暗黒竜を呼ぶ声
こうして僕は影操魔法を用い、木を切り倒していった。
使ううちにコツを掴み、複数本を一度に切ることもできるようになった。
ヴォルグも自慢の爪を振るって残った切り株をえぐり取り、地面に空いた大穴を埋めていってくれた。かゆいところに手が届く、素晴らしいフォローだった。
こうして、あっという間にまあまあの広さの土地が確保できた。
木がなくなったことでお日様の光が降り注ぎ、森の中でそこだけぽっかり明るくなる。
足下で揺れる極彩色の花々もなんだか楽しげだ。
「ありがと、ヴォルグ。この調子なら今日だけで畑の土地が確保できそうだよ」
「なにをおっしゃいますやら。坊ちゃまの飲み込みが早いおかげです」
丸太を転がして集めながら、ヴォルグはにこやかに言う。
スローライフの始まりとしては好調なスタートだ。
あまりに順調なものだから、僕はかえって疑問を覚えた。
「でもさ、危ないから入っちゃダメって言われてたけど、この森って暗いだけでなんにもいないじゃん。迷子になっちゃうのを心配してたの?」
「……そうではございません」
ヴォルグは少しだけ眉をひそめ、あたりを見回す。
相変わらずあちこちに気配があるが、小動物らしきものは姿を見せずにいた。
低く声をひそめてヴォルグは続ける。
「このあたりの森には、レヴニル様の傘下にない魔物が棲み着いているのです」
「えっ!? ここってレヴニルの山なんじゃないの!?」
「領土は領土です。ですがレヴニル様が信仰を失い、神殿にこもりきりになってから二百年あまり……次第によそから魔物がやってきて、棲み着くようになりました」
縄張り争いに敗れるなどした魔物たちが、どこかから流れてきたらしい。
力が弱まった暗黒竜ならば恐るるに足らずと思ったのか、彼らはあちこちに巣を作り、山を我が物顔で占拠しているようだ。
「レヴニル様は寛大なお心の持ち主でしたからな。行き場のない者たちを無碍に追い払うのもしのびないからと、そのまま容認していらしたのです」
「レヴニルらしいっていえばらしいかもねえ」
魔物たちが暗黒竜神殿に近付こうとしなかったのも、放置の一因らしい。
そういうわけで、この山は持ち主とよそ者との奇妙な共生関係が長年続いていた。
そんななかに無力な人間である僕がやって来たのだから……そりゃ、森への立ち入りを禁じるだろう。納得である。
「えっ、だったらこんなところで伐採作業なんてしてていいの? 魔物に襲われるんじゃ……」
「なあに、なにかあればわたくしめが対処いたします」
ヴォルグは自信満々に胸を張る。
「それに、このあたりはそこまで危険な種がおりませんからな。せいぜいがスライムや角ウサギなどが関の山かと」
「えっ、スライムがいるの!?」
スライムといえば漫画やゲームでお馴染みのモンスターだ。
その名前を聞いて少年心がくすぐられ、そわそわとあたりを探してしまう。
「それは会ってみたいなあ。僕、レヴニルと魔狼族以外の魔物って見たことないし」
「レヴニル様は唯一無二ですし、我らもなかなかレアな種族なのですが……そうですか、坊ちゃまはスライムごときがよいのですね。あんな毛のない粘体生物のなにがよいのやら……ふんすふんす」
「ええ……いじけないでよ。僕はヴォルグのもふもふが一番好きだよ? ね?」
前足で意味もなく土を掘りはじめるヴォルグのことを、僕はもふもふして慰める。
そんなふうにまったりしていた、そのときだった。
ブルォオオオオオオ!!
耳を劈くような獣の咆哮が、山全体を揺るがした。
その凄まじさにあちこちの木々から鳥たちが飛び立つ。
身を隠していた小動物らも一斉に逃げ出して、あれだけ静かだった山がにわかに慌ただしくなった。
僕は両耳を押さえたままで呆然とする。
「な、なんだったんだろ、今の声……」
「魔物ですな」
ヴォルグは険しい顔をして、北の方角をじっと見つめる。
魔狼族は鼻が利く。数キロ先の木の実の匂いを嗅ぎ分けられるほどだ。
くんくん鼻を鳴らして情報を集めてくれる。
「この臭いは向こうの山に棲まうイノシシでしょう。獲物を追ってこちらまでやって来たようです」
「獲物って……」
今の咆哮は僕がこれまで聞いた中でも群を抜いて恐ろしいものだった。
そんな怪物に、今まさに誰かが襲われているというわけだ。
ヴォルグは周囲を警戒しつつ、僕の背をそっと押す。
「奴はわたくしにも荷が重うございます。早く戻りましょう。巻き込まれてはかないません」
「う、うん……」
促されるまま、神殿へと足を向ける。
君子危うきに近寄らず。ヴォルグの言うとおり、逃げるのが最善手だろう。
だがしかし、僕の足は非常に重かった。一歩、二歩と辛うじて進んだところで、とうとう歩みが止まってしまう。背後のヴォルグが眉をひそめる気配がした。
そんなとき、またも僕の耳に声が届いた。
今度は先ほどの咆哮とは別の、今にもかき消えそうなか細い声だ。
『たすけて……だれか、たすけて!』
それを聞いて僕はいても立ってもいられなくなった。
ハッと顔を上げ、迷わず踵を返す。
「誰かが呼んでる! 行かなくっちゃ!」
「こ、これ! お待ちくだされ、坊ちゃま!」
ヴォルグが止めるのにも構わず、僕は北を目指して走り出した。
とはいえ五歳児の足だ。ぽてぽてとした歩みでは、助けを求める誰かの元まで駆け付けるには、どれだけかかるか分からない……はずだった。
(あ、あれ……体が軽い!? なにこれ早い!)
軽く地面を蹴り付けるだけで、景色があっという間に後ろへ流れていく。
まるで新幹線の車窓だ。張り出す太い根も難なくかわし、枝を掴んで大きくジャンプすることもできる。
これではヴォルグの本気の走りと変わらない。
自分で自分に驚きながら走っていると、ふっと横手から影が現れ併走する。ヴォルグだ。
「坊ちゃまは暗黒竜を継いだのです。当然、その身体能力も上がっております」
「そ、そっか。もう普通の五歳じゃないんだね」
「そのとおりでございます」
ヴォルグはうなずき、じっと僕の目を見つめてくる。
「行くのですね、坊ちゃま」
「……ごめん、ヴォルグ」
僕はその視線から逃げることなく、まっすぐに言う。
自分でもこの行動は不合理だと思う。だがそれでも、気持ちに嘘をつきたくなかった。
「逃げた方がいいのは分かってる。でも、聞こえたんだ。誰かが助けてって言ってる。それを無視して笑ってのんびり暮らせるほど……僕は賢くないみたい」
「それを美徳と呼ぶのですよ、坊ちゃま」
ヴォルグはにっこりと笑ってから前方を睨む。
つり上げた口角からは鋭い牙が覗いていた。
「いいでしょう。坊ちゃまの腕を磨くいい機会でございます。このヴォルグ、どこまでもお付き合いいたしましょう!」
「ありがとう、ヴォルグ! 頼りにしてるよ!」
「もったいなきお言葉にて!」
こうして僕らは全速力で、助けを求める声まで向かった。
ヴォルグの鼻を頼りにするまでもなかった。咆哮と助けを求める声が、それから何度も聞こえてきたからだ。山中に轟音が響き渡るなか、僕らは懸命に音と悲鳴のする方へと駆けた。
やがて木立の向こうに開けた景色が見えてくる。
次回は明日の18時10分更新予定です。
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