21.琴葉から仁へ
ちょっと仰々しすぎないか?
仁の、顔の筋肉が強ばっていく。
コトシロが薄暗い部屋に入っていった。
「どうぞ」
振り向いて仁を招く。
導かれるまま、仁とクレアが、冷たい部屋の中に入る。
ライラと院長は外で待っていた。
この扉から先へ行けるのは、調節者であるコトシロと、お側付きエルフィのクレア少佐と、仁の合計三人だけのようだ。
仁は納得した。
つまり、お側付きというか、専属エルフィを携える事。すなわち、マスターとしての形が整い、正式にアルフレイ・ランドに認められるというのが、面会の条件だったのだろう。
部屋の中央に、たった一つの明かりが灯されていた。
木でできた小さな文机。
机の上には一通の封筒。
「どうぞ」
メタリックな腕を差し伸ばし、手に取ることを促すコトシロ。
生唾を飲み込み、ゆっくりと手を出す仁。気になるのか、クレアが後ろからのぞき込んでいる。
桜色した、軽い封筒。
琴葉からの手紙じゃないか。別に緊張する場面じゃない。
「ほんとに読んでいいの?」
コトシロを見る。彼女は小さく頷いた。
封筒に目を落とす。封はされていない。中の便箋を取り出して、読んだ。
「壁のスイッチを押してください。中に最後の手紙がありまーす!」
……またかよ。
苦笑いしながら後ろのクレアに顔を向ける。クレアは素早く、明後日の方を向いた。
コトシロが壁際に移動した。そこには黒いスイッチがあった。
仁はボタンを押そうと、気軽に腕を伸ばす。
その伸ばした腕を捕まれた。メタリックな義手に。
なに? とばかりに、仁はコトシロのバイザーを見る
「……この壁の向こうにコトハ様がおられます」
だからその壁を開くためのスイッチだろう?
仁に見つめられ、顔をそらすコトシロ。ゆっくりと手を離す。とても冷たい手だった。
コトシロさん、何が言いたいのだ?
押せと書いているんだから押す以外無いだろう? 仁は、首をひねりながらスイッチを押した。
圧搾空気が漏れる音。
奥の壁が、ドア型に切り開かれた。
「いいかげんにしてよね、琴葉ちゃん!」
仁は文句を言いながらドアをくぐる。
中は、狭い部屋だった。
中央に棺桶大のカプセルが一つ。腰高の台に乗せられている。
カプセルに歩み寄る仁。
付属したパネルにデジタル表示。表示窓は全部で三つ。左の表示数は十。中央の表示数は五十五。右の表示数は……五桁の数字が一定の時間で変化している。
カプセルの上にピンクの手紙が乗せられていた。琴葉からの最後の手紙。
仁はそれを手にしていない。
カプセルに取り付けられた、たった一つの窓。そこを食い入るように覗き込んでいる。
窓の向こうには、顔を白い布で覆った琴葉が横たわっていた。
「これは、どういう!」
振り返る仁。クレアは仁を見ていた。でも、全てを知っているはずのコトシロが、顔を背けている。
クレアは、ちらりとコトシロを見てから口を開いた。
「失礼ですが、お手紙を読まれればいかがでしょう?」
クレアらしからぬ丁寧語。
嫌な予感を振り払い、仁の手が手紙を取った。封筒の中に指を進入させる。
でも見てはいけない気がする。手紙を読んでしまえば……。
乾いた音を立て、中の便せんを取り出す。琴葉の筆跡。綺麗な字だ。
目を這わせる。
「仁へ、
琴葉です。
おたがい、ドジっちゃいましたね(笑)
仁、ケガしてませんか? ケガしていたとしたら、だいじありませんか?
