暗黒竜様歓迎祭
降臨はわりと簡単だった。
フェリクスさんの存在を強く意識すると、頭の中に地図が浮かび上がる。
その地図上に光る点を選ぶと、次の瞬間には僕らの姿は光に包まれ、瞬きしただけで周囲の景色が一変した。
そこは見渡す限りの平原だった。
人があまり立ち入らないのか道らしき道がなく、草が生え放題になっている。
そしてそのただ中には小さな村がひとつだけぽつんと存在していた。
村の周りを簡素な柵で囲ってかがり火を灯しただけで、人家はまばら。
手前には広めの畑が見えるが、人の姿はどこにも見当たらない。もちろん、フェリクスさんやリタの姿も。
しかし彼らがここにいることは気配で分かった。
僕らは急いで村の中へと突入する。
「フェリクスさん! どこですか! リタも無事で――」
「「「いらっしゃいませ暗黒竜様!」」」
「ふへえっ!?」
そして一歩足を踏み入れた途端、人家の影から大勢の人々が飛び出してきた。
獣耳や尻尾の付いた亜人たちや、獣そのものの姿で二足歩行する獣人たち。
そんな老若男女は満面の笑みで僕らに詰め寄った。
「ささ、こんなところで立ち話も何ですし」
「どうぞどうぞ、広場の方へ!」
「お付きの方々もぜひ!」
「わー! 狼さんとスライムさんだー!」
「へ? へ? ……へ!?」
「なっ、何をするのだ貴様ら!?」
「うわああっ!?」
そのまま僕らは花の冠や首飾りという歓迎を受け、あれよあれよという間に村の奥へと連行された。
そこには広場があって椅子やテーブル、それに数々の料理が並べられていた。
色とりどりの旗が飾られ、板を継ぎ合わせた急ごしらえの看板にはこう書かれている。
『暗黒竜様歓迎祭』
こうして気付いたときには、僕らは大宴会の中心にいた。
目の前のステージで激しいダンスを披露する獣人に拍手を送りながら、僕は問う。
「これは……一体どういうことなんですか?」
「すみませんすみませんすみません!」
フェリクスさんがぺこぺこと頭を下げる。
ここに連行されてすぐ、申し訳なさそうな顔をして現れた。
彼に怪我はなく、一緒に来たリタも無事だった。リタは呆れたように肩をすくめる。
「どういうことかと聞かれれば、文字通りレインくんを歓迎するお祭りです」
「ええ……っていうか、さっきのフェリクスさんの悲鳴はなんだったの。それを聞いて飛んできたんだけど」
「みんなが暗黒竜様に会いたがって、お父さんに詰め寄ったんです。そのときでしょうね」
「ま、紛らわしい……いやまあ、ふたりが無事でよかったけどね」
「本当に恐縮です……」
フェリクスさんは大きな体をさらに縮ませてますます小さくなってしまう。
そんな彼とは対照的に祭りは大盛り上がりだ。獣人のダンスが終わると、そのすぐあとに楽器を手にした亜人がやってきてうっとりするような弾き語りを披露してくれる。
人々も酒や料理に舌鼓を打ち、わいわいと楽しげな声がいくつも聞こえた。
「わーいわーい狼さんおっきー!」
「次はぼくだよ! ぼくが乗せてもらう番なのに!」
「これ! ケンカするでない! 仲良くみなで乗るのだぞ!」
「スライムちゃんはもちもちでかわいいねえ」
「えへへー。もっと触ってもいいよ?」
ヴォルグとネルネルは子供たちに大人気だし、すっかり溶け込んでしまっている。
僕はんな喧噪を眺めながら、リタにそっと笑いかける。
「久しぶりだね、リタ。元気してた?」
「そんなに久々でもないですよ。十日ぶりなだけです」
リタもくすりと笑って、いそいそと革袋を取り出す。
中には金や銀、それに銅の硬貨がぎっしりと詰まっていた。
それを僕に手渡してリタは淡々と言う。
「こちらが、レインくんからいただいた魔物素材を売って得たお金です。金貨十四枚と銀貨十枚、銅貨八枚になりました。半分はリタたち村のお金にして、残りをレインくんのお金としてしっかり管理しますね」
「頼りになるなあ……でも、こんな大金持ってて大丈夫?」
「平気ですよ。村の中に泥棒するような悪い人はいないし、よその人はそんなに来ませんから」
「そ、そう……?」
自信満々に言うリタに、僕はなにも言えなくなってしまう。
彼女の管理に不安はない。ただ、大金はトラブルの元だ。
しばらく貨幣とは無縁の生活をしていたものだから、そのことがすっぽりと頭から抜けていた。ずっしりと重い革袋を手にしてようやく思い出したというわけだ。
(ちょっと心配だなあ……)
気を揉みつつも、僕は改めて祭りを見回した。
目が合った人はみんな笑顔で手を振ってくる。これでもかという歓迎ムードだ。
「そういえば、どうしてみんなが僕に会いたがったの? 世界中から嫌われる暗黒竜だよ?」
「それはですね――」
「なにをおっしゃるんだい暗黒竜様!」
