22.クレア・メイクアップ!
「さようなら、琴葉ちゃん」
真っ赤な目、憔悴しきった顔。
仁は海に灰を撒いている。
時は翌日の午前。所は海上軍戦艦の後部甲板。
手すりの向こうはバリアリーフ。エメラルドブルーの海。
最後のレバーは、琴葉の遺体を荼毘に付すためのレバーだった。
レールに沿って、小さな扉をくぐる琴葉の棺。扉が閉まる。遠くで聞こえるバーナーの音。
ほんの数日前まで、馬鹿なことを言い合っていたのに。側にいて当たり前の存在だったのに。
琴葉は、あっという間に白い骨に。それも粉になっていた。
白い粉しか残らなかった。長くて綺麗で自慢だった黒髪は、形跡すら残されていない。
仁とコトシロとクレアが、灰を拾った。
言伝で墓は要らぬ、灰は海に撒いてくれと、先代コトシロに頼んでいたそうだ。かたがたサファイア色の海に撒けと、それはもうきついお達しだったという。
「アルフレイ・ランドには、海底地形の具合でサファイア色の海が無いんだ。かわりにエメラルドの海に撒くからね」
頬がこけ、やつれの目立つ仁。ベージュ色の爺むさいカーディガンを羽織っている。
その仁の両脇に、支えるようにして立つクレアとライラ。取り仕切ると思われたコトシロは、何故か同行を拒否した。
ミアはコトシロとお留守番。初めての海に興奮し、危ないまねを避けるためというのがその理由。
クレアが花束を仁に渡す。何が気に入らないのか、始終不機嫌な顔のまま。
百合モドキ草を中心に、カスミ草モドキを配備した花束。白い花に琴葉の笑顔が被る。
――山での苦労は何だったんだろう?
バラバラになりそうな体に鞭打ち、消えて無くなりそうな意識を奮い立たせ、命からがら金獣の集落から逃げ延び、崖から川に飛び込み、拾った命に感謝した。
全てが、琴葉を助けたいがため。だのに……。
何のために僕は生きている?
金獣に捕まったとき、あのまま殺されてたらよかった。
いっそ――。
仁は、花束を持ったまま、手すりに手を掛けた。
いっそ、琴葉ちゃんのところへ――。
……花束だけを、海に投げ入れた。
それを合図に、音楽隊が悲しいメロディを奏でる。
「黙祷!」
ライラが号令をかけた。クレアをはじめ、一緒に乗り込んだエルフィ達が目を閉じる。
仁は手すりの最上段に、ひょいと立った。何気ない動作。黙祷中だ。だれも気づかない。
軽くジャンプ。足が手すりから離れる。体は空中にある。
体がくるりと回転。後頭部から綺麗な海に落ちる。
確実性を持たせるため、水中で呼吸。勢いでやらなければこんな事できない。肺に海水が入る。
当然咽せる。咽せるから水を吸い込む。吸い込むから咽せる。咽せてもがく。苦しい。でも琴葉ちゃんはもっと苦しかったはずだ。
体のどこかでブツンと言う音が聞こえた。しゅんと意識が麻痺する。
ぐるぐると世界が回る。青い光が体を照らす。太陽光が海水を通して……どうでもいいや。琴葉ちゃん、もうすぐ会えるよ――。
「この、馬鹿が!」
仁は意識を無くす直前、誰かの声を聞いたのだった……。
……仁は、琴葉の気配を感じた。
「琴葉ちゃん!」
そう叫んだつもりだったが、口からは別のモノが出てきた。
「げボぼッ!」
口から噴水が出た。塩辛い噴水だ。どこかで見た光景。ああ、そうだ、川でおぼれたときクレアさんに助けてもらって……。
「お目覚めになりましたか?」
優しい微笑み。……ライラさんだった。
どうやら死に損ねたらしい。
人垣ができていた。エルフィの女の子達が心配顔でのぞき込んでいる。
垣根の一部が割れていた。そこには……。
誰かが転がっていた。横向けに。びしょ濡れ。
――ああ、クレアさんだ。またあの人が助けてくれたんだ。余計なことを。
顔を隠すように白いタオルが掛けられていた。
白いタオルが顔に……。琴葉とオーバーラップした。
「クレアさん!」
飛び起きる仁。
「何だ、やかましいぞ!」
声は白いタオルの下から聞こえてきた。
タオルの下、モゾモゾと動く濡れ鼠の体。
「今度飛び込むときは、前もって声を掛けてくれないか?」
手が動き、タオルでワキワキと銀の髪を拭いている。
「次も必ず本官が助けるから、安心して死ぬがよい」
仁の目から涙が出てきた。今度はやたら熱い涙だった。
むくりと起き上がり、腕で目をごしごしこする。
「これ以上コトハを泣かすな。エルフィを泣かすな。お前……もとい、マスターが死ねば、マスターの立ち位置にエルフィ達が立つことになるのだぞ」
タオルで声がくぐもっている。顔に掛けたタオルが……。もしや!
「クレアさん顔を怪我して!」
クレアのタオルに手を掛ける仁。
「ば、馬鹿! やめろ!」
クレアが両手でタオルを力一杯握りしめ、丸くなる。
「ライラさん! クレアさんの容態は?」
タオルで綱引き。寝転がっているクレアの分が悪い。
「怪我というか、ウォーターシールドが入ってなかったのが痛恨のミスで……レベル的に言うと……大切な物が取れちゃったというか……でも心配しないでください。命に別状はありませんから」
のほほんとした顔ながら、眉をハの字に寄せるライラ。辛そうに話す。
仁はタオルから手を離した。
「心配しなくていいと言っとろうが!」
クレアは起き上がろうとして片手をついた。そこに隙ができた。
「今だ!」
クレアの隙を突いて、タオルをむしり取る。
「あっ!」
下からあらわれたのは! ……クレアさんの顔じゃない。
切れ長だったはずの目が、ぱっちりとしていて……クレアさんに似た幼い顔……。
なにこれやだ可愛い!
「……クレアさん……ですか?」
「クレア・コウジュ本人だ!」
仁の手からタオルをむしり取り、顔を隠すクレア。
説明を求め、ライラに視線を向ける。
「ですから、水に濡れてメイクが取れたと……。一番見せたくない状態ですから……」
なんとも情けない顔をするライラ。上司部下の関係なく、女としての同情心から出た言葉。
「クレアさん……、萌ぇー!」
ボソリと呟く仁。
対してクレアは。
「みーたーなー!」
タオルを顔にかけたクレア。隙間から覗く片方の目が、危ない閃光を放っている。
「クレア萌え?」
クレアが凄んでも、かわいいのであまり怖くない。
「コロス!」
目にもとまらぬ早業。コンマ二秒。抜きざまに放つクレア。それも水平発射。
撃たれた!
その瞬間、仁の周囲はグレースケールとなった。
仁は、反射運動でしゃがむ最中。
クレアが持つ銃の角度と、空中に浮く、一個の弾丸の位置。
考えれば当たり前のこと。クレアは意図的に外している。回避行動をとらなくても安全な頭上。かなり上に着弾するだろう。
仁は、それを「認識」した。
世界に色が戻る。
立て続けに二発。クレアが放った。それも、外れるはずだ。
計三発。三連射。予定通りに、仁の背後、天井に三発の弾痕が刻まれたのだった。
「今のは……いったい?」
仁は、発砲以外の異変に呆然とするのであった。
人の足は立ち上がる為にある。
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