第1話:オオカミが来たぞ②
陸上輸送艦ペレグリンのハッチが開くと同時に、乾いた熱気が流れ込んで来る。基地のドックは、不快なほどの活気に包まれていた。機体を降りた俺を待っていたのは、見ず知らずの兵士たちの喝采と、整備兵たちの興奮した怒鳴り声だ。“羊飼い”を追い返した。たったそれだけの事実が、尾ひれをつけてこの閉鎖的な基地を駆け巡っているらしい。
ボコボコにされた身としては、素直に喜べない。右腕の感覚を思い出す。油圧マニピュレータがひしゃげたあの瞬間、俺は明確に敗北していた。奴が勝手に遊びを切り上げなければ、俺は今頃、荒野の砂塵の一部になっていたはずだ。
「准尉、聞いているのか」
背後から飛んできたのは、歓迎とは真逆の刺々しい声だった。長い栗色の髪を束ねた女性が、険しい表情で追ってくる。クローディア中尉だ。その手にある端末には、俺の処遇を決めるための罪状が並んでいるのだろう。
命令無視に通信拒否、到着予定時刻からの大幅遅刻に勝手なMAの使用もか。規律を重んじる彼女からすれば、俺は平穏を乱す疫病神そのものに違いない。否定はしない。お行儀のいい兵士なら、そもそも“問題児の墓場”なんて呼ばれている北の果てに左遷されたりはしないのだから。
小柄な少女型のアンドロイド・リルは、その後ろで無感情な目をこちらに向けていた。言いたいことは中尉が全部話しました、と言わんばかりだ。口ほどにものを言うのは、どうやら人間の目だけではないらしい。
少し離れた場所では、金髪の青年・リュオン少尉が愛機ギガントの脚部に背を預けていた。あれはあれでパワーと耐久性に優れた、トリオンに決して劣ることのない名機だ。見た所、武装は大型の釘打ち機に、細長い釘のような弾体を撃ち出すニードルガン。背部には、大型バーニアが増設されており、一気に皇獣へ接近し皇核胞への一撃必殺を狙う、狂気にも似た殺意が見え隠れしている。悪くないコンセプトだ、嫌いじゃない。
その持ち主はといえば、あからさまな不機嫌を隠そうともせず、こちらを睨みつけている。その眼には、獲物を横取りされたことへの苛立ちと、得体の知れない嫉妬が混じっているようだった。
喧噪から逃げるようにエレベータに乗り込む。閉まる扉の隙間から、まだお祭りムードで騒いでいる息苦しさを伴うドックの様子がちらりと見えた。
北方第6前線基地、司令執務室。分厚い防爆扉の先に広がるその空間は、つい数十分前まで俺がいた泥と爆炎の戦場とは、まるで別の惑星かというほどに雰囲気がかけ離れていた。
北側を向いたこの部屋の大窓には、昼間であろうと直接日が差すことは無いようで、少し寒々しく感じる。その代わり、眼下に広がる基地の様子、赤い土の荒野、国境の向こうにそびえるヘアツゥ司教国の山岳地帯、これらを一望できる作りはなかなかに圧巻だ。
「君がイル・カーン准尉か」
部屋の主、エドムント少将は、窓の外を眺めたまま落ち着きのある声をかけてきた。振り返ったその顔には、絵に描いたような慈愛に満ちた微笑。この男が、兵士たちに死ねと命じる最高責任者だとは、すぐには信じ難い。
「災難だったね、着任早々あんな怪物に遭遇するとは。だが、おかげで救われた命がある。我が基地へようこそ。君のような現場で判断できる兵士こそ、今の私には必要なのだ。期待しているよ」
差し出された白手袋の手。懲罰、あるいは厳しい叱責を覚悟していた俺は、拍子抜けしてしまう。
この男は、俺が命令を無視したことも、機体を大破させたことも、すべてを善意という名のオブラートで包み隠し、飲み込んでしまったのだ。
「恐縮です、閣下」
握り返した手は、温かかった。そして何より、力強く、迷いが無かった。
エドムント少将はそのまま、ゆっくりと窓際へ歩み寄り、砂塵に霞む荒野を見下ろす。
「かつて、この星には人間という種が一つしか存在しなかった時代があったという。彼らの文明は我々と比べるまでもなく脆弱だったが、間違いなくこの地球で唯一の主であり、万物の霊長だった。だが、今はどうだ?」
少将の視線が、より遠く、国境のさらに向こうに広がる山岳地帯に吸い込まれた。
万物の霊長……旧時代に生きたと言われている、旧人類の話だろうか。俺は黙って耳を傾ける。
「頂点の座は、今や空席だ。我ら機化人、皇獣の血を啜る神徒、そして人の形を捨てた獣人ども……三つの人類を騙る者が、たった一つの“玉座”を醜く奪い合うこと、六百二十年。互いを出来損ないと罵り、その存在を消し去ることでしか、自らの掲げる正論を証明できない。救いのない椅子取りゲームは、まだ続いていくのだろう」
