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暗黒竜の炊き出し日和

 ぽかぽかあたたかな日差しの元。

 暗黒竜の神殿前では、巨大な鍋が火に掛けられていた。


 大鍋は僕がすっぽりと収まりそうな大きさで、たっぷりのスープがぐつぐつと音を立てている。

 具材は野菜の切れ端と肉だけだが、よく煮えて原型をなくす直前くらいトロトロだ。


 大鍋のまわりにはかぐわしい香りに誘われた多くの魔物たちが、お椀のスープをふうふう冷ましながら食べている。まるでキャンプや遠足の昼食風景だ。

 丸太を切って転がしただけの椅子にかけながら、僕はそのスープをお椀によそう。


「はい、どうぞ。ジュールさん」

「うむ。頂戴するとしよう」


 そうしてそのお椀を、真向かいに座るジュールさんに手渡した。

 身内以外にごちそうするのは初めてだ。

 彼女がひと匙すくって口へと運ぶ様子を、僕は固唾を呑んで見守った。

 細い喉が小さく鳴って、ジュールさんは目を丸くする。


「……うまい」


 ため息とともに、僕の求めたひと言がぽつりとこぼれた。

 それに僕はホッと胸を撫で下ろす。


「お口に合ってよかったです。自分でもなかなか上手くできたと思っていたんですよ」

「口に合うなんてもんじゃないよ。こんなにうまいスープは初めてだ」


 ジュールさんは夢中になってスープをすする。

 そのスプーン捌きは、彼女の感想がお世辞でないことを如実に物語っていた。

 おかげで僕は得意になって熱く語ってしまう。


「最近料理に凝っているんです。まだシンプルなものしか作れないけど、このスープだって海水から取った塩で味付けして、じっくり五時間煮込んであくも丁寧に取ったんですよ!」

