暗黒竜の宝探し
慈水竜神殿は、大海のただ中にぽつんと建っている。
白磁のような石材でできた巨大建造物だ。海のただ中に建っているせいか、重く閉ざされた扉は潮水にひどく侵食されていて、あちこちにフジツボや海藻がまとわり付いている。
静謐な空気が漂うその最奥で。
「ぐすん……ぐすん……」
オケアニルはべそをかいていた。
人間の姿ではなく、本来のスピリット・ドラゴンとしての姿だ。
蛇のように細長い体は青い鱗に覆われており、背には羽衣のような薄い羽が生えている。水を司る神としての威容に溢れた出で立ちだ。
それが本気で落ち込んで、本気で嗚咽を漏らしている。
異様な光景を前にして、世話係たちは顔を見合わせてオロオロするばかり。
先日出かけて帰ってきてからずっとこの調子なのだ。オケアニルが悲しむところを、彼らは数百年仕えてきてこれまで見たことがなかった。それゆえ、どんな慰めの言葉を掛けていいか分からずに、そっと見守ることしかできずにいた。
静かな神殿内に、ただ主のすすり泣きだけがこだまする。
(ふんだ……レインのばか……)
宝探しに乗り気だったはずなのに、なぜかレインは怒っていた。
せっかく楽しく遊んでいたのに水を差された。
人魚族に迷惑を掛けるなとかなんとか言っていたが……オケアニルにはよく分からない。
(我氏は悪くないもん……レヴニルの言うとおりにしただけ……だもん)
オケアニルが人間に興味を抱いたきっかけは先代暗黒竜のレヴニルだった。
兄弟でもあり友でもあった暗黒竜は、あの一件が起きる三百年ほど前までは普通に関わりを持っていた。その日もいつものようにふらっと尋ねてきて、とりとめのない話をした。
そこでふと、レヴニルが言ったのだ。
『のう、オケアニルよ。主もたまには外に意識を向けてはどうだろう』
『外……?』
『スピリット・ドラゴン以外と関わりを持てということだ』
『えええ……なんでぇ……?』
オケアニルはげんなりと顔をしかめてみせた。
そのときのオケアニルにとって、自分たち以外の生き物はノイズでしかなかった。
自分と海と、そしてスピリット・ドラゴンたちだけがいれば世界は回るからだ。
『我氏たちは、神……唯一無二で絶対の存在……他の生き物なんて、どうでもいいはず……でしょう?』
『そんなことはない。あいつらは面白いぞ』
レヴニルは声を弾ませて続けた。
『実は近ごろな、人間の友ができたのだ』
『友……? スピリット・ドラゴンが人間と友達……? なにかの冗談……よね?』
『冗談なものか。対等な友人だ』
怪訝な顔をするオケアニルに、レヴニルは堂々とうなずいてみせた。
『彼らは我らとまるで異なる生物だ。思考も寿命もなにもかもが違う。そうしたものたちと接すると新しい発見がある。それがなにより面白いのだよ』
『おもしろい……? よく分かんない……けど』
オケアニルはそっとレヴニルの顔をうかがい見た。
久方ぶりに会う兄弟は、どこか晴れ晴れとした笑みを浮かべていた。何千、何万年の付き合いだというのに、そんな笑顔は初めて見た。
だからこそ、彼にそうした笑みを浮かべさせる存在に興味を覚えた。
『ちょっとだけ、見てみよう……かな……人間ってやつ……を』
こうしてオケアニルは外の世界を覗き見た。
水を司る神たる彼女にとって、世界中のどこにでも自身の分身がいるに等しい。
そうした水たちを通して、様々な人間を観察した。
彼らはオケアニルのまばたきひとつほどの寿命でしかないのに、時に勇敢に、時に臆病に、何かを残すため懸命に生きていた。スピリット・ドラゴンのような強靱さも、海の民ほどの聡明さも持たない半端な存在だというのに、ただただひたむきに生きていた。
それは悠久の時を無為に過ごしてきた彼女にとって、とても新鮮な光景だった。人間たちの軌跡がキラキラと輝いて見え、気付けば夢中になって彼らを観察していた。
次にレヴニルに会ったとき、オケアニルはほくほく笑顔でそのことを報告した。
『人間、見るの……楽しい……かも』
『っ、そうかそうか! 外に興味を持ってもらえてうれしいぞ』
『うん……ちょこまか動いて……短い命でいっぱい足掻いて、かわいい……もっともっと、見たい……かも』
『おや……? のう、オケアニル。我輩が言いたいのはだな、もっと他者への理解を深め、思いやりを持てということでな。決して一線引いた観察などではなく――』
レヴニルがあれこれ言ってきた気がするが、詳しくは覚えていない。それからすぐあの事件が起きてしまい、彼が神殿に引きこもってしまったから、言葉を交わしたのもこれが最後だった。
ともかくそういうわけで、宝探しを企画した。
人間はどうもお宝が大好きらしい。みんな目の色を変えて参加して、オケアニルのことを楽しませてくれた。両者ウィンウィンのイベントのはずなのに……。
(どうして、レインは怒ったんだ……ろ)
これまでもエキドゥニル他、文句を言ってくる者は大勢いた。そのすべてを聞き流し、完全に黙殺してきた。有象無象が何を言おうが気にならなかった。
だけど、レインは別だった。
彼に叱られると、なんだか上手に笑えなくなる。
怒った顔が、まぶたの裏に焼き付いて離れなくなる。
それがどういう理由なのかは分からない。ともかく胸がしくしくと痛んだ。
やりきれない思いを持て余し、祭壇でごろごろと寝返りを打ち続ける。
悲しみは深くて癒えることなく、それを反芻するうちに、オケアニルの中でムクムクとまったく別の感情が芽生えてきた。
(こんなに我氏を傷付けて……レイン、許す……まじ……!)
