暗黒竜の街歩き
窓の外にはシュトラントの街並みが広がっていた。
今通っているのは商店が建ち並ぶ一角らしい。飲食店や衣料品店、金物屋などがずらっと並んでいて、多くの人が行き交っている。誰も彼もが笑顔で、力強い活気に満ちていた。
それだけなら微笑ましい光景だ。
だけど街のそこかしこに……漆黒のドラゴンが飾られていた。旗だったり張りぼての人形だったり。おまけにあちこちから聞こえる声までもがおかしかった。
「暗黒竜まんじゅういかがですかー」
「一家に一枚! 暗黒竜様の写し絵だよー! これがあれば家内安全間違いなしだ!」
「ママー! ぼくもこの、あんこくりゅーさまのなりきりセットがほしいよー!」
「いけません! あっちのお店の方がクオリティが高いわ! あっちになさい!」
竜の焼き型が入ったまんじゅうを売る店。僕の絵を売る店。僕に似た服を売る店。
それらに多くの人々が詰めかけて、バンバン商品が売れていく。
混雑しているせいで馬車が通れず、そんな常軌を逸した光景をまざまざと見せつけられた。
僕は錆び付いた人形みたいなぎぎぎっとした動きで首を回し、ジュールさんに問う。
「……なんですか、これ」
「今、街は一大暗黒竜バブルなのさ」
ジュールさんはごほんと咳払いをして真面目ぶって言う。
だけど口の端には隠しきれない含み笑いが浮かんでいた。
イタズラが成功して面白くてたまらないって顔だ。
もしかして、わざと教えなかったな!?
「暗黒竜の名を借りただけでどんな商品も売れ、暗黒竜を唄った吟遊詩人は一夜にして大金を稼ぎ……暗黒竜が街に降臨めされた日は、街の記念日に制定されたくらいだ」
「あの悪徳司祭はどれだけ恨みを買ってたんですか!?」
「いやあ、お察しの通りらしい。あれと一緒に理不尽な重税も、不合理な決まり事も消えたから、バブルとともに街に活気が出ていいことづくめなんだよ」
「でもなんか完全に……邪教に傾倒したヤバい街みたいになってますけど!? これって大丈夫なんですか!?」
「面白いからいいんじゃないか?」
「そんな軽く!?」
ジュールさんはこう言うけど、教会のもっと偉い人が見たらどう思うかなあ……。
ブームってそんなに長く続かないだろうけど、心配すぎる。
リタたちはニマニマ笑って僕を見やる。
「たしかに、これじゃうかうか外を歩けませんね」
「ははは、レイン様の人徳にも困ったものですねえ」
「どうしてこんなことに……」
僕は小さくなるしかない。
ヴォルグがこの状況を見たらなんて言うかなあ……澄ました顔で『ふん、人間風情がこざかしいことを』とかなんとか言いながらも、めちゃくちゃ尻尾を振りそうだ。
(うう……恥ずかしすぎる……って、あれ?)
そこで馬車はお祭りのような屋台が並ぶ一角に差し掛かった。
木枠の屋台もあれば、簡素な敷布に商品を並べただけの店まであって、まさに玉石混交だ。暗黒竜を模した品もピンキリだった。すっごく精緻なクオリティの絵から、へにゃへにゃのトカゲみたいな粘土細工がごったになって並べられている。
そんな混沌とした店のひとつに、僕は釘付けになってしまった。
ぼんやりと外を眺めていると、リタが不思議そうに尋ねてくる。
「レインくん、どうしたんですか?」
「いや……さっき、小さな石像を売る店があったんだけどさ」
すでにその店は人混みの向こうに隠れてしまっていた。
僕はその方角を見つめたまま、ぽつりと言う。
「その中に、レヴニルに似たのが見えたから。ちょっと懐かしくなっちゃって」
「……先代の暗黒竜様ですか」
「うん」
偶然似ちゃったのか、意図したものなのかは分からないけど。
竜に変身した僕より羽根が大きくて、脚も尻尾も太くて、威容と呼ぶにふさわしい凜とした佇まい……あれは間違いなくレヴニルだった。
(できればもう一度見てみたいなあ。帰りもここを通ってくれるかな)
僕はほのかな期待に胸がぽかぽかと温かくなった。
そんな僕のことを、リタは隣でじっと見つめていた。
やがて馬車は大きな建物へと差し掛かった。
