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 クラリスは気づくと知らない屋敷の寝台に寝かされていた。

記憶がないことに気付き、とりあえず所持金を確認した。

 医者に診てもらうほどの所持金はなく、しかし何故かネックレスやドレスは高級なものだと想定された。

クラリスは直ぐに金品やドレスを売り、金にした。

しかし、それも時期に尽きてしまうことは安易に想定出来たため、クラリスは働くことにしたが、自分がどこの誰で名前すらわからないこの状況化で雇ってくれるところはない。


 一日一食、最低限の生活をして求人がないか探していたが、その間も記憶が戻ることはなく、脱水症状、栄養失調にて倒れてしまったのだ。

まさか、嫁ぎ先であるファイフ公爵家にいるなど知る由もないのだが。


クラリスを囲むようにして、医師だろうか白衣を着た男と、若そうには見えるが仮面を被り見下ろす男と、それから銀髪、長髪の男が一歩下がってクラリスを見据えている。


「すみません…記憶がありませんので、名も名乗ることが出来ません」

「それは…本当か」


 困惑を滲ませた声がクラリスへ向けられる。

顔半分が覆われた仮面を被ったその男は異様だった。

口元しかわからないが、その男は金髪で少し長めの前髪がセンターで分かれてある。

声からして若いように感じたが、それも定かではない。


「本当です。目を覚ますと、草木に覆われた場所に横たわっておりました。名も分からない為、働きたいのですがなかなか難しいようでした。お金になりそうなものは全て売りました」


 クラリスの生成り色のワンピースはボロボロだった。医師たちは目を合わせ、クラリスを見てから溜息を溢す。


「とにかく、一度診察をしましょう。それから彼女をどうするのか判断するのはクロス様です」

「分かった。診察が終わったら判断する。あと、所持品を確認させてくれ」


 クラリスはポケットから巾着袋を差し出す。

それには硬貨と古い錆びたペンダントのようなものがあった。

クロスはそれを手にして部屋を後にする。

 診察を受けると、やはり記憶喪失という状況になっているようだった。

白髭を生やした医師は、丁寧に状況をクラリスに伝える。


「頭を強く打った場合や、ショックなことがあった場合など、記憶が一時的に喪失する場合がありますね。あなたの記憶がもとに戻るかどうかは正直わかりません。現状、ペンを持ったり、ものの名前を言えたりするので、生活に困ることないでしょう」


 そうですか、とみじかく返事をするクラリスは高い天井を見上げた。

細くやせ細った体を見れば、以前どういう生活をしていたのかはある程度想定できる。


(過去は捨てて今を生きろ!という神のお告げかもしれないわ!)


 この状況でも喪失感はなく、むしろガッツポーズをするクラリスを医師は怪訝そうに見下ろす。

「私からは以上です」

そう答え、医師が退室した。


 入れ替わるように今度はクロスが入ってくる。

仮面を被ったおかしな男だと正直クラリスは思った。

ただ、この男がこの屋敷を仕切っているというのは何となくわかる。

つまり、この男に気に入られたら、ここで働かせてもらえるかもしれないという邪な考えがあった。


感情が読み取れないのはその仮面のせいだけではない。


「極度の栄養失調と脱水症状がみられるようだ。さすがに直ぐにここを出ていけというわけにはいかない。治療が済むまでここにいていい」

「感謝いたします。もしかして、記憶喪失が嘘だと思っていますか」


 クロスの唇が真一文字に結ばれる。

やはり、とクラリスは思った。この男は人を絶対に信用していないと思った。

口調や雰囲気から伝わってくる。


「残念なことに、記憶喪失は本当です。ただ、体に古い痣がいくつもあるのと、これだけ栄養失調だと一般的な環境での生活はしていなかったように思います」

「そうだな、俺もそう思っているよ。最初は君がどこかの貴族から送られてきた刺客かと思ったんだ。今もそれは半々というところだが…―」


 クロスは顎に手をやり、何か考える素振りを見せる。

クラリスは真っ直ぐにクロスを見上げる。その目は、強い意志を感じる。


「できればここで働かせていただけませんか。この通り、記憶もなく、自分がどこの誰かがわからないので採用されないのです」

クロスは深く息を吐いて、どうしたものかと考える。


「君、読み書きは出来るのか」

「はい、できます」

「そうか」


 公爵家では、使用人たちは皆、読み書きのできるある程度の教養があるものだけを採用している。もちろん家柄も重視している。


「ちょうど使用人が二人、家の事情で辞めたばかりだ。人が足りない」

「そうですか!」

先ほどまで澄ました顔で淡々と話していたクラリスの顔が綻ぶ。

笑顔を浮かべると、愛らしい印象を与えた。


「ただし、君が俺を殺そうとしているスパイの可能性も無きにしも非ず、だ。一週間だけ、仮採用とする。まぁ、君が俺を暗殺しようとしたところで返り討ちに合うだけだろう」

「私もそう思います」


 クロスはクラリスが嘘をついているようには見えなかったのだ。

ただし、これはただの勘だ。

そんな勘一つでここに置くわけにはいかない。

もしもクラリスの記憶が戻れば、以前の生活を聞きだすことが出来る。奴隷として少女を買う裏の組織がまだこの領地であるかもしれない。他の領地でもそれは許されないことだ。国に報告するつもりだった。または、使用人に対して人権を無視するような貴族たちがいるかもしれない。

とにかく、クラリスの記憶を失う前の生活を聞きだしたかったのだ。


 とても細く、強い風が吹いたら飛んでいきそうな少女一人、たとえ暗殺されそうになったとしても、彼女が返り討ちにあうだけだろう。


「そうだ、君の名前だが…―」

「はい」

「この袋に古いペンダントがあった。それを見させてもらったが、中に紙切れのようなものがあった。そこにクラリスと書かれてあった。君の名前ではないか」

「…あ、うーん。そうかもしれませんが、全くぴんときませんねぇ。もしかしたら母の名前とか…大事な人の名前かもしれませんし。でも、とりあえずそれでいいです。クラリスで」


 何と軽い返事だと思ったが、とりあえずそう呼ぶことにした。

この名を聞いて、すぐにハリージュ伯爵の長女の名と同じだということを誰も思い浮かばなかった。

それはあまりにも少女が貧相でボロボロだったことと、クロス本人ですら、嫁いでくる女の名を覚えていなかった。興味がなかったのだ。

またどうせ結婚は白紙になり、次のご令嬢が嫁いでくるのだろうと誰もが思っているからハリージュ伯爵家について誰一人として気にかけていなかった。








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