慈水竜
エキドゥニルは僕より神様として大先輩だし、すごい力を持っている。
だから海までの工事を手伝ってもらえないか、真っ先に打診したのだ。
海遊びや海の幸なんかをエサにしたら、すぐに飛びついてくると思いきや――
『海なんか大嫌いよ! この我ちゃんが行くわけないでしょ!』
エキドゥニルは目を怖いくらいに吊り上げて、こう怒鳴り付けてきた。
そのまますっかりへそを曲げてしまって、あとはどう宥めても話を聞いてもらえなかった。
ネルネルも不思議そうだ。
「なんでだろーね。エキドゥニルってば、楽しいことならなんでも大好きじゃん」
「そうなんだよね。海って単語にもう拒否感があるみたいでさ」
「ぴぃー?」
チビニルも僕らを真似て首をかしげる。
三人で不思議がっていると、ヴォルグがおずおずと口を開いた。
「それはその……あの方は火焔竜でございますゆえ……」
「……ひょっとして水が苦手とか?」
「おそらくは」
「あー……それは悪いことしちゃったかも」
いつも強気なエキドゥニルのことだ。
水が苦手なんてこと、口が裂けても言えなかっただろう。
エキドゥニルがいてくれたら百人力だと思ったから、僕もけっこうしつこく誘ってしまった。
今さらながらそのことを反省し、面映ゆい気持ちになった。
ううむ……自分の望みばっかり押し付けちゃってた。反省反省。
僕は頬をかきつつ、海辺をぐるりと見回す。
「それじゃ今日は調査のついで、エキドゥニルへのお土産を探そうか」
「さんせーい!」
ネルネルがぴょんぴょこ飛び跳ねて、明るい声を上げる。
「お土産ってなにがいいかなあ。海水とか?」
「ひょっとしてハマってるでしょ、ネルネル」
そういうわけで僕らは海辺の探索兼、お土産探しに乗り出すことになった。
と言っても海辺には僕ら以外に何の影も見当たらず、海原も静かなもの。今のところは何の危険も見当たらず、探索は最初からのんびりしたものになった。
「あはは、チビニルまってよー!」
「ぴぴーぃ!」
ネルネルとチビニルは波打ち際で水を掛け合って遊び。
僕はそのすぐそばの岩場を捜索していた。
岩の側面にはフジツボがびっしり生えていて、沢ガニやフナムシが顔を出す。
こっちも地球とそう変わらない生態系をしているらしい。
「あっ、綺麗な貝殻みーっけ」
そんな最中に、宝物が転がっていた。
桃色の巻き貝だ。手に取ってみると破損もなく綺麗なもので、内側が七色に輝いている。
耳に当てるとかすかに波の音が聞こえる。自分の血が流れる音だって知識はあるけれど、やっぱり貝から聞こえるってだけでどこか神秘的だ。
「うーん。これはエキドゥニルっていうより、リタかな」
「そうですな。あの娘の髪色によく似ております」
ヴォルグものほほんとうなずく。
「土産に持って帰ってやってはいかがでしょう」
「うん。喜んでくれるかなあ」
「間違いなく。坊ちゃまからの贈り物ですから」
ヴォルグは優しく目を細め、すっと真顔になってぽつりと言う。
「計算高く、しっかりした娘です。きっと聡明な女性に育つことでしょう。坊ちゃまの伴侶候補として悪くはございませぬ」
「ヴォルグもまたそんなことを言って……僕はまだ五歳だよ。お嫁さんをもらうのなんて、ずっと未来の話だよ」
「しかし高貴な生まれの人間には、赤ん坊のころから伴侶が決まると聞きますぞ」
「よそはよそ。うちはうちです。それよりエキドゥニルへのお土産を確保しないと」
そういうわけで、僕らは岩場をなおも探索する。
ぶらついていると、ひときわ大きな岩にぶち当たった。
見上げんばかりの巨岩だったけど、暗黒竜たる僕にとってはひとっ跳びで登れる高さだった。
そこから海を眺めると、また格別の景色が広がっている。
空も蒼ければ、海もまた碧い。それらがどこまでも続く様はまさに圧巻だった。
僕は思わずほうっと息を吐く。
「ほんとに綺麗だねえ。ねえ、この海の向こうには何があるの?」
「わたくしも詳しくは存じませんが、小さな島がいくつかと……」
ヴォルグは少し言いよどんだあと、意を決したように言う。
「水のスピリット・ドラゴン……慈水竜様の神殿がございます」
「あー。やっぱり水の神様だもんね」
水といえば海。
そうなると当然、そこに居を構えるものだろう。
(どんな人……いや、神様なのかなあ)
スピリット・ドラゴンは六柱いて、僕はまだそのうちひと柱としか会ったことがない。
炎の神様たるエキドゥニルがあんな感じの直情さんだし……水の神様は、キリッとしていてクールな感じかも?
