27.……ミアちゃん。
「いたって簡単なのですよ。簡単がゆえに、難しくもある。基本ですから、……余計にね」
コトシロさんは、犯人捜しよりも、争いそのものをなくそうと考えているみたいだ。
きめ細かい白い肌。濡れたような黒い髪。クレアさんとはまた違ったいい匂い。
「マスターがいなくなること。元の世界へ帰られることです。そうすれば、争いの原因が無くなってしまいます」
「いえ、それは言われるまでもなく……」
なんでいまさら? 琴葉ちゃんに対する後悔を引きずってるからか?
「わたくしは……冷たい言い方をしているのでしょうね。でも、わたくしは調整者。世界の調和こそがわたくしの使命。エルフィのように浮かれることはありません」
それは微妙な方向性の違い。仁とコトシロ、お互い齟齬が生じている。
「すぐには帰れないんでしょう?」
仁の手をコトシロが握ってきた。金属特有の熱伝導が仁の体温を少しばかり奪う。
「お話しする機会が遅れましたが、兆候が見られました」
ビフレストの橋。その元になったあのミラー球が現れるというのか?
そして、なんで手を握る?
「微量ですが特徴的な電磁波が観測されました。コトハ様の体が無くなったことに関係あるのかもしれません。特異点がマスター・ジン一人になったしまったからかもしれません」
「特異点?」
何の事やら、さっぱり。
「マスター・ジンとコトハ様の体から観測される、微量のエネルギーのことです。電磁波の一種としてしか観測できませんが……」
未知のエネルギーが体に? コトシロに握られた手を見る。
「次元と空間の壁を移動したミラー状超常現象体が持つ、何らかのエネルギー。その一部がジン様とコトハ様、二つの肉体に蓄積されているのです」
一方の体は失われてしまった。僕の体だけが残って……。
「特異点と言われても自覚無いんですけど」
「空間のゆがみに関連する現象や事象があったはずです」
そんなのあったっけ?
コトシロが単語を並べていく。
「次元、空間……歪み、速度、時間――」
「あ!」
速度と時間。その言葉について心当たりがあった。
散骨式の船上。クレアさんが発砲したとき。世界がグレーになって、時間がゆっくり流れているように見えた。
仁だけを残して時間の進行が遅くなったあの現象。
……ちょっとまてよ。
クレアさんに初めて出会ったすぐ後。
土砂崩れに巻き込まれたはずなのに、どういうわけか回避できた。
あの時も、周囲から色が消え失せグレースケールになっていた気がする!
「心当たりがあるようですね」
コトシロさんの握る力が強くなった。
「いいですか? 片方に振りきってしまった振り子は、反動でもう一度戻ってきます。それが最後にして唯一のチャンス。特異点とはその支点となっていると考えてください。だから必ず、マスターの肉体がある地点にビフレストの橋が架かるのです」
琴葉ちゃんは、もしかしてこれを知っていて……。だから灰にして海に撒けと……。
なんだか、目が熱い物でいっぱいになってきた。琴葉ちゃんの願いと献身。それを受け取ったからこそ、元の世界へ帰ると誓った。
でも、しかし、……。琴葉が生きていたら二十四歳。ちょうど、コトシロさん位の年。
「コトシロさんは生まれたときからそんな体だったんですか?」
仁は勝負に出た。コトシロの長い黒髪が、琴葉と重なって仕方ないのだ。
それが気にしている最後の一つ。第三の案件。
まさかと思うが、……ほんとうにまさかと思うが、もし琴葉が生きていれば二十四歳。
ちょうどコトシロの見かけに準ずる。
大怪我をした体のパーツを機械に置き換えて……。
もしや、あのバイザーの下の顔は……。
「わたくしは調整者として……造られたのです。先代の調整者も、先々代も、アルフレイランドが創られたときよりずっと、調整者と呼ばれる者は、機械の一部。愛だの恋だの、エルフィのような生き方は理解できません」
コトシロは、仁の言葉を中傷と受け取ったようだ。
それを微妙に感じ取った仁。或いは……わざとずらされたか。
「コトシロさんは、もしかして琴――」
「ここにいたか!」
「ミアッ!」
勢いよくドアが開く。驚いて転げ落ちるミア。クレアがノック無しで入ってきたのだ。
「コトシロもいたか。ちょうど良い、コトシロ、フル機能で探査してくれないか? 雨も降らないのに黒い雲だけが渦を巻いている!」
「情報処理室とコンタクト。データーダウンロード。緊急配備」
いままで落ち込んでいたコトシロとは別人じゃなかろうかという変わりよう。コトシロは一つのメカとして、処理を進めていく。
クレアは部屋を突っ切り、窓のカーテンを大きく開けはなった。
遅れて窓へ駆け寄る仁。窓ガラスに張り付くようにして空を見上げる。
黒い台風があったとしたら、まさに目の前のがそれ。
高速で渦を巻く禍々しい雲塊。竜のような雷光が、いくつもの雲間を飛び回る。
大荒れの天気。だのに、町には風が吹いていない。夕方とはいえ、日が沈むには早すぎる。なのに、この暗さはなんだ?
