暗黒竜の怒り
シュトラントの街は異様な雰囲気に包まれていた。
今にも泣き出しそうな重い雲が街を覆い、街が面する海も荒れていた。
海鳥たちも姿を消して、時折強い風が吹く。まるで嵐の直前のような天候だった。
そんななか、街の広場を取りまくようにして多くの人々が集まっていた。
「何があったの?」
「それが亜人が盗みで捕まったらしいんだけど……」
「なんだか嫌な雰囲気だわ。あの司祭様ったら何を考えているのかしら」
人々の顔には戸惑いが色濃く刻まれ、不安そうに隣の者とヒソヒソと言葉を交わす。
広場の奥には教会が佇み、正面に飾られた丸窓には五竜のステンドグラスがはめ込まれており、十の瞳が集まった人々をじっと見つめている。
彼らが見守るもの。
それは広場に集められた、縄を打たれた亜人親子だった。
彼らは手足を縛られ、膝立ちになって並べられている。
彼らを見張るのは武器を持った兵士たちと、それを率いるひとりの中年男――カルコス司祭だった。
フェリクスはそっと顔を上げ、じっとカルコスを見据えて問う。
「……私どもがいったい何をしたというのですか、司祭様」
「知れたこと。貴様らには窃盗の疑いが掛かっている」
カルコスはふんっと鼻を鳴らし、杖の先をフェリクスへと向ける。
「貴様らは出所不明の金貨を多数所持していた。人もどきである貴様らには、とうてい手にすることの出来ないような大金だ」
「ですから、それは暗黒竜様から預かったもので――」
「……というのは建前だ」
「なんだって……?」
フェリクスはわずかに目をすがめる。
隣のリタも同じように息を呑み、親子はそっと目配せし合った。
「貴様ら、あの暗黒竜と関わりがあるのだろう。先日あの村まで徴税に赴いた兵士らが、眷属どもの姿を目撃していたのだ。言い逃れはできんぞ」
「……それがどうしたんですか」
「ふん、決まっているだろう」
カルコスは戸惑うフェリクスらにニタリと歪んだ笑みを向ける。
「貴様らには暗黒竜をおびき出すためのエサになってもらう。数少ない眷属に累が及べば、隠遁を決め込む暗黒竜も出てこざるを得ないだろう。わしをコケにした、あの眷属の小僧もきっと来る」
「眷属の小僧って……まさかレイン様のことですか?」
フェリクスは小首をかしげるが、カルコスは構うことなく杖を空へと突き上げる。
「今日こそ奴らに目に物を見せてくれる! わしを軽んじた報いを受けるのだ!」
「あの、司祭様はなにか大きな勘違いをしているようですが……大丈夫ですか?」
「なにをバカなことを……」
うろたえる父親の隣で、リタもまた呆れたようなため息をこぼしてみせた。
縄で縛られてもなお、わずかにも臆することなくカルコスへと鋭い目を向ける。
「レインくんは強いですよ。おじさんなんかあっという間に返り討ちです」
「ふん。当然備えはしておるとも」
カルコスは余裕の構えを崩すことなく、リタの鼻先に杖を突き付ける。
「貴様らはエサでもあるが人質でもあるのだ。眷属を盾にされれば思うように暗黒魔法も使えまい」
「っ……この卑怯者! あなたなんかにレインくんは――」
「こら! リタ、やめるんだ!」
なおも気丈に食ってかかろうとするリタの前に、フェリクスが慌てて体をねじ込んだ。カルコスの杖から娘を庇いながら、彼は小声で娘をたしなめる。
「この方を刺激するな。興奮しているから、なにをするか分からないぞ」
「で、でも、お父さん……」
「おまえにもしものことがあったら……母さんに顔向けできない。どうか頼むよ」
「……はい」
フェリクスの真剣な表情に、リタはハッとしてから小さくうなずいた。
そんな親子をカルコスはつまらないものでも見るような目で見つめていた。
ふと視線をずらし、広場の時計台を見やる。時計の針は夕刻間近を刺していて、西の空が裾から少しずつ茜色に染まりつつあった。
「そろそ半日が経つが、暗黒竜に動きがないな。出方をうかがっているのか……?」
カルコスはあごに手を当てて考え込み、再びフェリクスたちを見やる。
「足の一本や二本、焼いてみてもいいやもしれんな」