表にはモーガン商会という看板が掛かっていて、多くの人々が出入りしている。その真裏に回ると、途端にひと気がなくなった。どうやら荷物を運び入れる場所らしい。
馬車から降りれば、執事めいた服装の人が待っていた。
「ようこそいらっしゃいました、暗黒竜様。主人にかわって歓迎いたします」
「ご、ご丁寧にどうもです」
折り目正しい挨拶に、僕はそわそわしながら頭を下げる。
赤ん坊のころに捨てられて、先代暗黒竜レヴニルや魔狼族たちと一緒に育ったから、人間社会の儀礼作法なんて全然知らない。もっと適した挨拶の仕方とか、言い回しとかが絶対にあったと思う。
だけど執事さんは少しも小馬鹿にすることなく、僕ににっこりと微笑みかけてくれた。
ジュールさんがそっと説明してくれる。
「ここが宝の買い取りを頼んだ商会だ。ふたつ返事で了承してくれたよ」
「仲介いただいてありがとうございます。どうぞよろしくお願いします!」
「もちろんです。ささ、みなさんどうぞこちらへ。主人も待ちかねております」
執事さんは僕らを建物の中へと誘った。
それに従おうと歩を向けるのだけど……。
「待ってください」
「へ?」
そこでまたリタに引き留められた。リタはにっこりと笑う。
「ねえ、レインくん。おそらく査定まで時間がかかると思うんです」
「そりゃまあ、この量のお宝だしね。それで?」
「だからどうでしょう。その間、街を探索してきては?」
「えええっ!?」
思わぬ提案に、僕は大声を上げてしまう。
おかげで周囲の大人たちが不思議そうに振り返った。
「あの中に僕を放り込んだら大パニック間違いなしだよ!?」
「バレなきゃ大丈夫ですって。ねえ、お父さん」
「ふふ、そうだね。そっと混ざれば分からないはずですよ」
フェリクスさんも面白そうにうなずくばかりだ。
彼の同意を得て、リタはさらに畳みかけてくる。
「先代様の石像をもう一度見てみたいんでしょう? 我慢せず行ってくればいいんですよ」
「……よく分かったね」
「レインくんの考えることなんてお見通しですから」
リタはふふんっと胸を張る。
だけどそこでハッとして、恐る恐るジュールさんのことを伺った。
「えっと……司祭様はどう思いますか」
「ふむ。私が同行すれば問題ないだろう」
それにジュールさんは優しく微笑んでみせた。
みんなの温かい笑顔に囲まれて、僕はおずおずと切り出した。
「そ、それじゃあ……行ってきてもいい?」
「もちろん! 楽しんできてくださいね」
こうして僕のお忍び外出が急遽決まった。
見守っていたセルバンさんが、にこやかに片手を上げる。
「では、リタさんたちには私が付き添いましょう」
「ええっ!?」
今度大声を上げたのはリタとフェリクスさんだった。
まさかの申し出にふたりはオロオロとする。
「で、でも、兵士さんはレインくんと一緒にいたいんじゃ……」
「そうですよ。俺たちのことはおかまいなく」
「大きな取り引きになるかもしれないんですよね? それなら護衛がいた方が安心ですよ」
セルバンさんはそう言ってから、わずかに顔を伏せてぽつりと言う。
「それに……この程度では罪滅ぼしにもなりませんから」
「罪滅ぼし?」
セルバンさんが口にした思わぬ言葉に、僕らはきょとんと目を丸くする。
彼は深く息を吸い込んで、悔恨のにじむ目を伏せて続けた。
「実はあのとき……暗黒竜様と亜人たちの繋がりを、カルコス元司祭に報告したのは俺なんです」
「えっ!?」
どうやらセルバンさんは任務で出かけた際、亜人村に出入りする僕を見かけたらしい。
暗黒竜の動向は逐一報告しろと命令されていた。
その通りにした結果……リタとフェリクスさんが捕まることになったらしい。
セルバンさんはそう説明したあと、リタたちに深々と頭を下げた。
「皆さんが巻き込まれたのは俺のせいです。申し訳ございませんでした。この通り、お詫びいたします」
「でも、セルバンさんは命令されてやっただけですよね?」
「そうですよ。あなたは悪くありません」
「……いいえ。その命令を受け入れたのは自分です」
戸惑う親子に、セルバンさんは伏せた顔を苦々しく歪める。
