暗黒竜と麹菌
思わぬ場面で出てきた言葉に、僕はきょとんと目を丸くする。
レヴニルを含め六柱いる創世神たち。
そのうち炎の力を司るのが火焔竜……のはずである。
名前も知らないし、当然ながら顔も知らない。
(この場合、遠い親戚が訪ねてくるみたいなものかな?)
のんきな僕とは違ってヴォルグは真剣そのものだ。
「火焔竜様といえばスピリット・ドラゴンの中でも群を抜いた力をお持ちです。悔しいですが……信徒や眷属の数も坊ちゃまとは桁違いです」
「まあそりゃ、火ってそれだけで信仰の対象だもんねえ」
闇を払い、人を温め、それと同時に焼き払うこともある。
地球でも火は古くから崇められる存在だった。
この世界でもそれは変わらないのだろう。
「あ、自分の属性の魔法を使う人が多くても力が増すんだっけ。炎って使い勝手いいし、そういう意味でも強いのかな」
日常でも戦闘でも出番があるだろうし、覚えようって人は多いだろう。
漫画でもゲームでも炎魔法は必ず覚える魔法だったし。
僕がひとり納得していると、ヴォルグはなぜか顔をしかめる。
「それはそうなのですが……坊ちゃま、なぜそうも平然としていらっしゃるのですか」
「えっ、だってレヴニルの仲間が遊びに来るってだけでしょ?」
「全然違います! 火焔竜様は非常に厄介なお方なのですよ!」
ヴォルグはくわっと目を剥き、大きな声で吠えた。
「火焔竜様はよく言えば裏のない性格、悪く言えば血の気の多い方なのです。享楽を好み、そのくせ飽きっぽくて喧嘩好きで……はるか大昔には捧げ物が気に食わなかったとかで、一国を滅ぼしかけた前科があるですぞ!」
「エキセントリックな神様だなあ」
とはいえ、神様って得てしてそういうものなのかもしれない。
そんなとんでもない逸話に、ネルネルは壺の中でぷるぷると震える。
「こわい神さまが来るの……? ぼくも食べられちゃう……?」
「大丈夫だよ、ネルネル。そうなったら僕が守ってあげるからさ」
ネルネルを撫でて宥めながら、僕はヴォルグにジト目を送る。
「ヴォルグも脅かしすぎだよ。どこで聞いたのさ、それ」
「わ、渡り鳥たちでございます。火焔竜様の領土の鳥から話を聞いたとかで」
「じゃあ噂にすぎないじゃん。警戒は必要だろうけど、不必要に怯えちゃダメだよ、他のみんなが不安になるでしょ」
僕たちが変に怯えてしまえば、魔物たちにもそれが伝搬する。
そうなれば山中に変な尾びれの付いた噂が広まってしまうことだろう。
山の平和を守る僕としては、そういう事態はなるべく避けたいところだ。
そう説明するとヴォルグはしゅんっと小さくなってしまう。長い尻尾も股の間に挟んで反省モードだ。
「申し訳ございません……坊ちゃまの危機と先走ってしまいました」
「いいよ、ヴォルグも心配してくれたんでしょ。ありがとね、いろいろ考えてくれて」
「坊ちゃま……!」
瞳を潤ませるヴォルグに、僕はにっこりと笑いかける。
そうしてぐっと拳を握って続けた。
「だいたいね、僕はそんな大きい存在に構っている暇はないんだよ。僕が今戦うべきなのは、小さな小さな存在なんだから!」
「と言いますと……もしやショウユ絡みの話ですかな」
「そのとおりだよ、ヴォルグ!」
途端に胡乱げな顔になったヴォルグにかまわず、僕は天に拳を突き上げて吠える。
「僕の醤油造りには麹菌が足りていないんだ……!」
麹菌とは日本古来より伝わる菌だ。
醤油だけでなく味噌や日本酒を作るには欠かせず、日本食を支える屋台骨となっている。
たしか、稲についた麹菌を長い時間をかけて改良されてきた……らしい。
僕は小屋の隅に安置されていた、一抱えほどの麻袋を持ってくる。中には束ねられた稲穂がぎっしりと詰め込まれていた。
「一応、亜人村からお米ももらってきたけどさ。日本だとこの稲に麹菌がいたんだ。一応、ここにも存在することが分かるんだけど」
鑑定魔法で稲穂のステータスを確認すると、麹菌の文字が確かにあった。
しかしそれと同様に、他の他種多様な菌の名前も含まれていて――。
「ここから麹菌だけを取り出して培養して増やして……っていうのが、どうしたらいいのかさっぱり分からないんだよ!」
醤油造りには麹菌が不可欠だ。
だがしかし、僕にはそれを用意する技術も知識も持ち合わせていなかった。
試しに麹菌以外の菌を殺せないか煮てみたのだが、ある一定の温度を超えると他の菌と一緒に麹菌まで死んでしまった。塩をまぶしても、薬草と合わせてもダメだった。
そもそも前世で見た動画でだって、麹菌はスーパーなどで種麹を買って調達していた。
麹菌を自然から調達しようと考える人なんて、その道のプロや好事家だけなのだろう。
だから素人たる僕は麹菌を調達することをいったん諦めて、魔法を駆使して大豆のいろんなパラメーターを弄ることによって麹菌の働きと同じような効果がもたらせないかと試行錯誤していたのだが……結果、異臭騒ぎを連発するだけで終わった。
僕は頭を抱えて絶叫するしかない。
「うわあああ! ここまで! ここまで材料が揃ったっていうのに! 僕は醤油に出会えないまま人生ならぬ暗黒竜生を終えるんだあああああ!」
「坊ちゃまがここまで腐心するショウユとはいったい……よしよし、ですぞ」
ヴォルグが怪訝そうに唸りながらも、僕の背中をさすって慰めてくれる。
ともあれ彼の反応も無理はない。この悲しみは日本人にしか分からないだろう。
だって醤油があれば肉じゃがが作れるし、刺身だって食べられちゃうのだ。
(なによりラーメンができるんだよ……! 塩ラーメンに逃げる手もあるけど、まずは醤油ラーメンを食べなきゃダメでしょ……!)
