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暗黒竜の暗黒商談

 ふたつ返事で了承してくれたフェリクスさんたちを連れて、僕は作ったばかりの畑へ案内した。

 雑草ひとつない畝を見て、彼は目を輝かせた。


「これは立派な畑ですね!」

「すごいです。日当たりもいいし、お野菜がたくさん育ちそうです」


 リタもほうっと見蕩れてくれる。


「えへへ、そうでしょ……って、何やってるの、リタ」


 ちょっと得意になっていた僕だったが、リタが急に枝を拾って地面に文字を書きはじめたのだからびっくりした。

 彼女が書いていたのはこの世界の数式だ。

 五歳前後が使いこなせるとは思えない難しい計算式を迷いなく書き連ね、最後にリタはぱあっと顔を輝かせる。


「経費や自分たちで食べる分を差し引いても、相当な収益が見込めそうです! すごいですよ、レインくん!」

「いや、自給自足が目標なだけだよ……?」


 行商人の子は逞しい。

 リタの熱意に押されつつも、僕は頬をかいてぼやく。


「野菜や果物を育てたいんですけど、まだ種すら入手できていないんです。だからフェリクスさんに、ここの土にあった野菜の種を頼めないかと思って」

「お任せください。どれどれ」


 そう言ってフェリクスさんは土をすくい上げる。

 粒の大きさや色などをしっかり見極めて悩んでから、にこやかに言う。


「そうですねえ、この土質ならインジンやコロイモなんかがいいかもしれません」

「それってどんな野菜なんですか?」

「ええ、現物があるのでご覧に入れましょう」


 フェリクスさんは背負っていたリュックを漁り、やがてとある野菜を取り出した。

 円錐型でオレンジ色のもの。土がついていて丸くてごつごつしたもの。

 どこからどう見ても、地球で慣れ親しんだ野菜そのものだ。


「ニンジンにジャガイモだ! すごい! おいしそう!」


 神竜教の馬車からちらっと見えていた野菜たちと、早い再会となった。

 僕はそれらを受け取ってため息をこぼしてしまう。

 人参は赤みが強くてツヤがあり、ジャガイモはしっかりとした固さがあった。どれも新鮮そのものだ。


 フェリクスさんとリタは、僕の喜びっぷりを前に相好を崩す。


「暗黒竜様のお言葉ではそう言うんですか? 初めて聞くなあ」

「ニンジンにジャガイモですか。かわいい名前ですね」


 リタはクスクスと笑って野菜を示す。


「みーんなうちの村で採れたお野菜なんです。レインくんに気に入ってもらえたら嬉しいです」

「気に入るなんてもんじゃないよ! 今の僕に一番必要なものだよ!」


 僕は野菜を抱きしめて熱弁を振るう。

 なんせ、このふたつがあればいろんな料理が作れるのだ。

 調味料は別途準備する必要があるが……スープくらいならすぐできるだろう。

 感動に打ち震えていると、ネルネルが訝しげに野菜をつんつんしてくる。


「ねえねえ。これって本当にレインも食べられるの? すっごく固そうだけど」

「煮てスープにしたり、薄くスライスしてサラダにしたり、いくらでも食べ方があるんだよ」

「にる? すらいす? なにそれ!?」

「ふふ、今度作ってあげるね」


 無邪気に跳ねるネルネルに、僕らはみんなほんわかする。

 フェリクスさんもくすっと笑って言う。


「それじゃ、まずはこの野菜を受け取ってください」

「いいんですか!?」

「もちろんですよ。時間をいただければ種や肥料なんかも用意しますし……あっ、なんなら農業指南書も必要ですか? なんでも言ってくださいね」

「至れり尽くせりです! ありがとう……あっ」


 そこで僕はハッと現実に引き戻される。

 肝心なことがすっかり頭から飛んでいた。

 ダラダラと冷や汗を流して固まる僕に、フェリクスさんは首をかしげる。


「どうしたんですか、レイン様」

「ごめんなさい……僕、お金を持っていないんです」


 生まれてこの方、この神殿で暮らしてきた。

 だから当然、この世界の貨幣なんか見たこともない。

 落ち込む僕に、フェリクスさんはさっぱりとした笑顔でドンッと胸を叩く。


「支払いなんかかまいませんよ。命を救ってもらったお礼です!」

「でも、フェリクスさんとリタはこの野菜を売って生活しているんですよね……?」

