暗黒竜とはじめての眷属
僕が暗黒竜後継者となってから五日目。
その日は朝から快晴で、絶好の土いじり日和だった。
身支度を調えたあと、僕は神殿裏に広がる畑に繰り出した。
ヴォルグとともに木々を伐採して広げた土地である。あれから雑草や木の根を抜いて、岩を砕いて整備した。今は土を耕してふわふわにしている段階だ。
「さーて、今日もがんばるか。影よ、来たれ!」
僕の声に応えて、にゅうっと影が立ち上がる。
この感覚にもずいぶんと慣れたものだった。
影を鍬の形にして土に振り下ろせば、ざくっという小気味よい音が響く。ゆっくりと歩きながら、僕は影の鍬を振り上げて、下ろす。その繰り返しだ。
そうしているとそばの茂みが揺れ、ぴょこっとライムグリーン色の粘性生物が現れた。
先日僕が助けたスライムくんだ。僕の姿を確認するなり、うれしそうに跳ねてやってくる。
「いたいた。おはよー、れいん」
「おはよう、スライムくん」
僕はそんな彼に笑いかけ、彼もまたにっこりと笑う。
ひょんなことから出会った彼とはあれからも交流が続いていて、毎日のように僕のもとに遊びに来るようになっていた。他の火キツネたちも美味しい果物なんかを持ってきてくれるので、ちょっとしたご近所ネットワークが生まれている。
スライムくんは影の鍬と土とを見比べて、首をかしげるようにして震える。
「つちをたたいてるの? なんで?」
「畑を作っているんだよ」
僕はスライムくんを抱き上げて、出来上がりつつある畑を見せてあげた。
ここしばらく土仕事に励んだおかげで二十メートル四方くらいの土地が綺麗に整備できていた。こんもりと盛り上がった畝が等間隔に並び、自分で言うのもなんだが立派なものだ。
「はたけってなあに?」
「野菜や果物を育てるところだよ。上手に育てるとたくさん実るんだ」
「へー! ごはんをさがさなくってもよくなるんだね。すごいじゃん!」
僕の説明にスライムくんは大興奮だ。
彼らスライムはどんなものでも溶かして吸収し、自身の栄養に変えることができるらしい。だがしかし、味覚はあるので美味いものは大歓迎だという。
ちなみに性別はないようだが、便宜上『くん』付けで呼ばせてもらっている。
スライムくんは僕の腕の中で声と体を弾ませる。
「はやくできないかなあ、おいしいもの。たのしみだなあ♪」
「うーん……ごめんね、今のままじゃ何にも育たないんだ」
「えっ、そーなの?」
「うん。種とか肥料とか色々と必要なんだ」
土なんて、小学校の授業でちょっと触っただけだ。
そのため僕の農業知識は非常にふんわりとしていた。それでも、ただ土を耕しただけで美味しい野菜が育つことは決してないことくらいは理解できている。
試しに畑のステータスを確認してみる。
土質、水はけ、養分、pH値……それぞれ数字が並んでいるが、それがいいのか悪いのか、僕にはまるで判断できず……って、pH値!? アルカリ性とか酸性の、あの!?
「こっちの世界でもそういう数値があるのかな……? それとも僕の知識を土台にして表示される数値が変わるだけだったり……? わ、分からない……」
「なんだかむずかしいんだねえ」
スライムくんはため息をこぼすように言って、ぷるんっと自分を叩く。
「たねがほしいの? なら、やまにいっぱいあるよ。こんどとってきてあげようか?」
「それって何の種か分かる?」
「? たねはたねでしょ?」
「そうきたかー」
スライムくんの返答に僕はくすくすと笑うしかない。
どんな作物が育つか分からないというのも、それはそれで面白い。
「ありがとうね、スライムくん。それじゃあお願いしようかな」
「うん! ぼくね、れいんのことだいすき。だからがんばるよ!」
「なんていい子なんだろ! よーしよーし!」
「ぴー♪」
体表を撫でると、僕の腕の中で気持ちよさそうにとろんと蕩けてしまう。
感触はゴム鞠に近いが、ほんのり温かくていつまででも撫でていたくなる。スライムにこんな魅力があるなんて、僕は異世界を揺るがすほどの画期的な発見をしてしまったかもしれない。
そこでふと手を止め、かねての疑問を口にする。
「そういえば、きみって名前はないの?」
「なまえ?」
「うん。最近はほかのスライムも遊びに来るからさ、呼び方に区別を付けたいと思ってね」
先日助けた魔物たちは、僕に助けてもらったことを仲間たちに話したらしい。
暗黒竜神殿をおっかなびっくり覗きに来る者も少なくないのだ。
スライムくんと他の個体とで、外見的な違いはほとんどないが、僕はひと目見れば分かる。
それでも初めてできた友達だ。『スライムくん』以外の名で呼んでみたかった。
僕の期待に反し、彼は申し訳なさそうに左右に揺れる。
「ごめんね。ぼくになまえはないんだ。ただのすらいむだよ、ぷるぷる……」
「それじゃあ……僕が名前を考えてもいい?」
「ほんとに!?」
おずおずとした僕の提案に、スライムくんは飛び上がった。
そのまま僕の周りをぴょんぴょんと飛び跳ねて、名前を催促してくる。
「つけてつけて! おねがい、れいん!」
「わかったよ。それじゃあね、うーん」
改めて彼の姿をじーっと見つめてくる。
ライムグリーンの体は、光の当たり方次第で黄色を帯びて見える。
その二色のコントラストが、僕にとあるお菓子を想起させた。
幼少期、施設でもらえた少ないお小遣いでよく買って味わった、実験めいた手順を踏む魅惑のお菓子を――。
「ネルネルっていうのはどう?」
「ねるねる!?」
僕が口にした名を、彼は裏返った声で復唱した。
そのままぷるぷると小刻みに震えだしたものだから、気に入らなかったのかとヒヤヒヤする。
しかし、そんな杞憂は数秒で吹き飛んだ。
彼がその場で大きく飛び跳ねて、とびきり大きな声で叫んだからだ。
「それいいね! ぼくは今日からネルネルだー!」
「うわっ!?」
ぴかーーっ!
