暗黒竜と訪問者
暗黒竜神殿に戻って待っていると、その一団がしずしずと現れた。
馬車の集団だ。
最初に現れたのはよくある荷馬車だった。
幌の内側には覆いで隠された荷物が山のように積み込まれていて、警護する兵士らも大勢ついている。
荷馬車が何台か続いたあと、まったく別の馬車が現れた。
箱状の車体は大きくしっかりしていて、華美な装飾がこれでもかと施されている。
おまけにそれを牽くのも純白の毛並みを持った美しい馬で、ひときわ目立っていた。
そこで終わりかと思えば、またさらに荷馬車が続き……計十台もの馬車が、神殿前に居並ぶことになった。兵士らが忙しなく馬の誘導を行い、どこかピリピリした空気が漂う。
僕はその光景をヴォルグやネルネル、それに他の魔物たちとドキドキして見守った。
(そういえば、こっちの世界の人間って久々に見るかも)
初めて見たのは生まれたばかりのときだが、あのときは目がぱっちり開けられなくて彼らがどんな顔をしているのか分からなかった。生んでくれたお母さんの顔も知らないのだ。
その後すぐ捨てられてここに来たから、実に五年ぶりに会う人間だ。
僕の頭に乗っかったネルネルもどこか興奮気味だった。
「ひょっとしてあれが人間? 初めて見たかも!」
「ネルネル? 僕も一応人間なんだけど」
「だってレインは暗黒竜でしょ?」
「そうだけどさー」
そんな話をする間も、ヴォルグはどこか苦々しい表情で馬車の一団を見つめていた。
「あれがさっき教えてくれた神竜教?」
「……はい」
ヴォルグは短く答える。
畑からの道すがら、神竜教を説明してくれた。
平たく言えば全部で六柱いるスピリット・ドラゴンたちを信奉する宗教ということらしい。
この世界中に信者がいて、各地に教会があるという。
「ふうん……なんだか物々しいなあ。って、あれ?」
僕はふと気付いて目を丸くしてしまう。
すべての馬車には五角形のシンボルが描かれていた。
それぞれの頂点に竜の頭を模した記号が描かれ、どこか神聖さを感じさせる。
あれが神竜教の紋章なのだろう。
だが、それならおかしな点がひとつある。
「ねえねえ、ヴォルグ。神竜教ってスピリット・ドラゴンを祀っているんだよね? で、スピリット・ドラゴンはレヴニルを入れて六柱いる」
「はい」
「だったらあの紋章、五角形だとおかしくない? なんでひとつ足りないの?」
「……そのうち分かりましょう」
ヴォルグはかぶりを振って黙り込んだ。
その沈黙に、僕はそれ以上の疑問をぶつけられなくなってしまう。
(なんなんだろ……なんだか嫌な感じがするな)
そんなふうに気を揉んでいると、馬車が綺麗に並んで停まる。
兵士らは直立不動でひと言たりとも発さない。
緊張のためか、汗を掻いている人も多い。
重苦しい沈黙が場を支配する。
やがて豪華な馬車から、御者がひょいっと降りてきた。
まだ若い女の人だ。二十代前半ってところだろうか。
神官らしき服を着ているものの、くわえタバコをくゆらせる姿はどこか気怠げだ。
腰まで伸ばした黒髪を乱雑にひとつ括りにしており、目は眠たげ。神職にはとても見えない。
お姉さんはタバコを少しく吸ってから、僕に気付いてバツが悪そうに笑った。
「おっと。悪いね、少年。すぐ消すよ」
「は、はい」
そう言って彼女は携帯灰皿にタバコをしまう。
子供の前だから我慢してくれたらしい。ポイ捨てしないのもポイントが高かった。
(悪い人じゃなさそうだけど。ヴォルグもそんな嫌うことないじゃんか)
そう思っていたのも束の間だった。
お姉さんは馬車の前に踏み台を置き、扉を開く。
そこから出てきたのは彼女とは対照的な、でっぷりと太ったおじさんだった。
服には金糸で刺繍が施され、宝石が散りばめられている。指や頭にも装飾品が乗っていて、手にした杖も金ぴか。ちょっとやりすぎなくらい成金趣味だ。
おじさんは胸に手を当てて、恭しく頭を下げる。
「これはこれは眷属の皆さま。初めまして」
そう言ってから頭を上げてニカッと笑う。
すると金の差し歯が太陽の光を受けてギラギラと輝いた。
「私はカルコスと申す者です。神竜教の司祭にして、シュトラントの教会責任者を務めております」
「……シュトラント?」
「ここから少し行ったところにある、海沿いの街です」
僕がきょとんとしているとヴォルグがそっと耳打ちする。
近くに街があるなんて初耳だった。興味が湧いたが、僕はひとまず手のひらをズボンで拭っておじさんに差し出す。まずは挨拶だ。
「は、初めまして、レインっていいます」
「レイン殿ですか……ふむ」
おじさんは僕の右手を一瞥しただけで、ぴくりとも腕を持ち上げようとしなかった。
(……あれ? こっちの世界だと、握手の習慣がないのかな?)