「うわっ」
突然背後から大声が降りかかって、僕は小さな悲鳴を上げてしまう。
見れば料理の載ったお盆を持った獣人がニコニコ顔で立っていた。
トカゲ型の獣人さんで、声で年かさの女性だと分かる。彼女はイタズラっぽくウィンクして続けた。
「あんたはあたしらの村長を助けてくれた大恩人なんだろ。だったら相手が邪神だろうとなんだろうと、たっぷりお礼しないと罰が当たるってもんだ」
「村長?」
「一応、俺のことです」
フェリクスさんが困ったように頭を掻く。
「いつの間にか押し付けられたんですよ。村長なんてタマじゃないってのに」
「そうですか? むしろ納得です。義理堅いから頼りにされているんでしょ?」
「そのとおりさ! 暗黒竜様は見る目があるじゃないか!」
「マアドさん……レイン様にどうか失礼のないように……」
豪快に笑うおばさんに、フェリクスさんはハラハラするばかりだ。
でも、僕はむしろ心地いいくらいだった。
(肝っ玉母さんってこういう人を言うのかなあ)
前世も今世も母を知らないが、なんとなくそう感じた。
僕はマアドさんににっこりと笑いかける。
「ありがとうございます。歓迎してもらえてうれしいです」
「ふふふ、可愛い神様だねえ。ささ、遠慮なく食べておくれよ!」
そう言っておばさんは僕の前に手際よく皿を並べていく。
木の器にたっぷり盛られた料理は野菜中心で素朴な色合いが多かった。
野菜のスープ煮や黒いパン、魚の香草焼き……どれもこれも手の込んだ料理ばかりだった。
「おいしそう! 村の皆さんが作ったんですか?」
「そうさ。ここで採れたもんばっかりだから貧相で悪いけどね」
「そんなことないですよ。十分なご馳走で……」
「うん? どうしたんだい、暗黒竜様」
僕が急に一点を見つめて黙り込んだものだから、マアドさんはきょとんとする。
そんな彼女にはおかまいなしで、僕は皿のひとつに震える手を伸ばす。
小指の爪ほどの小さな豆がトマトと一緒にふっくらと煮られたひと品だ。
その豆に、僕は頭がくらくらするほどの既視感を覚えていた。
「これまさか……大豆!? 大豆じゃないですか! ここって大豆があるんですか!?」
「チャマメのスープ煮がそんなに好きなのかい?」
「い、いえその、あの……!」
気が逸って言葉がうまく出てこない。
水を一息で飲み干して、僕はおずおずと言う。
「あの、ずっとこの豆を探していたんです。これがあればいろんな調味料が作れるんです」
「へえ! そのまま食べる使い道しか知らなかったよ、暗黒竜様は博識だねえ」
「だから、えっと、その……」
僕はごくりと生唾を飲み込む。
大豆があれば味噌や醤油、豆腐などを作ることができる。
(野菜も肉も麦もあるし、この上さらに大豆もあれば……ほんとにラーメンが作れちゃうよ!?)
夢に手が届く緊張で、潤したばかりの喉がカラカラに渇く。
それでも僕は一生懸命にお願いする。
「この豆がほしいんですけど……お願いできますか?」
「それなら村の備蓄に余裕があるし、お土産に持たせてあげるよ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「あはは、なんなら育て方も教えてあげようか。あたしはチャマメを育てて三十年のベテランだからね」
「い、至れり尽くせりです! 頼もしすぎますよ、マアドさん!」
がははと笑うマアドさんに、僕は自分が神様だということも忘れて祈りを捧げた。
大豆が手に入って、なおかつ大量生産できたらもう言うことはない。
「あっ、その分のお金はちゃんと支払いますね。リタ。僕のお金からお願いできる?」
「へ? あっ、は、はい。ただいま」
「どうかした?」
リタに声を掛けると、一拍遅れて返事がかえってきた。
どこかハッとしたように顔を上げ、慌てて革袋の硬貨を数えはじめる。
そういえば、マアドさんが来てからまったく会話に入ってこなかった。なんだか顔色もちょっと暗いみたいだし……。
(なんか変だな?)
不思議に思っていると、マアドさんがくすりと笑う。
「支払いなんてかまわないさ。それよりもっといい方法があるよ」
「と、いいますと……?」
「暗黒竜様は強いんだろ?」
そう言ってマアドさんは広場の裏側を指し示す。
そこにも村の表同様、大きな畑が広がっていた。
しかしこちら側は獣に荒らされたのか、一部の作物が掘り起こされて悲惨なことになっている。
マアドさんは荒らされた畑を指し示し、小さくため息をこぼして言う。
「ここいらを荒らす魔物を、ちょっとばかし討ち取ってくれたらうれしいね」
次回は明日の十七時ごろ更新予定です。
少しでもお気に召しましたら、お気に入り登録や↓の☆☆☆☆☆から評価をよろしくお願いします!