スライムくん改めネルネルの体から、謎のまばゆい閃光が放たれた。
目をごしごしこする僕にはおかまいなしで、ネルネルはぴょんぴょん飛び跳ねる。
「わーいわーい! ネルネルだ! ネルネルだよ! みんなに自慢しなくっちゃ!」
「えっ、なに、今の光!? あとなんか、急にしゃべり方がしっかりしたような……大丈夫!?」
「いかがされたのですか、坊ちゃま」
おたおたしていると、ちょうどそこにヴォルグが顔を出した。
大慌てで顛末を説明したところ、彼は事もなげに言う。
「なるほど。眷属契約をしてしまったようですな」
「けんぞく……って、つまり神様の家来的な? 信徒とは違うの?」
「信徒はスピリット・ドラゴンの信奉者すべてを指します。一方で、眷属は特別な存在なのです」
眷属とは信奉者のなかでもスピリット・ドラゴンに認められた者だ。
スピリット・ドラゴンから力を分け与えられるほか、祈りを捧げることで離れていても自在に会話ができたりするらしい。
「我ら魔物には基本的に名前がありません。名前を得るのは主によって頂戴するときのみ。わたくしもかつてレヴニル様にこの名をいただき、眷属に迎えていただいたのです」
「そうだったんだ……」
僕はぽかんとしてネルネルを抱き上げる。
先ほど抱っこしたときより、その体の温かさが強く伝わる気がした。絆が深まった……とでも言えばいいのだろうか。確認のため鑑定魔法を使ってみる。すると――。
「たしかに僕の眷属って書いてある!」
個体名・ネルネル。
種族・スライム族(暗黒竜眷属)。
レベル・3。
……といったステータスが明らかになった。
「レベルは3なんだ。僕は……えっ、同じレベル3?」
僕も自分のステータスを確認してすっとんきょうな声を上げてしまう。
レベルはどこからどう見ても3だった。
あんなでっかいイノシシを倒したものだから、一気に上がっているものかと思ったのに。
ちなみにヴォルグも試しに覗いてみるとレベル21だった。すごい。
「僕ってまだまだなんだなあ……ヴォルグの足元にも及ばないよ」
「お気を落とさずに。レベルというのは種族ごとに異なる基準がございますので」
たとえばドラゴンとスライムでは生き物としての格が最初から違う。
同じレベル1でも戦闘能力は天地の差があるのだと、ヴォルグはにこやかに僕を諭してみせた。
ともかく僕はそっとネルネルに問いかける。
「いいの? 僕の眷属っていうのになったみたいだけど」
「そばにずーっといるってことでしょ? それならうれしいよ。だってぼく、レインのこと大好きだもん!」
「……そっかあ」
その可愛い返事に、思わず頬がゆるんでしまう。
なんだか弟ができたみたいだ。笑い合う僕らに、ヴォルグも柔らかく相好を崩す。
「眷属はレイン様より力を賜ります。それに応じて特殊なスキルを得たり、能力が上昇したりするのです。そこなネルネルの喋りが明瞭になったのも、知能が上がった結果でしょう」
「へえー。知らないことばっかりだなあ」
「おいおい学んでいけばよいのです。坊ちゃまには時間がございますから」
ヴォルグはにこやかに言いつつも最後にしっかり釘を刺す。
「ですが眷属にする者はきちんとお選びください。眷属になれば強力な魔法が使えるようにもなるため、それを悪用しようとする輩もおりますので」
「分かったよ。でも、ネルネルはかまわないでしょ?」
「ええ。この者ならばしっかりと坊ちゃまの役に立つことでしょう」
そんな僕らの話を聞いていて、ネルネルは考え込むように体を捻る。
「よく分かんないけど、ぼくってまだまだ強くなれるの?」
「みたいだね。強くなったら何がしたい?」
「決まってるよ! レインみたいに、みんなをいじめる悪いまものをやっつけるんだ!」
「ふぉっふぉ、やはり頼もしい限りですな」
まぶしそうに目を細めてヴォルグは笑う。
しかし、すぐにその笑みは影を潜めることになった。眉間にしわを寄せた険しい顔で、ヴォルグがそっと僕に耳打ちする。
「それより坊ちゃま。早急にお知らせしたいことがございます」
「なになに、また魔物が暴れているとか?」
「そうではございませぬ」
ヴォルグはゆるゆるとかぶりを振ってから、重いため息をこぼしてみせた。
心底辟易したとばかりのその仕草に僕は首をかしげる。
いつも穏やかな彼がこんなにも嫌そうにするのは、びしょ濡れになったときくらいのものだ。
それくらい厄介なことが起こったというわけか。
ハラハラする僕に、ヴォルグは億劫そうに言う。
「まもなく客人がやって来ます。それがどうも、神竜教の司祭らしく……」
「しんりゅうきょう……?」
また知らない言葉が出てきて、僕は首をかしげてみせた。
書籍化決定いたしました!詳細はまたおいおい!
次回は明日の十七時ごろ更新予定です。
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