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暗黒竜と巡礼者

 魔狼族の若者に導かれて、僕らは山を駆け下りた。

 ずっと住んでいた神殿は山の中腹にあって、山を下りたのはこれが初めてだった。


 山の麓には川が流れていた。

 川辺にはゴロゴロとした大きな岩が転がっていて、川幅は広い。

 水流は清く澄みきっており、あちこちで魚の跳ねる音がした。


 昼下がりの穏やかな日差しが降り注ぐなか、いくつもの獣の咆哮が轟く。


「失せろ! この者たちに手出しすることは許さぬ!」

「ブルルル……」


 川辺にいたのは棍棒を手にした大きな魔物たちだった。

 二本足で立つシルエットは人間のようだが、頭部は牛そのもので、三日月型の角が二本生えている。


 前世で見た地獄絵で、亡者たちを虐げていた牛頭という獄卒にそっくりだ。

 それが三体もいて、魔狼族二匹を取り囲んでいる。


 魔狼族は身を低くして威嚇体勢を取るのだが、牛頭たちは歯牙にも掛けていないようだった。

 あきらかに舐めてかかっている。

 その魔狼族が背に庇うのは――。


「お父さん! しっかり……しっかりしてください!」

「うう……」


 旅人めいた出で立ちのフードを被った人間ふたりだった。

 ひとりは小さな女の子で、血だまりに倒れた大人にすがり付いて泣いている。

 そばには大きなカバンや鍋などが散乱していて、ふたりが旅人だとうかがい知れた。


「ブゴォオオオオ!」

「ひっ……!」


 牛頭の一体が雄叫びを上げて、空高く棍棒を振り下ろす。

 女の子が小さく悲鳴を上げると同時、僕がその場に間に合った。

 魔物たちの背後に躍り出て大きな声で叫ぶ。


「影よ、来い!」

「ブモッ!?」


 影の一部が伸び上がり、鞭のようにしなって棍棒に絡みつき、女の子へ振り下ろされる寸前でその動きを止める。得物を封じられて、牛頭たちに動揺が走った。

 その一瞬の隙を突き、僕は追撃を畳みかけた。


「影よ、来い!」

「ッッ……!」


 残った影全体が槍に変化し、牛頭の首筋に突き刺さった。

 牛頭は断末魔を上げることもできず、しばし痙攣してからぐるんっと白目を剥いて脱力する。一体はこれで仕留められた。


(よし! 影を別々に操る練習、積んでてよかった!)


