暗黒竜の昔話
慌ただしい謁見が終わったあと、僕はみんなを置いて神殿の中に戻った。
少しひとりで考えてみたかったからだ。
転生卵の隣で横になり、空を見上げてぼんやりする。
しかし考えても考えても思考はまとまらず、どん詰まりになったタイミングでヴォルグがやってきた。頭の上にはネルネルが乗っている。ふたりとも僕を心配してか、どこか浮かない顔をしていた。
寝転ぶ僕の隣にヴォルグがそっと腰を下ろす。
ネルネルがぴょんっと飛び降りて、僕の腕に収まった。
ぷにぷにと温かい彼を抱きしめているうちに、少しだけ気が楽になった。
僕はのっそりと起き上がり、ヴォルグに問う。
「暗黒竜がこの世界を脅かしたって……どういう意味なの?」
「……レヴニル様ではございません」
ヴォルグは苦しげにかぶりを振る。
「今から二百年ほど前の話になりますかな。そのころのレヴニル様には人間の友がおりました。信徒でも眷属でもない、ただの友です」
その人間は不思議な魅力を持っていたらしい。
どこか抜けた性格でありながら知的であり、努力家でありぐーたら者でもあった。
そんな相反した性質を持つ人間をレヴニルは気に入り、この神殿で夜通し語り合ったり、あちこち旅をしたりと親交を深めていった。
ヴォルグもそれを微笑ましく見守っていたらしい。
「ですが……その者はレヴニル様を利用していたのです。あの方の力を使って大国を襲い、多くの命を奪いました」
その人間は暗黒魔法に高い素質を有していた。
レヴニルと特殊な契約を交わすことで自身の力を高め、研鑽を積み――その力でもってしてある日突然、自身の祖国を焼き払った。
その一報を受けてヴォルグは最初『なにかの間違いでは』と感じたそうだ。
だがしかしレヴニルの反応は違っていた。
こうなることを予想していたように、ただひと言『そうか』とこぼしただけだった。
それからその人間は他の国々をも襲いはじめ、レヴニルが立ち上がることとなった。
「最後はレヴニル様がご自身で始末を付けました。わたくしは留守を任されましたので、詳細は存じ上げませんが……激しい戦いになったようです」
二百年経った今でも、その戦いがあった場所は草木も生えない死の砂漠のままらしい。
「そう、だったんだ……」
そこまで聞いて、僕は生唾をごくりと飲み下す。
喉がカラカラに渇いていた。ネルネルもひと言たりとも発さない。
痺れる舌を無理やりに持ち上げ、僕は質問を続ける。
「でも……だったらレヴニルは世界を救ったわけじゃん。なんで邪竜なんて呼ばれるのさ」
「あの者がレヴニル様の命を受け、破壊活動を行ったと。そう信じられているのです」
「そんなバカな……」
この事件以降、レヴニルは神殿から一歩も出なくなった。
数多くいた眷属も彼を恐れてこの山を去り、とうとう魔狼族だけが残された。
そのせいで信仰が足りなくなり、じわじわ弱っていく結果を招いたのだという。
「事件のあと、神竜教はレヴニル様を信仰の対象としてではなく監視対象とし、さらに力が衰えてからはぞんざいに扱いましてな。派遣された者の中には、あの人間のように横柄な態度を取る輩も少なくありませんでした」
「あっ、だから紋章が五角形だったんだ」
「ええ。元は六角形でしたが、あのあとすぐに変更されました」
ヴォルグは心底不愉快だとばかりにふんっと鼻息を荒くする。
それで彼が馬車の一団をあんなに険しい顔で睨んでいたのに合点がいった。
「そりゃヴォルグは教会を嫌って当然だよね。僕だっていい気はしないもの」
「まったくです。レヴニル様は気にも留めていらっしゃらないご様子でしたが……」
ヴォルグはゆっくりとかぶりを振ってから、重いため息をこぼす。
