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暗黒竜の停戦交渉

「坊ちゃま!」

「レイン!」


 ヴォルグとネルネルの慌てた声が響く。

 寸前で突き飛ばしたおかげで、ふたりは巻き込まれずに済んだ。厨房小屋も無事だ。今のところは。


 僕も僕で影の腕でエキドゥニルの蹴りを防いでいた。

 影を二股に分裂させて片方を盾に、もう片方を鎌にして地面に突き刺すことでなんとか蹴りの威力を殺すことができた。


 僕らは影を挟んで睨み合う。

 エキドゥニルは片目をすがめて意地悪く笑った。


「ふうん、今のを受け止めるなんてやるじゃない。少しは楽しめそうね」

「っ……!」


 今のは受け止めるだけでも精一杯だった。

 そうだというのに、彼女にとっては単なるお遊びにすぎないのだ。

 遙かに大きな超存在を前にして僕は震えた。

 恐怖ではなく――怒りで、だ。


「……だよ」

「はあ?」


 怪訝な顔をするエキドゥニル。

 そんな彼女を真正面から睨み付け、僕は全力で怒鳴り付けてやった。


「いい加減にしてよね! 僕にはきみと遊んでる暇なんてないんだよ!」

「ふへっ?」


 呆気に取られた彼女をよそに、僕はそのまま影をしまってそっぽを向く。


「急に来て戦えって言われたって無理だよ。こっちは忙しいんだからね」

「はあー!? 我ちゃんに向かってなによその態度! 生意気なんですけど!」


 エキドゥニルは文字通り烈火のごとく怒り狂う。

 髪が逆立って炎のように揺らめきだし、噎せ返るような熱波が僕を襲う。


「新入りは先輩の言うことに大人しく従うものよ! いいから戦いなさい!」

「それが人にものを頼む態度? 絶対にやだね。べーっだ」

「な、な、なあああ……!」


 一ミリたりともビビってやることもなく、トドメとばかりにあっかんべーしてやると、エキドゥニルの頭からぷしゅーっと湯気が昇った。今ので完全にトサカにきた模様。


 遠くの方でヴォルグとネルネルが慌てているが、これでいい。

 僕はなるべく不敵な笑みを心がけ『ここだけの話』とばかりにエキドゥニルに持ちかける。


「僕はこれからラーメンっていう珍しい料理を作るんだ」

「らーめん……?」

「うん。とびっきり美味しい料理だよ」

「とびっきり……?」


 エキドゥニルの眉がぴくりと動いた。

 どうやら狙い通り興味が動いたらしい。僕はそこに畳みかける。


「エキドゥニルは退屈してるから、楽しいことがしたいんでしょ」

「そうだけど……それがなによ」

「だったら腕試しじゃなくて美味しい料理でもいいんじゃない?」

「ふん。我ちゃんは何万年って生きているのよ。当然、世界中の美食は制覇済みなんだから。らーめんって名前に聞き覚えはないけど、今さら美味しい料理なんて――」

「そのラーメンが異世界の料理だとしても?」

「えっ? 異世界かあ……うーん、異世界ならちょっと気になるかも……?」


 しまいにエキドゥニルは腕を組んでうんうん悩み出す。

 すっかり殺意は引っ込んで、まとっていた熱気も春の陽気くらいに和らいだ。

 そこに慌ててヴォルグが走ってきて、決死の形相で僕を諫めてくる。


「そんなことを言ってよろしいのですか、坊ちゃま! もしもエキドゥニル様がラーメンを気に入らなければ、待たされた分だけ激怒するに違いありませんぞ!?」

「そのときはそのときだよ」


 僕は肩をすくめて言うしかない。


「真正面から戦ったって僕には勝ち目がない。だったらなんとしてでも戦闘を回避するしかないんだよ」


 今の一撃で分かった。

