暗黒竜と水面の戦い
向こうはまだ僕らに気付いていない。だったら先手必勝だ。
僕は大きく息を吸い込んで、曲がり角から飛び出した。
いち早く気付いた魚人たちが一斉にこちらへ顔を向け、一糸乱れぬ動きで迎撃態勢を取る。
だけど、すでにこっちは親玉であるカッツォグロに鑑定魔法をかけて、そのステータスを覗いていた。どの数値もバカみたいに高い。レベルは100を越えていた。その守備力に、走りながら魔法を掛ける。
「守備力よ、限界まで下がれ!」
『ギョッ!?』
闇色のオーラがカッツォグロを包み込み、くぐもった鳴き声が洞窟中にこだまする。
僕は地面を蹴り付け高く跳躍し、魚人たちの頭上を悠々と飛び越えて、本陣へと切り込んだ。
「影よ、来たれ!」
軽いめまいとともに、僕の影が浮かび上がって瞬時に刃の形を取る。
それを思いっきり、カッツォグロの首元に振り下ろした。これで仕留められればよし。ダメでもそれなりのダメージが入るはず。
そう思っての速攻攻撃だったのだけど――。
ガインッッッッ!
「はい!?」
鉄を思いっきり叩いたような感触が、影を通して全身の骨に伝わる。
僕の渾身の一撃は、カッツォグロに一切通用しなかった。
ピカピカの鱗には傷ひとつなく、虚ろな目玉がぎょろりと僕を睨め付けてくる。
以前、大きなイノシシ型魔物と戦ったときもこんなことがあったけど……あのときはデバフ魔法を使うことで攻撃が通るようになった。だけど今回はどうも勝手が違うらしい。慌てて鑑定魔法を使って、僕は愕然としてしまう。
「デバフが全然効いてない!? なんで!?」
カッツォグロの高い守備力は健在だった。
仲間たちにも動揺が広がる中、オケアニル二人分の、のんびりとした声が聞こえてくる。
「あのカッツォグロは、百年以上を生きたボス個体……」
「鍛え上げられた鱗は、あらゆる魔法を弾きとばす……よー」
「見た目に反して高スペックだね!?」
これはかなりの強敵かも……!
今の一撃で、カッツォグロは僕を油断ならない敵だと認識したらしい。大きな目玉にありったけの殺意を込めて、こちらをしかと見据えて口を大きく開く。その奥に広がっていたのは、底の見えないほどの不気味な暗闇だ。
『魚ギョォオオオオ!』
ひび割れた雄叫びが、湿った空気をぐわんぐわんと震わせる。
いったいどんな攻撃が飛んでくるのだろう。やっぱり水系かな……?
そう身構えた僕の目の前で、水面が大きく揺れて――。
ざばあっ!!
巨大な二本の腕が浮かび上がり、僕を捕まえようと襲いかかった。腕はカッツォグロの胸びれあたりから生えていて、ちゃんと関節があって人間っぽいベージュ色だ。怖すぎる。
「うわわわっ!? そんなのあり!?」
僕は影の翼を生やして逃げ惑う。
クラーケンのときと似た攻撃だけど、両腕と合わせて凄まじい勢いの水鉄砲が息つく間もなく飛んでくる。その狙いは極めて正確で、紙一重で避けるのがやっとだった。
ええい、つくづく器用なお魚さんだなあ!
そんなふうにして空中戦を続ける眼下では、アンさんが仲間たちの拘束を解いていた。
「助けに来たぞ! もう大丈夫だ!」
「あ、姉御……!」
「助けは嬉しいんですけど……あのちびっこは何者なんです……?」
「魔物までいるじゃないっすか!?」
「こいつらは頼れる助っ人さ! 安心しな!」
「ふん! 坊ちゃまの命令だ! 仕方なく助けてやる!」
「お魚さんたち、どいてどいてー!」
「魚魚魚ォ!?」
そこにヴォルグとネルネルが参戦し、並み居る魚人たちを蹴散らしていく。
あっちは問題なさそうだけど……問題はカッツォグロの方だ。
うーん、どう攻略したものかなあ。そんなふうに悩みながら空中で八の字宙返りなんかを披露していたところ、僕はハッとして目を丸くする。
曲がり角の向こうから、チビニルが飛びだしてきたからだ。
「あっ! ダメだよ! 戻って戻って!」
「ぴぴぃ!」
チビニルは大きくかぶりを振り、まっすぐこっちまで飛んでくる。
その小さな影がにょーんと浮き上がった。
僕より小さな影が瞬く間に膨れ上がり、そこから糸のようなものがいくつも射出された。影の糸は宙空で絡み合い、目の細かい網と化して敵へと襲いかかる。
『ギョっ!?』
網は見事にカッツォを捕らえ、その動きを封じた。
クラーケン戦でネルネルが取った戦法だ。あれを真似したのだろう。
だけどカッツォグロが大きく身をよじると、影の網はあっさりと千切れてしまう。怪魚の口唇がチビニルを狙い澄まし、大量の水がビーム砲のように射出される。
「危ない!」
僕は全速力で空を駆け、チビニルを抱えて間一髪で水鉄砲を回避した。
そのままカッツォグロから距離を取りながら、かわいい弟を叱る。
「言ったでしょ、隠れててって。危ないことはしちゃダメだよ」
「ぴぃー……」
腕の中で、チビニルはしょんぼりとうな垂れる。
僕はそれ以上のお小言を飲み込んで、彼の頭をそっと撫でた。
言いつけを破ったのはよくないけど……チビニルの気持ちは、痛いほど分かったからだ。
「だけどありがとう。チビニルは僕を助けてくれようとしたんだよね」
「ぴっ!」
チビニルは顔を上げ、得意げに鳴いた。
そのキラキラした目には大きなやる気が満ちていて、彼が守られるべき赤ちゃんなんかじゃないってことを、ありありと示していた。
(たしかにちょっと過保護すぎたかも……)
そもそもよく考えてみれば、僕だって暗黒竜になってまだ二ヶ月だ。
ついこの間生まれたチビニルとそう変わりはない。
そんな自分を棚に上げて、彼を赤ちゃん扱いしていたなんて……ふと振り返ってみるとめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど!?