少将は一度言葉を切ると、慈愛に満ちた、しかしどこか底の知れない微笑みをこちらへ向けた。思わず背筋が伸びる。
「だが、私は信じているよ。いつかこの不毛な争いに終止符を打ち、誰もが本来あるべき“故郷”へ帰れる日が来ることをね」
理想を語る男の熱が、握手を交わした俺の右手に残り続けているような気がした。
この男が基地を取り仕切っている限り、この基地は易々と陥落することはないだろう。そんな希望さえ湧き上がって来る。胸元に並ぶ略綬の数を数えるまでもなく、ただ者ではないと俺は直感した。あまり軍人らしくもないな、とも。
いや、初っ端から命令違反をやらかした俺に言えた義理もないのだが。
笑顔を絶やさない彼に見送られて司令室を出ると、廊下にはヴァレンタイン・クローディア中尉が待っていた。彼女は安堵を隠しきれない様子で、手元の端末を見つめながら小さく吐息を漏らす。
「信じられないな。閣下はお前の独断専行を不問にすると決定された。それどころか、初陣の功績として正式に受理された。准尉、前世でどんな徳を積んだのだ?」
彼女の言葉が、耳の奥でノイズのように弾けた。どうやら既に俺の処遇については、小隊長殿の元へ届いていたらしい。呆れた声色から察するに、よほど俺の行動が気に食わなかったものと見える。
「運が良かっただけさ」
快く思われていないことは承知の上だ。俺はぶっきらぼうに答え、軽く頭を下げて歩き去ろうとする。
ちょうどその時であった。俺の頭部インプラントの通信モジュールが、混線の隙間から“声”を拾い上げたのは。
『こちらデザートマウス小隊、残存機……応答せよ……MAは全損。救助、求む……』
整備チャンネルのノイズに混じるのは、名もなき兵士たちの声。しかし次の瞬間、それはより大きな声によってかき消されてしまった。
『これより外郭エリアに対し、皇獣完全抹消のための広域焼夷弾投下を開始します。該当エリアの残存ユニットは、直ちに退避せよ。繰り返す、直ちに――』
感情を削ぎ落とした、若い女の声。それは救助を促す慈悲ではなく、焼却の邪魔だから退けと命じるシステムの警告音に近い響きだった。
耳を疑う館内放送に、胸が悪くなる。CCCはデザートマウス小隊のことに気がついていないのか。いや、有り得ない。この基地に来たばかりの俺ですら気が付いたのだ。管制室が見落としているなど考えられない。彼らは、デザートマウス小隊は、見捨てられたのだ。
脳裏に人懐っこい笑顔の女の顔がよぎる。俺は首筋に走る不快な寒気を、不具合を起こし始めた人工骨格のせいにして吐き捨てた。
「中尉、今の放送は何だ。聞き間違いか?」
「聞き間違いではない。命令は発令された。十五分後、外郭第4エリアは焼き払われる」
足を止めず、俺は背後のクローディアへ声を投げた。廊下に響く俺の足音は、苛立ちのせいかいつもより硬く、鋭い。
クローディアの声は、ひどく平坦だった。感情を押し殺し、ただ事実の羅列の読み上げに徹しようとしているかのようだ。彼女の顔が、急に無機質な仮面のように見えてきた。
「デザートマウス小隊がまだあそこにいる。お前の部下ではないが、俺たちの同僚だ。何故だ」
「返り討ちに遭ったんだ」
彼女が立ち止まり、俺の背中に鋭い言葉を突き刺した。
「先刻、お前が追い返した“羊飼い”。あの黒い怪物が逃走する際、デザートマウス小隊が追撃を担当した。結果は惨敗、全機大破。まあ、それはよくある事だ。そして、最悪なのはその後。奴の襲撃はただの陽動だったらしい……貴方ね、本当に運が良かったんだから」
俺は眉をひそめ、振り返った。彼女の顔は、防爆灯の赤い光に照らされ、深い影を落としている。
「奴が防衛線をズタズタにした隙を突き、皇獣の主力群が既に第4ゲートの目と鼻の先まで迫っている。わかるか、准尉。今この瞬間、基地の喉元に牙が突き立てられているのだ。デザートマウス小隊を回収するためにゲートを開け続ければ、皇獣どもを居住区に招き入れることなりかねない」
クローディアは一歩踏み出し、まるで自分に言い聞かせるように言葉を継いだ。
「だから、焼くんだ。彼らごと、ゲート前の群れすべてを、な。これは司令部からの命令だ、この基地が生き残るための生存戦略なんだ」
「生存戦略、か。ずいぶん高尚な名前をつけたものだ」
俺は鼻で笑い、再び歩き出した。
「准尉、どこへ行く。命令は待機だ」
