暗黒竜の目標
「のんびり暮らすとは……今となにも変わらないのでは?」
「まったくの別物だよ。今までのはただの山暮らし。これからのは自由気ままなスローライフってやつだよ!」
戸惑い気味のヴォルグに、僕は力強く首を横に振った。
「畑で作物を作ったり、山を探検したり、海で釣りをしたり……それで美味しい料理を作って食べるんだ! そうだよ、なんで考えつかなかったんだろ!」
「おや、食事が足りませんでしたか? ならばもっと集めてまいりますが」
「食事じゃなくて料理だってば! 作るんだよ! 僕の手で!」
僕の食べ物は、ヴォルグたちがどこからか採ってきた木の実や干し肉が中心だった。
栄養バランスはそれなりだが、言ってしまえば素材そのまま。
変化に乏しい味ばかりで、前世の食生活と比べるとどうしても物足りなさを感じていた。
レヴニルや魔狼族のみんなにお世話される立場だから、ぐっと堪えて我慢していたのだ。
だがしかし、今日からの僕は違う。
自分の意志でやるべきことを決め、実行していくのだ!
「どうせなら一から何か作ってもいいかもね。あっ、ラーメンとか久々に食べてみたいかも! オーソドックスな醤油ベースのスープに、チャーシューとメンマにナルトを載せて、つるっとした中華麺を思いっきりすすって……うわあ、考えただけでよだれが出てくるよ!」
「ううむ、坊ちゃまのおっしゃることがひとつたりとも分かりませぬ。『らあめん』とは一体……?」
ヴォルグは難しい顔で考え込んでいたが、やがてにっこりと破顔する。
「ともかくそれだけ熱く語られるということは、それが坊ちゃまの願いなのですな?」
「うん。実はちょっとスローライフに憧れがあったんだよね」
僕は頬をかいて苦笑する。
前世は趣味らしい趣味もなくぽっくり逝ってしまったが、唯一好きなことがあった。
それは田舎暮らしやキャンプの動画をぼーっと見ることだ。
のんびり気ままに、ときに自然と格闘し、ログハウスを作ったり、美味しそうな料理を作ったりする彼らの姿は、すり切れるばかりの僕からはとてもキラキラ輝いて見えた。
いつか自分でもキャンプしたいなあ……と通販サイトでギアを物色したりもしていた。
そんな未知なる世界に挑戦する、絶好の機会が訪れたというわけだ。
「この山なら平和だし、僕の夢が叶うと思うんだ。まあ、神様の後継者になってやることがスローライフっていうのは、ちょっとちっぽけかもしれないけど……」
最後は尻すぼみになりつつも、僕はすこし上目遣いでちらっとヴォルグを見やる。
「それならきっと楽しめると思う。どうかな……ダメ?」
「そんなことはありません。よい考えだと思います」
僕の不安を吹き飛ばすように、ヴォルグは力強くうなずいた。
「侵略行為を勧めてはみたものの、坊ちゃまはまだ五歳。やりたいことをやって、のびのび大きくなるのが一番ですからな。わたくしは坊ちゃまのしたいことを応援いたします」
「っ……ありがとう、ヴォルグ!」
「ふふふ、どういたしまして」
思わずぎゅうっと抱き付くと、ヴォルグはくすぐったそうに笑う。
慣れ親しんだふわふわの毛と人より高めの体温が、僕の体を優しく包み込む。
ちょっと香ばしいお日様の匂いがして、それもひっくるめてヴォルグだ。
赤ちゃんのころからずっと側にいてくれる彼は、やっぱりどんなときでも僕の味方だった。
ヴォルグは感慨深そうにかぶりを振る。
「ええ、ええ。そうしてゆくゆくは暗黒竜の名を世界中に轟かせるような傑物にお育ちくだされば、わたくしはなにも言うことがございません」
「魔王ルートを諦める気は毛頭ないんだね……」
ふかふかから顔を上げ、白い目をヴォルグに向ける。
まあ、大きくなったら僕の気が変わるかもしれない。そのときはヴォルグと一緒に世界を股に掛けてみるのも悪くないだろう。
しかし、今は輝かしいスローライフに向けて突っ走るのみ!