「奥深い趣味だね。まあ、それはいいんだが……」


 ジュールさんはそこで手を止め、じっと鍋を見つめる。

 鍋は日の光を反射しないほど真っ黒で――端っこからは細い糸のようなものが飛び出して、僕の影に続いていた。


「その鍋、きみの影だろう。熱くないのかい?」

「それが全然平気なんですよ!」


 十日ほど前、僕はフェリクスさんたちから多くの野菜をもらった。

 それらを使って料理をしてみようと思い立ち調理器具をどうしようか悩んだとき、ふと足元の影が目に付いたのだ。

 試しに鍋の形にして火に掛けてみると、まったく熱さを感じないのに中に入れた水はすぐに煮立った。


 どうやら影には感覚がないだけでなく、高い熱伝導率を誇るらしい。

 そのことが分かってから、僕のライフワークに料理という項目が燦然と輝くようになったのだ。


「便利なんですよ。フライパンにも包丁にもなる万能調理器具です!」

「操影魔法を料理に活用した人間は、有史以来きみくらいのものだろうねえ。さて、おかわりをいただけるかな」

「ぜひぜひ。まだまだたくさんありますから」


 ジュールさんからお椀をもらって、たっぷりのスープをよそう。

 このお椀やスプーンも木を削って作ったものだ。魔物たちが食べにくるので大量生産したため、影を使った細かい作業の練習にもなった。


「はい、どうぞ。ジュールさ……えっ、なになに、どうしたのさヴォルグ」

「なりませぬぞ、坊ちゃま!」


 ジュールさんにお椀を手渡そうとしたところで、僕らの間にヴォルグがぬっと割り込んだ。

 その背中ではネルネルが体全体でお椀を抱えてスープをもりもり平らげていた。平和だ。

 眉間に深いしわを寄せた難しい顔でヴォルグは言う。


「神竜教の人間にそれ以上の施しを与える必要はございません。この者は坊ちゃまに取り入る気でいるのです。ゆめゆめ油断されませぬよう!」

「ヴォルグはまたそういうことを言って」


 僕はヴォルグを押しのけ、ジュールさんにお椀を渡す。

 たしかに彼の言わんとするところは分かるし、僕だって神竜教には不信感しかない。

 しかし僕は肩をすくめるのだ。


「ジュールさんが本気で僕に取り入る気なら、もっとやり方があるはずでしょ。今日に至っては手ぶらでご飯を食べてるだけだよ、この人」

「ぐぬぬ、そのとおりではございますが……おいこら人間! 坊ちゃまに土産のひとつもないとはどういう了見なのだ!」

「さっきと言ってることが真逆だよ、ヴォルグ」

「仕方ないじゃないか。いつもの飴屋が休みだったんだから」


 ジュールさんは悪びれもせずにさらっと言う。

 彼女の訪問はこれで五回目だ。

 今日もカルコスとかいうおじさんと貢ぎ物をわんさか積んだ馬車も一緒だったのだが――。


『またあなたですか。いらないから帰ってください』

『貴様には聞いておらん! 暗黒竜を早く出すがいい!』

『しつこいですよ! 暗黒竜はあなたと話す気はありません!』

『うぎゃあああああっ!?』


 ……と、こんな感じに脅して帰っていただくのが恒例行事と化している。

 ジュールさんだけはおじさんたちが帰るのをしれっと見送って、こうしてしばらく僕らと駄弁るのだ。

 手土産は飴だけ。今回はそれもなかった。

 これでゴマを擦っているつもりなら大した物である。


「お察しの通り、あたしはカルコス様からそういう指令を受けているよ? 『女の方が気を許すかもしれない。必ずや暗黒竜と接触するのだ』ってね」

「やはりか! ならば容赦は――」

「だがしかし、だ」


 牙を剥きかけたヴォルグを片手の平で制し、ジュールさんは楽しそうに笑う。


「少年はまだあたしを信用していない。この段階で神竜教の人間として交渉を持ちかけた瞬間、あたしを追い返すつもりだろう?」

「ほへっ? そうなのですか、坊ちゃま」

「当然でしょ」


 きょとんとするヴォルグに、僕はのんびりと答える。


「ジュールさんは今のところ教団の中じゃまだマシだけど、だからって簡単には信じられない。暗黒竜を邪神認定する団体だしね。だから今はこの人の人となりを見定めている段階なんだよ」


 それには対話が不可欠だ。

 ジュールさんもそれを理解して、雑談に応じてくれているのだろう。

 そう説明するとヴォルグは神妙な顔でうな垂れる。


「むう……申し訳ございません、坊ちゃま。そんな深い考えがあったとはつゆ知らず、いらぬ気を回してしまいました」

「そんな落ち込まないでよ。これからもどんどん意見を言ってよね、頼りにしてるよ」

「ははっ! 畏まりました!」

「ふふ、そういうわけであたしは堂々とサボりに来ているってわけさ。分かったかな、ヴォルグくん」

「っっ! 神聖なる暗黒竜の神殿をサボり場にするでない!」


 まとまりかけたところで、ジュールさんがヴォルグを煽って険悪な空気が戻った。


「よいか、人間! わたくしも坊ちゃま同様目を光らせておるからな! 怪しい動きがあれば即刻その首に噛み付いて――」

「ねえねえ、ジュール。ぼくね、またあのキラキラした宝石がたべたいなあ」

「おお、お気に召してもらえたかな。それなら次来るときに買ってくるとしよう」

「わーい! 約束だよ!」

「ネルネル! おぬしも懐柔されてどうする!」

「あはは……」


 騒ぐ三人を見て、僕は苦笑するしかない。


(ほんっと何を考えてるんだろ、このひと)


 神官として不真面目に見えるが、あのときレヴニルに捧げてくれた祈りは本物だった。

 何がジュールさんの真実か、僕は未だに見通せずにいる。


「ジュールさん。ひとつ聞いてもいいですか」

「かまわないよ。スープをご馳走になったしね」

「ジュールさんは……僕が暗黒竜だって信じてくれるんですか?」

「ふふ、さあね」


 ジュールさんは口の端を持ち上げ、ニヒルに笑う。

 神職に似つかわしくないはずのその表情は、しかし彼女によく似合っていた。


「言ったろう、自分の目で見たことしか信じないたちだと。きみは眷属にしてはやる方だが、暗黒竜としてはまだまだだ」

「なにを言うか! 坊ちゃまを愚弄する気ならば許さんぞ!」

「では狼くん。きみのご主人様の力は、全盛期のレヴニル様に並ぶかい?」

「ぐ……っ!」


 吠え猛るヴォルグだったが、その問いかけに口を噤んでしまう。

 ジュールさんは面白そうに目を細めて、僕の頬をつんっと突いた。


「もっと成長したまえよ、少年。そしたらこの偏屈も考えを改めるかもしれないぞ」

「それはつまり、未熟な暗黒竜としては認めているってことなのでは?」

「さあね」


 ジュールさんは誤魔化すようにウィンクして、ふたたびスープを味わうのだった。


「ああ、しかし。ほんとに美味いスープだなあ。この肉がまた絶品だ。牛か豚に近いが……いったい何の肉なんだい?」

「ミノタウロスです。この前三体も倒したので、肉がたくさんあるんです」

「あの高級食材か! そりゃ美味いはずだ。都で店を出すといい。きっと大流行するはずだよ」

次回は明日の十七時ごろ更新予定です。

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