「俺は自分の立場を守るために、あなた方を売った。その事実は覆りません。本当に……申し訳ないことをしました。どんなことをしてでも償います」
「……どうする、リタ」
「決まっています」
僕がそっとうかがうと、リタは小さくかぶりを振る。
そうしてセルバンさんの肩をそっと叩いてみせた。
「それじゃあ護衛をお願いできますか? それで全部帳消しです」
「っ……はい」
セルバンさんは頭を下げたまま、噛みしめるようにつぶやいた。
そこにフェリクスさんも明るく声を掛ける。
「どうか顔を上げてください。巻き込まれはしましたが、俺も娘も無事です。あなたがそこまで気に病む必要はありませんよ」
「……気遣いいただき感謝します」
セルバンさんはゆっくりと顔を上げる。そこには晴れ晴れとした笑みが浮かんでいた。
「他にもなにか困りごとがあれば、ぜひともお申し付けください。どんなことでも力になりますよ」
「申し出はありがたいんですが……兵士さんが亜人の俺たちなんかを贔屓しちゃ、市民の皆さんが不満を抱くんじゃないですか?」
「なあに、口さがない者たちには言わせておけばいいんですよ。俺は元々東の出身で。あっちはもっと亜人獣人がたくさんいるから、そんなに偏見もないので」
「東ですか! 実は、死んだ妻があっちの出身でして……」
「ほう! それはなんともご縁がありますねえ」
フェリクスさんとセルバンさんの話はにわかに盛り上がる。
そこには種族も立場も関係ない。年の近い、ただの友人同士の会話のように見えた。
リタはその光景を眺めてぽつりとこぼす。
「……人間にも色々いるんですね」
「そりゃそうだよ。神様にも色々いるんだからさ」
「ふふ、それもそうでした」
くすりとリタが笑って、僕もにっこりと笑ってしまう。
門で出会ったチンピラみたいなのもいれば、セルバンさんやヨハンさんみたいなのもいる。
それがこの世界の面白いところなんだろう。それはそれとして、あのチンピラは絶対に許さないけどね!
そこでジュールさんが僕の肩をぽんっと叩いて往来を示す。
「それじゃあ話もまとまったことだし、行くとするか」
「はい。すみません、後のことは頼みますね」
「はあ……」
商会の執事さんはひどく眉をひそめたしかめっ面で、おずおずとうなずいた。
暗黒竜が市街に出るのに不安があるんだろうか。
彼は僕のことをじっと見つめて、低い声で問う。
「ということは……暗黒竜様はいらっしゃらないのですか?」
「すみません。どうか僕のことはおかまいなく」
「いえ、主人が『絶対にサインをもらうんだ!』と楽しみにしておりましたので。いらっしゃらないとなると、ひどく落ち込まれるだろうなあ……と」
「帰りに必ず寄るって伝えてください!」
しょんぼりする執事さんに、僕は慌てて付け加えた。
こうして図らずしもジュールさんと街に繰り出すことになった。
そーっと表通りに出て、多くの人通りに紛れてしまう。誰も彼もがお店の探索やおしゃべりにに夢中で、僕のことなんて気にも掛けちゃいなかった。暗黒竜がこの場にいるなんて思いもしないだろう。
ホッと胸を撫で下ろしつつ、僕はジュールさんの顔を見上げる。
「ありがとうございます、ジュールさん。付き合っていただいて」
「なんのなんの。暇潰しにちょうどいいさ」
ジュールさんはウィンクしたあと、進路上を指し示して豪快に笑う。
「ははは、見てみろ少年。暗黒竜ドリンクだそうだ」
「うわっ。光を通さないくらいの真っ黒ですね」
「いったい何が入っているんだろうね。ちょっと冒険してみるか」
「ええ……絶対やめた方がいいですよ」
僕は渋ったけど、ジュールさんは何故かウキウキで露店に向かっていった。
そうして飲んだ暗黒竜ドリンクは甘くて案外おいしくて、僕らはあれこれ食べ歩きながら露店を冷やかしていった。
前世でも今世でも、こんな大きなお祭りは初めてだ。右も左も暗黒竜な空間はなんだかくすぐったかったけど、ジュールさんとぶらついたからか、素直に楽しむことができた。
(……なんだかデートみたいじゃない?)
