episode1朝
ー応答不要。東、数4。
雑に告げられた言葉に男は顔を顰め手に持ったスプーンを置く。
全く、朝から面倒な事だ。これじゃおちおちと飯も食えやしない。
壁にかけられたローブと剣を取り、口にパンを咥える。もう少し支度を整えたいところだがうかうかとしていられない。
扉を蹴破り足早に目的の場所へと走り出す。
未だ賑わいのない静寂の街を囲うように覆われた、頑丈ですけど更に頑丈にしましたよと言わんばかりの壁をすり抜ける。
「現着。状況を」
辺りを見回し迅速に情報を落とし込み、右耳に着けたピアスを弾く。
一瞬のノイズの後、淡く光り清白な声が応答した。
ー1型が3、2型が1です。間もなくエンゲージ距離。
「了解」
元の明るさに戻ると同時、視界の奥に土埃を舞い散らしこちらへ向かう赤色の巨躯が姿を現す。
目をギラつかせ、辺りの草花を踏み潰し、手に持った斧を、棍棒を振り回しながら走ってくる。明確な敵意を振り撒いて。
男と赤色の巨躯の体格の違いが明確に分かる程の距離まで近付いてきた時、男は腰に提げた剣を抜きその巨躯へと向ける。
「悪いけどこっちは朝飯すら途中なんだ。」
悪態をつき、その剣が鞘に収まったのはそれから数秒後の出来事である。
〜 〜 〜
街に寝覚めが早い者たちが出現し始める朝。外壁近くに駐屯する男は蹴破った扉をせっせと直していた。
あーくそ。元はと言えばこんな朝早くから呼び出してくるやつが悪いわけで。朝飯は途中も途中。スープもどうせ冷めちゃってるよ。
慣れた手つきで扉と呼ぶには怪しいそれをトンテンカンテン打ち付ける。もう何回俺に蹴破られたかも分からないこの扉も蹴られ慣れたもんだろう。もう蹴りすぎて予備の材木すら備蓄するようになってしまった。
立て付けを直し、数分後。不格好にも扉と言える様になったのを見計らうかのように耳元で一瞬のノイズを散らし淡白な声が聞こえる。
ー要応答。朝からごくろうだった。そろそろ交代だ。
もうそんな時間か。街を照らす明かりに目を細める。既に住民達がチラホラと外に出ている。確かにもう朝だ。
痛くもない腰をトントンと叩き俺は駐屯所へ入り、装備を壁にかける。
冷製になってしまっただろうスープ。食べかけの朝食を横目に書類が置かれたテーブルへと向かい、ペンを取る。事後処理と言うやつだ。
ここは街外警備の駐屯所。
この世界を分ける5つの大陸。その中で最も魔法が先進している大陸として名高いエルリア大陸。その中心がここ、ゼントリア魔法国。
3人の《大賢者》と呼ばれる者達が統治するエルリア大陸最大の国である。
魔法は偉大だ。この世界のありとあらゆる場所を漂う”魔力”。その力を行使する法則を編み出し、人の手では決して不可能な事象を現実に可能とする──それが魔法だ。
人類が研鑽し、培い、血のにじむ努力によって”魔法”は、世界に馴染むごく当たり前の、ある事が当然のものとなっていった。人類の祖先、感謝。
そして人類が魔法を浸透させてく上で常軌を逸した功績を遺した者達がいる。
歴史に名を刻むその者達を人類は皆等しく《大賢者》と呼んだ。
謂わば魔法大系の開祖だ。
そんな《大賢者》が建国した国の1つがここ。
調律を司る《水の大賢者》
”ウィルフィー・フォン・ゼントリア”
ゼントリア魔法国。なのである。
ー…要応答。聞こえているか。
「え?あー、すみません。事後処理でボーッとしてました。」
書類に目を通し不備がないことを確認しペンを置く。
すかさず若干心配を滲ませた(勘違いかも)声色に慌てて応答する。
ーふむ。そういえば貴様はそろそろ3ヶ月連続で東の警備だったな。…流石に貴様でも疲れが出た、ということか。
通信越しにペンを走らせる音を乗せ、トーンを変えず業務的とも言える問答も、心配から来るとなれば可愛く聞こえてくるというもの。
「テンナさんが心配なんて珍しい。今日は長杖でも降るんですかね」
冗談めかして通話越しの相手にニヤリと笑みを浮かべる。
─…ふむ。
あ、ダメだ。怖い。…ふむ、怖い。
対面でのやり取りならまだしも、声のみでのやり取りでは相手の表情が見えないから感情の起伏が分かりにくい。判断材料声しかないんだもんね。
わざとらしい咳で場を濁し、事後報告がてらの歓談(?)通信の中で皿に残った冷めた朝食を平らげ、食器を片し、報告書を纏め終える。その間凡そ10分。自分でも思う、驚異的だ。
次の当番の為の準備があらかた終わり交代の刻音が鳴り響く。
ーもう、か。…報告ごくろう。《番人》ユィン。ではまた。
名残惜しそうに聞こえたのは気のせいだろうか。いや気のせいだろう。
俺は身なりを整え、綺麗に整頓された部屋を指差し最終確認する。
ふう。全く、慌ただしかった朝のせいで忙しなく動かざるを得えない今日の始まり。これ以上は何も無いと願いたい。
俺はそっと壊れないように扉を閉めた。