「そういうわけでこの世界において、暗黒竜は忌み嫌われる存在なのです」
「そっか」
僕も同じように息を吐く。
いろんなことが一気に分かって情報に溺れそうだ。
だが、ちょうどいい機会だ。かねがね考えていた疑問を、ついでとばかりに口にする。
「あのさ、ひょっとして僕が捨てられたのって……」
「……坊ちゃまに暗黒魔法の素質があったからでしょう。稀にあるのです」
ヴォルグはかなり言葉に詰まってから白状した。今日で一番答えづらそうだ。
レヴニルの事件があってから、暗黒の力は忌避され、災いをもたらすとされた。
それゆえ暗黒魔法の素質があれば、赤子のうちに捨てられてしまうことが多いらしい。
そのほとんどは、この山に生贄として捧げられる。
ちょうどこの僕のように。
「ここに捨てられた赤子のほとんどは、レヴニル様が信頼の置ける者に託しておりました。ですが坊ちゃまはこれまででも類を見ないほどの素質を有しておりましたから……自身の限界を感じたレヴニル様が、後継者として育てることを決めたのです」
「そうだったんだね」
生まれてすぐ、周囲の大人たちがどよめいた理由がようやく分かった。
そりゃそんな悪名高い力があれば、驚かれても仕方ないだろう。
五年もの間抱えていた疑問が氷解し、僕はにっこりと笑いかける。
「ありがと、ヴォルグ。話しづらいことを聞いてごめんね」
「お気になさらずに。いずれ坊ちゃまも知るべきことでしたから」
ヴォルグも疲れたように笑ってから、ふと僕から視線を外す。
かわりにじっと見つめるのはレヴニルの転生卵だ。
「レヴニル様は坊ちゃまにこのことを伝えるかどうか、ずっと悩んでおりました」
「どうして?」
「坊ちゃまが捨てられたのは暗黒の力があったから。つまりレヴニル様が原因と言えなくもないからです」
「いやいや、今のを聞いてレヴニルのせいなんて思わないよ! 悪いのはその、暴れ回ったひとじゃんか!」
僕と楽しそうにおしゃべりしながら、そんなことを考えていたなんて……ちょっとしんみりしてしまう。でも、これだけははっきり言えた。
レヴニルは悪くない。恨むのはお門違いだ。
「たしかに僕は捨てられたよ。そのことは残念に思うけど、僕はここで育って、みんなと会えて幸せだ。だから気にしないで」
「……ありがとうございます。レヴニル様もきっと安堵されることでしょう」
ヴォルグは深くうつむき、鼻先から垂れた涙がぽたぽたと落ちた。
しんみりした空気の中、ネルネルがぷるりと震える。
「そんなことがあったんだねえ。初めて知ったよ」
「ネルネルも知らなかったんだ」
「うん。みんなが暗黒竜を避けるから、てっきり怖いものなんだと思ってた」
「全然そんなことないよ。やさしいお爺ちゃんって感じだった」
「ふうん。だったらぼくはレインの言葉を信じるね」
ネルネルは僕を勇気付けるようにしてぴょんぴょんと跳ねる。
「レインが好きなものは、ぼくも好き。会ってみたかったなあ」
「大丈夫だよ。そのうちその転生卵が孵るから、ネルネルもきっと会えるよ」
「そうなの!? わーい、たのしみ! 早く生まれないかなあ」
「ふふ、そのときは僕の友達だって紹介するね」
転生卵をつんつん突くネルネルを見ていると、自然と笑みが浮かぶ。
ヴォルグも前足で顔を拭いながら忍び笑いを漏らした。
真上に昇ったお日様が、そんな僕らをやさしく見下ろす。
(暗黒竜は怖くないって……ネルネルだけじゃなく、いろんな人が知ってくれればいいのになあ)
僕はそんな夢を胸に抱き、凝り固まった体を伸ばす。
そこでふとズボンのポケットが膨らんでいることに気付いた。