そんなことがふと頭をよぎってドキドキしたけど。
ジュールさんは暗黒竜まんじゅうを齧りながら、何気ない調子で尋ねてくる。
「そういえば、少年は今慈水竜の宝探しに参加しているんだって?」
「そのとおりですけど……僕、ジュールさんに報告しましたっけ」
「いんや、独自の情報網だ。オケアニル様とは上手くやってるかい?」
「はい。今は自分の神殿に帰っちゃいましたけど」
どうやら宝探しの二回戦が開催されるのはもう少し先らしい。
準備に注力するとかで、オケアニル(分霊体)は帰ってしまっていた。
帰り際、彼女はいつものゆるーい笑顔で手を振った。
『準備ができたら、呼びに来る……ね』
『うん。楽しみに待ってるよ』
『うふふ……次もレインに期待してる……ね。かわいい……かわいい……よ』
『あ、ありがとう?』
第一回を勝ち抜いたためか、オケアニルはでれーっとして僕の頭を撫でてくれた。
暗黒竜を愛でるなんて彼女くらいのものだろう。
僕はにっこり笑ってジュールさんに言う。
「オケアニルともいい友達になれそうです。趣味はどうかと思いますけど」
「ははは、もっと言ってやれ。あの方も好き勝手に生きているからね」
ジュールさんはからりと笑ってから、僕の顔をじっと見つめてくる。
「だがまあ、少年も好きに生きるといい。私がこの街に来たのは、だいたい半年くらい前のことなんだが……」
そこで言葉を切って、ジュールさんはあたりを見回す。
祭りには老若男女が押し寄せていて、みんな楽しそうに顔を綻ばせている。
そこに威勢のいい呼び込みの声や、子供のはしゃぐ声なんかが折り重なって、どこもかしこもキラキラ輝いているように見えた。
ジュールさんは目を細めて、しみじみと言う。
「あのころはもっと空気が重く淀んでいて、道行く人々の顔も暗かった。それを変えたのは、少年。きみだ。きみの存在が、人々の心に灯を点したんだよ」
「でもそれ、僕が来なくても同じことだったと思いますよ。だってジュールさんだって、あの悪徳司祭をやっつけるつもりだったんでしょ?」
「そのとおり。だがしかし、私は英雄の器じゃないからね。ここまでの活気はもたらせなかっただろうさ」
ジュールさんは僕の肩を叩いてニヤリと笑う。
「きみの行動は世界を変える。だからこれからも、存分に暴れてくれたまえよ」
「いいんですか、そんなふうに暗黒竜を唆したりして。神竜教の偉い人に怒られちゃいますよ」
「なあに、そのときはそのときさ」
ジュールさんは口の端を持ち上げてニヒルに笑う。
その口ぶりは本気みたいだけど……この人、本当に何を考えているんだろ。
僕がじっと彼女の顔を伺っていると、ジュールさんはおどけた調子で話を変える。
「ともあれ監督役として、きみの動向を把握しておく必要があるかな。あの宝を換金して、何に使うつもりなんだい? こと次第によっては止めねばならなくなるんだが」
「神殿の修理に使いたいんです。もうすっかりボロボロなので」
「なるほど、いいんじゃないか。平和な使い道でなによりだ」
「でも、今のところツテがなくて困ってて」
僕は頬をかいてぼやく。
亜人村のみんなに頼むのも考えたけど、ちょっと規模が大きすぎる。専門の知識や技術がないと負担になってしまうのは確実だ。
ここは専門家に依頼するのが一番なんだけど。
「どこかにいい大工さんはいませんかね? 紹介してもらえたら助かるんですが」
「うーむ、そいつはちょっと難しい相談だな」
ジュールさんはほんの少しだけ眉を寄せて肩をすくめる。
「この街で募集を掛けたら殺到するだろうし、かと言ってよそで募集したら怖がって誰も名乗りを上げないだろうし」
「両極端過ぎる……」
僕はげんなりと空を仰ぐことしかできなかった。
黄昏れていると、ジュールさんがいたずらっぽく微笑みかけてくる。
「なんならドワーフを雇ってみてはどうだろう」
「ドワーフって……鉱山とかで暮らす、あの?」
ファンタジーものではお馴染みの、小柄でひげもじゃの種族。
僕はまだ会ったことがなかったけど、こっちの世界にもいるんだな。
ジュールさんは鷹揚にうなずいてみせる。
「彼らは手先が器用でね。武器やら楽器やら、精巧な仕事ならお手の物だ。おまけに力持ちときた」
「おおっ! 神殿の修復にはうってつけの人材ですね!」
「ただし気難しいことでも有名なんだ。彼らを口説き落とせたら少年の器は本物だよ」
ジュールさんはそう言って、ふと右斜め先を指し示す。
「おっと、噂をすればだ。あそこでドワーフが店を出しているぞ」
「ああっ! あれです! さっき僕が見た石像!」