「亜ビフレストの橋予兆観測。全アルフレイ・ランド、非常態勢宣言! 外出禁止令発動!」
またサイレンが鳴った。過去二回とは違う音色。ずいぶん寂しい音だ。
「マスター・ジン、これを」
コトシロがメタリックな腕をジンに伸ばす。腕を覆うカバーが開いて、中からシャンパンピンクの携帯電話が出てきた。ずいぶん、傷が付いている。
コトシロは、それを仁に手渡した。
「これは、琴葉ちゃんの……」
デコレーションは全て取れていた。でも、これは確かに琴葉の携帯だ。
仁はポケットから自分の青い携帯を出す。傷はない。綺麗なもんだ。
「コトハ様の形見です。せめて、これだけでも連れて帰ってあげてください」
コトシロの顔を見上げる仁。彼女は寂しく笑っていた。
「わたくしとはここでお別れです。わたくしは、これよりセントラルタワーへ入ります。だから……マスターと初めてお会いしてから、たった二日のお付き合いでしたが……楽しかったです。お元気で、マスター」
「ありがとう……ございます。コトシロさん、あの――」
コトシロが仁の手をメカニックな手で握った。
「あなたは! ……マスターは、生きて帰らなければなりません。コトハ様との約束でしょう?コトハ様の気持ちを大事にしてあげて! マスター・ジン、どうかお元気で」
キュっと、仁の手を握るコトシロ。琴葉の携帯を持った手ごと握るコトシロ。仁と琴葉の存在を確かめるかのように強く握り、そしてゆっくりと離す。
「お別れです」
コトシロの、その言葉があまりにも決定的だった。
手が震えてくる。首筋にいやな汗がわき出る。
仁の心の中で、何かがフツと音を立てて切れた。
琴葉かもしれないと疑っているコトシロの決意を見て、未練が切れたのかもしれない。
「クレア少尉、マスターをビフレスト・ポートへ! ミアちゃんは私に任せて!」
問答無用。仁に確認させるいとまを与えようとしない。
「了解した!」
教科書に載ってる敬礼とはこの事。びしりと決めたクレアは、仁の震える手を握る。
「急げ! ビフレストの橋の根元へ連れて行ってやる!」
いきなりだが、元の世界へ帰れるというあの橋が架かったというのか?
「ちょっと待ってクレアさん! ミアが!」
もう一つの心配事。コトシロの腕に抱かれたミア。
不安そうな目をして仁を見ている。
「ミアとはここでお別れだ。心配するな。貴様……、マスターのお気に入りだ。我々が責任を持って金獣共の群れに帰してやる」
「でも!」
いきなりじゃないか!
「ミアを連れて帰る気か? あの子が貴様にくっついたら、絶対離れないぞ!」
無理に引きはがされるミア。不安と寂しさで狂ったように泣き叫ぶだろう。
もう一度だけ振り返った仁。それは後悔を招くのみ。
最後に見たミアの顔が、初めて見る泣き顔だったなんて……。
「さようなら!」
仁は、ミアを見ずに、別れの言葉を口にしたのだった。
さあ、行こうか、仁君!
残すところ、後6話なのだよ!
次回、クレアさん、男前大爆発!
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まもなく作者の情炎が付いてきます!