「っ……娘に手を出すな! やるなら俺をやれ!」
「お父さん! そんなのダメです!」
牙を剥いて吠えるフェリクスに、カルコスはにたりと笑う。
市民らに動揺が走るが、それは見守っていた兵士らも同様だった。
彼らの中のひとり――亜人村のことを報告した兵士が、慌てた様子でカルコスを宥めにかかる。
「か、カルコス様。どうか落ち着いてください。彼らは暗黒竜の手の者なのでしょう。捕縛しただけでも危険だっていうのに、これ以上は……」
「なんだ、貴様はこやつらを庇うつもりか」
「そりゃ止めますよ! 亜人とはいえ、無駄な殺生は教義に反します! 間違いなく異端審問にかけられますよ! だからどうか思いとどまって――」
「ええいやかましい!」
「っっ、ぎゃああああっ!?」
カルコスの怒声とともに紅蓮の炎が兵士を包みこむ。
他の兵士らが慌てて水魔法を使って消火を試みたが、炎はなかなか鎮火せず、諫めた兵士は炎に巻かれたまま地に伏せて動かなくなる。
市民からも悲鳴が上がり、あたりは完全なパニックに陥った。
「ふん、腰抜けどもめ。貴様らがやらぬのならばわしがやる」
阿鼻叫喚の最中、ただひとりカルコスだけは笑っていた。
杖を高々と掲げてフェリクスたちをまっすぐに見据える。
「暗黒竜など恐るるに足らず! 罪人よ、悔い改めよ! ヘル・ファイヤ!」
天高く吠えると同時、杖から巨大な火球が放たれる。
それは唸りを上げながらまっすぐフェリクスたちへと突っ込んで――。
ドガアアアアアアアアアン!
耳を聾するほどの轟音とともに火球が広場に落下した。
あたり一帯は炎と灰色の煙に包まれ、人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。
カルコスは満足げにそれを見つめていたが、ややあってハッとして叫ぶ。
「しまった、やりすぎてしもうたわい。せめて原型が残っていれば使い道もあるのだが……む!?」
一瞬にして、煙と炎がかき消えた。
そこにいたのは呆然とするフェリクスたちと――。
「遅くなってごめんね、リタ」
「レインくん……!」
そんな彼らを背にして仁王立ちする黒髪黒目の幼い少年だった。
◇
間一髪、フェリクスさんたちのピンチに間に合った。
ホッと胸を撫で下ろす僕だったが、ぽかんとしていたリタが突然大きな声を上げて泣きはじめたので肝を冷やした。
「うっ、うっ……うえええええん!」
「うわあっ!? リタ大丈夫!? どっか痛いの!?」
「ち、違います……レインくんの顔を見たら、急に涙があふれて……えええええん!」
「きっと安心したんでしょう」
フェリクスさんも苦笑して、ようやくふたりに安堵の色が浮かんだ。
彼らの縄を手早く断つと、リタがぎゅうっと抱き付いてくる。しゃくり上げながらも、か細い声で言葉を紡ぐ。
「絶対に助けに来てくれるって、信じてました」
「……きっと何度も僕を呼んだよね。すぐに応えられなくてごめんね」
「いいえ。レインくんにも何か事情があったのでしょう」
「事情……ねえ」
僕は軽く空を仰ぐ。
やっぱり、あのはた迷惑ドラゴンにはもう少し反省してもらう必要がありそうだ。
そんなことを考えているとフェリクスさんが恐縮しきったように頭を下げる。
「すみません、わざわざ来ていただいて。俺たちの問題だっていうのに……」
「謝るのは僕の方ですよ。原因を作ったのはこちらですから」
鷹揚に応えていると、後ろの方でどよめきが起こる。
ちらっと見てみれば炎に巻かれて倒れたはずの兵士が、むくりと起き上がっていた。
おかげで他の兵士らはギョッと目を丸くしているのだが、当の本人はどこ吹く風でけろりとしている。少し煤けた頬をポリポリ掻いて呆然とぼやく。
「あ、あれ……俺はいったい……?」
「無理に喋るな! 炎に巻かれたんだぞ!」
「いや……それが全然痛くないんだよ」
彼らのやり取りに僕はほうっと息を吐く。
(こっちも間に合ってよかった)
あの兵士さんはリタたちを庇おうとしてくれた。
だから魔法で効力を高めたポーションを使って、その命をつなぎ止めたのだ。
