海の怪物
非常事態だったけど、海を飛ぶのは気持ちよかった。
頬を撫でる潮風はもちろん、眼下に広がる海もまた絶景だった。上からだと魚たちが泳ぐ様子がよく見えたし、ウミガメを見つけたときはとてもワクワクした。
ひょっとしてイルカとか、鯨なんかもいるのかな。ちょっと見てみたいかも!
「ぴぃー♪」
「チビニルも楽しい?」
並んで飛びながら、チビニルはひときわ高い声で鳴く。
生まれたばかりでまだ体も小さいからちょっと心配だったけど、どうやら僕の本気の飛翔速度に余裕でついて来られるようだ。さすがは暗黒竜の生まれ変わり。
その真下では、ヴォルグがすごい勢いで水面を走っていた。
背中に乗ったネルネルはぽよぽよ揺れてはしゃいでいる。
「すっごーい! 水の上を走ってるよ、ヴォルグ!」
「これ、ネルネル。あまりはしゃぐでない。落ちたら溶けてしまうぞ」
それを窘めて、ヴォルグは真っ直ぐ前方を睨め付ける。
海岸では豆粒にしか見えなかった現場が、どんどん近付きつつあった。
船となにか大きな生き物のシルエットが、僕の視力でもぼんやりと確認できる。
「これから大舞台ですぞ。気を引き締めていきましょう」
「うん。付き合ってくれてありがとね、終わったら帰ってご飯にしようか!」
「坊ちゃまの料理! それはますます気合が入ろうというものですな!」
ヴォルグはぺろりと舌なめずりをする。
しかしふと前方を見やって顔をしかめてみせた。
「ふうむ。ですが、今回の魔物はとうてい食べられそうにありませんな」
「あれってまさか……クラーケン!?」
僕はすっとんきょうな声を上げてしまう。
船を襲っていたのは巨大な軟体生物だった。
赤茶色をした袋状の頭部からは、テラテラとした触手が何本も生えている。触手には無数の吸盤がびっしりと並んでいた。吸盤が整然と並んでいるから、たぶんメスだ。
僕は空を飛びながらガッツポーズをして叫ぶ。
「タコじゃん! しかも超巨大タコ! やったー!」
「坊ちゃまはクラーケンがお好きなのですか……?」
ヴォルグの顔がさらに渋いものになる。
「あのウネウネした形状……わたくしはどうもダメです。寒気がします」
「ぼくはなんだか親近感かなー。たおしちゃうけどねー」
「ふふふ。分かってないな、ヴォルグは。タコはとびきり美味しいんだから!」
「あれを食べるおつもりなのですか!?」
ギョッとして叫ぶヴォルグだった。
地球だと、タコは悪魔の魚だとか呼ばれて、忌み嫌われていることが多いそうだ。
こっちでもひょっとすると食用にはあまり用いられないのかもしれない。
そういえばリタもレプタもタコを知らなかった。
(僕がこの世界での、タコ料理第一人者になれるかも!)
まだ倒す前だというのに、僕の頭はタコ料理でいっぱいだった。
タコ焼きにお刺身、酢の物にアヒージョ、たこ飯……。
うう……考えただけでよだれが出そう。エキドゥニルのお土産はこれで決まりかも?
舌なめずりをしていると、ネルネルがおずおずといった様子で問いかけてくる。
「あいつを食べるってことは……似てるぼくのことも食べちゃうの?」
「友達を食べるはずないでしょ。僕のことなんだと思ってるのさ」
「なんでも食べちゃう食いしん坊さん?」
「いや、タコは本当に美味しいんだってば。ヴォルグもそんな顔しないで信じてよ」
「ちょっと今回は……わたくし、遠慮しておきます」
「くっそー! こうなったら意地でも美味しく料理してやるんだからね!」
「ぴぃー?」
そんなふうに盛り上がるうちに、現場はもう目と鼻の先だ。
クラーケンが何本もの触手で絡みついているのは小さな帆船だった。甲板では数名の人間が忙しなく行き交い、松明を翳したり槍を投げつけたりして必死に抵抗している。
だけどそんな抵抗も虚しく――。
「うわーーーっ!?」
触手の一本も落とすことができず、マストが根本からポッキリ折れて海へと沈んだ。
船体もミシミシと悲鳴を上げているし、沈没は時間の問題だろう。
だけど僕らが来た以上、そんな結末は起こりえない。
僕は仲間たちに向けて声を張り上げる。
「タコ焼きなら絶対ヴォルグも気に入るはずだよ! そういうわけでまずは食材調達だ! みんな、ゴー!」
「突撃命令には従いますが……わたくしは絶対に食べませんからね!?」
「ぼくは食べてみたいかも! よーっし、がんばっちゃうからねー!」
「ぴぃー!」
こうして僕らはクラーケンに真っ向から向かっていった。
まず仕掛けたのはヴォルグだった。
「魔狼双破撃!」
船を捕らえる触手に向かって突撃し、両前足を思いっきり揮う。爪から生じた衝撃波が触手をあっさりと切り落とし、マストが落ちたとき以上の水しぶきが上がった。
ギュオオオオオオオ!?