不思議に思いつつも、僕はあいまいな笑みを浮かべて手を引っ込める。
それを、さっきのお姉さんはおじさんの後ろから静かにじっと見つめていた。
変な空気になったが、おじさんは気にも留めないようだった。両手をすり合わせながら、ちらちらと神殿の方を見やる。
「ところで暗黒竜様にお目通りしたいのですが……取り次いでいただけますでしょうか」
「はい?」
その申し出に、僕はぽかんとしてしまう。
ヴォルグたちも言葉を失って目を丸くして黙り込んだ。
また変な空気になって、今度はおじさんも気になったようだ。
少しだけ眉を寄せて不審そうに問いかけてくる。
「いかがされました。暗黒竜様はご不在ですか?」
「えーっと……ちょっと待ってくださいね。相談します」
「はい、はい。いくらでも待ちますとも」
「みんな。ちょっと来てくれる?」
揉み手のおじさんを残し、僕らは神殿の中へと入る。
屋根はまだ修理中だが、魔狼たちが作ってくれた巣があって、中にはレヴニルの転生卵が気持ちよさそうに眠っている。簡単な雨風避けも設置済みだ。
その前で僕らは作戦会議をはじめた。
「あのおじさん、僕が暗黒竜の後継者だって気付いてないのかな?」
「そのようですな」
ヴォルグはふんっと鼻息を荒くし、前足で首を掻いた。
「高位の者ならば神威を感じ取れるため、坊ちゃまが本物だと気付くことができます。あの者はそこまで力がないのでしょう」
「ふうん。偉いひとっぽいのにねえ」
人は見かけによらないというわけだ。
僕はひとり納得しつつ、みんなの顔をぐるりと見回す。
「みんなはあのおじさんのこと、どう思う?」
「怪しいです」
「うさんくさい」
「だよねー。僕も同意見だよ」
他のみんなも口々に「なんかいや」だの「おいしくなさそう」だのと悪口のオンパレードだ。
かく言う僕も、嫌な臭いをぷんぷんと嗅ぎ取っていた。
いい顔をして近付いてくる人間には二種類いる。
本物の善人と、こちらを食い物にしようとしている悪いやつだ。
今回はたぶん後者だろう。僕の子供としての直感が『あの大人は信用できない』と告げている。あのお姉さんはマシそうだけど、ボスがあれじゃあね……。
「それじゃ追い返そう。みんな異論はないね?」
『賛成!』
声がぴたりとハモって話はすぐにまとまった。
僕はみんなを引き連れて、またおじさんの前まで戻っていく。
「あのー」
「はいはい。暗黒竜様の許しは出ましたでしょうか?」
「僕がその暗黒竜なんですけど」
「……は?」
おじさんの笑顔がピシリと固まった。お姉さんはその後ろでわずかに目を丸くしている。
僕はなるべく穏便な声を心がけて優しく続ける。
「残念ですけど今日は忙しいんです。どうかお帰りくだ……あれ、おじさん?」
突然おじさんがうつむき、ネルネルみたいにぷるぷると震えだした。
お腹が痛いのかと心配したが、おじさんはかすれた声を絞り出す。
「こ……」
「こ?」
「この不届き者めがあああ!!」
「うわあっ!?」
急におじさんが叫んだので、僕らは揃ってのけぞった。
耳のいいヴォルグは特に効いたようで耳を押さえて悶絶している。
「び、びっくりしたあ。なんですか、急に」
「黙れ黙れぃ! 暗黒竜の名を騙り、わしを謀ろうなどと不敬がすぎる! 子供とはいえ容赦はせんぞ!」
「ええー……」
おじさんは唾を飛ばして杖を向け、僕を真正面から罵倒する。
どうやら信じてくれる気は毛頭ないらしい。