「ごめんね、チビニル……僕、嫌なお兄ちゃんだったよね」
「ぴっ? ぴぴぃ!」
「『そんなことない』って? ふふ、ありがとね。これからもっといいお兄ちゃんを目指すよ」
「ぴー!」
チビニルは僕にぎゅうっと抱き付いて、すりすりと甘えてくる。
守らなきゃ……。そんな決意を固める中で、僕はふと異変に気付く。
あれだけの猛攻がピタリと止んでいたからだ。
「あれ? なんか様子が変かも。攻撃してこないや」
見ればカッツォグロは虚ろな目を僕らに向けたまま、湖面をゆっくりと回遊していた。
僕というよりも、チビニルのことを警戒しているようだった。
さっき拘束されたのがよほど嫌だったみたい。
待てよ……?
思い付くことがあって地図を取り出し、例の文章を確認する。
「『怪物を止めよ』……って、そういう意味!? チビニル、お手柄だよ!」
「ぴぃ?」
撫で回して褒めちぎると、チビニルはきょとんと首をかしげてみせた。
ともかく思い付いたのなら実践あるのみだ!
僕は眼下に急降下し、大きな声で呼びかける。
「ネルネル! 作戦があるんだ! 僕と合流してくれる!?」
「おっけー! なんでもやるよー!」
「ヴォルグはカッツォグロを引きつけて! アンさんたちは避難を!」
「承知いたしました! ご武運をば!」
「お、おう! おまえたち、急ぐぞ!」
「「「へい!!」」」
そのまますれ違い様にネルネルを回収。
上空で簡単な作戦を伝えると、ネルネルは触手をにょーんと伸ばして丸印を作ってみせた。
「おっけー! そういうことなら、ぼくの得意分野だよ!」
「ありがとう、助かるよ。それじゃ……チビニルも手伝ってくれる?」
「ぴ!」
任せとけとばかりに、どんっと小さな胸を叩くチビニルだった。
これで話はまとまった。眼下ではヴォルグがこれまで以上の大暴れをして、魚人たちを薙ぎ倒し、カッツォグロへと肉薄していた。アンさんたちも無事に避難できたようだった。
「ふははは、どうしたどうした! その図体は飾りのようだな!」
『ギョ魚ギョォオオオオ!』
手下の数がみるみるうちに減っていき、カッツォグロも相当焦ったみたいだ。僕らから視線を切って、雄叫びとともにヴォルグへと突撃していく。
その瞬間こそ、僕が狙っていたものだった。
「いくよ、ふたりとも! いっせーのー……で!」
「ぷーっっ!」
「ぴーっっ!」
合図に合わせて、ネルネルが粘液の網を、僕とチビニルが影の網を放出した。
巨大な投網が地底湖いっぱいにぶわっと広がり、カッツォグロの体に絡みつく。
さっきはチビニルの網が引きちぎられたけど、今度は三人分だ。ちょっとやそっとじゃ切れないだろう。
『ギョッ……!?』
カッツォグロは大きく痙攣し、苦しそうにバタバタともがく。
湖面が大きく波打って、高い津波が四方八方に襲いかかる。
だけど案の定網はびくともせず、次第にその動きが小さくなっていった。
『ギョ魚……魚ッッ…………!』
最後にビクンっと大きく震えたかと思えば、カッツォグロの目から光が消える。そのまま湖面にぷかーっと力なく浮かんだ。
それと同時にヴォルグが最後の魚人を打ち倒し、洞窟内は一気に静かになる。
すべてを見届けて、僕らは湖畔に降り立った。
「ふう。これで試練は終了かな」
「すっごーい! ほんとにあの大きいのを倒しちゃった!」
「やりましたな、坊ちゃま! チビニル様も素晴らしいご活躍でした!」
「ぴぴぃ!」
どんなもんだい、って感じのドヤ顔だ。
そんなチビニルを抱き上げて、僕は笑顔で言う。
「これまで赤ちゃん扱いしてごめんね。よかったらまた、僕のことを助けてくれる?」
「ぴ!」
チビニルは満足そうに鳴いて、僕の肩に掴まった。
生まれたばっかりの赤ちゃんだし、心配だけど……自立心は尊重するべきだよね。
もしも危なくなったら、僕がそっと手を貸せばいい。かつてレヴニルやヴォルグたちが、そうやって僕を育ててくれたみたいに。
「鮮やかなお手並み……ね」
そんな決意を固めていると、ゆるーい拍手が洞窟内に響く。
