暗黒竜の新たな仲間
積もる話もあるので、僕は親子を暗黒竜神殿まで案内した。
ふたりは魔狼族の背中に乗って山を登るうち、どんどん顔が強張っていって、神殿を目にしたときには卒倒しそうなほど真っ青になっていた。
そして――。
「僕はレインっていいます。このまえ継承の儀式をして、暗黒竜になりました」
「は……?」
神殿の中へと招き入れて僕が名乗ると、ふたりは言葉を失った。
そのまま目を丸くして固まってしまって、神殿内の空気が凍り付く。
さすがに居心地が悪くてそっと目を逸らした、そのときだった。
「こ……後継者様でいらっしゃいましたかあああああ!」
「うわっ!?」
フェリクスさんが僕の目の前に、ずざざっと勢いよくひれ伏した。
僕はぽかんとするほかないのだが、そんなことにはおかまいなしで、彼は額を地面にこすりつけながら、なおも声を張り上げるのだった。
「暗黒竜様に後継者が現れたことは風の噂で存じておりましたが、ご本人……いえ、ご本竜様とは知らず大変な失礼を……! 本当に、本当に、平に陳謝いたしますううううう!」
「い、いえ、全然です。大丈夫ですから、その……どうか顔を上げてください!」
僕はオロオロとフェリクスさんを宥めることしかできなかった。
怖がられるとか、信じてもらえないとか、いくつかのパターンを想定していたが、この反応は予想外だった。戸惑う僕に、きょとんとしたリタが問うてくる。
「レインくんが暗黒竜様? つまり神様なんですか?」
「そ、そうだけど」
僕はおずおずとうなずく。
するとリタの顔がぱあっと輝いた。
「すごい! リタ、神様に会うのって初めてです! 握手してくれませんか?」
「えっ、えーっと……どうぞ」
「えへへ。ありがとうございます!」
リタは僕の手を両手でぎゅうっと握りしめ、花が咲いたように笑う。
「神様もリタたちと同じで、手があったかいんですね。リタとお父さんを助けてくれて、どうもありがとうございました」
「どういたしまして……?」
「こらリタ! レイン様に失礼だぞ!」
僕と握手してはしゃぐリタのことを、フェリクスさんが慌てて引き剥がした。
対する僕は握手したばかりの手をまじまじと見つめる。
ジュールさんに続き、握手したのは今世二人目だ。しかもそれが同じ年頃の女の子だったから、なおさら心がぽかぽかした。
「えへへー、レインって人気者なんだねえ」
「そんなわけないと思うんだけど……」
ほのぼのと笑うネルネルに苦笑して、僕はヴォルグにひそひそ声を掛ける。
(暗黒竜は怖がられる存在だって、嘘だったの……?)
(そのはずなのですが……)
ヴォルグも訳が分からないとばかりに、親子をちらちら見やる。
(ひょっとすると、彼らが亜人なのが関係しているのやもしれませんな)
(あっ、やっぱりこのふたり、普通の人間じゃないんだね)
彼ら親子には、揃って獣の耳が生えていた。
川辺では気付かなかったが尻尾もある。
それらはピクピク動いて作り物でないことを証明していた。
それなのに他の特徴は僕ら人間とほとんど変わらず、非常に興味深かった。
コソコソ話をする僕らに気付いたのか、フェリクスさんはごほんと咳払いをして居住まいを正す。
その顔にはどこか強固な覚悟が滲んでいた。
「それで、暗黒竜様が俺にいったい何のお話があるんですか? まさか禁域に立ち入った報いとして命を差し出せとか、つまりはそういうことで……?」
「えええっ!? そうなんですか、レインくん!?」
「せっかく助けたっていうのに、そんな無茶なこと言いませんよ!」
僕は慌てて彼に事情を説明した。
命を救うため、眷属にしてしまったこと。ほかに手段がなかったこと。
それらを手短に伝えると、フェリクスさんは目を白黒させる。
「なんだって! 俺が暗黒竜様の眷属に……!?」
「……はい」
僕は重々しくうなずいて、再度ヴォルグに意見を求めた。
「あのさ、誰がどこの眷属かって分かるものなの?」
「ええ。力のある者ならばオーラが見えるはずです」
「あっ、ほんとだ」
フェリクスさんをじーっと見つめると、薄らと暗黒色のオーラが見える。
