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海へ!

 暗黒竜神殿から小一時間ほど。

 森を突っ切り、道なき道を進んだあと、断崖絶壁を九十度下った先にその浜辺は存在する。


 遮るもののなにもない白い砂浜。

 淡く輝くターコイズブルーの渚。

 どこまでも続く広大な空と海。


 そこに強い日差しが降り注ぎ、キラキラとまぶしい景色を彩っていた。

 万人が思い浮かべる『夏の海』である。


「きれいだなあ」


 僕は額の汗を拭いつつ、大きな海をぼんやり眺める。

 日よけの麦わら帽子を被り、シャツと短パンというシンプルスタイルだ。

 僕の衣服は魔狼族がどこからか調達してくれていて、今回も夏に合わせてぴったりの服を用意してくれていた。さらっとした生地が汗を吸い、とても着心地がいい。


「……もう夏なんだよね」


 先代暗黒竜レヴニルから、力を受け継いだのは春先のことだった。

 あれから色んなことがあって、あっという間に季節が変わってしまった。


(レヴニルがいない夏って初めてだな……)


 生まれたときからずっとレヴニルが側にいてくれた。

 彼のいない初めての季節だというのに、昨年と変わった様子がまるでない。

 それが胸にチクリと刺さり、鼻の奥がつんとして――。


「坊ちゃま、給水の時間ですぞ!」

「ぴぃー!」

「うわっ、びっくりした」


 ヴォルグが突然ずいっと顔を近付けてきたので、センチメンタルは一気に吹き飛んだ。

 たっぷり膨らんだ革の水筒を差し出してくるその表情は、どこか鬼気迫っている。

 一方で背中に乗った子竜のチビニルは、なんだかニコニコと楽しそうだった。


「ささ、坊ちゃま。こちらの水をお飲みください」

「さっき飲んだばっかりでしょ。いらないよ」

「いけません! 脱水症を防ぐにはこまめな水分補給が不可欠なのですぞ!」

「ぴぴぃ!」


 ヴォルグはくわっと牙を剥いて真っ向から反論する。

 チビニルもひときわ大きく鳴いて僕に迫る。よく分かっていないけど、とりあえず乗っとけって感じの鳴き声だ。


「もう。分かった、飲むよ」


 そこまで言われては大人しく従うほかない。

 水筒を受け取ってぐびりと喉を潤して、残った分をヴォルグに差し出す。


「はい。ヴォルグもちゃんと飲んでよね」

「い、いけませぬ。こちらは坊ちゃまのお水でございますゆえ」


 ヴォルグはあからさまに狼狽える。

 主君のものに手を付けるなんて言語道断、って感じだろう。

 僕はすっと真顔になって低い声で凄む。


「もしも脱水症になったら……僕のピンチに動けないけど、それでもいいの?」

「心していただきます!」


 ヴォルグは勢いよく水を飲み干した。

 水筒はたくさん持ってきたので、まだまだ安心だ。


「ほら、チビニルもお水を飲もうね」

「ぴぃー♪」


 チビニルを赤ちゃんみたいに抱っこして、水筒の水を飲ませてやる。

 バスケットボールくらいの大きさだけど、がっしりしているせいかなかなか重い。僕が暗黒竜じゃなかったら持ち上げることすらできなかっただろう。

 そんな僕らを見て、ヴォルグがほろりと涙をにじませる。


「坊ちゃまとチビニル様……まるでご兄弟のようで微笑ましゅうございます」

「えへへ、それなら僕がお兄ちゃんだね。お兄ちゃんって言ってみてよ」

「ぴぃー? ぴぃぴー!」


 チビニルは楽しそうに鳴いて、僕の腕の中から飛び立った。

 そのまま僕らの真上をぐるぐると旋回する。

 太陽の光が薄い飛膜を通り、不思議な模様を砂浜に刻んだ。


「……やっぱりチビニルはレヴニルとは違うんだね」

「……左様でございますね」


 チビニルは先代暗黒竜レヴニルが転生した姿だ。

 だけどこうして無邪気な姿を見ていると、やっぱり別の存在だなあと思い知らされる。

 レヴニルはもっと落ち着いた性格だった。その片鱗は、今のところ少しも感じられずにいる。


 記憶も失われてしまったみたいだし、れっきとした別竜だ。

 チビニルを見上げる僕に、ヴォルグがそっと尋ねてくる。


「寂しゅうございますか?」

「少し、ね」


 僕は苦笑して小さくうなずいた。

 それが嘘偽りない本音だ。だけど寂しいばかりじゃない。


「レヴニルはレヴニルで、チビニルはチビニルだ。どっちも僕の大事な家族だよ」

「……そうですね」


 僕らはふんわりと笑い合い、空を舞うチビニルを見上げ続けた。

 そんな折だった。海辺で突然、大きな悲鳴が上がった。


「ひゃあっ!?」


