暗黒竜の初陣
そこには大きな湖が広がっていた。
暗黒竜神殿にも泉があるが、その何倍も広い巨大な水源だ。
水も澄み切っていて、平時は野生動物が喉の渇きを癒やすため立ち寄る、静かな場所なのだろうとうかがい知れた。
しかし今そこでは蹂躙と破壊が繰り広げられていた。
「ブルグオオオオオオ!!」
「ぴぎーっ!?」
ドガアッ!
泉のほとりには巨大な怪物がいた。
ヴォルグが言っていた通り、怪物はイノシシそっくりの見た目だ。
しかし僕の知っているイノシシはせいぜい体高一メートルちょっと。
そこで暴れ回っているのは体高五メートルをゆうにしのぐほどの、横にも縦にもデカいバケモノだった。
体毛は黒々していて瞳は血のように赤い。
それがゾウと見まがうような巨大な牙を振りかざし、小さな生き物たちを襲っていたのだ。
周囲の木や岩が巻き添えを食らい、紙細工のようにあっさりと砕け散る。
生き物たちはその猛攻や破片から必死に逃げ回っていた。
角の生えたウサギに、尻尾に炎を宿したキツネ、額に宝石がついたリス……。
そして今、イノシシが前足を叩き付けようとした場所には、ぷるぷる震えて縮こまるライムグリーン色の軟体生物がいて――。
「危ない!」
僕は咄嗟に飛び出し、軟体生物を抱えて転がった。
間一髪、イノシシの足は僕のすぐ側を踏み抜く。
轟音と土埃が襲う中、僕はその子を抱えてイノシシから距離を取った。
「ふう。よかった、怪我はない?」
「ぴぃ……?」
僕の腕の中で、軟体生物はぷるぷると震える。
感触はゼリーのようで体表に張りがあり、体の中に宝石のようなものが浮かんでいた。この子の核の部分なのかもしれない。意外にもほんのり温かく、ずっと抱っこしていたいくらいだ。
間違いなくスライムだろう。
念願叶って会えた子を見つめるうち、僕はなんとなく思い至ることがあった。
「僕を呼んだのはきみかな? もう大丈夫、助けにきたよ」
「っ……!」
その瞬間、スライムがハッと息を呑んだのが分かった。
震えも収まり、しげしげと僕を見つめている……ような気がする。
目がないものだから、そこは僕の予感でしかない。それでも彼(彼女かも?)からはホッとするような気持ちが伝わってきた。
「ブゴオオオオオッッ、ブグッ!?」
「させるものか!」
僕らに追撃を加えようとしたイノシシだが、そこにヴォルグが体当たりを食らわした。
重機のような巨体が勢いよく吹っ飛んで、木々をなぎ倒して砂埃が舞い上がる。
その間に、ほかの小さな生き物たちも慌てて僕の後ろに身を隠した。
「ありがと、ヴォルグ。助かったよ」
「いいえ。まだです」
ヴォルグは険しい顔で僕のそばに来て、上半身を低くして唸る。
「ブォオ……」
砂塵をかき分けるようにして、あのイノシシがのっそりと現れる。
そうして僕らから少し距離を取って立ち止まった。
突然の闖入者に虚を突かれたらしい。それでも相手が小さな子供と魔狼一匹と分かったのか、ニヤリと口角を持ち上げ嗤う。いつでも殺せる。そんな自信が透けて見えた。
あれだけ騒がしかったはずの湖に危うい静寂が落ちる。
睨み合いが続くなか、ヴォルグは忌々しげにつぶやいた。
「やつがこの山に来ているとは……少々厄介ですな」
「あのイノシシを知ってるの?」
「ええ。コラリック・ボアと呼ばれる種族で、やつは向かいの山を縄張りにする群れのボスです」
「よりにもよってボス戦かあ……」
こういうのはもっと弱いモンスターからレベルを上げて、ようやく挑める相手だろう。
それを僕はスライムを守ってボスと戦うわけだ。
(ま、僕は勇者じゃなくて暗黒竜だし。王道ストーリーとはいかないよね)
僕がそんなことを考えていると、抱えたスライムがぷるぷると言う。
「ぼ、ぼくたちね、むこうのおやまであそんでたの。そしたらきゅうに、おそってきて……」
「知らぬうちに奴の縄張りを侵してしまったのだろうな」
「それでここまで逃げてきたんだね」
僕の言葉にスライムはこくこくとうなずく。