そこからか細い糸のようなものが飛び出して僕に繋がっていた。それが眷属である証しなのだろう。
「つまり、フェリクスさんが暗黒竜の眷属だって、見る人が見れば分かるわけだ」
「そのとおりでございますな」
「そのー……フェリクスさん。山の外での暗黒竜の評判って、どんな感じですか?」
「ええっ!? えーっと、その、ですねえ……」
僕の質問に、フェリクスさんはビックリ仰天といった様子で飛び上がった。
目を泳がせて黙り込む彼にかわり、リタがハキハキと答えてくれる。
「大昔に暴れ回った悪い神様だって、そう聞いています。教会でお祈りしたり、魔法を使ったりしたりしたらダメだってことも」
「こら、リタ! もうちょっと包み隠さないとダメだろ!」
「あー……だいたい聞いてたとおりかも」
となると、フェリクスさんが僕の眷属であるのは非常にまずい。
下手をすると彼に迷惑がかかるかもしれない。
「このままってわけにはいかないよね。どうしよっか、ヴォルグ」
「それならば、眷属を辞めさせることもできますが」
「えっ、それ本当?」
「はい。破門という手がございます」
眷属がスピリット・ドラゴンの意に沿わないときや、反旗を翻したときなどに、その権能を奪う手段として破門できるのだという。破門すると眷属との繋がりは断たれ、オーラも消える。
現状ではうってつけの手だ。
だから僕はニコニコしながらフェリクスさんに提案するのだが――。
「それじゃフェリクスさん、今から破門するんで待ってて――」
「えええっ!?」
フェリクスさんが発したその大声は、神殿を揺るがすほどだった。
それには居合わせた全員が呆気に取られた。
思わず僕は慌てて彼に尋ねてしまう。
「急に大声を出してどうかしたんですか」
「い、いえ、差し出がましいことなんですが……」
フェリクスさんは一旦口ごもってから、覚悟を決めるようにぐっと拳を握る。
そうして僕をまっすぐ見つめて、こう懇願するのだった。
「このままじゃダメですか?」
「……へ?」
「たしかに俺みたいな亜人では眷属には不十分でしょう。ですが……」
フェリクスさんはそこで言葉を切ってリタを見つめる。
少し涙ぐんでから、僕に改めて頭を下げた。
「レイン様は、俺と娘を救ってくださった恩人です。その恩を返すためにも、このままあなた様の眷属でいさせてください。誠心誠意、お仕えします!」
「え……えええええええ!?」
その真摯なお願いに、今度は僕が大声を上げる番だった。
神竜教のおじさんと兵士たちは、僕らを完全に危険分子として扱った。
それが暗黒竜に対する世界の目なのだと思い知った。
だから、フェリクスさんのお願い事はまさに青天の霹靂と呼ぶほかない。
「暗黒竜は、この世界で恐れられる存在なんじゃないんですか?」
「……それは私どもも同じことですから」
フェリクスさんは苦笑してかぶりを振る。
どこか疲れたような微笑みに、彼が一気に老け込んだように錯覚した。
訝しむ僕に、フェリクスさんはハッとして付け加えた。
「どうやらレイン様はご存じないんですね。俺たちみたいな亜人や獣人は、この世界では迫害される存在なんですよ」
「えっ!? どうして!?」
「……姿形が違うからです」
それに答えるのはリタだった。
彼女もまた眉を寄せ、自身の尻尾をちょんっとつまんで言う。
「普通の人は耳も尻尾もありません。だからリタたちのことを怖いって、変だって言うんです」
「それだけ? 亜人や獣人が、何か悪さしたってわけでもないのに?」
「『違う』ということは、それだけ不気味なのでしょうね」
多くの場所で、亜人や獣人は『人』として認められていないらしい。
戸籍を得ることができず、本来受けられるべき福祉や教育を受けられず、そのくせ税金を持って行かれる。
唯一、南東の新興帝国は亜人の王が治めるため、彼らにも権利が認められる。
しかしここから遙か遠い場所にあるため、路銀を工面できず移住を諦めるものも少なくない。
リタはしっかりした言葉で説明してくれて、フェリクスに目配せしてこう締めくくった。