 見れば波打ち際から青い水まんじゅうが飛び上がり、僕めがけてまっすぐ落ちてくるところだった。それをなんとか受け止めて、ぷるぷると震える彼(?)をよしよしと宥める。


「ネルネル大丈夫? また海水を味見したの?」

「うん……今日はおいしいかもって思って」


 青い水まんじゅうこと、ネルネルはか細い声で言う。

 ひょんなことから僕と知り合い、眷属となったスライムだ。

 ネルネルはひとしきり震えたあと、重いため息をこぼして言う。


「やっぱり今日も、海はおいしくなかったよ……」

「……でも、次もまたやるでしょ?」

「えっ、もちろんだよ? だっていつか、おいしい海の日があるかもでしょ!」

「探求熱心だなあ……あっ、チビニルはやめときなよね」

「ぴぃ?」


 海水に口を付けようとするチビニルを、僕はやんわりと制しておく。

 ともかくこれで全員が集まった。

 いい機会なので、僕は改めてみんなの顔を見回して、今回の作戦を伝えておく。


「さっきも言ったけど、今日の目的はこのあたりの安全調査だ」

「心しております。いずれは村から海岸まで道を通す計画だとも」


 ヴォルグは小さくうなずいてから、訝しげに片目をすがめる。


「信徒への気配りは大事ですが……坊ちゃまがそこまでやる必要がございますか?」

「当たり前じゃん」


 僕はどんっと胸を叩いて断言する。


 暗黒竜の領土だからか、このあたりは船がほとんど寄りつかない。

 道がなければ、この海岸は僕だけのものだ。

 美味しい魚も、きれいな浜辺も独り占め。


 だけど、それじゃあ意味がない。


「独り占めするより、みんなで使った方が楽しいでしょ?」

「ふっ……さようでございますか。坊ちゃまらしいお答えですな」


 ヴォルグは根負けしたように微笑んでみせた。

 そんななか、ネルネルが背後にそびえる崖を見上げて首をひねる。


「でも、リタたちはここまで来られるかな? あの崖を降りるのって大変じゃない?」

「到底無理でしょうな。山道も普通の人間では踏破困難かと」

「そうなんだよねえ。道をどうするかはまだ考え中なんだ」


 この浜辺は神殿から一番近いけど、左右を高い断崖絶壁に挟まれている。

 険しい山道を突き進み、崖を下る以外にたどり着く手段がないのだ。


 ほかにも浜辺があるらしいけど……ずっと遠くにあるらしく、村から気軽にアクセスできるものじゃない。船でぐるっと回り込むのも時間が掛かる。


 つまり、今のところ僕が取るべき選択は二つだ。

 迂回路を通すか、トンネルを掘るか。


 どちらにしても、大がかりな事業になるのは間違いないだろう。


(ひょっとしたら夏が終わっちゃうかも……)


 そうなっても、リタやレプタは笑って来年の約束を取り付けてくれるだろう。

 それはそれでいい思い出になるのかもしれないけど。


(せっかくみんなと出会えて初めての夏だもん! 特別なものにしたいよね!)


 ネルネルやチビニル、リタやレプタ、亜人村のみんなに、遊びに来る魔物たち。


 つい最近仲良くなった人々の顔が自然と脳裏に浮かぶ。

 すでに僕の頭の中では、完璧に整えたビーチで遊ぶみんなの姿が浮かんでいた。

 はしゃぎ回る子供たち。

 バーベキューをする大人たち。

 その肉を横からかっ攫う、傍若無人な真っ赤な神様。


 ……そこまで空想して、僕は小さく苦笑する。


(そうだ。居候のことを忘れてた)


 この世界を創ったとされる六体の竜――スピリット・ドラゴン。

 そのひと柱、炎を司る火焔竜エキドゥニルだ。


 絵に描いたようにワガママな神様だけど、美味しいものと楽しいことに目がなくて、けっこう楽しい性格をしている。ファーストインプレッションは最悪だったけどね。


 今では僕の大事な友達のひとりだ。居候とも言う。

 ちゃんと自分の神殿があるらしいけど、このところずっと暗黒竜神殿に居着いていた。


 僕の料理を食べたり、亜人村の子供たちと遊んだりと、とにかくのんびり過ごしている。

 うちを気に入ってくれたのはいいけれど、自分のとこの信徒さんとか眷属さんとか、本当に大丈夫なんだろうか。


 そんなことを憂いつつ、僕は小さくため息をこぼす。


「せめてエキドゥニルが手伝ってくれたらなあ」

「あれっ、そういえばエキドゥニルは今日来てないの?」

「うん。一応誘ってみたんだけどね」

本日一巻発売!書き下ろし短編も収録されております。買ってね!

次回は明日の夕方ごろ更新予定です。

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