 彼女と僕の間には絶望的なまでの力の差が存在する。

 まともにやり合っても無駄死にするだけだ。だったら搦め手を使うしかない。

 僕は無理やり笑みを浮かべてヴォルグに励ますように言う。


「いざとなったら肩でも揉んで許してもらおう。それでもダメなら……諦めるしかないね」

「ぐうう……そういうことでしたら不肖このヴォルグ、死地にお供いたしましょうぞ」


 ヴォルグは覚悟を決めるようにして唇を噛みながらうな垂れる。

 そんな彼の頭の上で、ネルネルはうーんと体全体をかしげるのだ。


「っていうことは、やっぱりこれからラーメンをつくるの?」

「そうだよ、ネルネル。むしろそれ以外ありえないよ」


 僕はふたたびぐっと拳を握りしめる。


「僕はとにかく今ラーメンが食べたいの! バトルなんてやってる暇ないんだよ!」

「完全にラーメンに目が眩んでいらっしゃる……さてはそちらが本音ですな?」

「わーい。ぼくもらーめん楽しみだなあ」


 虚ろな目のヴォルグに反し、ネルネルは呑気にゆらゆら揺れる。

 内輪でそんな話をしているうちに、エキドゥニルの方も結論が出たらしい。

 ごほんと勿体ぶった咳払いをしてから髪をかき上げ、なんだか優雅なポーズを決めてみせる。


「ふっ、この我ちゃんにそこまで豪語するなんて面白い新米竜ね。だったら待ってあげようじゃない。ただし我ちゃんを満足させられなかったら……あんたの命で償ってもらうわよ!」

「ありがと。それじゃあちょっと待っててね」


 僕はいったん厨房小屋に戻ってから、目当ての品を持って戻ってくる。


「はいこれ。よろしく」

「……これはなに?」


 それを差し出すと、エキドゥニルは目を丸くしつつも受け取ってくれた。

 あまりに予想外の供物だったためか、ツッコミを入れる余裕もなかったらしい。

 僕はにっこりと有無を言わさぬ笑顔を突き付けた。


「もちろん、おたまだよ」

「おたま……?」

「うん。エキドゥニルにはスープのあく取りを任せるね。どうせ待ってる間、暇でしょ?」

「我ちゃんを雑用に使う気!?」


 エキドゥニルがブチ切れてひと悶着あったが、最終的にはしぶしぶ鍋番を引き受けてくれることになった。



 こうして僕らはラーメン作りに取りかかることになった。

 ヴォルグが狩ってきた獲物を捌き、スープを煮て、中華麺を作った。


 チャーシューの肉にはコラリック・ボア――その肩ロースの部分を使った。

 差しが綺麗に入った赤身肉に軽く焼き目を付けて糸で縛り、じっくりコトコト煮込んだのだ。

 味付けは砂糖と醤油のみ。魔法で臭みを消してあるので、癖がなくて誰でも食べやすいやさしい味に仕上がった。


 結果――丸一日かかった次の日のお昼ごろ、とうとうラーメンが完成した。

 僕は出来立てほやほやの一杯をエキドゥニルに差し出す。


「お待たせ! 醤油ラーメンのできあがりだよ!」

「ごくり……」


 丼の中身を覗き込み、エキドゥニルは真剣な顔で喉を鳴らす。

 湯気を立てる赤褐色のスープに沈むのは、まっすぐな中華麺。

 その上には厚めにスライスしたチャーシューと茹でたほうれん草が乗り、刻んだネギが散っている。


 シンプルそのものな一杯だ。

 だがしかし、だからこそダイレクトに食欲を刺激する。


 エキドゥニルも目はラーメンに釘付けだ。

 それでも無駄に強がって、高飛車な微笑を浮かべてみせる。口角は完全に引き攣っていた。


「ふ、ふーん? 見た目は悪くないじゃない。匂いも……初めて嗅ぐ匂いだけど、変な感じはしないし。でもね、大事なのは味よ、味。この我ちゃん様の舌を満足させられるかどうかは――」