「は、はい。村の収穫物を代表して売りに出るんです」

「だったらなおさら受け取れませんよ!」


 畑を作るだけでも、僕は相当苦労した。

 こんなに立派な野菜を育てるなんて、もっともっと大変なはずだ。


 だからこの野菜はフェリクスさんとリタだけでなく、他の村人たちの血と汗の結晶なのだ。

 それを何の対価もなしに受け取るなんてできるはずがなかった。

 しかしフェリクスさんはリュックから更に野菜を取り出すのだ。


「遠慮なさらず。どうせ売れ残りで荷物になるだけだし、他のも是非もらってください」

「うわっ、タマネギに長ネギ……それに麦まで!?」

「もう。お父さんはすぐ安請け合いするんですから」


 そんな父を前にして、リタは呆れたように肩をすくめる。


「レインくんだから許しますが、他の人相手の商談ではしないでくださいよ。このあいだだって、せっかく手に入れた魔物の素材を安値で買い叩かれちゃったんですから」

「あれはほら、病気のお子さんの薬にするって言ってただろ。だから負けたんだよ」

「あの商人さんは独身です! そんなことも忘れてしまったんですか!」

「いやだって、隠し子って線があるかもしれないし……」


 リタに叱りつけられて、フェリクスさんはしゅんっと小さくなる。

 見た目は虎みたいにゴツいのに、結構気が弱いらしい。


「リタのが強いんだね。どっちが子供だか分かんないなあ」

「ええ。だからリタもお仕事についていくんです。お父さんひとりだとカモにされて終わりですから」

「うう、娘が逞しくてつらい……」


 しょんぼりするフェリクスさんに、僕はくすりと笑ってしまう。

 しかし親子に和んでいられたのは束の間のことだった。

 先ほどの会話を思い返して、僕は思わず叫んでしまう。


「って、魔物の素材って売れるんですか!?」

「ええ。物によっては高値が付くこともありますね」

「それなら……!」


 僕は後ろに控えていたヴォルグにびしっと命じる。


「ヴォルグ、資材置き場のもの全部持ってきて! 頼んだよ!」

「ははっ! かしこまりました!」


 ヴォルグはすぐに僕の意図を察して風のように駆け出していった。

 ややあって、彼は大きな包みを咥えて戻ってくる。


 それを広げれば、中からいろんなガラクタが飛び出してきた。

 骨や角、毛皮に輝石。これらはみんな、僕が暗黒竜を継いでから討ち取った魔物のものだ。何かに使えるかもしれないと思い、神殿の奥にしまっていた。


「どうでしょう。これって売れますか?」

「こ、これはまさか……!」


 フェリクスさんはごくりと喉を鳴らし、ガラクタへと手を伸ばす。

 はたして彼が掴んだのは、包みそのものだった。

 先日仕留めた大イノシシの毛皮である。

 ネルネルが手伝ってくれたので、けっこう綺麗に剥ぐことができたのだ。


「コラリック・ボアの毛皮!? 最高級品と名高くてセレブご用達の、あの!?」

「えええっ!? お父さん、リタにも見せてください!」


 リタもまた虫眼鏡を取り出して、毛皮をじっくりと検分する。

 その目は五歳児のそれではなく熟練の鑑定人そのものだった。


「この毛艶と色……間違いありません。本物です。この大きさなら金貨十枚を下りません!」

「具体的な価値が分かんないな……金貨ってどれくらいの大金なの?」

「そうですねえ。金貨一枚あれば、ひと月は家族で豪遊できます」

「それが十枚も!?」


 文字通り、目玉が飛び出るような大金だった。

 他の素材もざっと見てもらったところ、すべて値段が付くようだった。

 リタの見立てでは全部合わせて金貨十四枚ほど。知らない間に僕はかなりの資産を蓄えていたようだ。


 そうと分かれば話は早い。

 僕は素材を包み直し、そのままフェリクスさんへぽんっと手渡した。


「じゃあこれ、もらってください。野菜のお礼ってことで」

「「…………はい!?」」


 フェリクスさんとリタの声が綺麗にハモった。

 ふたりは完全に固まってしまうのだが、先に正気を取り戻したのはフェリクスさんだった。

 真っ青な顔で包みを押し返し全力の遠慮を示す。


「そんなバカな! さっきの野菜全部合わせてもせいぜい銅貨五枚とかですよ! それに対する報酬が金貨十四枚分の魔物素材だなんて……これじゃあこっちがもらいすぎです!」

