暗黒竜の初勝利!
僕はヴォルグの背中に着地してガッツポーズをする。
レヴニルから受け継いだのがどれも便利な魔法だということが身をもって理解できた。
(こんなすごい魔法があれば無敵じゃん!)
万能感に酔いしれていた僕だが、すぐにそんな自信は吹き飛んでしまう。
「ブグォオオオオオオオオオン!!」
イノシシが目を血走らせ、猛然とした勢いのまま突っ込んできたからだ。
「うわああああっ!? 逃げて逃げて!」
「言われずとも!」
ヴォルグは一目散に逃げ出した。
泉の外周を舞台とした追いかけっこが始まった。
僕はそっと後ろを振り返りイノシシの様子を確認する。
イノシシは怒りに染まった形相で、地面を割り砕くような勢いで突っ込んでくる。
巨体のわりにそのスピードは凄まじく、ヴォルグの本気の走りに肉薄するほどだ。
僕の与えた一撃は、どうやら薄皮一枚を切り裂くだけだったらしい。
すでに血は止まっていて、爆走になんの支障もないらしかった。
「あんまり効いてないっぽい……?」
「ううむ、信仰が足りていないのかもしれません」
ヴォルグが眉間にしわを寄せて言う。
「暗黒竜……スピリット・ドラゴンの強さは信徒の多さに比例します。今の坊ちゃまは、我ら魔狼族しか信徒がおりませぬゆえ……」
「信徒数二十かあ……確かに神様としては心許ないかもね」
「悔しいですがそのとおりです……わたくしも全盛期であれば、あのようなでくの坊など片足で粉砕してやれたのですが」
ヴォルグは心底悔しそうなため息をこぼす。
そんな話をしているうちにも泉をひと周りしそうだ。隅で怯えるスライムたちの姿がまた見えてくる。
僕は再度後ろを確認して、度肝を抜かれることになった。
イノシシとの距離が縮まっていたからだ。もうあと三メートルほどしかない。
「ちょっと!? だんだん追い付かれそうになってるんだけど!?」
「やつの固有スキル『怒りの化身』の効果でしょうな……興奮状態の間は力が増すのです!」
「ほんとだ!? みるみるうちにステータスが上がっていく!?」
各種ステータスの数字がじわじわと増えていき、それに伴いスピードも上がる。
僕が先ほど能力減衰魔法で減らしたはずの守備力でさえ、もう少しで元の数字に戻りそうだった。
イノシシとの距離がどんどんゼロに近付いていく。
三、二、一……〇!
「ブオオオオオオオ!」
「ぐわっ!?」
「ヴォルグ!」
イノシシがヴォルグを弾き飛ばし、僕もろとも空高く打ち上げられる。
そのすぐ下ではイノシシが大口を開けて僕たちを待ち構えていた。ヴォルグは今の一撃で脳震盪を起こしたらしく、まともな回避行動が取れないようだった。
僕は迷わず影を手の形にしてヴォルグを掴み、芝生の方へと投げ飛ばして彼を助けた。
しかしホッと一息ついた次の瞬間には、もう目の前にイノシシの牙が迫っていた。
それは断頭台の刃のように、冷たくぬらりと光っている。
(まずいっ……!)
