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11.深紅の唇

 ――変なところに水が入った!


 空気がある。川原の砂利が痛い。

 仁は、一瞬でそれらを認識していた。


 次に、体が自己防御のために反応する。体をエビのように曲げ、激しく咳き込んだ。

 びっくりする量の水が、気持ちよく口から飛び散る。これ全部気管に入ってたのか?


「気がついたか! もう大丈夫だ!」

 クレアさんの声だ。無事で良かった。

 何度か咳き込んだだけで楽になった。気管から水はすっかり出たようだ。


「クレアさぅワばっ」

 クレアさんが手にした布切れで、口を乱暴に拭われた。仁の口元を確認するクレア。布切れはハンカチだったのだろ、面を買えてもう一度唇を拭われた。


「よし!」

 クレアは、仁の口を確認してから、ハンカチを内ポケットにしまい込んだ。


 拭われた時から気づいていた。ハンカチに赤い色がついていたのを。

 血かと思ってどっきりしたが、すぐ違うことに気づく。血に比べ色が鮮やかなのだ。

 そう、例えるなら口紅の赤……。


「はっ!」

 人工呼吸。マウス・ツー・マウス。唇と唇。直接キス。


 まだ唇にナニが残っているはずっ! 舐め回すなら――。

「ミァーウ!」

 チビッコが顔面に飛びついてきた。仁の唇を舐め回す。


「ナニをするかな! このチビッコがっ!」

 怒り心頭。せっかくのナニが、綺麗さっぱり無くなってしまったではないか!

 真っ赤な顔をしてチビッコを振り回す。きゃっきゃうふふ、と喜ぶチビッコ。


「どうやら、しばらくは追ってきそうにないな」

 帽子の収まり具合を確かめながら、川上を見るクレア。髪から滴り落ちた雫が、細い顎のラインを走る様が艶めかしくて……こう……。


 続いて、拳銃をホルスターから出しチェックする。

 遊底が後退したままの銃。残弾数ゼロだ。


 クレアさんが、いきなり胸のジッパーを開けた。

 柔らかそうな丸いふくらみを包むレースの白が眩しい!


「ク、クレアさん! なななな、ナニを?」

 クレアさんは開いた胸元に手を差し入れ、まさぐっていた。

 仁は左右を見た。右手は崖が空までそびえ立つ。左手は轟々と音を立てて龍がごとく川が流れている。誰もいない。


 これはアレじゃないのかな? お誘い? 


 疲れによる精神レベルの低下。血中より抜けきれないアドレナリン。クレアさんの銃は弾がない。

 ブチッと音を立て、仁の理性が吹き飛んだ。レスリングのタックルの体勢。


「クレアさーん!」

 ガチリ!

 額に冷たい金属が当たる。銃口だ。ただし――。


「それ、弾入ってませんよね?」

 仁のエヘラ笑いに呼応して、クレアが鋭い眼光をもって笑う。時々クレアが浮かべる、笑ってないのに笑っている笑顔。


 クレアが胸元から手を抜いた。指先に挟んでいるのは尖った……。

「弾丸?」

 クレアは排莢穴より一発だけの弾をチャンバーに押し込んだ。この拳銃って、そういう装填ができるんだね。


「そうか、試し打ちして欲しいのか?」

 ブンブンと首を激しく振る仁を睨みながら、クレアは銃をホルスターにしまう。


「今から思えば、貴様の足下に打ち込んだ三発。もったいなかった。特に前面に打ち込んだ弾だが、よく跳弾しなかったものだ!」

 座ったままでもピンと伸ばした背筋。後ろ姿が凛々しい。


 ふと思い出して、ポケットから携帯を取り出す。ぐっしょり濡れていた。お亡くなりになった模様。とりあえず、バッテリーだけ外しておく。運が良ければ復活するだろう。


「直ちに出発する。用意はいいな?」

 クレアは胸のジッパーを上げ、魅惑の展望をしまい込んだ。


「じゃ、チビッコとはここでお別れだね」

「ミァ?」

 二足で立ち上がっても仁の股下にしかこない頭をなでなでする。


「金獣の幼体は連れて行く」

「え?」

 意外な答えがクレアから帰ってきた。


「何処ともわからぬこのような谷間に、金獣とはいえ幼児を置き去りにはできない」

 言われてみればその通り。


「万が一、金獣たちが追ってきた場合、人質や足止めに使えるかもしれないし」 

 鬼畜!