ヴォルグから体を離し、僕はあごに手を当ててやるべきことを整理する。
「まずはこの辺の整備からだね。ここって何もないじゃんか」
「何をおっしゃいます。雨露がしのげる神殿に水場。十分でございましょう」
「それしかないでしょ。だいたい神殿だって屋根が落ちたままだしさ」
「屋根を吹き飛ばしたのは坊ちゃまで……いえ、なんでもございません」
なにか言いたげなヴォルグはスルーに限る。
優先順位を付けて僕はひとまずの方針を打ち出す。
「最初は木を切って土地を広げるよ。それが終わったら畑作りに、神殿の修理に……やることは山積みだけど、ひとつひとつこなしていこっか」
「承知いたしました」
ヴォルグが深々と頭を下げて、他の狼たちもそれに倣う。
なんだかお山の大将になった気分だ。実際そうなんだけど、なんだかドキドキしてしまう。
咳払いをひとつして、僕はあらためて魔狼族みんなの顔を見回す。
「それじゃ誰に仕事を任せようかな。この中で一番力持ちって言ったらヴォルグだけど、ヴォルグひとりだけじゃ大変だしねえ」
「おや? 坊ちゃまが手がけるのではなく?」
それにヴォルグが不思議そうな顔をする。
「やる気ゆえ、てっきりご自分でなさるものとばかり思っておりました」
「僕に木を切れって? 一本切り倒すだけで何日かかると思うのさ」
このあたりの木は軒並み高くて幹も太い。
ここには道具もないし、五歳の細腕ではとうてい太刀打ちできそうもなかった。
しかしヴォルグは意外そうに首を捻る。
「なにをおっしゃいますやら。坊ちゃまは偉大なるレヴニル様から力を受け継がれたのです。不可能などございません」
「そういえばレヴニルもそんなことを言ってたかも……?」
レヴニルと交わした最後の会話を思い返す。
僕にはとてつもない魔法の才能が眠っているとか、そんな話だった。
暗黒竜の力を継承した今となっても、そんな実感はまるでない。
しかしヴォルグはにこやかに提案するのだ。
「木を切るくらいなら簡単でしょう。よろしければ練習がてら、坊ちゃま自ら取り組んでみてはいかがでしょう。面倒だとおっしゃるのなら、わたくしどもで片付けますが」
「うーん……」
手のひらをぐーぱーぐーぱー開いて閉じてと動かしてみる。
ここにどんな力が眠っているのか、確かめてみたくないと言えば嘘になる。
だが同時に不安もよぎる。
「もしも使えなかったら……レヴニルの力をちゃんと受け継げなかったことになるよね。そんなことになったら、僕……」
「そんなことは万に一つもございません」
ヴォルグは自信満々に、前足でどんっと胸を叩く。
「もしも不安でしたら、このヴォルグが力の使い方をご指導いたしましょう。これでも何百年という間、レヴニル様のお側に仕えてまいりましたゆえ、あの方のお力についてわたくし以上に詳しいものはいないと自負しております」
「じゃ、じゃあ……お願いしていいかな?」
「もちろんでございますとも!」
ヴォルグはやけに声を弾ませてうなずいた。
尻尾も大きくぶんぶん振っているし、なんだか張り切っている様子。
僕に頼られるのがよっぽど嬉しいらしい。そんな彼を見ていると、自然と胸のもやもやが晴れていって……僕も思わず笑ってしまった。
「えへへ。これからもよろしくね、ヴォルグ」
「なんなりとお申し付けくださいませ、暗黒竜様」
こうして暗黒竜の後継者となった僕は、庭仕事という偉大な任務に取りかかることになったのだった。
次回は明日の18時10分更新予定です。
明日からは一日一回更新。まったりお付き合いください。
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