12.アルフレイ・アーミー(さようなら、クレアさん)
「行きましょう」
仁は、体を預けていた岩から離れた。途端、体が崩れ落ちた。
「あ、あれ?」
体が動かない。うつぶせになったまま。顔を上げようとしたが首に力が入らない。
「仕方ないな」
クレアも岩から離れた。彼女も弾みを付けないと動けないようだ。
二の腕に巻き付けたポーチから、アルミ色のケースを取り出した。蓋を開けるワンアクションの後、取り出したのは、銀に光る長い針を持つ注射器。シリンジ内には、冷たい色をした黄色い液体。
それからのクレアさんは行動が素早かった。
仁の尻を左手で固定。逆手に持った注射器をノーモーションで突き刺す。
「げげぼっ!」
仁の悲鳴にお構いなく、プランジャを押し込む。中の液体が仁の体内へ消えていく。
「前のより強力なクスリだ。ちょっとアブナイ系の薬だが、薬害の報告はない。安心しろ」
仁はビクンビクンと二度三度痙攣。やがておとなしくなる。
そして再び動き出す。
「ホぁーっ!」
飛び起きた仁。血走った目でクレアに飛びかかる。元気の使用法を間違えたようだ。
迎えたのはクレアの回し蹴り。
再び倒れ込むが、起き上がらない。動かないのは銃口が額にポイントされていたからだ。
「どうだ、落ち着いたか?」
冷めた目をしたクレアが、ゆっくりと撃鉄を上げた。
風もないのに、木々の触れあう音がしたのはその時。
クレアが左右に気を配る。仁は立ち上がって耳を澄ませる。
音がする。人の気配がする。後ろの方!
「救助隊が来た!」
喜色満面の笑みを浮かべ、振り返る仁。
「……後ろから?」
クレアは躊躇した。
音がする。右から、左から。扇形に、取り囲むように。
「違う! 救助隊が後ろから来るものか!」
木々の間から見えるのは、金の瞳と金の髪。
姿を見せたのは、金獣の集団。先頭で飛び出してきたのは片目のニケ。雄叫びを上げる!
「金獣だ、走れ!」
一発しか弾の入っていない銃を構えるクレア。背中で仁を押した。
安堵から緊急事態へ急転直下。一気に体を駆けめぐるアドレナリン。
仁は走り出した。やっぱりミアを両手で抱いて。
波のように押し寄せる金獣の大群。
注射の効果で体に疲れを感じないのに、足がもつれる。
腕を捕まれた。クレアさんに。
クレアさんの左手が仁の腕をつかむ。力強く引っ張られた。この人、足の怪我が酷いはずなのに……。
「ナマ! マスタコレ!」
後ろから聞こえてくる声が、物音が大きくなる。薄暗い森の中、恐怖が背中を撫でる。
踏み込んだ水たまりが足を引っ張る。乾いた木の枝が音を立てて砕ける。
金獣たちが手を伸ばせば、仁の襟首に届くだろう。首の後ろの毛が逆立つ。クレアに引っ張られる腕が痛い。
いきなり周りが明るくなった。
足元に感じる喪失感。空中? 接触。転がる。着地。尻が痛い。
二メートルくらいの斜面を転がって飛び出した場所は、緑の平原だった。見晴らしが良い。
それだけではない。
「アルフレイの救助隊だ!」
アルフレイ軍、災害救助隊がそこに展開されていた。
戦車が二十両。人間はその十倍以上。そこかしこに大きなテントが整然と張られている。
救助部隊の本部のようだ。
「助けてー!」
声を枯らして叫ぶものの、こちらに気づく者は一人としていない!
人の移動が激しく喧噪な状態ゆえに、声が届かないのだ。
みんな、こちらに背を向けている。仁が飛び出した場所はキャンプの裏側だった。
これでは味方が気づく前に、金獣に捕まってしまう!
とうとう金獣たちが森から飛び出す。先頭はもちろんニケ!
「最後の一発はこの時のためにある」
クレアが左手で銃を構えた。
空に向かって。
澄んだ蒼い空に轟く銃声。
アルフレイ軍の救助隊がこちらに気づいた。
クレアが叫ぶ。
「対象、スーパーS級! 事態トリプルX! 敵は森の中。金獣多数!」
対応は驚くべき速さで行われた。
クレアの声が終わると同時に、救助隊陣営から複数の発砲があった。
着弾地点は後ろの森。金獣たちが群がる地点。
「シ・エルフィ! ワムカ!」
恐るべき跳躍力を見せ、森に飛び込むニケ。他の金獣たちも、晒した体を引っ込める。
金獣たちの撤退は速やか、かつ、静かであった。
もう、追っ手は来ない。
仁はその場にへたり込んだ。完全にガス欠だ。薬が燃焼させるべきエネルギーが底をついた。
いや、安堵感からか? ミアちゃんの体温が心地よい。
重武装した兵士達が幾重にも隊列を組んで、こちらに走っている。迷彩模様の服も勇ましい。
……全員女性。なぜかミニスカート。
エンジン音が唸りを上げる。戦車までが動き出した。砲塔が回転し、森に向かって砲弾が発射された。二十台全てが連続射撃。鬼のように砲弾を叩き込む。森全体が土煙に覆われた。
この火力差、心強いのは有り難いが、ちょっと大人げないのではないだろうか?
「賭は本官の勝ちだな」
クレアさんは笑っていない。そういえばそんな賭をしたっけ。
どんどん人が仁の元に集まってくる。
集団の中でひときわ目立つのが、白衣の集団。白い担架を持っている。
「医療班のお着きだ。これで本官はお役ご免。……お別れだ」
クレアが薄く笑う。
仁の周りに看護兵が取り巻いた。ナース? 白いミニスカートと笑顔が眩しい。
みんな、額にクリスタルの飾り。流行?
「強精剤二本使用。熱がある。心身共に強衰弱。されど意志は強固」
クレアの報告に頷くナース長。クレアは仁の発熱を知っていた!
広げられた担架に押しつけられる仁。この状態で、一旦横になってしまえばもう最後。背筋と腹筋が終了した。動けない。
「ミァーッ!」
ナースがミアを引き離そうとしたが、仁は離さなかった。何かにすがろうとする気持ちが、仁にとっても意外と思える力を腕に出させたのだろうか?
人が仁の周りに溢れている。クレアさんは人波に押され、遠く遠く離れていく。
彼女は自分より怪我が酷い。自分との扱いの差に憤る仁。
「クレアさんは僕より重傷なんです! クレアさんも手当てしてください!」
仁の願いに応えてくれる者はいない。なぜか全員女の人。みんな優しい笑顔をしているが、クレアを顧みる者はいない。
救急車らしき水色の車に乗せられる。女性作業員の手がハッチにかかる。
その時、クレアさんの姿が人混みの中に見えた。
クレアも仁を見ている。二人の視線が絡まった。
クレアの周りに彼女を気にかける人はいない。周りの兵士の中にいるからこそ気づいた。
クレアの制服がぼろぼろだったからだ。
仁の耳から喧噪が消えた。
クレアは動かないはずの右手を挙げ、敬礼した。口の端を力ずくで持ち上げ笑う。
いい女とはこの人の事か?
そして、ハッチが閉められた。
意識が薄れていく中、救急車の中を見渡すが、……ブランディーセットは無いようだった。
これにてサバイバル編終了~!
次回より、アルフレイ・シティ編。
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