 これまで僕は影全体をひとつの形に作り替えていた。

 それを練習の結果、複数に分けて操ることが可能になったのだ。今はまだふたつ操るのが精一杯だが、それだけでもこの通り十分すぎるほど手数が多くなった。


 一体が討ち取られたことで、残った二体が慌てて反撃に転じようとする。

 しかし遅い。彼らの背後にはヴォルグがすでに構えている。


「ヴォルグ、頼んだよ!」

「承知! 魔狼双破撃!」

「ブゴッッ!?」


 ヴォルグが一体に素早く飛びかかり、前足の爪で斬りかかる。

 牛頭は為す術もなく切り刻まれて、あっさりと地面に沈んだ。残るは一体。


「あとは僕が……って、ネルネル!?」

「こらーーっ!」


 もう一体を仕留めようとしたところで、僕の服の中からネルネルが飛び出してきた。危ないから隠れているように言っていたのに。

 牛頭は一瞬警戒したものの、相手がスライムだと分かってニヤリと笑う。

 棍棒を振り上げて、叩き潰そうとするのだが――。


「レインの山で悪いことしちゃ、ダメなんだからねー!」

「ブモォオオオオオオ!?」


 その頭上に躍り出たネルネルが、可愛い怒声とともに謎の液体を浴びせかけた。

 牛頭はそれを頭から被って絶叫する。

 みるみるうちにその皮膚が焼け爛れていき、魔物は苦悶の声を上げてもがき苦しんで、すぐにどすんと倒れて動かなくなった。


 あたりには薬品臭と肉の焼ける匂いとが充満する。

 ネルネルは僕の腕の中にぽすっと落ちてきて、しばらく固まってから叫ぶ。


「……なんか出た! 今のなに!?」

「自分でも分かんないの!?」

「ほう、今のは溶解液ですな。スライムが使う技のひとつです」


 爪についた血を振り払いながら、ヴォルグが興味深そうに言う。


「坊ちゃまの役に立ちたい一心で覚醒したのでしょう。かく言うわたくしも力が漲るようでございます」

「ぼく、強くなったってこと? やった!」

「僕も負けてられないなあ……」


 そんなふうに話し合っていると、呆然としたようなか細い声が聞こえた。


「あ、あなたは、いったい……」

「あっ!」


 そこで僕はハッとする。

 魔狼族に守られていた女の子が、目を丸くしてこちらを見つめていたのだ。


 目深に被ったフードの下からは薄桃色の髪と瞳が覗いている。

 僕と同じくらいの年頃の、とても可愛い女の子だ。


 そんな彼女の頬には真新しい鮮血が飛んでいた。

 僕は慌てて彼女のもとまで駆け寄って声を掛ける。


「大丈夫!? 怪我はない!?」

「は、はい……リタは平気です」


 女の子はおずおずとかぶりを振った。

 しかしすぐ、そばに倒れた男の人を見て涙をこぼす。


「でも、お父さんが……」

「これは……ひどいな」


 男の人は女の子とお揃いのフードを被っていて、それが血でぐっしょりと濡れていた。

 どうやら牛頭にやられたらしい。意識はなく、呼吸もか細い。顔色は血の気が失せて土気色だ。

 医療の心得がない僕でも、虫の息なのがすぐに分かった。


「待ってて、今すぐ治してあげるから。えっと、回復魔法は……」


 僕は自分の使える魔法の一覧を表示させる。

 操影魔法や能力減衰魔法などなど、多くの魔法がある。

 これだけ覚えているのなら、治療に使える魔法のひとつやふたつあるだろう。

 そう当たりを付けていたのだが……何度見返しても、それらしい魔法は存在しなかった。


「回復魔法が、ひとつもない……!?」

「……当然です」


 愕然とする僕に、ヴォルグが静かに告げる。


「回復魔法は光属性の魔法です。暗黒竜とは対極に位置する力ゆえ……回復魔法は覚えられません」

「じゃあこの人を助けられないの!?」

「いいえ。手段はあります」


 ヴォルグは前足で男の人を示す。


「この男を坊ちゃまの眷属とするのです。さすれば生命力の受け渡しが可能となり、命を救うことができるでしょう」

「僕の、眷属……?」


 その言葉に、僕はごくりと生唾を飲んでしまう。

 昨日までの僕なら、ヴォルグの提案に迷うことはなかった。


 だがしかし、僕は暗黒竜がこの世界でどう思われているのか知ってしまった。

 そんな恐ろしい存在の手下にされたと分かったとき、この人は一体何を思うのだろう。

 絶望し、拒絶するだろうか。あのおじさんみたいに僕を真正面から罵るだろうか。


 そこまで考えて、僕は自分の頬を両手でぱんっと叩いて雑念を振り払った。


「悩んでいる時間はないよね! やろう! でも……眷属ってどうするの!?」

「朝方、ネルネルを眷属にしたはずでは……?」

「あのときはなんか勝手にできたんだもん!」

「ううむ。では、その者に手を翳して念じてください。あとは感覚で分かるでしょう」

「感覚って……そんなのでいいの?」


 ヴォルグのざっくりした説明に不審を覚えつつも、言われた通りにする。


(このひとを絶対に助ける! そのためにも、眷属にするんだ!)


 そう念じると、意識の奥底からかすかな声が聞こえてきた。その声に続いて復唱する。


「……汝を我が眷属に迎える。我に魂からの忠誠を誓え。我にすべてを託せ。さすれば我が神威が、汝の道行きを照らすであろう!」

「きゃっ!?」


 唱え終わった瞬間、男の人からまばゆい光が放たれた。ネルネルのときと同じだ。

 光が収まったあと、男の人の顔色はすっかりよくなっていた。


 固唾を呑んで見守っていると、固く閉ざされていたはずのまぶたがゆっくりと開く。

 それに女の子は言葉を失った。すぐその瞳に大粒の涙が浮かび、男の人の胸に飛びつく。


「お父さん! よかった……!」

「リタ……?」


 男の人はぽかんとしながらも女の子を抱きしめる。

 その光景に、僕はうるっときつつもホッとする。


「間に合ってよかったあ……きみたちもありがとうね」

「もったいないお言葉です、レイン様」

「巡礼者を守るのも俺たちの仕事っすから! 実に二百年ぶりのお客さんっす!」


 親子を守ってくれた魔狼族と、報せてくれた魔狼族が胸を張って言う。

 ヴォルグも長として鼻が高そうだった。


「ふっ、お主らよく働いたな。褒めてつかわすぞ」

「「あざっす!!」」


 そんなふうにほのぼのしていると、男の人がこちらに気付いて悲鳴を上げる。


「うわっ! ま、魔物!?」

「あっ、怖がらないでください。この子たちは危害を加えませんから」


 それに僕は慌てて弁明する。

 女の子も男の人に抱きしめられながら、必死に僕らを庇ってくれた。


「こちらの男の子が助けてくれたんです。魔物を倒して、お父さんの怪我も治してくれました」

「なんだって!?」


 男の人は倒れた牛頭を見やってから、僕をじっと凝視する。

 その視線が神竜教会のおじさんを思い起こさせて、どこかドギマギしてしまう。

 しかし僕の杞憂を一蹴するように、男の人はニカッと気持ちのいい笑みを浮かべてみせた。


「こんなに若いのにすごく強いんですね。なんとお礼を言っていいのやら……本当に助かりました。感謝します」

「あっ、いえ。気にしないでください」


 僕はしどろもどろに首を横に振る。

 彼には非常に大きな負い目があったからだ。しゅんっとして頭を下げる。


「僕の方こそ、あなたに謝らないといけないことがありますし……」

「謝る? 助けてくれたっていうのに、不思議なことを言う子だなあ」


 彼は小首をかしげつつ、血で汚れたフードを上げる。

 ようやく彼の素顔が露わになった。三十代前半くらいだろうか。蜜柑色の髪と目の色をしていて、精悍な顔つきをしていた。日に焼けた体も逞しく、どこか虎を思わせる風貌だ。

 そしてその頭には、立派な獣の耳が生えていた。


 男の人は胸に手を当てて丁寧に名乗る。


「申し遅れました。俺の名はフェリクス。よろしくお願いしますね」

「リタです。よろしくです」


 父に倣ってフードを上げた女の子の頭にも、小さな獣耳が揺れていた。

次回は明日の十七時ごろ更新予定です。

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