そこまで思いを巡らせて、僕ははたと気付くことがあった。
「あれ……? この辺の海って僕の領土なんだよね」
「そのとおりでございます。なにか?」
「海ってその、慈水竜さんの領土じゃないの? 僕がもらっていいわけ?」
「そうすると、あの方は世界の七割ほどを掌握することになってしまいますので。『そんなにいらない』とおっしゃって、他のスピリット・ドラゴンたちに分け与えたそうです」
「へえー。なんだか無欲な神様だねえ」
「無欲……まあ、そのとおりではございますが」
「なにその渋い顔」
僕のなんてことない言葉に、ヴォルグは黙り込んでしまう。
眉間には深いしわが寄っていて、目もしっかり泳いでいた。
見るも分かりやすい狼狽えぶりだ。
「ひょっとして、その慈水竜さんも厄介な性格をしてるとか?」
「えー……わたくしからはなんとも」
ヴォルグはさっと僕から目を逸らす。
それでも最後にひとつだけ、おずおずと付け足してくれた。
「ただ……悪い方ではないのは断言できます」
「そっか。なら、会うのが楽しみにしておくよ」
へたに先入観を持つより、まっさらな状態で会った方がいいこともある。
慈水竜さんのことは先送りにしておこう。
そう決意したところで、ヴォルグがまたさらに付け足した。
「……善良な方でもないかもしれませんが」
「希望を持った端から不安にさせるのやめてよね。って……あれ?」
僕は遠い海の向こうを凝視する。
相変わらず波は穏やかで、心地よい潮風も吹いている。
静かな海……のはずなのだが、どうにも違和感があった。
水平線のあたりに、なにか小さな影が見えるような気がしたのだ。
「どうかされましたか、坊ちゃま」
「いや……あっちに何かない?」
「ほう?」
僕が指さすと、ヴォルグも目を細めてじっと海を見つめる。
魔狼族であるヴォルグは耳と鼻がいい。僕では見えない向こうのことを、何か察知できるかもしれない。
(なんだろ……胸騒ぎがする)
平和な海だというのに、何故だか心臓がいつもより早い鼓動を刻んでいた。
いても立ってもいられなくなるような……そんな気分だ。
このまえリタとフェリクスさんがピンチに陥ったときと、よく似ていた。
僕はハラハラとヴォルグの答えを待った。
すると、彼は落ち着き払った様子で言う。
「ご心配なく。何の問題もございませぬ」
「そ、そう? 僕の気のせいだったかな」
僕はホッと胸を撫で下ろしかけるのだが――。
「ええ。人間の船が魔物に襲われているだけです。坊ちゃまには何の関係もございませんよ」
「大問題じゃんか!」
ヴォルグがあっさり続けた言葉に、僕は思わず飛び上がった。
そのまま慌てて呪文を口にする。
「影よ、来たれ!」
レヴニルから受け継いだ闇魔法のひとつ、影操魔法。
その名の通り、自身の影を操る魔法だ。軽いめまいとともに影がにゅーっと浮かび上がり、僕の体にまとわりつく。するとあっという間に、闇色の羽根が形成された。
軽くはためかせれば、僕の体は宙に浮く。
木を切ったり、鍋にしたりと便利に使っていた魔法だけど、練習を重ねた結果、最近では空を飛べるようになっていた。ちゃんとしたドラゴンにも変身できるけど……このあとは魔物退治が控えている。余力を残すためにも、今回は羽根だけの変身に留めておいた。
「助けに行ってくる!」
「しかし坊ちゃま、このあたりは暗黒竜の領土でございますよ」
僕は急いで現場に駆け付けようとするのだけど、ヴォルグはなぜか神妙な顔だった。
煮え切らない彼の態度に苛立ちを覚え、僕は声を荒らげる。
「だったらなおさら僕が行かなくちゃ!」
「そういうことではなく……」
ヴォルグは渋い顔をして、広大な海を見やる。
遠くに見える影以外、おかしなものは何もない。
言いよどむ彼に引っかかりを覚え、僕は浮かんだままで続く言葉を待った。
「暗黒竜は人間たちにとって忌避すべきもの。ゆえに、真っ当な船ならば避けて通る海域です。そこに敢えて踏み入るのは……どうしてだと思いますか?」
「……運んでるものを人に見られたくないとか?」
密輸や密猟。
ぱっと思い浮かぶのはそんなところだろう。
ひょっとすると、もっとあくどいことを企んでいるのかも。
そう呟くと、ヴォルグは静かに頷いた。
「ここを通る大多数が、脛に傷を持つ輩と聞きます。それでも助けるとおっしゃるのですか」
「たとえそうだったとしても……僕は行くよ」
僕はきっぱりと断言した。
悪い奴なんて放っておけばいい。
そういう人もいるかもしれないけど……僕は困っている人を見過ごせなかった。
それは神様としての高潔な精神なんてものじゃない。
ただの子供らしいワガママな正義感だ。
「情けは人のためならず、って言葉があってね。親切は巡り巡って自分に返ってくるんだ。僕は僕のために、あの人たちを助けに行くよ」
「……坊ちゃまらしいご返答ですな」
ヴォルグは薄く微笑んでから、深く頭を垂れる。
「出過ぎた真似をいたしました。そういうことでしたら、謹んで加勢いたしましょう」
「ありがとね、ヴォルグ」
「なになになーに、どうしたのー?」
「ぴぃー?」
そこでネルネルとチビニルも巨岩に登ってきた。
心強いパーティがこれで出そろった。
僕はにっこり笑って言う。
「今から魔物退治に行くんだよ。ふたりも手伝ってくれる?」
「やるやるー!」
「ぴぃ!」
そういうわけで、みんなで魔物退治に乗り出すことになった。
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次回は明日の夕方ごろ更新予定です。
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