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暗黒竜と小さな竜

「いらっしゃい、ジュールさん。本部に帰ったんじゃなかったんですか?」

「たった今戻ったところさ。カルコスの件は引き継ぎが終わったんでね」


 ジュールさんは事もなげに言って、いたずらっぽくニヤリと笑う。


「それより少年、驚いたよ。帰って確認してみれば亜人村が跡形もなく消えていたんだから。周辺ではちょっとした騒ぎになっていたよ」

「あちゃー……それは考えてなかったな」

「まあいいさ。少年の考えは分かるからね、彼らを匿うことにしたのだろう」

「はい。みなさんすっかり気に入ってくださいましたよ」


 神殿裏の空き地に村を移してからは大忙しだった。

 井戸を掘ったり畑を新たに作ったり、山を下りやすいように道を作ったり。


 そんな努力の甲斐あってか村のみんなはここの暮らしに馴染み、あっという間に魔狼族や他の魔物たちと打ち解けた。今ではよき隣人として仲良く暮らしている。


 他の集落や街が多少遠くなったので行商は大変になったが……フェリクスさんは「なあに、この程度の距離ならジョギングがてら行って帰ってこれますよ」と笑っていた。


 こうして幾度かの話し合いを経て、正式に彼らの移住が決まった。

 今夜はそれを祝した大宴会なのだ。

 ジュールさんはそんな話を静かに聞いて、すっと目をすがめて頭を下げる。


「カルコスの件は神竜教の不始末だ。片を付けさせてしまってすまなかったね」

「かまいませんよ。でも、貸しひとつですからね」

「ふっ、暗黒竜に借りを作ったか。ろくな死に方はできなさそうだ」


 ジュールさんは顔を上げ、僕の顔を見つめてニタリと笑う。


「借りを返せるかは分からないが……少年、あたしの本当の仕事を教えてあげよう」

「異端審問官ってやつですよね?」

「役職はね。任務は別にあるのさ」

「……ひょっとして僕ですか?」


 僕がおずおずと問うと、ジュールさんは笑みを深めてうなずいた。


「そのとおり。カルコスの悪事を暴いたのはついでなのさ。あたしは暗黒竜を調査するため、秘密裏に本部から派遣されてきたんだ。そろそろ後任が生まれるかもしれないからってね」

「はあ……それじゃ、本部にはなんて報告するつもりなんですか?」

「もちろん決まっているとも」


 ジュールさんは棒付き飴を僕の鼻先に突き付ける。

 めまいがするほど甘い匂いが鼻腔を突く。

 それにも負けないほど蠱惑的な表情でジュールさんは堂々と言ってのける。


「『新しい暗黒竜は可愛くておっかない少年だ』ってね」

「おっかないは余計ですよ」

「そうかな? 舐められるよりずっといいだろう」


 ジュールさんは飴を咥え直し、おもむろに立ち上がる。


「さてと、そろそろお暇させてもらおうかな」

「もう帰るんですか? ラーメンだけでも食べていってはどうです?」

「祝いの席だろう? 神竜教の者が混じっていては彼らも興ざめだよ。また後日、過払い税の精算ついでにご馳走になるさ」


 ジュールさんはそう言い残し、群衆の間をすり抜けるようにして去って行った。

 誰ひとりとして彼女の姿を気にも留めず、すれ違ったことに気付いてもいないようだった。


 ただひとりエキドゥニルだけはその後ろ姿をちらりと見やり、すぐに興味を失ったように視線を外す。ジュールさんはそのまま、まるで幽霊のように闇に溶けて消えてしまう。


(只者じゃないけど……悪い人でもなさそうだよなあ)


