う砂埃。すぐ隣を見慣れたタイヤが転がっていく。
肩の痛みも忘れ、一挙動で立ち上がり振り返ってみる。軍帽の落ちていたあたり、クレアが倒れていたあたりに、軍用トラックほど角張った巨石がめり込んでいた。
崖を見上げると、パラパラと小さな石ころが降ってきている。
「これは……早くこの場を離れた方が良さそうだ」
クレアは、右肩をかばいながら、ここから離れる。落石のおそれがある地帯からは離れるに限る。方角を確認しようとしてハティ山を探す。
無かった。
ただ、ハティ山とおぼしき場所に、見慣れぬ台形の山が。……まるで中腹より上をスッパリ切り取ったかのような。
クレアは視線を横方向へずらした。同じような形をした緑の山がある。
今日この時をもって、ハティ山は十年に渡って防衛し続けていたアルフレイ最高峰の地位を他者に明け渡したのであった。
「やはりビフレストの橋がかかった!」
エルフィとしての最優先状態を頭脳が起動した。忘れかけていた神への憎しみが顔を覗かせたが、それを押しとどめる力を持った強制力が行動を優先させた。
「い、急がなくては! この近くに……必ず……」
クレアらしくないあたふたした動作。崩れかけているハティ山へ向かう。
あの山のどこかにいるはず。
倒木を越え、下草をかき分け、岩場を走る。右肩が熱を持ってきた。太ももの傷口から血が滲んでくる。しかし、脳の処理スペースに、そのことを気にかける余裕はない。
いつの間にか、まだ新しい青肌を見せる巨石群に踏み込んでいた。最後の岩を回り込む。
クレアは神を信じない。むしろその不公平さを憎んでいた。だが、たまには気まぐれを感謝してみようと思った。
なぜなら、その先に、目的の場所があったからだった。
クレアさん、短い間の主人公、ありがとうございました。あ、撃たないで!