ことの発端
その大騒動は、友達のひと言から始まった。
「海で遊びたいって……それが僕への頼みなの?」
「そうなんだよ、レイン様」
夕暮れに沈む亜人村を、僕らはぶらぶらと歩いていた。
発案者は、少し先を歩くトカゲ亜人の少年だ。
やんちゃそうな風貌で、お尻からは黒い斑点の散った黄色い尻尾が生えている。
亜人村が暗黒竜神殿のそばに移転されてすぐ、僕を遊びに誘ってくれて仲良くなった。年が近いこともあって、今じゃ気心の知れた親友とも呼べる相手だ。
このときも、他の子供たちと一緒に遊んだ帰りだった。
「レイン様が教えてくれる野球も楽しいけどさ。もうすぐ夏じゃん?」
「そうだねえ。このところ熱くなってきたもんね」
僕は地平線に沈みゆく二つの夕陽を眺める。
この世界の太陽はどうやら二つあるようで、いつも仲良く並んでいる。
こっちの世界に生を受けて五年あまり。もはや見慣れた光景で、そのふたつ分の太陽がもたらす夏の熱気が苛烈であることも、僕はよーく知っていた。
とはいえこっちの夏は湿度がほとんどなく、カラッとしている。
地獄と形容されることもある日本の夏に比べれば、ずいぶん過ごしやすい気候だった。
木陰に入ればちゃんとひんやり涼しいし、熱中症の危険も少ない。
遊ぶにはもってこいの季節だった。
レプタはワクワクを隠そうともせず、プレゼンを続ける。
「もうすぐ夏だ。夏といえば……?」
「水遊び?」
「そう! さすがレイン様は話が早いぜ」
レプタはニカッと笑う。
そこで僕の隣を歩いていたリタが不思議そうに首をひねった。
「村のそばに川があるじゃないですか。あそこじゃダメなんですか?」
「分かってないなあ、リタは。川なんかいつでも行けるじゃん。海は特別なんだよ!」
「特別って……レプタは海を見たこともないじゃないですか」
「なっ、リタだってそうだろ!」
「どうどうだよ、レプタ」
ムキになるレプタを宥めつつ、僕はふたりに問いかける。
「ふたりとも、海を見たことがないの?」
「俺だけじゃないぞ。たぶん母ちゃんや父ちゃん……ほとんどの村人が見たことないんじゃないかなあ」
「もともと村があった場所は、かなりの内陸部でしたからね」
「あー。それじゃあ僕と同じだね。僕もこないだまで見たことなかったから」
前世でも海なし県出身だったので、海とは縁のない人生だった。
「でも海かあ……うーん」
現在、僕らが住むこの山は暗黒竜の領土だ。
先代暗黒竜・レヴニルから力と合わせて土地も受け継いだため、この辺一帯は僕のものだ。それは当然、山脈の北に広がる海域も例外ではないらしく……。
そうヴォルグから教わっていたけれど、いまいち実感が湧かずにいる。
後継者になってから二ヶ月あまり経つけれど、海まで探索を広げられていないからだ。
物思いに浸っていると、レプタがずいっと顔を近付けてくる。
「レイン様はちょくちょく海に行くだろ。海ってどんな感じなんだ?」
「塩を作るのに海水が必要だからね。どんな感じと聞かれてもふつーだよ」
神殿から北側に山を下った先に、ちょうどいい浜辺がある。
そこに眷属スライムのネルネルを連れていって、海水をたんまり持ち帰ってもらうのだ。
あとは海水に能力向上魔法をかけて塩分濃度を上げてやれば、あっという間に大量の塩が出来上がるという寸法だ。
鍋でぐつぐつ煮て水分を飛ばすより、こっちの方が断然早く済む。
「じゃあさ、次の塩を作るときに俺も一緒に連れてってくれよ。それで一緒に遊ぼうぜ!」
「なっ、レプタ! ダメですよ、レインくんのお仕事を邪魔しちゃいけません!」
「うーん。連れてってあげたいのはやまやまなんだけどね」
気心の知れた友達と海で遊ぶ。
いかにも楽しそうなイベントだ。
だけど僕には、レプタの申し出を断らざるを得ない理由があった。
「海まで出るには、険しい山道を越えなきゃいけないんだ。レプタにはちょっと危ないよ」
「じゃあほら、ヴォルグに乗せてくれるよう頼むからさ!」
「いやあ、ヴォルグが僕以外を乗せるかな」
側近、もとい過激派保護者なヴォルグである。
僕が誠心誠意頼み込めば、レプタを乗せてあげるかもしれないけど……絶対にあとでぶーたれるに決まっていた。そのメンタルケアを含めると、割に合わない頼み事だろう。
「そもそも、あの海はまだ僕にとっても未知数なんだ。凶暴な魔物が出るかもしれないし……そんな場所に、友達を連れては行けないよ」
「うっ……魔物はちょっと嫌かも」
レプタは青い顔をしてうろたえる。
リタもどこか肩を落としつつぽつりと言う。
「そうですよ。やっぱりダメに決まってますよね」
「そう言うリタも、ちょっと残念そうだけど?」
