第2話:鏡よ鏡③
『あ……あぁ……』
もはや、言葉は返ってこない。彼が今、何を思い、何を考えているかなど知ったことではないが、十分に痛い目には遭っただろう。さすがにそろそろ助けてやらないと、命に関わる。
俺は再び通信をSotto《個人間通話》に切り替え、リルに接続した。
(リル。女王の個体識別、同期できているな。これで任務完了だ)
俺は、激しく軋む右脚の出力を強引に引き上げた。警告音がコクピットに鳴り響くが黙殺する。
左腕に装備している重厚なタワーシールド。そのグリップのロックを解除し、トリオンの全身のバネを使って、残骸と化しつつあるギガントへと向かって投擲の構えを見せた。
『ひっ……!? な、何を……やめろ、准尉!! 僕を殺す気か!!』
リュオンの悲鳴が通信機を割る。が、既にモーションに入った鋼の巨人は止まらない。
彼の視界を塞ぐように飛来する巨大な鉄板。自分を押し潰さんと迫るそれに、リュオンは再び死を覚悟したかもしれない。
だが、慣性の法則に従って真っすぐ飛翔したかに見えた巨大な壁は、その重量ゆえにすぐに重力に引っ張られる。投げ飛ばされたタワーシールドは、リュオンの機体の真上を飛び越え、女王蟻が潜む泥濘とのちょうど中間、物理的な境界線を描くように、深く地面に突き刺さった。
地面を揺らす衝撃で、トリオンの右脚部がついに悲鳴を上げ、バランスを崩して膝をつく。だが、姿勢を崩しながらも、火器管制のロックは外さない。
「お前はそこで、指をくわえて見てな……これが、“仕事”だ。“ドルフィン”、Silence-Break《攻撃開始》」
姿勢を崩したまま、両腿のマイクロミサイルポッドを解放した。六つの噴射煙が、盾の向こう側へと回り込んでいく。
直後、タワーシールドの向こう側で、凄まじい爆発が連鎖した。突き刺さった盾が爆風を強引にはね除け、ギガントを守る唯一の壁となる。もし盾がなければ、至近距離の衝撃と女王の甲殻の破片が、彼を肉片に変えていただろう。
その代償として、無理な投擲と反動に耐えきれなかった俺の右脚アクチュエータが、ついに火花を散らしてロックされた。体制を崩し機体が片膝をつくが、火器管制の“撃破完了”の文字が網膜に浮かぶ。
爆煙が晴れるとともに、それまで一つの巨大な意志として動いていた黒い波が、一気に瓦解した。
中核を失った働き蟻たちは、もはや目の前の獲物を解体する目的すら忘れ、機体の隙間から這い出ると、本能のままに四方へと散っていく。ミルメコレオに指示を出していた神官も、引き際を悟ったのか、いつの間にか姿を消してしまっていた。
通信機から漏れるのは、もはや言葉にならない震え声だけだ。命は助かった。だが、彼がこれまで積み上げてきた“無敵のエース”という虚像は、この荒野の泥の中に、修復不可能な形で埋没したことだろう。全てが遅すぎた。そんなものは、さっさと犬の餌にでもしてしまえばよかったのに。
再度、通信を公用回線を経由し、こちらからリルに話しかける。無論、リュオンに聞かせるためだ。
「こちら“ドルフィン”。“ノーチラス”、聞こえているな? 周辺の熱源反応の消失を確認。迎えに来てくれ。さすがに無理をさせすぎた」
『了解しました。“ハンマーヘッド”はどうされますか』
俺は一度も振り返ることなく、ロックされた右脚を強引に引きずるようにして、トリオンを反転させた。
「知ってるだろ、足回りの調子が悪い。無理に引っ張って、途中で俺の脚がもげたら誰が責任を取ってくれるんだ? もちろん放置だ。救援部隊が来るまで、そこで大人しくしていてもらえ」
『放置……!? 待てよ、行くな、行かないでくれ!! こんな状態で、僕を一人にするなよ!!』
必死に縋り付く声を、俺はノイズ混じりの吐息で遮った。
「断る。少尉、お前がここで死にかけたのは、運が悪かったからじゃない。戦場を自分の全能感を満たすための遊び場だと勘違いしていたからだ」
夕闇が迫る中、俺は二度と振り返らなかった。
「ここは命を奪い合う場所だ。遊び半分の子供は邪魔なだけなんだよ。たとえそれが、エースの撃墜王だったとしてもな。次は“たまたま”野暮用を思い出してやれるかどうかは分からん。生きるか死ぬかは、お前の身の振り方次第だ。次はもう少しだけ大人になってから戦場に来ることだ。そこで頭を冷やしてから帰ってこい」
絶句するリュオンを置き去りにして、俺は戦域を離脱した。自分の仕掛けた毒で、自分を救うはずだった男の背中を見送るしかない。その屈辱こそが、彼にとって学びになると良いのだが。
「さて、帰ったら報告書と始末書を書かなきゃならんな。やれやれ、これも仕事のうちか。“ドルフィン”、Din-Out《作戦終了》だ」
荒野に、トリオンの歪な足音が響く。それは、ただ今日という一日を生き延びた男の、地に足のついた足音であった。
翌日。第13整備ドックの熱気は、相変わらず硝煙とグリスの臭いに満ちていた。
俺は、修理が完了したトリオンの最終チェックを終え、軽快な足取りでラダーを降りる。新しい脚部アクチュエータは快調だ。整備班には無理を言ったが、それに見合うだけの信頼を、俺はこの鉄の塊に預けている。