夢に手が届くかと思ったのに、あと一歩のところで迷走している。
如何ともしがたい現実に僕が打ちのめされていた、そのときだった。
「こーじきんー?」
ネルネルが不思議そうな声を上げ、僕と稲穂を比べ見る。
そうして体の一部を尖らせて稲をつんつんと突っついた。
「それってここにいる小さいふわふわのこと?」
「……へ?」
その言葉に、僕はハッとして顔を上げる。
たしかに麹菌は頭の方がふわふわしていたはずなのだが……。
「あの、まさかとは思いますがネルネルさん」
「なにそのしゃべり方。なあに?」
「まさか……ネルネルって菌が見えるの!?」
「菌ってこの小さいやつら? うん、見えるよー」
ネルネルはなんでもないことのようにうなずいた。
「なんで!? 菌ってミクロの世界の話だよ!? めちゃくちゃ小さいんだよ!?」
「うーん。そう言われても、見えるものは見えるんだしねえ」
ネルネルも説明が難しいらしく、ねじれそうなほどに体を捻ってうんうん唸る。
そこにヴォルグがそっと口を挟んだ。
「菌というのはよく分かりませぬが、スライム族もまた無数の小さな粘性生物の集合体だと聞きます。ひょっとすると近しい存在なのでは?」
「な、なるほど。奥が深いな魔物って……」
たしか地球でも、粘菌は集団を形成して移動するという。
スライムが同じような存在なら、ミクロの世界はなじみ深いものなのかもしれない。
ともかく僕は藁にも縋る思いでネルネルに頼み込んでみる。
「あのさ、無茶なお願いだと思うんだけどさ……」
「なあにー?」
「その小さいふわふわだけを集めることってできるのかな」
「できると思うよ?」
「そうだよね、無理だよね……って、できるの!?」
「うん。見ててね、あーん」
そう言ってネルネルは稲穂を体の中に取り込む。
そのままもにょもにゅと震えると表面に小さな波が打ち、あっという間に稲穂が溶けて消えてしまった。ネルネルは自信満々に言う。
「はい。これで小さいふわふわだけ残ったよ」
「見えない、けど……《鑑定》!」
ネルネルの中には何も見えない。
だがしかし《鑑定》魔法を使えば、麹菌という名前だけが燦然とそこに輝いていた。
どうやら麹菌以外のすべてを溶かして吸収してしまったらしい。
「まさかネルネル、吸収するものを細かく選べるの!?」
「うん。なんだか最近いろいろできるようになったんだー♪」
「最近……? ちょっと待ってね。《鑑定》!」
今度はネルネルに鑑定魔法を使ってみる。
するとネルネルのレベルが3から5に上がっていた。
その上、溶解液や消化中級、吸収中級、巨大化等々のスキルが増えていた。
「なんかネルネル……強くなってない?」
「そーなの?」
「ふうむ。亜人村のみなが坊ちゃまの信徒になりましたからな。その分、ネルネルもパワーアップして器用になったのでしょう」
「そういう方向での進化もありなんだ……」
ちなみに僕もレベルが3から6、ヴォルグも21から22に上がっていた。
みんなそれぞれ成長しているというわけだ。
「いいや、ともかくネルネル! 麹菌が集まったのならやることはひとつだ!」
僕はネルネルの手(?)をがしっと掴み、頭を下げて全力で懇願する。
「僕の醤油作りを手伝ってください! お願いします!」
「うん! よくわかんないけどいーよー!」
ネルネルはふたつ返事で了承してくれた。
ホッとする僕だが、その隣でヴォルグがいじけて土を掘り始める。
「ネルネルだけが頼りにされている……これでは世話係の名が泣きますわい……」
「いじけてる暇はないよ、ヴォルグには大事なお仕事を任せるんだから!」
「ふむ、それはいったい……?」
ちょっと機嫌を持ち直したヴォルグに仕事を頼むと、目を輝かせて快諾してくれた。
次回は明日の十七時ごろ更新予定です。
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