「なっ、リタはそんなワガママ言いませんよ」
「本音は?」
「……少し興味がないことはないですが」
リタはごにょごにょと言葉を濁し、そっと視線を逸らした。
レプタが海の話を始めたとき、彼女の桃色の目が輝いていたのを僕は見逃していなかった。
大人顔負けにしっかりしたリタだけど、こういうところは年相応に子供らしいのだ。
そんなわけで、ふたりとも見るも分かりやすくしょんぼりしてしまうのだけど。
僕はふたりを前にして、堂々と宣言する。
「今すぐ連れて行くことはできない。だから、ちょっとだけ時間をくれないかな」
「「へ?」」
ふたりが同時に顔を上げ、キョトンと目を瞬かせる。
その素直な反応に僕はくすりと笑ってしまう。サプライズ成功だ。
「海を調査して、危険がないか確かめるよ。それから安全な道を作る。そうしたら、ふたりとも海で遊べるでしょ?」
「いいのか、レイン様!?」
「そうですよ。リタたちのためにわざわざ手間をかけなくても……」
「ふたりだけのためじゃないよ。みんなの利益にもなるからね」
僕は簡単に山を飛び越えられるから、道なんて必要ないのだけど。
特別な力を持たない亜人村のみんなには、とても重宝してもらえるだろう。
海が使えるようになれば、魚を捕ったり、物資を船で運ぶこともできる。
使い方は無限大だ。
「村のみんなの面倒を見るって言ったのはこの僕だからね。僕には村の生活を豊かにする義務がある。そのためには海の整備は不可欠なんだよ」
「さすがは神様……大物だぜ」
「ええ。大局を見据えています。さすがはレインくんです」
ふたりは素直に尊敬のまなざしを送ってくれる。
僕はますます得意になってニヤリと笑う。
「それにね、海に簡単に行けるようになれば……すごいことが起こるんだ」
「すごいこと……?」
「それは一体……」
ごくり、と喉を鳴らすレプタとリタ。
そこに僕はたっぷり溜めてから、声を大にして宣言した。
「なんと、刺身やお寿司が食べ放題になるんだよ!」
「サシミヤ、スシ……?」
「それ、食べ物の名前なんですか? 聞いたこともないですが」
「すっごく美味しいんだから! ちょうど醤油ができたところだし、着手しないわけにはいかないでしょ! あっ、タコ焼きも作れちゃうかも! ひゃっほー前世ぶりだなあ!」
「タコ……タコってなんだ?」
「さあ……想像も付きません」
ふたりが頭の上に大きなハテナマークを浮かべているのにもかまわず、僕はひとりでヒートアップしてしまう。
実を言うと前世の生まれが関西圏なので、タコ焼きには目がないのだ。
熱々トロトロのまあるい生地の中に、ぷりっぷりのタコぶつが踊る……。
ああもう……想像しただけで、口の中を火傷しそうだよ!
刺身やお寿司も外せない。
やっぱり日本人ならこれを食べなきゃね!
じゅるり、と舌なめずりする僕をよそに、リタとレプタは目配せし合う。
「レインくんはたまーによく分からないことを口走ります」
「神様って個性的だよなあ。レイン様といいエッキーといい」
「待って! 僕ってエキドゥニルと同等にエキセントリックな存在の!?」
「自覚がなかったんですか……?」
リタが呆れたような目を向けてくる。
うーん……気まぐれにケンカをふっかけて、うちに居着いて好き勝手やってる火焔竜と僕が同類……。いやまあ、神様って枠だと同類なのは確かだけど。
「僕って暗黒竜であることを除いたら、いたって常識的な平凡少年だよね?」
「それはない」
「それはないです」
念のために聞いてみると、ほぼ異口同音の答えが返ってくる。
おかしい……ただちょっと、のんびり気ままに暮らしているだけなのに。
「と、ともかくだよ。海の整備は僕にとって、実利と趣味を兼ねた大事な事業なんだ。さっそく明日から着手するよ!」
「ありがとう、レイン様! やったー! 海だ海だー!」
「まったくもう、レプタは現金なんですから」
はしゃぎ回るレプタに、リタは呆れ顔だった。
だけどそんな彼女の口元にも、隠しきれない笑みが浮かんでいて。
「一緒に海で遊ぼうね、リタ」
「は、はい」
僕の誘いに、リタは勢いよくうなずいてくれた。
そのまま彼女は照れたようにはにかんで言う。
「そうなると、今度の冒険は海ですか。楽しいお土産話を期待していますね」
「ちょっとした調査と工事だよ。なにも愉快なエピソードは生まれないって」
僕はそう言って笑ったのだけど。
実際には水のスピリット・ドラゴン――慈水竜の大財宝をめぐって海を股に掛けることになるなんて、このときは思ってもいなかった。
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