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1.仁と琴葉、消失

「ママー! 助けてー!」

 千九百五十八年アメリカ、ルイジアナ州。

 アンナ・カーペンターの目の前で、九歳になる娘が鏡の中に吸い込まれていった。


和銅六年。浦島太郎の原型が乗せられているとされる『丹後国風土記』の編纂が命じられた。太郎が竜宮城で過ごした日々は数日だったが、地上では七百年以上経っていた。


 建御雷神は天鳥船神を遣わして八重事代主神(やえことしろぬし)を呼んで問い尋ねると、その父の大神に語りて言いしく、「畏ま(かしこ)りました。この国は天つ神の御子に奉ります」と語った直後、その船を踏んで傾け、天逆手を打って船を青柴垣に変化させて、内に消えた。


 反粒子は、時間を逆行している正の素粒子である。リチャード・P・ファインマン。


1.仁と琴葉、消失


「あと何分待てばいいんだ?」

 せっかくの修学旅行なのに、北中学校二年生、小片仁おがた じんは、飛行機内でイラついていた。

 もうとっくに那覇空港へ着陸している時間だ。


 イラついているのは、一学年が乗り込んだ飛行機の計器不調のため、いまだ緊急着陸した関西国際空港で足止めを食らっているためではない。飛行機で缶詰になっているからでもない。


「大きい方でゆっくりしてるんじゃないのか?」

 声を荒げる仁に対し――。

「正解!」

 仁の後ろで並ぶ斧田琴葉おのだ ことはが肩をすぼめた。


 自他共に認める綺麗な黒髪が、背中まで長い、小柄な同級生。と言っても、仁にロリ属性はない。どちらかといえばメカフェチ気味の綺麗なお姉さんは好きですかタイプ。

 琴葉は平凡な顔だとみんなから言われている。すれ違う人十人が十人とも振り返るような美少女ではない。


 でも仁は、仕草だとか性格だとか……優しさだとか、芯が一本通っているとか、そこがとても可愛いと思っている。

そして、お互いに同級生以上の存在。でも、恋人ではない。……今のところ。

 なんで男子と女子が同じ列に並んでいるか? それは単純に、教師の偏った男女平等策によるものだ。


「臭いは、仁の肺によるガス交換作用で消去しておいてね」

「しかたない――」

 くるりと振り向き、姿勢を低くする。

「代償に琴葉ちゃんのパンツを見せ――」  

 乾いた音がした。低くなった仁の頭頂に琴葉の肘が落ち、顎に琴葉の膝がめり込んだのだ。

「馬鹿じゃないの?」

 琴葉は、腕を組んで仁を睨み付ける。


「大人になったらソープランドに行きなさい。……でもなんでソープという綺麗な単語の後にランドという楽しそうな単語を付けると嫌らしく聞こえるのかしら?」

「綺麗で……楽しそうだからだ……と思う」


 しゃがんで頭を抱えている仁の前で、化粧室のドアが開いた。

「出た出た、むちゃくちゃ出た。三日ぶりだよ。だいぶ腸内発酵してたよ!」

 柔道部レギュラーの津元が、太鼓腹を小気味よく叩きながら出てきた。

「ほら、空いたわよ。さっさとお行きなさい!」

 琴葉は仁のお尻を足で押し、化粧室へ押し込んだ。有無を言わせずドアを閉める。

「ぎゃーっ!」

 くぐもった叫び声が中から聞こえた。臭気がキビシかったのだろう。


 やがて、水の音に続き、仁が飛び出してきた。大きく喘いでいる。

 くすくすと笑う琴葉。笑顔がとても可愛い。仁は手をさし示した。

「ど、どうぞ」

「うむ」

 琴葉が入ると、仁がドアに身体を預けた。そしてドアを開けられないよう、がっちりホールドする。

「ぎゃーっ!」

 トイレの中から悲鳴が上がった。臭気が厳しかったのだろう。仁は個室内で息を止めていたからよくわからない。


 仁はクスクスと笑いながら青い携帯を開く。心配しているであろう家族に、安否のメールを打とうとしたのだ。


 ふと窓から外を見ると、空が曇っていた。

 まったく! いくら安いからと言って、毎年毎年梅雨に突入した沖縄に行くなんて。毎年毎年ダイビングコースが中止になってるというのに!