オケアニルが物陰から出てくるところだった。
アンさんたちもそこにいたけれど、みんな目を丸くしてぽかんとしていた。まさか僕らがあんな大物を倒してしまうとは思ってもいなかったのだろう。
そんなギャラリーたちを気にも掛けず、オケアニルは僕ににっこりと笑いかける。
「よく気付いた……ね。あの子の弱点……に」
「地図に書いてあったじゃん。『怪物を止めよ。さすれば頂の宝が手に入る』って」
肝になるのは『怪物を止めよ』の部分だ。
僕はてっきり『怪物を倒せ』ってことなんだと思っていたけど……実際はもっとそのままの意味だった。
「大型の魚は、泳ぐことでエラに酸素を取り入れる。つまり、動きが止まると呼吸が止まるんだ。土壇場で思い出してよかったよ」
「なるほど……レインの知識には、驚かされる……よ」
オケアニルはほうっと感嘆の吐息をこぼす。
お褒めにあずかり光栄だけど……あれはちょっとゲームバランスが悪くないかな?
死んだカッツォグロを指し示して忠告する。
「あんなの僕じゃないと勝てなかったよ。他の参加者さんには荷が重いって」
「それは平気……ほら」
オケアニルが指し示すのは湖畔の片隅。
そこにはきちんと折りたたまれた大きな網が安置されていた。
「ここをちゃんと探索したら……我氏特製の、特別アイテムが手に入った……だから」
「あ、そこまでちゃんと仕込んでたんだ。それじゃ、僕は正規の手段で倒さなかったわけだし……ひょっとして失格?」
「ううん……ちゃんと合格。よくがんばった……ねー」
「あ、ありがとう?」
オケアニルは僕の体をぎゅーっと抱きしめ、頭を撫でてくる。
むむ。なんだかお姉ちゃんって感じだ。前世も今世もひとりっ子なので、ちょっと新鮮かも。
「いいものを見せてもらった……やっぱりレインが一番見てて、楽しい……かも」
「褒めてもらってうれしいけどさ。それって愛玩動物に向ける目だよね」
「? レインは可愛がられるのが嫌い……なの?」
「そういうことじゃないんだけどなあ」
僕はオケアニルのことを友達だと思っているんだけど。
オケアニルから友達だと思ってもらうには、まだまだハードルが高そうだ。
「それよりほら……宝が出てきた……よ」
「え? あっ! ほんとだ、宝箱だ!」
カッツォグロの口の中から、なにか光るものがこぼれ落ちた。
先日、オケアニルが出てきたのとそっくり同じ宝箱だ。宝箱は風もないのにゆっくりと僕らの方へと流れてきて、岸に着くと勝手にパカッと開く。
中身は金銀財宝だった。まばゆい輝きに、僕はうろたえる。
「すごい……本当にお宝が入ってた!」
「ふふん……当然」
オケアニルはむふーっと胸を張る。
「みんなよろこんでくれる……から。毎回、がんばって用意する……の」
「ひょっとして、オケアニルって相当なお金持ち……?」
「うう……ん。もとは海の落とし物……領民たちが拾い集めてくれる……の」
「それ、頑張って用意してるの領民さんたちじゃん」
魚人さんたちといい、あちこちに多大な迷惑を掛けているらしい。
みんな大変だな……早いとこ終結させよう。うん
そんな決意を燃やしていると、オケアニルはにこやかに言う。
「ともかく……レインが、今回の勝者……レインは我氏に、なにを望む……の?」
「あっ、そうか。お願い事権があったんだ」
「うん……ただし、水に関することだけ……ね」
「うーん、なにかあるかな」
つい先日、念願だった海へのアクセス改善が叶ったばっかりだ。
そう都合よくお願い事なんて思い付かないよねえ……。
うんうん悩んでいた僕だけど、ふと湖面に浮かぶカッツォグロが目に入った。
早いところ捌かないと傷んじゃいそうだ。かと言って、クラーケンの数倍はあるこの獲物を一度に食べきるのは至難の業だろう。
となると保管方法を考えないといけないんだけど……あっ! お願い事、みーつけた!
「あのカッツォグロ、凍らせて僕の神殿まで届けてくれない?」
「おっけー……」
ふたつ返事でオケアニルがうなずいてくれて、僕の一回戦は幕を閉じた。





