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Bloody Bless  作者: 館長さん
第1章:北方第6前線基地編

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第5話:みんな笛の音についていった⑤

『シービースト各機へ。東方の漆黒機、加速。こちらに来ます』


 リルの警告と同時に、奴が動いた。


 重力を、そして慣性を嘲笑うような、爆発的な初動。遠くにいたはずの影が、次の瞬間にはジグザグの軌跡を描いて砂原を駆けている。デザートホーク小隊が放つ機関砲の弾幕が、奴の残像さえ捉えられずに、虚しく背後の大地を耕す。


 障害となる皇獣(おうじゅう)を回避することもなく、ただの石ころのように踏みつけ、奴は最短距離で俺を目指してくる。その右腕には、初めて遭遇したときに俺が折ったシェパーズ・クルーク(羊飼いの杖)の代わりに、無骨で巨大な解体用クロー――“シェパーズ・シザース(毛刈りの鋏)”が繋がれていた。


「よお、久しぶりだな。楽しそうじゃねえか。美味そうな獲物でも見つけたかい? 悪いが、こっちは取り込み中だ。後にしてくれ!」


 トリガーを引き絞り、俺は迷わず脚部の三連装マイクロミサイルポッドを全弾開放した。


 放たれた噴進弾が尾を引いて漆黒の影へ殺到する。回避不能の至近距離。砂塵と火炎が奴を飲み込み、視界は瞬時に白濁した熱波に塗り潰された。


『准尉、右から来ます』


 リルの声が、鼓膜の奥で爆発音を追い越した。


 爆煙が晴れるよりも速く、熱波を突き破って巨大な鉄の爪――“シェパーズ・シザース”が、獲物を狙う大蛇のように躍り出る。


「――っ!」


 反射的に操縦桿を倒し込み、シールドを右側面へ叩きつける。


 大気を震わせる硬質な衝突。盾の表面を掠めるはずのクローが、逃がすまいと装甲の縁に食らいつく。コクピットが激しく揺れ、トリオンの全質量が強引に引き寄せられる衝撃が背骨を突き抜けた。


 引き裂かれた煙の向こう側、奴の頭部を埋めるいくつもの黒いセンサー眼が、個別に焦点を合わせるかのように不揃いに向きを変えた。直撃したはずのミサイルの爆風を浴びながら、漆黒の巨躯は歓喜を堪えきれない子供のように小さく上体を揺らしている。


 だが、衝撃が皆無だったわけではない。爆炎に焼かれた強固な装甲の継ぎ目から、焦げ付いた赤黒い筋肉の繊維のようなものが覗き、生き物のようにのたうち回っていた。


 それが、網膜投影のノイズが走るほどの速度で外殻の傷を塞ぎ、瞬く間に何事もなかったかのような滑らかな漆黒の“肌”へと戻っていく。直撃の痕跡は、もはやどこにも見当たらない。


「相変わらずの化け物っぷりだな、畜生!」


 悪態を吐きながら、左腕の油圧を最大値まで引き上げる。


 だが、大鋏の握力は、盾の衝撃吸収機構を紙細工のように押し潰していく。強化合金が内側からひしゃげ、高圧で噴き出した冷却剤が、断末魔のような白い蒸気を上げて視界を遮った。


 力比べでは勝負にならない。俺はあえてシールドの固定クランプを強制解除した。


 食いついたクローごと盾を放り出す反動を利用し、機体を鋭く反転させる。右腕に懸架したカットラスを、装甲の継ぎ目を狙って全トルクを乗せて叩きつけた。黒い装甲の破片が割れ、弾け飛ぶ。


 手応えは、やはり重く、ねっとりと湿っていた。だが、俺はその感触に構うことなく、即座にギアをリバースへ叩き込む。こいつを相手に深追いすることは、死に直結するからだ。


 高速回転を始めた踵部の大型車輪が岩盤を削り、トリオンの巨躯を力ずくで後方へ引き戻す。一瞬遅れて、直前まで俺がいた空間を“シェパーズ・シザース”の巨大な爪が、大気が唸る程の速度で薙ぎ払った。


 一瞬の隙、それをリュオンの戦闘センスは見逃さない。視界の端、背部の大型バーニアが砂塵を焼き、一筋の閃光となったギガントが、“羊飼い”の側面に肉薄するのが見えた。


『おい“ドルフィン”、独り占めはナシだぜ! こいつを落とせば、俺が正真正銘のエースだ!』


 リュオンが右腕のストライクパイルを撃ち放つ。だが、“羊飼い”は正面の俺を見据えたまま、視線すら動かさない。


 衝突の直前、漆黒の機体が、重力を無視したような緩急で右脚を跳ね上げた。鋭い爪先がパイルの先端を正確に叩き、その軌道をわずかに逸らす。衝撃波が砂塵を巻き上げ、リュオンの渾身の一撃は虚しく俺の横を通り抜けていった。


『この……ちょこまかと!』


 突き抜ける勢いを殺しきれず、リュオンの機体が大きく揺らぐ。


 その隙を突こうと、周囲の闇からブラックドッグの群れが一斉に牙を剥いて跳躍した。


「“ハンマーヘッド”、下がれ! デザートホーク各機、支援を頼む! 狂犬は引き受けてやるから、代わりにこっちに皇獣(おうじゅう)を近づけないでくれ!」


 こちらの意図を即座に汲み取り、後方に陣取ったデザートホーク小隊の四機が、一斉に機関砲の火を噴いた。網目のように夜空を覆う曳光弾が、リュオンに迫った獣の肉を容赦なく削ぎ落としていく。