オケアニルは悪くない。
だったら悪いのはレインだ。そうに決まってる。
彼への怒りがどんどん膨らんで、ぐつぐつと腹の内で煮えていく。
(レインはお宝が必要な……はず。宝探しができなくて、困ってる……はず)
宝を手にして神殿を直すんだと言っていた。
だったら今ごろオケアニルのことを突っぱねて後悔しているかもしれない。
オケアニルは目元を拭ってふふんとほくそ笑む。
「様子を見てやろー……っと。我氏をないがしろにしたこと、おおいに……反省するといいんだ……よ」
そうブツブツつぶやきながら、オケアニルは手近な水瓶を尻尾で引き寄せる。
中を水で満たせば、即席の覗き窓が完成した。これをレインのそばの水と繋げて準備完了。
オケアニルはいそいそと水面を覗き込む。
果たしてそこに映っていたのは――。
『それじゃあこれから……第一回暗黒竜お宝探しを開始しまーーす!』
『『『うおおおおおおおおお!』』』
「は……い?」
自身の企画を丸パクリしてはしゃぐ、レインの姿だった。
◇
海鮮パーティのかたわら、大勢の人々が浜辺に繰り出していた。
彼らは目を皿のようにして砂浜を凝視し、素手で砂をかき分けて何かを探す。そんななか、大きな歓声が上がった。リタだ。黒いカプセルを得意げに掲げ上げる。
「あった! ありました!」
「おめでとう、リタ!」
僕はそっちに向かい、リタからカプセルを受け取った。
つるっと丸い形状はガシャポンのそれに近い。だけど材質は僕の影だ。僕が念じるだけでパカッと開き、中から折りたたまれた紙切れが出てくる。
それを広げると、こっちの世界の文字で三等と書かれていた。
僕はリタへとにっこりと笑いかける。
「おめでとう、三等はカッツォグロのお刺身盛り合わせだよ。たくさん食べてね!」
「ありがとうございます! お父さんたちといただきますね」
「ささ、引き換えはあちらにて」
「はい!」
ヴォルグに案内されて、リタはスキップしながら引換所へと向かう。それを他の人たちもにこやかに見送って、再び彼らも捜索へと戻っていった。
まだまだお宝はたくさん隠してある。存分に探してもらおうじゃないか。
あっ、あそこの魚人さん、ちょっと惜しい。もう少し右を掘れば当たりがあるのにな。
トレジャーハンターたちを観察し、僕はこっそりとほくそ笑む。
「ふふ。これは確かにちょっと楽しいかもね」
そんなふうに和んでいた、そのときだ。背後にドロリとした気配が生じた。
「ちょっと」
「うわっ、びっくりした」
振り返れば、すぐ目の前にオケアニルが立っていた。
完全に目が据わっていて、完全にご機嫌斜めのご様子。おまけに肌を刺すような殺気をビンビンに放っていた。いつものぼけっとした彼女からすると別人だ。まあ、ケンカ別れした直後なんだし当然かも。
(本当に、宝探しで引っ張り出せちゃったよ!)
みんなで楽しみたい半分、思惑半分の賭けだった。
それがどうやら大当たりしたみたいだ。ラッキー!