「あれ?」

 電波が拾えない。おかしい。この携帯は衛星通信で圏外が無いのが売りだ。


 仁は、ドアから離れって、あちらこちらと携帯を移動させてみる。


 琴葉が化粧室から勢いよく出てきた。

「馬鹿じゃないの!」

 肩で息をしながら仁を探す琴葉。彼女は、仁の様子に気づいた。

「どうしたの?」

 仁が理由を言うと、琴葉は自分の携帯を取り出した。小綺麗にデコレートされたシャンパンピンクの携帯を開く。彼女の携帯は壊れないので有名な、一番女の子に似合わない機種だ。


「仁のケータイ、壊れてんじゃないの? って、あれ?」

 琴葉の携帯もアンテナが立っていない。それどころか、時計表示がおかしい。


「無料のを買うからだよ」

「失礼ね! 一万円以上したのよ。コンテンツだって山盛り入れてるし、類義語だとか百科事典まで入ってるんだから! でも変ね?」

 琴葉は自慢の黒髪をかき上げ、後頭部、産毛の生え際を爪でポリポリと掻いている。


 そこを掻くのは琴葉の癖なのだが、綺麗な髪の毛もまたいいね。あ、琴葉と目があった。

 あわてて反らし、自分の携帯に視線を落とす。


「僕のも変だ……おっと!」

 いきなり機内の照明が落ちた。エアコンが止まる。琴葉が仁の腕に絡んできた。

 にやけた仁は、役得とばかりに琴葉の背中に片手を回し、もう一方の手で携帯をポケットにしまい込む。


 座席各所からざわざわした声が上がりだした。生徒を落ち着かせようと、先生が声をはり上げるも、効果は薄い。昼間なのに、窓の外が真っ暗になったからかもしれない。


 機体が揺れ出した。もしやヤバイ状況? と思うまもなく揺れが激しくなった。悲鳴を上げて倒れる者も出てきた。


「席へ戻ろ――」

 轟音と共に飛び散る窓ガラス!

 続いて起こる雷撃にも似た衝撃。機体の屋根が吹き飛び、破片が飛び散る。抱え込んだ琴葉が悲鳴を上げた!


 鈍い爆発音と共に機体が折れた。裂け目から進入した電光が、乗客に襲いかかる。

 琴葉の腕を握る手に力が入る。周りの景色が歪み、スッと暗くなる。


 琴葉しか見えない。いや、こっちを向いている自分の姿も……琴葉の後ろ姿と共に。なぜ後ろ姿?

 鏡? 合わせ鏡?

 上も下も右も左も無限に二人だけが映っている。ミラーボールの様な物の中に閉じこめられていたのだ。


 状況が把握できず、仁は焦った。つないだ手の温もりだけが現実を認識させる唯一の存在となった。


 気がつくと二人は水平になっていた。琴葉の表情が必死。二人とも息なんかしていない。

 繋いだ片手。握った手を中心にぐるぐる回りだす。遠心力がきつい。足に血が集まる。今にも手がちぎれそう。


 回転が速くなった。もともと強くない仁の握力は、限界に達している。なんとか琴葉だけでも助からないものか?


 回転の角度が変わった。 

 ミラボールに裂け目ができたのだ。中の空気がジェットとなって外へ吹き出す。


 まず、琴葉の体が裂け目側に来た。ガクンと体が加速する。

 まずい! 琴葉が吸い出されようとしている。

 握り直しなどできる状態じゃない。どうしよう。繋いだ手に重圧がかかる。

 遠心力という巨人が二人をつかみ、力ずくで引き離そうとしている。


 抗うこともできず、あっさりと二人の手は剥がされた。一生忘れることはできない恐怖に引き攣った琴葉の顔。琴葉が裂け目に吸い込まれて消えた。


「琴葉っ!」

 初めて呼び捨てにした琴葉の名前。

 琴葉が消えてしまった。


 これは現実なのか? 絶対信じない!


 続いて半回転後、仁が裂け目から吸い出される。琴葉とはコンマ数秒の差。


 光が目を焼く。外は明るいらしい。体に悪そうな刺激が、全身の細胞と骨格を乱暴にこねくり回す。激痛に、わき上がる嘔吐感。仁はあっさりと気を失ったのだった。

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