 

 リルはクローディアの傍らで、無数の情報を処理し続けているのだろう。その声には、静かな危機感が混じっていた。


CCC-1(第1戦術管制室)へ増援要請、送信完了。周辺の余裕のある部隊は、順次こちらへ集結。シービースト各機に警告、敵機の駆動効率がさらに上昇しています。遊びは終わりのようです』


 リルの予測を裏付けるように、奴の動きがさらに変質した。


 重しを捨て、本来の軽快なバランスを取り戻したトリオンの駆動系が、俺の指先の操作に鋭敏に反応する。武装は右手のカットラス一本。だが、今の俺には、奴の初動を見切って滑るための身軽さを手に入れていた。


 “羊飼い”が、地を這うような低姿勢から、爆発的な踏み込みを見せる。狙いは、依然として俺だ。左腕の巨大なシザースが、俺の胴体を両断せんと鎌首をもたげた。


 俺はスロットルレバーを繊細に引き絞り、駆動伝達用のギアを一速へ叩き込んだ。電子制御のフィルターを持たない安物の量産機だ、車輪が砂原を削る生の摩擦抵抗が、操縦桿を押し返す凶暴な油圧となって両腕に跳ね返ってくる。


 だが、この機化人サイボーグの指先なら、その微細な振動から路面のグリップ限界をミリ単位で感知することが可能だ。足裏のスパイクの食い込みが、手元のレバーを通じて自分の肉体のように連動していく。


 円を描くような最小限の滑走。鼻先を掠める距離で、巨大なハサミが虚空を噛み切り、摩擦熱を帯びた風がコクピットの装甲を叩いた。


「悪いが、そう何度も同じ手は食わんぞ」


 バックハンドの構えから、弾かれるような横薙ぎ。クローが左から右へと激しく振り抜かれる瞬間、俺はバックダッシュではなく、あえて前進を選択した。


 重心を限界まで低くし、機体を右に傾けながら、まずは奴の刃が届かない左脇のデッドスペースへと滑り込む。通り抜けざま、頭上を通過した巨大な刃の根元が、トリオンの左肩装甲を紙のように切り裂き、新たな警告音が騒ぎ立てた。


「この……!」


 浅いが、確実に削られている。だが、大振りの一撃を放った奴の姿勢は、右腕を振り切った前傾姿勢だ。


 すれ違い走り抜けると見せかけつつ、俺はレバーを逆に引き絞り、車輪の回転を力ずくでロック。許容負荷を超えた車軸から、金属が焼き付くような凶暴な震動が操縦桿へと跳ね返る。


 火花を散らすほどの制動で強引に進路を曲げ、前に突き出された奴の右肩の死角へと、鋭角に踏み込み直す!


 大鋏を振り切った奴の右肩関節は、今、完全にがら空きだ。肉薄する衝撃のまま、右手のカットラスをその無防備な隙間へと叩き込んだ。金属同士が交差し鋭い音を立て、鈍い衝撃が義肢を通じて脳を揺さぶる。


 だが奴は、片腕が伸び切ったその不自然な体勢のまま、乾いた赤い土を力ずくで踏みしめ、爆発的な蹴りを繰り出してきた。側面から叩き込まれた鉄の質量が、トリオンの脇腹を容赦なく捉える。


 凄絶な衝撃。渾身の一撃を強引に相殺され、俺の機体は砂を巻き上げながら後退を余儀なくされた。


 強い。分かってはいたつもりだが、かなりの強さだ。機体性能ももちろんでたらめだが、それ以上に噛み付いたら決して離さない猟犬や蛇のような、執念や執着とも言える勢いが、奴の行動に度を越した思い切りの良さを与えているように感じる。


 しかし、そんな“羊飼い”だけでも厄介だというのに、そこへリルの報告が追い打ちをかけた。


『警告。戦域情報に異常な熱源反応を多数検知。後方、“イーグル”および“ファルコン”、通信途絶。外周警戒網、突破されました』


「何だと!?」


 回避の合間に後方を確認する。そこには、俺たちが“羊飼い”と切り結んでいる隙を突き、音もなく闇に滑り込んできた漆黒の影があった。


 大型のブラックドッグを駆る神官たち。奴らはスワスチムの防衛ラインを力ずくでこじ開け、最短距離でリルのトリオンへと殺到している。連中は、まだあきらめていなかったらしい。


 デザートホーク小隊の機体は、撃破こそされていない。だが、神官たちの精緻な一撃によって武装を破壊され、あるいは駆動系を焼かれ、砂原に膝を突いていた。生きながらにして、戦力外へと追いやられたのだ。


『目標、S-04 Little Lady 0675。確保まで、残り六十秒。敵の狙いは私です』


 リルの声には、何の感情も混じっていない。だが、マップ上に表示された赤い輝点が、一斉に彼女を中心とした円を縮めていく光景は、どんな叫び声よりも正確に危機の到来を告げていた。


 “羊飼い”が愉しげにシザースを打ち鳴らす。奴にとって、ヘアツゥの神官が何を企み、皇獣(おうじゅう)が誰を狙おうが知ったことではないのだ。


 ただ、目の前の俺という玩具から伝わる、装甲を噛み砕き、骨を軋ませるその凄絶な手応えだけが、奴の飢えた神経を焼き尽くす唯一の報酬とでも言わんばかりだ。その狂気的な執着だけが、鉄の爪の震動となってダイレクトに伝わってきた。

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