だいたいの事情は分かった。僕はイノシシを睨み付けながらヴォルグに告げる。
「やるだけやってみよう。ダメだったらみんなを抱えて猛ダッシュだよ!」
「かしこまりました」
「きみがたたかうの!?」
叫んだスライムだけでなく、小動物らもびっくり仰天といった様子だった。
スライムは僕の腕に巻き付いて懸命に止めようとする。
「むりだよ! きみはにんげんでしょ!? あんなやつにかないっこないよ!」
「人間じゃないよ」
僕はふっと笑って、そんなスライムをそっと地面に下ろす。
不安そうに揺れる彼へ僕は胸を張って宣言した。
「僕は暗黒竜のレインだ。僕の山で弱い者いじめは見過ごせない」
「あ、あんこくりゅう……れいん?」
「くうう! 坊ちゃま、ご立派になられまして……!」
戸惑うスライムたちをよそに、ヴォルグがそっと涙を拭う。
年を取ると涙もろくなるというのは本当みたいだ。
それはそれとして、僕は大きく深呼吸をする。
イノシシとの距離は十メートルあまり。それだけ離れているというのに、無数の小さな針で肌を撫でられているような、そんなぞわぞわが僕の全身を苛んでいた。
これが漫画でよく見た殺気というものなのかもしれない。
少しでも気を抜けば足がすくんで動けなくなりそうだ。
それでも僕はありったけの勇気を振り絞ってイノシシに対峙する。
黙って見ていられない。ただそれだけの理由のために。
先手必勝だ。僕は大きく叫んで右斜め前に跳ぶ。
「行くよ、ヴォルグ! 影よ、来たれ!」
「承知! ワオオオオオオオン!」
軽い目眩と同時、足元から影が立ち上がる。
それを瞬時に鎌の形に変形させて、僕は素早くイノシシめがけて肉薄した。
左側からはほぼ同時、ヴォルグが爪を翳して襲いかかる。
左右からの僕らの猛攻を、しかしイノシシは余裕綽々と受け止めた。
「ブルァア!」
「なっ!?」
ガインッ!
イノシシの体毛が逆立ち、影の鎌とヴォルグの爪を弾き返した。
ハンマーで鉄の鐘を思いっきり殴りつけたときのような反動が僕を襲い、その勢いのまま吹っ飛ばされる。なんとか着地するとヴォルグも同じように並んだ。
ヴォルグは身震いしてから忌々しげに言う。
「やはり一筋縄ではいきませぬな。コラリック・ボアといえば鋼のような体毛で有名でございます。生半可な攻撃では歯が立ちません」
「たしかにすっごく固いかも。なにか手はないのかな」
「そうですな。他の魔法を試してみてはいかがでしょう」
「えっと、他の魔法ってたしか……あっ、そうだ!」
先ほど確認した一覧を思い出し、僕はハッと気付く。
「ブゴオオオオオオオ!」
そんな話をしているうちにイノシシが勢いよく突進してきた。
まるで機関車か砲弾だ。それをギリギリまで引き寄せてから、僕は大きく真上に跳躍してそれをかわす。
狙い通り、イノシシの頭上に躍り出た。
僕は右手を突き出し、使う魔法をイメージする。
そうするとイノシシの体に被るようにして薄らと文字が見えた。
さっき鑑定魔法を使ったときと同じだ。体力、魔力、知力、攻撃力、守備力、すばやさなどの文字が並び、それぞれの横には数字がついている。
これがイノシシのステータスなのだろう。
僕は大きく息を吸い込んで力いっぱいに叫ぶ。
「守備力よ、下がれ!」
ヴオン――!
闇色の波動が右手の平から放出され、イノシシの体に降り注いだ。
能力減衰魔法、つまりはデバフ魔法だ。
その波動を浴びた瞬間、防御力を示す数字が一気に半分くらいまで減少した。反撃に転じるならここしかない。僕は思いっきり身をよじって影の大鎌を振るった。
「たあっ!」
「グルガアアッッ!?」
先ほど弾き飛ばされた影の刃が、とうとうイノシシの背中に突き刺さった。
勢いのままに皮膚を裂き、鮮血が飛び散って地面に真っ赤な花が咲く。
森中に野太い悲鳴が轟いた。
「よし、攻撃が通った!」
「お見事です、坊ちゃま!」
次回は明日の18時10分更新予定です。
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