「だからずっと話していたんです。暗黒竜様はリタたちと同じかもしれないね、みんな誤解しているだけで、いいひとなのかもしれないねって」
「す、すみません。暗黒竜様が俺たちと一緒だなんて……不敬にもほどがありますよね」
「ううん、そんなことありませんよ」
僕はかぶりを振って、ふと思い至る。
「ひょっとして、だから礼拝に来てくださったんですか?」
「はい。ちょっと近くまで立ち寄ったので……でもまあ、神竜教の方々に追い払われちゃったんですけどね」
「それで道に迷ってしまってあんなことになったんです」
リタはぶるりと震えてから、僕を見やってにっこりと笑う。
「でもまさか、暗黒竜様に助けていただくなんてびっくりです。レインくん、すっごく強くてかっこよかったです」
「そ、そうかな。えへへ……」
まっすぐな称賛の言葉に僕は頬をかいて苦笑する。
そんな僕を見て、ネルネルもまた得意げに胸を張った。
「そーなんだよ。レインはすっごく強いんだから! 僕の自慢なんだ!」
「もしかして、スライムちゃんもレインくんの眷属なんですか?」
「うん! ネルネルっていうんだ、よろしくね、リタ!」
「よろしくお願いします、ネルネルちゃん。スライムのお友達も初めてです」
握手し合ってふたりは笑う。種族を越えた友情が結ばれた瞬間だった。
ともかく僕と彼らは世界の爪弾き同士というわけだ。
不思議な仲間意識を覚えつつあった僕に、ヴォルグがそっと進言する。
「坊ちゃまのお心次第です。いかがなさいますか?」
「うーん、そうだねえ……」
僕はそこに至ってもまだ躊躇していた。
「本当に大丈夫ですか? 僕の眷属だってバレたら、フェリクスさんに迷惑がかかるんじゃ……」
「なんのなんの。ご心配には及びません」
フェリクスさんはからりと笑って、分厚い胸板をどんっと叩いた。
「俺たちは同じような仲間たちとともに土地を借り、小さな村を作って暮らしているんです。気のいい奴らですし、きっと受け入れてくれますよ」
「他の人たちは、あんまりリタたちと関わろうとしません。だからきっとバレませんよ」
「それは……いいのか悪いのか分かんないね」
僕は苦笑するしかない。
いつの間にか親子で僕に詰め寄って、説得しにかかっていた。
これは折れざるを得ないだろう。彼らの言葉はどこまでもまっすぐで、信じてみようという気にさせられた。
僕はほんのり赤らんだ頬をかきながら、フェリクスさんに頭を下げる。
「それじゃあ、その……よろしくお願いします」
「はい! なんなりとご命令ください、レイン様!」
フェリクスさんは意気込んで、腕まくりしてぐぐっと立派な力こぶを披露する。
「眷属になってから、力が漲るようなんです。がむしゃらに働いて、この命に代えてもレイン様のお役に立ってみせます!」
「せっかく助けたんですから、命を掛けるのはなしでお願いします」
「うっ……こ、これは一本取られましたね。ははは……」
「まったくもう。お父さんはすぐ調子に乗るんですから」
リタが呆れたように肩をすくめ、神殿内に明るい笑い声がいくつも響いた。
(そうだよな。色んな人がいるよなあ)
暗黒竜に偏見の目を向ける者。
どこか傍観者めいた者。
色眼鏡を捨てて信じてくれる者。
多種多様な人がいる。そのあたりは地球も異世界も変わらないのだろう。
そんな当たり前のことを噛みしめる僕に、フェリクスさんは恭しく言う。
「だったら、なにかご入り用の物はありませんか? 俺たちは行商をしているんです」
「ええ。村で採れた野菜なんかを町に売りに行くんですよ」
「野菜!?」
リタの補足した言葉に、僕はガバッと顔を上げる。
神竜教からの貢ぎ物は全部そのまま持って帰ってもらった。
そんな僕にとってフェリクスさんの申し出はまさに千載一遇だ。
僕は緊張で強張る舌を無理やり動かして、ひとつお願い事をする。
「あのー……だったら見てもらいたいものがあるんですけど」
「俺でよければ喜んで!」
次回は明日の十七時ごろ更新予定です。
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