僕が呆然としていると、ヴォルグとネルネルが僕にしか聞こえないような声量でひそひそと進言してくる。
「坊ちゃま。お許しいただければ、すぐにでもこやつらを物言わぬ屍の山に変えてご覧に入れますが」
「僕もやるよ! やっちゃうよ! レインの敵は僕らの敵だ!」
「みんな待って。落ち着いて。どうどう」
他のみんなも目をギラギラさせておじさんを睨み付ける始末。
僕はそれを慌ててなだめる。向こうからはなにもされていないし、襲いかかってしまえばこっちが悪者になってしまう。
気色ばむみんなの対応に困っていると、そこに割って入ったのはあのお姉さんだった。
おじさんの肩をがしっと掴んで引き戻し、柔らかな笑顔で忠告する。
「まあまあ、カルコス様。そう怒らずに。子供の冗談じゃないですか」
「ジュール……しかしだな、このままでは暗黒竜への面会が叶わんぞ」
「そんじゃ、あたしが話してみますよ。子供の相手は得意なんです」
そう言ってお姉さんがずいっと前に出た。
さっきの僕みたいに服で右手を拭って、ずいっと差し出してくる。
「初めまして。あたしはジュールだ。よろしくね、少年」
「よ、よろしくお願いします」
僕がその手をおずおずと握ると、ジュールさんは柔らかな笑顔で握り返してくれた。
なんだ、こっちの世界でもちゃーんと握手があるんじゃないか。
おじさんへの不信感がどんどん膨らんでいく。
そんな僕の胸中を見透かしてか、ジュールさんは困ったように笑った。
「そう警戒しないでおくれよ。あたしたちはなにも怪しい者じゃない。新たな暗黒竜様にご挨拶したいだけなんだ。代替わりしたんだろ?」
「そうですけど……なんで知ってるんですか?」
僕の問いかけに、ジュールさんは手のひら大のペンダントを取り出す。
金色の土台の上に、小さな六色の輝石が飾られている。
「これはスピリット・ドラゴン様のお力を示すものでね。他にもいろいろと種類があるんだ」
宝玉に像、絵画など。
スピリット・ドラゴンたちをかたどったそれらには特殊な魔法が掛けられていて、それぞれの竜の衰勢に応じて光を放つらしい。教会ごとに安置されており、人々はそれに祈りを捧げるのだと、ジュールさんは教えてくれた。
「数日前のことだ。それらの魔導具のうち、暗黒竜様のものが突然砕け散り、すぐにまた元に戻るという奇跡が世界中で確認された。これを教会は『レヴニル様が消滅し、かわりの後継者が現れたため』と解釈したんだけど……合っているよね?」
「……はい」
「そうか」
僕が小さくうなずくと、ジュールさんはしゃがみ込んでしっかりと目線を合わせる。
そうして彼女は指を組み、目を瞑って祈りを捧げた。
「お悔やみ申しあげる。どうかレヴニル様の魂が安らかでありますように」
「……ありがとうございます」
僕はなんとかそう言うのがやっとだった。
前世は天涯孤独の身の上だったから、こんなことを言われるのは初めてだった。
家族がいて、その死を悼んでくれる誰かがいる。
たったそれだけのことが僕の胸を刺し、それと同時に温かくもしてくれた。
彼女のまっすぐな祈りに胸を打たれたのは僕だけじゃなかったらしい。
ヴォルグたちもみな一様に黙り込み、ジュールさんをじっと見つめている。
次回は明日の十七時ごろ更新予定です。
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