暗黒竜の醤油作り
シュトラントの神竜教教会。
平時は多くの人々が出入りするはずの場所に、市民の姿はひとつもなかった。
それもそのはず。このところ頻繁に、奥の司祭室からカルコスの怒号が響いていたからだ。
「ええい、忌々しい……なにが暗黒竜だ!」
カルコスは杖を振り上げ、暗黒竜の像へと振り下ろす。
像にはその衝撃でわずかなヒビが入るが、湛える輝きにはわずかにも影響しなかった。
暗黒色のオーラを放ち続ける像を睨め付けながら、カルコスは歯噛みする。
「いつまで経っても姿を見せない暗黒竜もそうだが、なによりあの小僧だ! このわしを幾度もコケにしおってからに……どうにか目に物見せてやれないものか」
カルコスは険しい顔をしたまま司祭室をうろつく。
彼は元来、神を崇める心などこれっぽっちも有していなかった。
ただ少しばかり裕福な家に生まれ、楽に稼げると思ったからこの道に進んだ。それだけだ。
スピリット・ドラゴンは神に等しい存在だが、中にはずいぶんと俗っぽい者もいる。
財があればそうした者に取り入ることも難しくなく、カルコス自身もそうやって眷属になった。
そのままこの、それなりに大きな街で司祭の座を得て、悠々と私腹を肥やす生活を送っている。
この国では神竜教が政の一端を担っており、各街の教会が税金の徴収や治安維持などを一任されている。カルコスはそうした特権を笠に着て好き放題していた。
暗黒竜の神殿が近いことだけが唯一の欠点だったが……その暗黒竜も力を失って完全に隠居してしまっているようで、脅威にはなりえなかった。本部も遠いし、どんな悪事もバレはしない。
ゆえに、カルコスはこの地方の小さな王だった。
逆らう者はただのひとりも存在しない……そのはずだった。
あの少年――暗黒竜の眷属だけが、彼の経歴とプライドに大きく傷を付けたのだ。
本部からは『暗黒竜との接触はまだか』とせっつくような封書が届いていた。
しかしカルコスの頭にあるのは『いかにして接触するか』ではなく『いかにして意趣返しをするか』のみだった。
「しかしあの小僧の力はまぎれもなく本物だ。真っ向から立ち向かっても勝機はない。なんぞ弱点などあればよいのだが……まったく、ジュールもなんの役にも立たん。本部から出向してきたというに、やはりあれもただの小娘か」
ぶつぶつと呟いていたところで、部屋の扉がノックされる。
カルコスは少し眉をひそめたあと、入るように告げる。
するとおずおずとひとりの兵士が顔を出した。
「カルコス様。少々お耳に入れたいことがございまして……」
「なんだ、今わしは忙しいんだ。暗黒竜の処遇について考えねばならんからな」
「それが、その暗黒竜の情報なんです」
「なに?」
片目をすがめるカルコスに、兵士は報告をはじめた。
それを聞くにつれてカルコスの眉間からしわが消え、かわりに目にはギラギラした光が宿る。
「それで……いかがいたしましょう。やはり監視を付けますか?」
「いいや、その必要はない」
カルコスはゆるゆるとかぶりを振って、歪んだ笑みをうかべてみせた。
王に逆らえばどうなるか、知らしめる好機が来たようだ。
「今からでも踏み込むぞ。暗黒竜につけ込む材料だ」
◇
その日は朝からうだるように暑かった。
まだ春も半ばだというのに気温はぐんぐん上がる一方で、ギラギラと照りつける太陽は絶好調だった。
魔物たちも木陰で涼んでいるのか、暗黒竜神殿に誰も遊びに来なかった。
おかげで神殿まわりは静かなものだった。
そんななか、明け方から出かけていたヴォルグが慌てた様子で帰ってくる。
「大変ですぞ坊ちゃま、大変で――なんだ、この悪臭はッッ!?」
帰って来るなり、ヴォルグはとてつもない剣幕で叫んだ。
とはいえ彼の反応も当然だった。神殿にはひどく酸っぱい臭いが立ちこめていたからだ。
臭いを嫌って、ヴォルグ以外の魔狼族は見回りだとかお散歩だとか適当な理由を付けてみんな出払ってしまっている。残っているのは僕だけだ。
「お帰り、ヴォルグ」
神殿の隣に建てた掘っ立て小屋から僕は手を振る。