そこへ、リルが珍しく慌てた様子で駆け寄ってきた。彼女が空中に投影したホログラムには、リュオンの機体の脚部アクチュエータが赤く点滅している。
「准尉、理解不能な事象が継続しています。リュオン少尉が現在行っている作業は、機体の機動指数を八・二パーセント低下させ、かつ次回の戦闘における生存率を五・五パーセント損なうものです。これは……自壊プログラムの一種でしょうか?」
「お前、何を言ってるんだ?」
これまた珍しく、堰を切ったようにまくしたててくる。彼女にとって、よほど受け入れ難い出来事が起きているらしい。
ふと視線を向けると、ドックの隅でギガントが不自然なほど静かに佇んでいた。そこにあったのは、昨日あれほどの醜態をさらしたとは思えないほど、黙々と作業に没頭するリュオンの背中。彼は以前のように椅子にふんぞり返ることもなく、地べたに膝をつき、自分の機体の右脚部と向き合っている。装甲は全て真新しいものに交換されているようだ。内部にもかなり手を入れて調整を施しているらしい。
通り過ぎざま、俺の目はその右脚に釘付けになった。
彼のギガント・バーサーカーには、およそ不釣り合いな鈍い銀色が組み込まれていた。それは、新品の純正パーツではない。かつて俺に押し付けたジャンクと同型の、旧式アクチュエータだ。
だが、何かがおかしい。ヴォルフ鉄鋼製のフレームと、スワスチム重工製のシリンダ。本来ならボルト一本、プラグ一個として規格が合うはずのない代物だ。それなのに、その異物は、まるで最初からそこにあったかのように、設計思想を執念という名のヤスリで削り落としたかのような適合精度で、ギガントの脚部に食い込んでいる。
よく見れば、フレームの接合部には手作業で削り出された形跡のある、無骨なバイパス・アダプタが噛まされていた。配線も、ヴォルフ標準のプロトコルを無視し、制御基板へ直接割り込ませたような“野良”の工作跡が見て取れる。
どう見ても、整備班の連中の仕事じゃない。奴らなら、こんな軍規違反の魔改造に手を貸すはずがないからだ。
「少尉。その右脚、自分で組んだのか」
俺の問いに、ウェスを動かすリュオンの手がわずかに止まった。振り向きもせず、気まずそうな声が返ってくる。
「……さあね。僕は補給部が持ってきたゴミを、適当に放り込んだだけだよ」
嘘をつけ。規格の違う“毒”を、自作の回路と削り出しのジョイントで黙らせ、無理やり自分の脚に繋ぎ変える。そんな真似ができるのは、よほど泥臭い現場で鉄を叩き、マシンの悲鳴を指先で殺してきた経験がある奴だけだ。
その改造は、かつてのような虚栄心から来るものではないことなど、一目瞭然である。彼は自分がやったことを忘れないため、つまり自らを律し戒めるために、あえてこのパーツを組み込んだのだろう。無論、俺の機体に取り付けた不良品とは異なり、完全に整備済みの中古品であろうことは、駆動音を聞けば明らかである。
なるほどな、と頷く。こいつはただのやんちゃ坊主というわけではないらしい。このお坊ちゃんは、一体どこでそんな“隠し芸”を身につけやがったのやら。
俺は、その見え透いた嘘を追求することはせず、いい脚になったな、と心からの賛辞を贈る。ただ、目の前の男がプロの門を叩いたことに対する、俺なりの挨拶だった。
リュオンは一瞬だけ肩を震わせたが、そのまま姿勢ひとつ変えずにぶっきらぼうな声で返事をした。
「……フン。これしか予備がなかっただけだよ。文句があるなら、補給部に言え」
「そうか。なら、その脚が悲鳴を上げる前に、次は俺が道を作ってやる。お前は”自分の足”で、確実に敵の急所をブチ抜いてくれ」
彼の声に以前のような冷笑はない。代わりに旧式のアクチュエータが、重苦しくも力強い駆動音を上げる。俺は小さく鼻で笑い、そのまま踵を返した。リルはまだ、注意深くリュオンの作業に見入っている。
「という事らしい。分かったか」
「理解不能です。論理的ではありません。ですが准尉、この事象は興味深いです。解析の価値があります。もう少し、観察していこうと思います」
「そうか。理解できるといいな」
短く答え、今度こそドックを後にする。彼女は相変わらず無表情に、リュオンの背中と彼が削り出したバイパス・アダプタを、多角的にスキャンし続けていた。
背後で、再びグラインダーの火花が散る音が響く。その規則正しいリズムは、昨日までの虚栄心に満ちた叫びよりも、ずっと深く、俺の耳の奥に刻まれた。
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰、か……ふん、くだらねえ」
誰に聞かせるともなく、そんな言葉が口をついて出た。頬をかすめる風が、わずかに口角を持ち上げる。
この残酷で、油臭い戦場という場所で。また一つ、簡単には壊れそうにない魂を見つけることができた。その事実に、自分でも驚くほどの安堵を覚えながら、俺はもう振り返ることなく、泥を蹴って歩き出した。
あいつの右脚が、次にどんな音を奏でるのか。それを確かめるためだけでも、明日という退屈な一日を生き抜く理由としては、十分すぎるくらいであった。