クラーケンが雄叫びとも悲鳴ともつかない奇声を発する。
そこでどうやら僕らという脅威に気付いたらしい。頭部をこちらに向けると、巨大なふたつの目と視線がかち合った。真っ黒な瞳孔が限界まで大きくなり、触手の全てがこちらに向かって放たれる。縦横無尽に襲い来る触手の群れは、さながらミサイルの包囲網だ。
だけど僕には心強い味方がいる。
ネルネルとチビニルが、触手の前に躍り出た。
「いっくよー! ぷしゅーっ!」
「ぴぴー!」
ネルネルは粘液を噴き出して。チビニルは僕と同じで影を使って。
ふたりのおかげで触手はすべて絡め取られて動きを止める。
「サンキューみんな! 仕上げは僕だ!」
その間をかいくぐり、僕は敵の懐へと勢いよく飛び込んだ。
翼を形成していた分の影も使って、巨大な槍を形作る。
狙うはタコの目と目の間。眉間だ。
「タコの弱点は……ここだあ!」
ギョルォオオオオオオオオ!?
眉間部分に影の槍を突き刺すと、クラーケンは大きく痙攣し、赤茶色だった全身が一瞬で白く染まった。そのままぐったりしとして動かなくなる。
これで活け締め完了だ。
魚とかタコとか、釣って調理するタイプの動画も前世で見ててよかった!
人生、どんな知識が役に立つか分からないものだ。勉強ってほんと大事。
クラーケンの頭に降り立つと、仲間たちもそれに続いてきた。
「おもしろかったねー。さてと、どんな味なんだろ」
「やはりこれを食すのはちょっと勇気が……ああっ、チビニル様! こんなものを齧ってはいけませんぞ! 腹を壊してしまいます!」
「ぴぴぃ?」
「刺身も美味しいんだけど……ま、それはさておき挨拶からかな」
僕はクラーケンの上からそっと船を見下ろす。
甲板の上で必死に応戦していた人々は、今やあんぐりと口を開けて固まってしまっていた。
種族はたぶん人間ばかり。年齢は若者から中年まで様々だけど、みーんな男の人だ。海で鍛えられたのか、それなりに体格がいい。
「なんだあ、ありゃ……」
「船長、俺たち助かったんですかね……?」
「お、俺に聞くんじゃねえよ……」
ざわめくその中心に、壮年の男性がひとりいた。
健康的な小麦色の体をしていて、二の腕なんか丸太のように太い。
いかにも海の男って感じのその人の前に、僕はふんわりと舞い降りる。
おかげで船員たちが大きくどよめいた。
船長さんは彼らを庇うようにして前に出て、小さなナイフを抜いて裏返った声で叫ぶ。
「い、いったい何者だ! 答えろ!」
「助けてやったというのになんだその言い草は! 無礼者めが!」
「ひいいっっ!?」
「いいよ、ヴォルグ。警戒するのも当然だから」
クラーケンの上から今にも飛びかからんとするヴォルグを制止して、僕は堂々と名乗る。
「僕はレインっていいます。つい最近、暗黒竜を継承した者です」
「あっ、暗黒竜だって!?」
船長さんは驚きのあまりナイフを落とし、船員たちの間にも動揺が走る。
甲板が一気に静まり返った。
そんななか、船長さんはガバッとその場に土下座して叫ぶ。
「俺はどうなっても構いません! ですが、どうか部下の命は勘弁していただけないでしょうか!」
「「「えええっ!?」」」
悲鳴を上げたのは僕だけじゃなかった。
ほかの船員たちも声を上げ、慌てて船長さんのもとに駆け寄ってくる。
「船長! なにもあんたひとりだけが犠牲になることはありません!」
「こうなったら最期までお供させてください!」
「バカ言ってんじゃねえ! おまえは先月子供が生まれたばっかりだろうが! こういうときに責任をおっ被るのが俺の役目だ! 黙って従え!」
「船長ーーーー!」
男泣きで盛り上がる皆さん。
そこに僕は慌てて声を掛けるのだ。
「落ち着いてください! 命なんて取りませんから!」
「「「えっ……」」」
全員同時に絶句して、また固まってしまう。
やがて正気を取り戻した船長さんが、おずおずと問う。
「領海に侵入した俺たちを、食い殺しに来たんじゃないんですか……?」
「違います。ただ助けに来ただけです」
「助けに!? 暗黒竜様が、わざわざ俺たちを!?」
ほかの船員さんたちも騒然として、今度は甲板がざわざわし出す。
その反応に、僕は小さくため息をこぼすのだ。
(やっぱり暗黒竜っていうだけで怯えさせちゃうよなあ……)
一巻発売中!どうぞよろしくお願いします!
次回は明日の夕方ごろ更新予定です。
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