「早く食べないと伸びちゃうよ?」

「いただいてあげようじゃないの!」


 僕がツッコミを入れるや否や、エキドゥニルはフォークを手にして勢いよく麺を啜った。

 ずぞぞぞぞっ、と景気のいい音が神殿前に響く。


「っ……!」


 その瞬間、エキドゥニルの目がまん丸に見開かれた。

 そのままチャーシューを齧り、一緒に麺を啜り、スープを飲み干して――あっという間に丼が空になった。さすがは火を司る神様だ。熱さにはめっぽう強いらしい。


 エキドゥニルは口を脂でテカテカにしたまま、その丼をずいっと差し出す。


「おいしいわ! おかわりちょうだい!」

「即オチだあ」


 その嬉しい反応に僕はくすっと笑う。

 とはいえ、調理段階からこの展開は読めていた。

 エキドゥニルはずっと興味津々で鍋や製麺を眺めていたし、チャーシューを味見してもらったときなんかほっぺたを押さえて打ち震えていたからだ。


 僕も自分の丼を手にして麺をずずっとすする。


「うん、確かにおいしい。ちゃんと醤油ラーメンだ!」


 何度も味見した末の完成なので、出来映えは知っていた。

 それでも改めてちゃんとした形で味わう醤油ラーメンは、格別のものだった。

 ホッとする醤油の味も、つるっとした麺の食感も、チャーシューのジューシーさも、何もかも僕の知っているままの、日本の味そのものだ。


(日本だと当たり前に食べていた料理なのに、作るのにこんなに苦労するなんて……僕は遠くに来ちゃったんだなあ)


 感傷に浸る僕だったが、それも長くは続かなかった。

 エキドゥニルが目を吊り上げて丼を押し付けてきたからだ。


「ちょっとレイン! 聞いてるの!? 我ちゃんのおかわりは!?」

「うるさいなあ……僕が食べ終わるまで待っててよ。かわりにはい、これ」

「……なによこれ。お米にチャーシューを刻んで乗せただけ……?」

「チャーシュー丼だよ。ラーメンにはよく合うんだから。どう?」

「なんて乱暴な料理なの! そんなの、そんなのねえ……美味しいに決まってるじゃない! いただくわ!」


 僕の手から器をひったくるようにして奪い取り、勢いよく白米をかき込む。

 こんなこともあろうかとご飯を炊いておいてよかった。

 米を噛みしめてエキドゥニルはくうっと唸る。


「美味しい……! 脂でコーティングされたお米がこんなに美味しいだなんて知らなかったわ……!」

「ふふふ、気に入ってもらってよかったよ」

「本当に目からウロコよ。お米ってパサパサしててあんまり好きじゃなかったんだけど、これはふっくら柔らかで甘くて美味しいわね。いくらでもいけちゃうわ!」


 エキドゥニルはほくほく顔で白米をぱくつく。

 彼女の言うとおり、こっちの世界のお米はインド米に近くてちょっと細長く、炊くとパサパサしていた。カレーとかピラフには適しているだろうが、丼物には向かない。

 そのステータスを魔法で弄ることにより、限りなく日本米に近付けたのだ。


 それが褒められたのだからまさに最高の気分だった。

 ほくほく笑顔で、エキドゥニルにまた別の皿を差し出してみる。


「せっかくだし塩むすびも食べてみる?」

「なにこれ、お米を丸めただけ? こんなの料理って呼べな……おいしい! お塩がお米の甘さを引き立てるわ!」


 おむすびを一口齧った瞬間に、エキドゥニルは大声を上げる。

 なんていうかリアクション芸人だ。

 この世界にもお笑いの概念があるんだろうか。

 そんなふうに大騒ぎするお客様をよそに、ヴォルグとネルネルもラーメンに舌鼓を打っていた。ヴォルグは猫舌なので少し冷ました物を食べているが、それでも満足げに表情がとろんと蕩けている。


「むむう……これがラーメン……なんとも癖になる料理でございますな……」

「チャーシューおいしー! トロトロであまじょっぱーい!」

「まだまだたくさんあるよ。おかわりいるひとー?」

「「「はーい!」」」


 三人分の声が重なって、僕は思わずくすりと笑ってしまった。

次回は明日の十七時ごろ更新予定です。

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