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暗黒竜とピンチの気配

 こうして食事の時間は穏やかに進んだ。

 ジュールさんだけでなくヴォルグやネルネル、ほかの魔物たちもおかわりしたので、あっという間に鍋は空になった。

 そのまま元の影に戻せば、汚れなんかも綺麗さっぱりなくなる。やっぱり便利な魔法だった。


 ジュールさんは棒付きの飴をぱくっと咥えて腰を上げる。

 最初に来たとき以来、彼女は僕の前で一度もタバコを吸っていなかった。

 大きく伸びをしてからふうと息を吐く。


「出立前の腹ごなしができた。感謝するよ」

「あれ、これからどこかに行くんですか?」

「ああ。神竜教の本部まですこし野暮用があってね。あたしは本部から研修に来ている身なんだ」

「だからおじさんの命令をぞんざいに扱うんですか……?」

「そんなところだね。本当の上司は別にいるのさ」


 ジュールさんはひらりと手を振り、改めて僕に向き直る。

 真正面から僕を射貫く眼差しはどこか試すような気配を孕んでいた。


「少年。いくつか忠告しておこう。カルコス様の動向に気を付けたまえ」

「……どういうことですか?」

「あの方は教会内でも出世欲が強い方でね。暗黒竜への交渉役も進んで買って出たほどだ。それなのにきみにやり込められただろう? ずいぶんと根に持っているようだ」


 そこで言葉を切って、ジュールさんはイタズラっぽく笑う。


「きみを異端審問に掛けられないかあれこれ策を巡らしているらしい。お笑い種だろう?」

「なんですか、それ?」

「まあ平たく言うと、神様に大きく背いた輩を裁く場だね」

「バカな! 坊ちゃまは暗黒竜であるぞ! 裁かれる側ではない!」

「そのとおり。だが、道理の分からぬものというのはいつの世も存在するよ」


 吠え猛るヴォルグに肩をすくめ、ジュールさんは続ける。


「そういうわけだ。あの方の動向には注意したまえ」

「分かりました。おじさん含め、怪しい人が来たら全力で追い返します」

「うむ。カルコス様はともかく、兵士らは加減してやってくれよな。嫌々従っているだけだからね」


 僕が力強く宣言すると、ジュールさんは軽くうなずいた。


(あのおじさんは加減しなくてもいいんだな……)


 本当にこの人、神竜教の神官なんだろうか。

 ちょっとした疑念を覚えたところで、ジュールさんは話を変える。


「あとそれと、スピリット・ドラゴンたちがきみに興味津々らしい」

「へ?」


 ついでとばかりに投下された爆弾は、僕だけでなくヴォルグを固まらせるだけの威力があった。

 ただひとり(一体?)ネルネルだけは首をかしげてみせる。


「スピリット・ドラゴンって、暗黒竜の仲間ってやつ?」

「たしかに彼らはレヴニル様同様、この世界を形作った創世神であらせられるよ」


 光、闇、土、水、炎、風。

 それぞれの力を司る神様が、スピリット・ドラゴンと呼ばれるものだ。


 そして僕の育ての親――先代暗黒竜レヴニルもそのひと柱だ。

 ジュールさんはくすりと皮肉げに笑う。


「だがしかし、仲間かどうかは諸説あるね。彼らはレヴニル様が信仰の対象から外されたとき、一切の擁護をしなかった。おまけにあれから一度も、この地を訪れていない。そうだろう、狼くん?」

「……よく知っておるな、人間のくせに」


 ヴォルグはジュールさんを睨むだけで、否定することはなかった。


「それを聞いてどう思う、少年。彼らを恨むかい?」

「……いいえ」


 暗黒竜が忌み嫌われる存在だと知ったときから、ずっと彼らのことは気になっていた。

 たしかにそれが真実なら薄情だとは思う。

 だが、恨むかどうかはまた別の問題だ。

 僕はかぶりを振ってふんわりと笑う。


「僕はほかのスピリット・ドラゴンについてなにも知りません。なにが好きで、どんなふうに物を考えるのかとか……だから、好きになったり嫌いになったりするのは、会ってからでも遅くないと思うんです」