 敵か、味方か。

 その判断はまだまだ保留になりそうだ。

 そんなことを考えながらラーメンを食べ終わり、汁を最後の一滴まで飲み干した。

 僕は丼と箸を置いて手を合わせる。


「ご馳走様でした」

「おかわりはいかがですか、レインくん」


 そこに話しかけてくるのはリタだった。

 リタもすっかり宴を満喫しているようで、頬がほんのり桜色に染まっている。


「ありがと、リタ。でももうお腹いっぱいだよ」

「レインくんは暗黒竜なんですよ。たくさん食べて大きくならないと」

「善処するよ。とりあえず座る?」

「……お言葉に甘えて」


 ジュールさんがさっきまでいたスペースを示すと、リタはおずおずとそこに腰掛けた。

 僕らはふたり並んで宴の賑わいを見物する。


 騒がしい夜だった。これまででは考えられないほどに。

 喧噪にぼんやり浸っていると、ふとした拍子にリタが僕の顔を覗き込み、ふんわり笑って言う。


「ありがとうございます。お父さんたち、リタたち子供の前ではなにも言いませんけど……こっちに来てからずっと笑顔が増えたんです。レインくんはリタたちの神様ですよ」

「そんな大したものじゃないよ」


 僕はやんわりとかぶりを振る。

 彼らに手を差し伸べたのは、神様だからなんてそんなご大層な理由じゃない。


「僕は周りの人たちみんなと、笑顔でのんびり暮らしたいだけなんだ。そのためならどんな労力も惜しまない。それだけだよ」

「ふふ、それって本当にのんびりできているんですか?」

「もちろんだよ。僕はのんびりすることに人生を賭けているんだからね」


 僕が冗談めかして言うと、リタはくすくすと笑った。

 宴席の明かりに照らされたその顔は、どんな宝石よりも輝いて見えた。

 リタは照れたようにはにかんで、後ろ手に隠していた花の冠を取り出す。色とりどりの花が丁寧に編み込まれた、心のこもった品だ。


「お花で冠を作ったんです。よろしければいかがですか?」

「ありがとう! でも、なんでふたつあるの?」

「レインくんの分と、卵さんの分ですよ」

「……ありがと」


 リタは僕の頭にひとつを載せ、もうひとつを手渡してくれた。

 それを大事に受け取って僕はそっと卵に被せる。

 真っ黒な殻に赤や黄色の色彩が加わって、なんだかとっても楽しげだ。

 僕は卵に額をくっ付け、目をつむる。


(レヴニル。あなたの言ったとおり、僕は暗黒竜を楽しんでいるよ。そうしたら……こんなにたくさんの友達ができたんだ)


 種族の垣根を越えて、人々と魔物たちが笑い合う。

 そんな素敵な光景を見ることができたのも、ひとえにレヴニルのアドバイスのおかげだ。

 僕は心からの感謝を捧げ、そして同時にこう願った。


(レヴニルにもこの景色を見せてあげたかったな)


 ちくりと胸が痛んだ、そんなタイミングだった。


 ぴしっ。


 宴席の賑わいにかき消されそうなほど小さな音が、僕の耳に飛び込んできた。


「へ……?」

「た、大変です! 卵さんにヒビが……!」


 思わず目を開くと、目の前には小さな亀裂が入っていた。

 リタが慌てふためく間にも、その亀裂はどんどん全体に広がっていって……パリンと小気味いい音とともに砕け散った。


 あとには一抱えほどの丸っこい生き物が残される。

 ずんぐりむっくりした体を覆うのは、夜闇よりも深い漆黒の鱗。背中には蝙蝠のような皮膜のついた小さな羽が生えていて、大きな口からは鋭い犬歯が覗く。


 その小さなドラゴンは、丸めていた体をのっそり起こす。

 大きなあくびをひとつしてから、まん丸の目で僕を見つめて高らかに鳴いた。


「ぴぃ!」

「う……生まれたあ!」


 僕のすっとんきょうな悲鳴に、宴席がざわついた。

 すぐにヴォルグとネルネル、それにエキドゥニルがすっ飛んできた。

 生まれたばかりの子ドラゴンを見るや否や、ヴォルグは快哉を叫ぶ。


「これはめでたい! レヴニル様の転生卵が孵られるとは!」

「でも、めちゃくちゃ時間が掛かるはずじゃなかったっけ……?」

「坊ちゃまが短期間で多くの信仰を獲得したおかげに違いありませぬ。ううっ……このヴォルグ、坊ちゃまなら成し遂げると信じておりましたぞ……!」

「かわいー! この子がレヴニル様なの?」

「……厳密には違うわ」


 はしゃぐネルネルに、エキドゥニルはかぶりを振る。


「消滅によってレヴニルの魂はリセットされた。この子に残っているのはわずかな記憶と力の残滓だけ。つまりまったく別の存在ってこと」

「そっかー。でも、赤ちゃんが生まれたのはおめでたいよね!」

「そうね。まったく……これじゃあ二百年分の文句も言えないじゃないのよ」

「ぴぃー?」


 エキドゥニルは子ドラゴンの前にしゃがみ込み、雑な手つきでわしゃわしゃとその頭を撫で回す。

 じっと子ドラゴンを見つめる目はわずかに揺れていて、どこか置いてけぼりにされた子供のような表情だった。

 リタはその話を聞いてうーんと唸る。


「それじゃ、レヴニル様と呼ぶわけにもいきませんね。レインくん、この子に新しい名前を付けてあげてはいかがですか?」

「えっ、僕が!?」

「他に誰がいるんです」


 ヴォルグたちもうんうんうなずき、満場一致で名付けの大任を授かることになった。

 僕は子ドラゴンを抱き上げて、最初にぱっと思い付いたものを口にする。


「それじゃあ……チビニルってのはどう?」

「ぴーぃ♪」


 子ドラゴン改めチビニルは満足げに鳴いて、僕の頬をぺろりと舐めた。

 こうして亜人村の新生と、新たな命の誕生を祝う宴は夜通し続き――僕はまたひとつ、暗黒竜として成長したのだった。 

第一部はここまで。また書籍化の詳細などお知らせいたします。

第二部は海が舞台の予定です。海賊の宝を探したり……するかもしれない!

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