「道を作りに行く。お前の言う生存戦略の中に、あいつらの席がなかったみたいだからな」
「待て、お前一人が行ったところで何が変わる? 焼却を五分遅らせれば、みんなが死ぬんだぞ!」
「五分もいらない。知っているか? 道ってのは、誰かが先に歩くから道になるんだよ。中尉殿、お前が守りたいのは“みんな”か? それとも、お偉方が下す”命令”の方か?」
彼女の返答を待たずに立ち去る。俺の歩みは、迷うことなく第13独立整備ドックへと向いていた。背後からクローディアがまだ何かを喚いているが、壊れた受信機のように、その意味を脳が処理することを拒んでいる。
『……デザートマウス……誰か……』
通信モジュールが、再びあの悲痛な声を拾い上げた。軍は焼夷弾によってすべてを焼き払おうとしている。その判断はきっと、正しいのだろう。中尉の言うように、少しの判断の遅れが、基地を壊滅に追い込むなんてことも、よくある事だ。
だが、俺の耳の奥にこびりついた悲痛な声は、そう簡単に消えてはくれない。
ドックの隅には、中古のMAが鎮座していた。先ほど俺が大破させた機体と同じ、標準型のトリオンだ。その全身は、シービースト小隊機の証であるライトブルーに塗られている。
俺に支給された機体に装備されているのは、標準装備のロングソードの代わりに、お気に入りのカットラスとタワーシールドだ。盾の内側にはサブマシンガンがマウントされており、状況に応じて剣と持ち替え可能。両腿のハードポイントには三連装のマイクロミサイルポッドが一基ずつ。外面は十分な仕上がりである。
整備兵たちの姿はない。皆、安全な防爆シェルターの中で、外の地獄が収まるのを待っているはずだ。こんな時にドック内をうろついているのは、余程の馬鹿か、あるいは死にたがりくらいだろう。無論、俺は前者だ。
ハッチへ手をかける。電子化された視界の隅で、焼却開始までのタイマーが非情にカウントを刻む。
残り、十五分。
今すぐゲートを抜ければ、デザートマウス小隊の最終確認座標まで最短ルートで突っ切れるだろう。爆撃開始までにはゲート内へ駆け込めるはずだ――何のトラブルも無ければの話だが。
コクピットハッチを蹴り開け、シートに飛び込む。俺が座った瞬間、人工骨格内のチップと機体側のバイオメトリクス・センサーが近距離無線で同調を開始した。
『個体識別:283-Hs-289。イル・カーン准尉。システム・セーフティ、オール解除。ようこそ、ライダー』
脳内へ直接流れ込むような認証完了の通知音。暗闇だったコクピットに火が入り、三面モニターが外部カメラに接続された。
「さて。お前の前任者が、いい具合にチューニングしてくれていたことを祈るぞ」
レバーを引くと、機体の深部から俺の指先なの感覚へと、わずかなズレが伝わってきた。おそらくは以前この機体に乗っていた誰かが残した、駆動時の妙な粘り。それを、整備班が俺の要求通りに換装した高反応の制御系で、強引に塗りつぶそうとしている。新品のパーツと、前任者の残骸が混ざり合った継ぎ接ぎの鋼鉄。だが、その不協和音こそが中古の量産機の味だ。
左手は操縦桿を握り込み、足元のフットペダルに踵を置く。右の指先はコンソールのトグルスイッチ群の上で、ダンスを開始した。リズミカルに弾けるようなスイッチ音がコクピット内に鳴り響く。慣れた手つきで、一つ、また一つと眠っていたシステムを叩き起こしていく。
ジェネレーター、点火。
姿勢制御、アクティブ。
外部センサー、同期。
火器管制、接続完了。
出力安定、誤差修正。
「システム・オールグリーン……嘘をつけ、ボロ雑巾が」
コンソールに並ぶ無機質な光が、作り物の網膜を白く灼く。
俺は一度だけ、自分の左腕を眺めた。裂けた偽装皮膚の下で、チタン合金のフレームが油圧の脈動を待っている。俺も、この鉄の塊も、誰かにとっての消耗品であることに変わりはない。
脚部アクチュエータが低吟を開始した。床を叩く不快な衝撃。固定クランプを強制排除する金属音。俺は再び、地獄へ戻るためのレバーを引き絞る。機体深部で鋼の心臓が咆哮し、足元から突き上げるような振動が、俺の人工骨格へと伝わってきた。
「シービースト小隊”ドルフィン”、出るぞ」
機体の鈍重さを、俺の反応速度で無理やりねじ伏せる。排熱のスチームをハンガー内に撒き散らし、ライトブルーの巨人が、地獄へ向かって跳躍した。
さて、十五分で間に合うか、それともスナネズミ共々丸焼きになるか。賭けをしようじゃないか。