ひとまず胸を撫で下ろしつつ、僕はとうとう本命に目を向ける。
「さてと……おじさん?」
「ひっ……!」
おじさんは短い悲鳴をこぼして後ずさる。
しかしすぐに足を止めて無理やり不敵な笑みを浮かべてみせた。
僕へと杖を突き付けて、台本を読み上げるように朗々とした声を響かせる。
「その者たちには窃盗の疑いがかけられている。これは我ら、人間の問題だ。暗黒竜の眷属に口出しされる道理はないぞ。もしも敵意を持って介入するというのなら神竜教は貴様らを敵と断じ――」
「そんな屁理屈はいらないよ」
僕はゆっくりとかぶりを振る。
人間同士の揉め事に暗黒竜が首を突っ込めば、世間からの風当たりはより強まるだろう。
だがしかし、それがどうした。
僕が片手を上げて合図すると、ヴォルグとネルネルが風とともに現れる。
「ささ、おふたりはどうぞわたくしの背に」
「巻き込まれないよーに逃げるよ!」
「は、はい!」
二匹はフェリクスさんとリタを安全な場所まで連れて行ってくれる。
これで一安心だ。他の人たちもかなり遠巻きに僕らを見守っているし、巻き込む心配もないだろう。
「おじさんは僕を懲らしめたいんでしょう? だったらやってみなよ」
僕は軽く両手を広げて、泰然と構える。
これから行われるのは喧嘩でも決闘でもなく、ただ神の暇潰しだからだ。
「さあどうぞ。僕は逃げも隠れもしないよ」
「こっ、この……!」
僕の挑発におじさんは面白いほど乗っかってくれた。
顔がますます真っ赤になって、体から深紅のオーラが立ちのぼる。
オーラは炎のように激しく揺れて、おじさんの苛立ちがメラメラと燃え上がっていくのが手に取るように分かった。そしてそこから細い糸のようなものが飛び出して、どこかに続いていることも。
「もう許さぬ! 跡形も残さず消してやる!」
おじさんは杖を高々と掲げて吠える。
その瞬間、足元からまばゆい光が立ちのぼった。
「くっ……!?」
それと同時にめまいを感じ、僕はその場に膝を突いてしまう。
地面を見れば、広場一帯を塗り潰すようにして幾何学模様と細かな文字がびっしりと浮かび上がっている。レヴニルが継承の儀を行ったときに魔法陣を書いていたが、あのときのものとどこか似通っていた。
どうやら僕がここに来るまでに罠を仕込んでいたらしい。
おじさんは勝ち誇るかのように高らかに告げる。
「人質を救出したからといって油断したな! 策は何重にも張り巡らせてこそ! その魔法陣の中では、暗黒の力は極限まで弱まるのだ!」
「たしかに……ちょっとしんどいかもね」
僕は軽く相槌を打つ。
全身が重怠く、痺れているような感覚がある。
あれだけ使いこなせていた影も、まるで他人のものであるかのように繋がりが感じられなくなっていた。
膝を突いた僕めがけ、おじさんは醜悪な笑みとともに杖を向ける。
「紅蓮の炎よ、罪人の穢れを清めたまえ! インフェルノ・フレイム!」
空が真っ赤に燃え上がる。
そっと顔を上げれば数多くの火球がはるか天より降り注ぐところだった。
それらは美しい光の尾を引いて、まっすぐ僕へと落ちてくる。非常に幻想的な光景だった。
(そういえば天体観測って経験したことがなかったなあ)
今度みんなを集めて星を見よう。きっと楽しい夜になるに違いない。
そんなことを考えながら、僕は静かに影へと命ずる。
「影よ、来たれ」
力ある言葉に応えて影が立ち上がり、これまで最も強いめまいが僕を襲う。
だがしかし、これじゃあ不十分だ。僕はもっともっとイメージを強める。
めまいがどんどん強まって頭が締め付けられるように痛む。
だが、それにともなって影は天を突くほど大きく膨れ上がった。影は大鎌の形を取り、天より来る災いを見据えて冴え返る。
「影よ! 我が敵を討て!」
ズバサァッ!
僕が叫ぶと同時、大鎌は火球のすべてを一太刀のもとに斬り伏せた。
空を染め上げるほどの爆炎が上がり、ささやかな火花がはらはらと舞い落ちてくる。
次回は明日の十七時ごろ更新予定です。
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