私はだめみたいです。
仁がこの手紙を読んでいるということは、私がだめになってから何日か後のことでしょう。
仁と会えずに終わってしまうのはさびしいですが、仁だけは元気でいてください。
そして、かならず元の世界に帰ってください。アルフレイの人たちはみんな親切です。帰る方法も、めどをたててくれてるみたいです。
その時は、私のお母さんとお父さんによろしく伝えてください。
悲しむなといっても、泣き虫仁のことだから、むだなことを言うのはやめておきます。
泣くだけ泣いたら落ち着いてね。
最後のお願いがあります。
この場にいるはずの責任者に聞いて、あるレバーをあなたが入れてください。
じゃあね、仁。さようなら
斧田琴葉」
……そんな馬鹿な。
「そんな馬鹿なっ!」
遺体安置室の壁を振るわせ、仁が叫ぶ。
「これを開けてください! 琴葉ちゃん! 琴葉ちゃん!」
甲高い叫び声を上げながら、カプセルを叩く仁。
「開けてどうするというのですか?」
コトシロが聞く。いやに落ち着いた声。
「人工呼吸に決まってるだろ! 電気ショックとかないの? 医者を呼んでよ!」
喉が裂けそうな悲痛な声。カプセルをこじ開けようと爪を立てている。
「マスター。いえ、ジン様。コトハ様の心肺停止から十年経っています。無駄なことはおよしなさい」
カプセルをこじ開けようと、指先に込めていた力が抜ける。
「十年?」
惚けたような顔でコトシロを見る。
コトシロは口をへの字にしている。辛そうだ。
「パネルの数字を見るがよい」
クレアがコトシロの代わりに口を開いた。
「左端に十という数字が出ているだろう? それは経過年数だ。……そして。真ん中が日数。五十五日経ってるってことだな。あと、右端が秒数だ」
クレアが歩いてくる。仁の肩に手をかけた。
「十年と五十五日前だ。諦めろ!」
一瞬、仁の顔が笑ったように見えた次の瞬間、表情が壊れた。
くしゃくしゃになっていく口、頬、鼻、そして目。目が水っぽくなって、大きな水滴が現れて、それがこぼれて、どんどんこぼれて、流れとなって涙が頬を伝う。
「うわーっ! うわーっ!」
クレアの両腕を力一杯つかんで泣き叫ぶ。
頭をクレアの胸に押しつけて泣いた。
クレアは、そっと仁の頭に手を置き、自分の胸に抱いたのだった。
「マスター・ジンが、亜ビフレストの橋で降臨なされた場所はハティ山。その余波で、上から三分の二が消滅しました。マスターが降臨されるまでは、アルフレイ最高峰だったのですよ。その隣に、スコル山という山がありまして、十年前は、ハティ山を抜いて最高峰だった山です。同じく、三分の二が消し飛びました。十年前のお話しです。ウラシマ効果なのでしょう。繭の中での僅かな差が、現実世界では十年という年月の差になって現れたのです。これはマスターの責任ではありません」
あれからどれくらい時間が経っただろう。
今の仁は、同じく座り込んだクレアにもたれ、かろうじて座っている状態だ。クレアの胸が仁の涙で濡れていた。
我に返ると、クレアと一緒に毛布にくるまっていた。いつ掛けられたのかもわからない。
そして、頃合いを見計らったコトシロが、話を始めたのだ。
「先代のコトシロが、引退を決める直前のお話しです。アルフレイランド始まって以来の天変地異。我らもどう対処していいかわからず、全てが後手に回りました。まさか大規模なビフレストの橋により引き起こされたとは、コトハ様を調査隊が救助した後に判明したこと。それも救出限界時間を超えた五日後の話です」
コトシロも、仁の脇に座り込んだ。膝を抱える。
「事の次第を全て理解した我々は、全力で体組織の修復……マスター達の世界では治療というのでしたね。治療に当たりましたが、各身体機能の損傷が激しく……」
床の一面を見つめたままの仁。小さく頷く。
「どれもこれも、先代のコトシロが全力を尽くした結果です。誠に申し訳なく……」
重い体を持ち上げ、立ち上がる仁。
「琴葉ちゃんに最後の挨拶をさせてください。最後にもう一度顔が見たい」
琴葉の顔には白い布が被せてある。
「マスター。顔は見ないでやってください。綺麗な頃のコトハ様のままの記憶で送ってあげてください」
あのとき、手を離しさえしなければ……。
どんなに痛かったろう、どんなに苦しかったろう、……そして、どんなに寂しかっただろう。
「それなのに……」
食いしばった歯の隙間から嗚咽が漏れる。だのに涙が出てこない。出し方を忘れてしまったようだ。
いや、涙が無くなるまで泣ききってしまったのだろう。
心から潤いが無くなっていく。ひび割れた荒れ地が広がっていく。体の中が砂漠化していく。
「コトハ様が先立って御降臨なされたので、マスターの御降臨を予測でき、いち早い救助活動が行われたのです。マスターは、コトハ様により生かされているのです。くれぐれも短絡的な事は、お考えなさらぬよう。コトハ様を悲しませることだけはおやめください」
仁の、あまりの落ち込み様に、釘を刺すコトシロであった……。
琴葉タソのキャラがお気に入りw
いつか彼女を主にしたお話を書いてみたいです。
次回、「クレア! メイクッ、アップーーッ!」
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まもなく作者の真実が付いてきます!