「そうかい。やっぱりきみは賢い子だね」


 ジュールさんは満面の笑みを浮かべてみせた。

 僕はそんな彼女ににっこり笑いかけ、神殿の方を見やる。

 あの中でレヴニルとはいろんな話をした。レヴニル自身が何かを語ることはそう多くなかったが……。


「それにほかのスピリット・ドラゴンについて、レヴニルが悪く言ったことなんて一度もないんです。みんなひと癖もふた癖もあるけど、いい奴らばっかりだって言ってましたよ」

「ほう、そうおっしゃっていたのか。それを聞いたらあいつも喜ぶだろうよ」

「……あいつ?」

「おっと口が滑った。今のは忘れてくれ」


 ジュールさんは少し破顔したあと口元を押さえる。

 そのわざとらしい仕草に、僕はある可能性に思い至る。

 じっと彼女のことを見つめるとステータスが浮かび上がった。しかし、フェリクスさんに見えたようなオーラはどんなに目をすがめても見えなかった。


(誰かの眷属かと思ったんだけど……違ったのかな?)


 そんなふうに首をかしげる横で、ヴォルグもまた難しい顔で考え込んでいた。


「むう……スピリット・ドラゴン様方が坊ちゃまに興味を……厄介なことにならねばよいのだが……」


 三者三様の思い渦巻く、そのときだった。


『レイン様!』

「うわあっ!?」


 突然頭の中でフェリクスさんの大声が響いた。

 おかげで僕は飛び上がり、あたりをキョロキョロ見回す。

 しかしスープを食べる魔物たちがいるだけで、亜人親子の姿はどこにもない。


「えっ、なんだろ……今確かに、フェリクスさんの声がしたんだけど」

「あの者が祈っているのでしょう。眷属の祈りはスピリット・ドラゴンに届きます」


 ヴォルグはあっさりと言う。


「眷属の声が届くだけでなく、こちらの声を送ることもできますぞ。他にも眷属のいる場所に移動する『降臨』や、眷属を呼び出す『召喚』など便利な神技がいろいろと使えます」

「えっ、じゃあ世界中に眷属がいれば世界旅行も簡単にできちゃうわけだ」

「そういうことですな。まあ、坊ちゃまの眷属はまだ三名ですが……」

「でも少なくとも、フェリクスさんのところには行けるんだね」


 さすがは神様。けっこうなんでもできちゃうわけだ。

 ともかく僕はごほんと咳払いして、フェリクスさんの声に応えてみる。


「えーっと……どうかしましたか、フェリクスさん」

『わあっ! 本当にレイン様の声が聞こえた!』


 フェリクスさんは子供のように大はしゃぎした。

 声を弾ませて言うことには――。


『先日、種や肥料をご所望でしたよね。無事にご用意ができましたよ』

「本当ですか!? まだ十日も経っていないのに早いですね」

『なあに、これくらい朝飯前です。仕事のついでに持参しようと思うのですが、ご都合はよろしいでしょうか?』

「もちろん! いつでも大歓迎です!」


 僕は空に向けてガッツポーズする。

 種と肥料が手に入れば、ようやく畑が完成する。

 僕のスローライフがますます完成に近付くというわけだ。


『それはよかった。では明日にも――って、うわあ!? な、なにをするんだ、おまえたち!』

「!?」


 急にフェリクスさんの悲鳴が届き、高揚した気持ちが一瞬で吹き飛んだ。


「フェリクスさん!? どうしたんですかフェリクスさん!」


 慌てて呼びかけてみるが、なにやらバタバタしていて声が聞こえない。

 彼に危機が訪れたということは……リタも危ない!

 僕はヴォルグたちに向けて大きな声で叫ぶ。


「フェリクスさんが襲われたみたいだ! 助けに行かなきゃ!」

「なんと! ではわたくしも同行いたしましょう!」

「あそびに行くの? ぼくも行くー!」


 ネルネルがぴょんぴょん跳ねて僕の頭に乗っかる。

 敵がどれだけの数か分からないため、味方がいるのは心強い。


「すみません、ジュールさん! 行ってきます! ジュールさんもお気を付けて!」

「気遣いありがとう。少年も行ってらっしゃい」


 ジュールさんは軽く手を振り、僕たちのことを見送ってくれた。

次回は明日の十七時ごろ更新予定です。

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