「しばし待て」

 太ももの包帯に手をかけるクレア。……血の滲みが大きくなっている。

 いきなりしゃがみ込むクレア。こっち向きだ。まったく無防備だったのでナニ的なものが丸見え。あわてて後ろを向く仁。


 ……いや、別に自分が後ろを向く必要はないな、と思い返し回れ右。

 テーピングよろしく、太ももを堅く縛り上げてトントンしている立ち姿のクレアがいた。


「だいぶ時間を食った。金獣たちに追いつかれる前に出発するぞ!」

 両肩を怒らすクレア。何事もなかったかのように歩き出す。

「ああ……」

 両肩を落とす仁。猫背のまま後に続いたのだった。



 ……、どうにもいけない。


 クレアさんのパンツを見損ねた事ではない。

 

 気力が消失している。体がだるい。背中が痛い。首筋が腫れている。何度か胃の中身を戻している。


 もともと体の強い方ではなかった。

 我が身の事や琴葉の事もあって、精神的に参っていたのかもしれない。それよりも超常現象空間をくぐり抜けたことによる、全身細胞へのダメージがここに来て出たようだ。


 歩き出して程なく、体が重くなってきた。

 たぶん発熱している。それをクレアさんに伝えるのもめんどくさい。ただ足が動いているだけの状態。倒れて眠りたい。


 幸いにも、ここアルフレイとクレアが称する大地は、綺麗な湧水と小川が豊富だ。よって飲料水には事欠かず、喉の渇きだけは癒せる。それだけが唯一の救いだった。


 緑の間から日の光が差し込む様は、まるでエンジェルラダー。気温は低くない。高くもない。そこかしこに小川や泉が点在する割に、湿度が高くない。実に快適な気候。


 エデンといっても過言ではないだろう。


 ただし、発熱していなければの話。今は天国のような自然より、薄汚れた寝床が欲しい。

「ミァ!」

 仁の前を歩くチビッコが、心配そうに見上げている。


「……大丈夫だよ」

 粘っこい声が出た。

「ミアちゃんは……元気だね」 

 適当な名前を付けて金獣の幼体を呼ぶ仁。


 ミアと呼ばれることになった幼体は、にっこり笑った。柔らかそうなほっぺがまん丸い。

 クレアさんは……気づかないのか、気づかないふりをしているのか、こちらに絡もうとも、見ようともしない。


 冷たいなぁ……。あれ?

 クレアさん、杖持ってたっけ?


 利き腕は右のはず。だのに左で持っている。

 右腕の、肘から上が動いていない。

 そういえば肩を痛めていたっけ……動かないのか?

 体も(かし)いでいる。右足を引きずってる。太ももの怪我が酷そうだ。


「クレアさん……は、なんで軍人になったんですか?」

 いきなり体の具合を聞いても、はぐらかす人だ。仁は遠回りしてみた。


「……いろいろあるが、主に自分を鍛えるためだ」

 これ以上鍛えたら大変なことになると思う。


「なんで陸軍に?」

「……母が海上軍の軍人だったのでな、本官は陸上軍に入った。海上軍に入るとどうしても母に甘えてしまうのでな」

 お母さんがいたのか……。いやいやいや、親がいて当然だよな。


「じゃ、お父さんは?」

「存在しない」

 間髪を入れず答えるクレア。これは、いけないことを聞いてしまったようだ。


「あの、すんません」

 クレアは答えない。


「クレアさん、昔は弱かったんですか?」

「弱かった自分が情けなかっただけだ。……もう聞くな!」

 クレアさんは小さな藪をこぎ出した。


「体、大丈夫ですか? えーと、足と肩?」

 立ち止まるクレア。振り返って複雑な表情を見せる。

「……人のことより自分のことを心配しろ」


 藪こぎが終わると岩場に出た。少し前から地面の傾斜が緩やかなものとなっている。

 苔むした大きな岩を迂回すると、チロチロと清水が流れる場所に出た。


 珍しく立ち止まったクレア。後ろを歩く仁に振り返る。

「しばし休息を取る。だが、立ったまま休憩だ。横になると二度と立ち上がれなくなるぞ」

 寝ころぼうとアクションを起こしかけた仁。すんでの所でとどまった。


 岩に手をかけ、もたれる事にした。

 ミアが水面に顔を突っ込んで飲んでいる。

 水の流れを指さすクレア。水を飲むアクション自体がめんどくさかったので、首を振って断った。


「歩き続けたかいがあって、だいぶ高度が下がった。そんなに時間をかけず救助隊と合流できるだろう。もう少しの辛抱だ」


 仁の隣で岩に体を沿わせるクレア。左手で帽子を取って、同じ左手で額の汗を拭う。

 ――クレアさんの髪の毛って、青みがかった銀なんだな。あの額のクリスタル、汗を拭くのに邪魔にならないのかな?

 そんなことしか考えられなかった。


 仁は今、横になって眠ることを最優先事項と考えている。

 そのためにアルフレイ軍が編成した救助隊に早く拾ってもらいたかった。


 ――違う! 琴葉ちゃんを捜索するために、軍組織と合流するんだった!


 ずっと前から坂は緩やかになっていた。こうしている次の瞬間にでも救助隊と鉢合わせできるかも知れない。


 仁は、背筋を伸ばした。

 歯のくいしばり方を覚えたのだった。

人工呼吸はお約束!


二人きりのサバイバルももうすぐ終わり。

次話も連投します!


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