先日、土地を広げるために多くの樹木を伐採した。そのときの材木を作って建てた小屋である。
出入り口が大きく作られており、広い中にはかまどと多くの壺が並んでいた。
僕の専用厨房だ。最近はもっぱらここで料理に励んでいる。
しかめっ面で近付いてくるヴォルグに僕は手を合わせて謝罪する。
「ごめんね、また失敗しちゃってさ」
「はあ……坊ちゃまはまだその怪しげな儀式を続けているのですか」
「儀式じゃないよ! これはれっきとした料理なんだからね」
僕は小屋に並ぶ壺を指し示す。
中には茶色くてどろっとした液体が詰め込まれており、神殿一帯に漂う異臭はここから生じていた。僕はヤケクソで宣言する。
「ズバリ、醤油を作っているところなんだよ!」
「ショウユでございますか……聞いたこともございませんな」
「平たく言うとしょっぱい調味料なんだけどね」
大豆、麦、塩を発酵させて作る、日本料理の要。
それが醤油だ。
この世界には存在しないようだが、先日亜人村に行ったとき偶然にも大豆を入手することができた。
大豆も麦も塩もあるとなれば、当然やることはひとつ。醤油造りに他ならない。
「醤油が作れたら、いろんな料理ができるんだ! ヴォルグやみんなにも食べさせてあげたいんだよねえ」
「はあ。それで、失敗し続けていると」
「うぐっ……だって詳しい作り方って知らないし……」
前世でスローライフ系動画を漁っていたときに、自家製醤油を作る動画も見たことがあるので、おおまかな手順は分かる。だがしかし、温度を何度にキープしたまま何日寝かして――みたいな細かい情報を覚えているはずもなかった。
そのため見よう見まねの醤油造りを試し、毎度失敗してしまっているというわけだ。
壺の中のどろっとした液体は一見すると醤油っぽい。
しかし鼻を突き刺す刺激臭は間違いなく腐敗臭だ。
壺ごとに色合いも違い、カビが生えているものもあった。
「うう……上手くいかないなあ」
「レインー! 新しい大豆、取ってきたよー!」
「あっ。ありがと、ネルネル」
黄昏れていると、大きく膨らんだネルネルが戻ってくる。
体の中は大豆でいっぱいだ。それを革袋の中にすべて吐き出してもらえば、いつも通りのクッションサイズに縮む。
亜人村からもらった大豆を、彼らに教わったとおりに畑で栽培しているのだ。
能力向上魔法を用いて育成速度を上げれば、わずか一週間足らずで収穫できるまでになる。養分の管理も万全なので、大豆はつやつやのピカピカだ。
ちなみに醤油造りも発酵速度を上げている。
おかげで僕はこうして短期間のうちに失敗作を連発しているというわけだ。
「手早く収穫できるから、材料には困らないんだけど……さすがにこんなに無駄にし続けるのは気が引けるなあ」
「大丈夫だよ、失敗したやつはぼくが責任持って食べてあげるから。とうっ!」
そう言ってネルネルは壺に飛び込んで、中の液体を一滴残らず吸収してしまう。
このあとスタッフが美味しく食べました、というやつである。
そのため食材を無駄にしているわけではないのだが……やっぱりどうしても心は痛む。
(むむむ……いや、分かってるんだよ。僕のやり方には決定的に足りないものがあるって)
だがしかし、それを調達する方法が分からないのだ。
僕は腕を組んで天を仰ぐしかない。
「どうしたもんかなあ……」
「坊ちゃまも坊ちゃまでいろいろ大変なのですなあ」
ヴォルグは神妙な顔で相槌を打つ。
僕の奇行が理解できないなりに、理解を示そうという姿勢がありありと伝わった。
それでも臭いものは臭いのか、眉間にはずっとしわが寄りっぱなしだった。申し訳ない。
「そういえば、何が大変なの? さっきなにか言ってなかったっけ?」
「っ、そうでございました!」
ヴォルグはハッとして居住まいを正し、声を低くして言う。
「火焔竜様が坊ちゃまとの接触を図ろうとしているようです!」
「火焔竜って……まさか、スピリット・ドラゴン?」
次回は明日の十七時ごろ更新予定です。
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