「でも、ここに置いといても仕方ないですし」

「レインくんが町まで売りに行くのはダメなんですか?」

「それも考えたんだけどねえ」


 五歳の子供がこんな高価な品を売りに行ったら、間違いなく騒ぎになる。

 難癖を付けて買い叩かれるかもしれないし、そもそもどこに行けば買い取ってもらえるのかも分からない。身分を証明しろと言われたら詰む。


 そういうわけで、商売に慣れたフェリクスさんたちに託すのが一番いいと思えたのだ。


「他にも色々頼みたいし、全部ひっくるめた前払いってことで。どうか受け取ってください」

「いやいや、それにしたってこんな高価なもの受け取れませんって!」

「うーん。これじゃあ話が平行線だなあ……」


 この山で手に入らない物を都合するには、外部の協力者が不可欠だ。

 神竜教に頼るのは論外。

 だから何としてでも僕はここで彼の首を縦に振らせる必要があって……あれこれ考えた結果、いい案が浮かんだ。ちょっと脅すような気がして悪いけど、背に腹は代えられない。

 僕はフェリクスさんににっこり笑う。


「フェリクスさんは僕の眷属になったんですよね?」

「は、はあ……それがなにか?」

「つまり僕の子分みたいなものです。子分に獲物を分け与えるのも、親分の務めだと思うんです」

「……また一本取られてしまいましたね」

「ふふ、お父さんの負けですよ」


 リタはフェリクスさんの背を励ますようにさすり、堂々と言う。


「それじゃあこの素材は責任持って、信用できるところに買い取ってもらいます。それでそのお金をレインくんからの預かり金として、必要なものの購入に充てますね。かまいませんか?」

「そんな感じでよろしく。手間賃ってことで、お金の半分くらいはリタたちがもらってね」

「半分!? 半分でも金貨七枚です! 大金ですってば……!」

「でも、眷属なんですよね?」

「ぐっ、ぐぬぬぬぬ……わ、分かりました」


 フェリクスさんは断腸の思いという顔をしながらも首肯した。

 僕が渡した包みをしばしぼんやり見つめていたが、やがてうつむき加減のか細い声で言う。


「正直なところ、今年は不作だったんです。でも金貨七枚もあれば……村のみんなで食べていくことができます。本当に、なんとお礼を言っていいやら……」

「……独り占めしようって考えないんですね」

「滅相もない! そんな罰当たりなことできませんよ!」


 フェリクスさんは慌ててぶんぶんと首を横に振る。

 そんな父親の姿に、リタもどこか誇らしげだ。

 どうやら僕の判断は正しかったらしい。


「よろしくお願いします。フェリクスさんとリタなら安心して任せられそうだよ」

「お任せください。お父さんのザル勘定と違って、リタは帳簿の付け方も完璧ですから」

「いやいや、お父さんだってそんなにミスしないぞ。三回に一回くらいだからな」

「……くれぐれもよろしくね、リタ!」


 二回念押しして、こうして僕は心強い眷属を手に入れたのだった。

 僕らのやり取りを微笑ましそうに見守っていたヴォルグが、満足そうに笑う。


「ふぉっふぉっふぉ。坊ちゃまも暗黒竜としてやるようになりましたな」

「よくわかんないけど、レインの友達が増えたってこと?」

「そういうことだね」


 弾んだ声で聞いてくるネルネルに、僕はそう答えた。

 そんな僕らの真上をカラスの集団が飛んでいく。空を見上げれば、もうすっかり夕暮れだ。イベント盛りだくさんの一日が静かに終わりを迎えようとしていた。


「そうだ! 今日はもう遅いし泊まっていってよ。みんなでご飯を食べよう!」

「ええっ!? そこまで世話になるわけには……」

「わーい! リタ、あそぼ! ぼくの仲間を紹介するね!」

「本当ですか? お願いします、ネルネルちゃん」


 こうして渋るフェリクスさんを説き伏せて、暗黒竜一門はお客さんのおもてなしに乗り出して――魔物肉をたらふく食べさせて、ぐっすり寝かせ、しこたまお土産を持たせて送り出したのだった。

次回は明日の十七時ごろ更新予定です。

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