そんなことはおくびにも出さず、僕はわざとらしく小首をかしげてみせた。
「久しぶり、オケアニル。神殿に引きこもってるって聞いたけど大丈夫?」
「こんなの見せられたら出てくるしかなくなる」
「あ、あはは。ご機嫌斜めみたいだね」
オケアニルが低い声で凄んでくるので、ちょっとだけたじろいでしまう。
いつもの間延びしたしゃべり方はなりを潜め、神様らしい威厳溢れる声色だ。眼光もネレウスさんの比じゃない。深くて暗い海そのものが僕を睨み付けていた。
「っていうか、分霊体より気配が濃いんだけど。まさかきみ、本体?」
「本体の我氏が来て何か問題でもあるの?」
「ありません……」
真顔で詰め寄られて、僕は口元を引き攣らせてかぶりを振るしかない。
でもそうなってくると、この浜辺にスピリット・ドラゴン本体が三柱も集まっていることになるんだけど……全体の半分だよ? 問題どころか、軽い天変地異じゃない? つっこめる空気じゃないけどさ。
「宝探しを開くなんてどういうつもり? まさかとは思うけど我氏への当てつけ?」
「違うって。オケアニルが楽しそうだからやってみたくなっただけだよ」
「……ふうん。そう」
オケアニルはムスッとしたままそっぽを向く。いったん納得してくれたらしい。
それで会話は打ち切りかと思いきや、ぶっきら棒に問うてきた。
「それで、どう。楽しい?」
「うん! すっごく楽しい!」
僕はそれに食い気味に答えてみせた。
番号を書いた紙をあちこちに隠し、それをみんなに見つけてもらう。
僕が主催したのはそんな単純なルールの宝探しだ。それでも仕込んでいる間はワクワクしたし、一喜一憂するみんなの姿を見ているとこっちまで笑顔になった。
「みんなも喜んでくれてるし、いいイベントだね。うちでも恒例行事にしようかなあ」
「それはいいけど……」
オケアニルはちらっと交換所を見やる。
そこではヨハンさんたちがくじと景品を交換してくれていた。
ちょうどリタが紙を差し出して、大皿一杯の刺身を受け取るところだ。
そんな平和な景色を見て、オケアニルは信じられないものでも見るような目をする。
「まさかとは思うけど、魚が報酬?」
「うん。僕が出せるのってそれくらいだし」
これまで得たお宝は、神殿修繕費として貯金しておきたい。
そうなってくると、僕が差し出せるのは食べ物だけだ。幸いにもあれだけの人数で飲み食いしたというのに、神殿地下の氷室にはまだまだ大漁の魚介類が残っている。
大トロだったりふぐだったり、カニだったりウニだったり。
希少で美味しい品を景品にしてみたところ、みんな目の色を変えて参加してくれた。僕だって主催じゃなきゃ本気で取りに行っていたところだ。
オケアニルは意外そうにぽつりと言う。
「あんなのでも、人間は喜ぶんだ」
「『あんなの』って言うけどね、どれもちゃんと美味しいんだよ」
そういえばオケアニルはまだ僕の料理を未体験だ。
一緒にご飯を食べる、いい機会かもしれない。そうすれば腹を割っての話し合いだってきっと可能だろう。僕はにっこり笑って提案してみる。
「いいこと考えた。せっかく来たんだし、オケアニルも参加してみたら?」
「はあ……?」
オケアニルは思いっきり顔をしかめてみせる。
分霊体のときよりずいぶんと表情豊かだ。
今にも舌打ちしそうな辟易とした顔で、僕のことをギロリと睨み付けてくる。
「我氏は食べ物になんか興味ない。やるわけないでしょ」
「まあまあそう言わずに。たまには参加者側に回ってみるのも悪くないよ」
「絶対にいや」
オケアニルは頑なだった。テコでも動かない様子。
押してダメなら引いてみる?
僕はわざとらしい調子でぽんっと手を叩く。
「あ、そうか。負けるのが怖いんだ」
「……はあ?」
それは、さっきの数十倍ドスの利いた『はあ?』だった。
オケアニルの眉が吊り上がり、髪が意志を持った生き物みたいにうねうねと揺らめく。その身から放たれる殺気もすさまじくて、僕はごくりと喉を鳴らすしかない。
それでも僕は笑顔を引き攣らせながら続ける。
「しょ、勝負を放棄するって、つまりはそういうことでしょ? 仕方ないよね、オケアニルはこれまで観客席って安全地帯でぬくぬくしてたんだもの。勝てる気がしないんでしょ」
「舐めないで。こんなくだらないゲーム、居眠りしてたってクリアできる」
「そうなの? それじゃあ参加……する?」
「望むところ。宝探しの心髄、その目に焼き付けさせてあげる」
「はーい! それじゃあ参加者ひと柱、ご案内ーーー!」
こうして殺気全開のオケアニルが宝探しに参加することになった。
怖いのでなるべく顔を見ないようにしつつ、彼女の背中をぐいぐい押して会場まで案内する。
そのついで、簡単なルールを説明しておいた。
「宝探しの範囲は、砂浜と海の中ね。海面にブイが並んでるでしょ? あれが境界線だよ」
「ただ探すだけでいいの?」
「うん。そろそろ宝も少なくなってきてるから、早くした方がいいかも」
たくさん仕込んだはずだけど、引換所に並ぶ人はどんどん増えていっている。
あと十か二十ってところかな。ひとり一個の制限はあれど、参加者が多いから、なくなるのもあっという間だろう。
「一人勝ちでいいじゃない。その方がみんな躍起になって探すのに」
「それじゃあダメだよ。僕はみんなで楽しみたいんだから」
「むう……とことん我はやらない宝探しかも」
オケアニルが難しい顔をした、そのとき。
「はあー!? なんでクソドラゴンがここにいるのよ!」
「あ、エキドゥニル」
心底嫌そうな大声が浜辺に響いた。