僕が身構えた、そのときだった。
か細いながらに力強い、大きな声が耳に届いた。
「まけないで! れいん!」
「っ!」
その瞬間、これまで感じたことのない力が僕の中に生まれた。それは一瞬のうちに手足の隅々にまで行き渡り、死の予感に竦みかけていた心を奮い立たせるに十分だった。
「食べられてたまるかあ!」
「グボッッッ!?」
僕は無我夢中で、影の刃を横一文字に振るった。
その一撃はイノシシの牙をあっさりと断ち切り、口を真横に切り裂いた。
傷口からはおびただしい量の血が噴き出し、とうとうイノシシが膝を折った。
噎せ返るような血の臭いがあたりに満ちる。
僕はイノシシと自身の影とを見比べる。
「なんだろう……さっきより力が湧いてくる!」
「す、スライムたちです……」
芝生の中でよたよたと身を起こしたヴォルグが息も絶え絶えに言う。
軽く頭を振って見やるのは、隅で縮こまっていたはずのスライムたちだ。
イノシシに怯えていた彼らは今、僕をまっすぐに見つめている。
そこから感じられるのは確かな信頼で、なんだか薄ら光っているようにも見えて――。
「先ほど申しあげましたとおり、スピリット・ドラゴンの力は信徒の数に比例します。彼らも坊ちゃまを信じる気になったのでしょう」
「ってことは、一気に信徒が三十!?」
つまりさっきの一・五倍の力が揮えるというわけだ。
でも、僕はそれ以上の勇気を感じていた。
だって出会ったばかりのスライムたちが、この僕を信じてみようって気になったってことなんだから。
それはすごく貴重で尊いことだ。こんなにも誰かから力をもらったことはない。
「ォオ……グルォオオオオオオオオ!!」
イノシシが立ち上がり、最後の力を振り絞るようにして僕めがけて突進してくる。
だが、もう僕は恐れない。みんなの期待を背負って戦うだけだ。
影を槍のように細く長く変形させ、イノシシの口めがけて勢いよく放つ。
「僕の山で好き勝手はさせないよ!」
「ブゴッ!?」
影の槍は狙いを違うことなくイノシシの腹に突き刺さり、その心臓を串刺しにした。
イノシシは数度痙攣したあと、よろめくようにして一歩、二歩と進み、僕の目の前で大量の血を吐いてとうとうドスンと倒れ伏してしまう。あとはピクリとも動かなくなった。
僕もその場に尻餅をついて、大きな息を吐く。
「ふう……なんとかなった」
「すごい! すごいよ、れいん!」
そこでスライムたちから大きな歓声が上がった。
彼らはぴょこぴょこと走ってきて、あっという間に僕を取り囲んでわいわい盛り上がりはじめる。スライムがびょんっとジャンプして僕の膝に収まった。
「たすけてくれてありがと、れいん。きみってすっごくつよいんだね!」
「えへへ、どういたしまして」
スライムをもちもちしていると、ヴォルグも重い足取りでやってくる。
しょぼくれた顔で、すっかり尻尾も落ちていた。おかげで僕は肝を冷やすのだ。
「ヴォルグ、大丈夫!? どっか怪我したの!?」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
ヴォルグは僕からそっと目を逸らし、肩を落として言う。
「お役に立てなかったばかりか足を引っ張り、申し訳なく思いまして……」
「なにを言ってるのさ。ヴォルグのアドバイスがなきゃ、僕は今ごろイノシシのお腹の中だよ」
僕ひとりでは、あそこまで的確に魔法を使いこなせなかっただろう。
落ち込むヴォルグの頬を両手で挟んでわしゃわしゃして、その労をねぎらう。
「ありがとう、ヴォルグ。それにきみたちも。僕を信じてくれてありがとう!」
「えへへー」
スライムたちは得意げに笑い、湖にようやく平穏が戻った。
僕はもう一度だけ息を吐き、仕留めたばかりのイノシシを改めて見上げる。
こうなってしまえば恐ろしい魔物ではなく、ただの肉だ。
果たして家畜サイズの豚何匹分だろう。
僕はイノシシの亡骸を指さしてヴォルグに問う。
「これどうしよっか。魔狼族のみんなで食べる?」
「よろしいのですか? きっとみな喜びます!」
そんな僕たちの会話を聞いて、スライムも小首をかしげるような仕草をする。
「ねえねえ、ぼくたちもたべていい?」
「えっ! きみってお肉を食べられるの?」
「スライムは雑食でございます。その気になれば石でも木でも取り込み、吸収することが可能ですぞ」
「はえー。たくましい生態だねえ」
角ウサギや火キツネ、宝石のついたリスまでもが目をキラキラさせる。
どうやらみんな肉食らしい。魔物は見かけによらないものだ。
そんな彼らを見ていると僕もお腹の虫が鳴りはじめた。いつの間にか東の方が茜色に染まりつつある。もう夕暮れが近いようだ。
本当に今日はいろいろあった。
僕は居並ぶみんなを見回してにっこりと笑う。
「それじゃ、みんなでご飯にしよっか」
次回は明日の夕方ごろ更新予定です。
少しでもお気に召しましたら、お気に入り登録や↓の☆☆☆☆☆から評価をよろしくお願いします!