「あっ、そうだ。忘れてた」
ポケットから取り出すのは小さな紙袋だ。
ジュールさんが去り際に残していったものだが、開けるのをすっかり忘れていた。
少し迷った末に僕はその封を切ることにした。
暗黒竜を敵視する、神竜教の神官からもらった品だ。
いったいどんなものが入っているのか、ちょっとおっかなびっくりだった。
しかし、袋を覗いて拍子抜けしてしまう。
「……飴?」
中に入っていたのは飴玉だった。
小粒のビー玉サイズで、様々な色がついている。
香料のようなものは一切感じられない、シンプルな砂糖だけでできた品だ。
ネルネルも興味深そうに袋を覗いてくる。
「なにそれキラキラしてるー。宝石なの?」
「違うよ、これは食べ物だよ」
「えっ、人間って宝石を食べるの!?」
ビックリ仰天といった様子でネルネルが飛び跳ねる。
うんうんうなずき、意外そうに言うことには――。
「人間はやわらかいものしか食べられないんだと思ってた。僕らとおんなじなんだねえ」
「だから、これは宝石じゃなくて……まあいいか」
僕が苦笑する横で、ヴォルグはしかめっ面で飴玉の匂いを嗅ぐ。
「毒や呪詛の気配はなさそうですが……いかがいたしますか、坊ちゃま」
「そうだねえ」
ひとつ摘まんでお日様に翳す。飴玉を通して色づいた光の筋が、神殿の壁を彩った。
ジュールさんは神竜教の人間だ。
それでも、あの太ったおじさんよりはずいぶん話せる方だった。
そう僕に思わせて、取り入ってやろうって魂胆がないとは限らないが……。
「せっかくだし、これだけはもらっておこうかな。あの人を信用するかどうかは別として」
「……坊ちゃまの御心のままに」
ヴォルグは渋い顔で首肯しつつも、ギンッと目を光らせる。
「ですが、くれぐれも神竜教の人間などに心を許さぬよう。やつらは信用なりませぬ」
「あのお姉さんはまだセーフっぽくない? レヴニルに祈ってくれたしさ」
「そう思わせるための演技に決まっています! 腹の内では何を考えているやら!」
「ねーねー。はやく宝石たべよーよー。どんな味かみてみたい!」
「分かった分かった。どれから食べる? 好きなの選んでいいよ」
「わーい! じゃあねえ、僕とおんなじ色のこれにするー!」
「坊ちゃま! まだ話は終わっていませむぐっ!」
なおも説教を続けようとするヴォルグの口に、飴玉を放り込んで黙らせる。
すると眉間に寄ったしわがみるみるうちに薄れていった。
「むむ……まあ、悪くはございませんな」
「あまーい! なにこれすっごい! こんなあまいの、はじめてたべた!」
「ふふ。あとで歯磨きしなきゃだね」
ネルネルも歓声を上げるので、僕も飴玉を頬張った。
口いっぱいに広がるシンプルな甘みが、僕の心を癒やしてくれる。
「おいしい! やっぱり甘いものはホッとするなあ」
そういえばお菓子なんて今世では初めてだ。
久方ぶりに味わう甘味に、僕の心もほわほわ躍る。
そんなふうにしてシリアスな空気が吹き飛んだ、その直後のことだった。
慌ただしい足音が神殿の方までやって来たかと思えば、一匹の魔狼族が飛び込んできた。まだ若い個体で、僕とけっこう年の近い男の子だ。
彼は息を切らせて僕に言う。
「たいへんっす! 若!」
「どーしたの。また神竜教のひとが来たとか?」
「違うっすよ! さっきのやつらとは別件です!」
魔狼族の男の子はそこで言葉を切って、思いっきり深呼吸してから大声を張り上げた。
「山のふもとで、人間の親子が魔物に襲われてるんすよ!」
次回は明日の十七時ごろ更新予定です。
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